64.すでにぐったりです
「意匠登録については、知っているだろうか?」
公爵さまの問いかけに、私はうなずいた。
「はい、あの……実はすでにひとつ、我が家の出入り商会から、私が考案したものの意匠登録を、買い取りたいと申し出を受けておりまして……」
「なんと、すでに?」
藍色の目が瞬く。「どのようなものを考案したのだ?」
「ええと、刺繍の一種? です」
公爵さまが近侍さんと顔を見合わせている。
私は、ここはもう正直に申告しておくべきだと思った。なんせ、公爵さまにはすでにさんざん迷惑をかけてるからね。まあ、今日はこっちが迷惑をこうむってる……とは言えない立場なんで!
「あの、申し出を受けたのは昨日です。公爵さまがいらっしゃる、その直前の話でした」
「ああ、私たちと入れ替えに出て行ったあの馬車か……」
公爵さまは覚えていたようで、眉を寄せたままうなずいてる。
「はい。とりあえず、申し出を受ける方向で話を進める予定でしたが……その、昨日はその後、ああいう状況になりましたので……」
「なるほど。まだ具体的な話は進んでおらぬのだな」
「さようにございます」
私はうなずく。「我が家の顧問弁護士に相談するつもりでおります」
その言葉に、公爵さまの顔がわずかに曇った。
「ご当家の顧問弁護士というのは……」
「王都に事務所を構えております、ドルフ・ゲンダッツ弁護士です。代替わりしておりますが、先代のジェイコブ・ゲンダッツ弁護士は母の父、つまりマールロウ男爵家前当主の顧問を務めておりました」
公爵さまの眉間のシワがちょっと開いた。
「そうか……それならば、安心だな」
息をこぼした公爵さまが、さらに問いかけて来る。「それで、申し出をしてきた出入りの商会とは……」
私が答える前に、お母さまが口をはさんだ。
「申し訳ございませんが公爵さま、込み入ったお話になりそうですから、先に客間へご移動いただけませんか? わたくしたちも急いで参りますので」
「ああ」
ちょっとハッとしたように公爵さまがうなずいてくれた。「そうであったな。では客間でお待ちしよう」
はーーーやっと客間へ行ってくれたよ。
ナリッサがおっさんたち、げふんげふん、公爵さまと近侍さんを厨房から連れて出てくれたとたん、私は思わず大きな息を吐きだしてしまった。
ちなみにお母さまも、それにマルゴとシエラも一気に息を吐きだしていた。
なんかもう、アデルリーナまでホッとしたような顔しちゃってるし、ホンットすでに全員ぐったりだわよ。
いや、アラサーであろうが、人んチのお台所に勝手に上がり込んで、いいからいいからって居座っちゃうなんて行為はもう、おっさん以外のナニモノでもないからね!
ホンット、ぐったりと私は呼びかけちゃう。
「お母さま……」
「……長い午後になりそうね」
目を見かわせたお母さまも、げんなりとうなずく。
私もげんなりとうなずき返した。
「とりあえず、昨夜公爵さまとお話ししたことを、お母さまにお伝えいたしますね」
「ええ、ありがとうルーディ。本当に助かるわ」
私はお母さまと一緒に、シエラを連れて自室へと向かった。アデルリーナはマルゴに預けてきた。
いわばお留守番になってしまったアデルリーナはしょんぼりしてたけど、公爵さまが客間に移られたから、カールとハンスもじきに厨房に戻ってくるだろう。カールやハンスとおやつを食べたり、マルゴのお手伝いをしたりしていてねと言うと、アデルリーナはちょっと明るい表情になった。ホント、もうなんで私の妹はあんなにかわいくてかわいくてかわい(以下略)。
自室に入ると、私はすぐシエラに手伝ってもらいながら衣装を着替える。昨日届いたばかりの、あの若草色のデイドレスだ。このドレスが届いていてホンットに助かったわ。
お母さまも、来客用のデイドレスに着替えてもらう。未亡人の黒はそのままに、シルバーグレーのレースを控えめにあしらった上品なドレスだ。まあ、お母さまレベルの美人だと、どんな格好をしていても目の覚めるような美しさになっちゃうんだけどね。
着替えながら、私は昨夜のことをお母さまに話した。
公爵さまがあのイケオジ商人と話をつけてくれて、『クルゼライヒの真珠』を取り戻せそうだということ。ただ、先方は『クルゼライヒの真珠』に代わる我が家の蒐集品を数点、希望しているということ。
「では、さきほどナリッサが言っていた蒐集品目録というのは、そのためだったのね」
「そうなのです、お母さま」
私はうなずいて答える。「どの品をハウゼン商会に渡すかは、もう公爵さまにお任せしようと思っているのですけれど」
「貴女がそれでいいというのであれば、わたくしも構いませんよ。あの蒐集品は、いずれ貴女が手にするものなのですから」
うん、お母さまの顔にも、もう選ぶのも面倒くさいって書いてある気がするわ。
お母さまってホンット、ご自分の美貌にも、美貌を際立たせる衣装や宝飾品にも、まるで興味がないのよねえ。
すでに私の脳内に浮かぶのは、華やかに着飾って夜会へ出かけていくお母さまの姿ではなく、荷馬車を駆ってドリフトしながらコーナーを回るお母さまの姿や、指先を赤く染めながら木苺を木からむしってむしゃむしゃ食べてるお母さまの姿だ。
もう少しして落ち着いて……春になればきっと状況も落ち着いてるだろうから、みんなでピクニックに行こう。サンドイッチをかわいい柄の蜜蝋布で包んでかごに詰めて、みんなで郊外の森までピクニックに行こう。きっとお母さまもアデルリーナも喜んでくれる。
そう思うと、私はようやく胸が温かくなって気持ちが晴れていった。
でもま、その前に片づけなきゃいけないことがテンコ盛りなんだけどねえ。はあ……。
それから私は、シエラに髪を結ってもらいながら公爵さまの話を続けた。
「えっ、じゃあ、『クルゼライヒの真珠』を買い戻す代金は、公爵