86.やっぱり私に拒否権なし?
本日2話目の更新です。
ここまでのお話で納得顔の私に、ゲンダッツさんが問いかけてきた。
「それでは、ひとつご確認をお願いしたいのですが……ゲルトルードお嬢さまはご自分が相続される財産については、どのようにお考えなのでしょうか?」
へっ?
私は素で目をぱちくりさせちゃった。いや、変な声をもらさなかっただけでも、私偉い。
「え、あの、わたくしが相続する財産というのは……家屋敷も領地もすべて、先代当主が作った借金の形に、公爵さまにお渡しすることになっておりますが?」
「あら、でも、そうね」
私が言うのとほぼ同時に、お母さまが声をあげた。
「確かに、公爵さまはわたくしたちに、今後どうしたいのかをよく考えるように、とおっしゃったわ。このタウンハウスも、わたくしたちから取り上げるおつもりなど、最初からまったくなかったようですし」
「やはり、そうでございましたか」
お母さまの言葉にゲンダッツさんはうなずいた。「先日も、公爵さまが『期日を設けない』とおっしゃったとうかがいましたし、おそらく公爵さまはご当家のご領地も財産も、いずれゲルトルードお嬢さまにお返しになるおつもりではないかと」
私は、ぽかんと口を開けそうになっちゃった。
え、いや、あの、このタウンハウスから出ていく必要なんかなかったとは確かに言われたけど、領地までいらないって……私に返すって、あの、えっと、それって我が家の領地を所有するほうが大変だからとか、そういうこと?
私が混乱しちゃってるのに、ゲンダッツさんとお母さまはふつうに会話を続けてる。
「そうだわ、確か公爵さまは、借金の証文がある以上、いったんは領地や財産を公爵さまに引き渡さないと、ゲルトルードが相続できないとおっしゃって」
「ああ、やはりそうでございますね。公爵さまは、ゲルトルードお嬢さまにご相続していただくようお考えだと思われます」
「では、そのこともあって、公爵さまはゲルトルードの後見人になるとおっしゃってくださったのかしら?」
「おそらくその通りだと思います。後見人であれば、被後見人であるゲルトルードお嬢さまの財産を管理するという名目で、公爵さまには正式にクルゼライヒ領を預かっていただけますから。少なくとも、ゲルトルードお嬢さまがご成人なされるまでは、そのおつもりではないでしょうか」
え、ちょ、ちょまっ、ちょっと待って!
私は慌てて声をあげた。
「あの、公爵さまが領地を、その、クルゼライヒ領をわたくしに返してくださるというのは、その、つまり、今後はわたくしが、クルゼライヒ領を経営していかなければならない、ということなのでしょうか?」
いや、領地を経営って……それって要するに、領地で暮らす領民全員を、私が養わなきゃいけないってことだよね?
私、いまだに行ったことすらないけど、クルゼライヒ領ってかなり大きいよね? 領民っていったいどれくらいいるの? 何百人……何千人とか……?
いや、いやいや、そんなの無理! 絶対無理!
私、領主教育なんてこれっぽっちも受けてないのよ? それに前世だってしがないOLで、領地どころかちっちゃな個人商店の経営だって当然経験ゼロ!
私が泡食っちゃってるのに、お母さまは目をぱちくりさせていて、ゲンダッツさんも両方の眉を上げて私を見てる。
そんでもって、ゲンダッツさんが、ふっと口元を緩めて言った。
「ゲルトルードお嬢さまは、ご自分がご結婚されて、ご夫君に経営をお任せするというお考えはお持ちではないのですね」
ひぇぇぇーーーー!
そうだ、そうだよ、ふつうはソレだよ!
私は脳内で絶叫しちゃった。
いや、だって、ふつうのご令嬢はそう考えるよね? ちゃんとしたお婿さんをもらって、お婿さんに領地を経営してもらって、って。
私、そんなことまったく思いもしなかった……とにかく、自分がそれをするんだ、しなきゃいけないんだとしか思わなくて……。
あー……思い出したわ。私、前世でもとことん男運悪かったの、コレだよ。
なんて言うか、とんでもない事実をあらぬ方向から突き付けられちゃった気が……ナニこの敗北感……。
なのに、なんだかゲンダッツさんは嬉しそうに言ってくれちゃうんですけど。
「いや、ゲルトルードお嬢さまがそのおつもりであれば、公爵さまはどのようなご援助でもしてくださるでしょう。ゲルトルードお嬢さまがご結婚されても、クルゼライヒ領の経営をご自分で続けていくという方法も、ないわけではございませんし」
「あら、そのようなことが可能ですの?」
問いかけたのはお母さまだった。「貴族女性は、結婚してしまえば自分の財産もすべて夫のものになるのだとばかり」
「はい、基本的にはそうです」
うなずいて、ゲンダッツさんは説明してくれた。「ただし、抜け道のような方法もないことはございません。たとえば、クルゼライヒ領をずっと後見人である公爵さまに預けたままにしておかれれば、ゲルトルードお嬢さまの配偶者となられたかたであっても所有することはできませんから」
は? えっと、あの、どういう意味ですか?
声に出しはしなかったけど、私のその疑問が顔に出ちゃってたんだろう、ゲンダッツさんは説明してくれた。
「後見人は、被後見人を保護監督する立場にあります。ですから、後見人が自分の被後見人に対しいまだ保護監督の必要があると判断する限り、被後見人の所有財産を管理することができるのです。つまり、ゲルトルードお嬢さまはクルゼライヒ領を正式に相続しその所有権をお持ちであるが、実際に所有することは『まだ』できていない、という状態にしておけるのです。妻が実際には所有していないと判断された財産を、夫も所有することはできません」
な、なんですか、その無理くりな屁理屈は?
私はあっけに取られちゃってるのに、お母さまはすぐに納得しちゃったらしい。
「あら、それでしたら間違いなく、公爵さまはゲルトルードに領地の経営をさせてくださいますわよね。先ほどのお話からすると、そもそも後見人である公爵さまは、クルゼライヒ領を管理することはできても、所有することはできないのですしね」
「はい、おっしゃる通りです」
ゲンダッツさんはにこやかにうなずく。「ゲルトルードお嬢さまが望まれる限り、エクシュタイン公爵さまは、あくまでご自分の管理監督下でゲルトルードお嬢さまが領地経営の勉強を続けておられる、という形にしてくださるものと思われます」
「よかったわね、ルーディ」
お母さまは満面の笑顔を私に向けてくれた。「これなら、貴女が思うままに領地の経営を続けていけるわ。貴女なら間違いなく、領民に慕われるとてもよい領主になれますよ」
お、お母さま、そんな気軽によい領主とか言わないでください!
私は、いったいどれだけの領民を養っていけばいいと? 私は領主教育なんて、これっぽっちも受けてきてないんですよ!
なんだかもう、すっかり気が遠くなりかけた私の耳に、ゲンダッツさんの声が届く。
「クルゼライヒ領はもともと恵まれたご領地ですからな。土地も豊かで農産物の生産にも向いておりますし、何より西から王都へと向かうフェルン街道が領内を通っておりますから。領都であるクラウデールは流通の要として、国内有数の宿場町としてにぎわっていると聞いておりますし、ゲルトルードお嬢さまも腕の揮いがいがございましょう」
ええ、一応ですね、私も我が家の領地のことを知らないっていうのはあまりにマズイと思いまして、学院図書館で一通り調べてはいるのですよ。領主教育はおろか、家庭教師の1人すらつけてもらえなかった身ですしね。
でも、そういう恵まれた領地だからこそ、何かのはずみで傾けちゃったりなんか、できないですよね? 領民の暮らしを破綻させるようなことなんて、絶対にしちゃいけないですよね?
それを、腕の揮いがいがあるとか……どうしよう、これってもう本気の話?
本当に、公爵さまは領地を私に返すつもりなの?
それを私が経営って……私に拒否権なんてものはないのーっ?
恋愛のゴングが鳴る前に敗北感を味わってしまったゲルトルードちゃんの明日はどっちだ!w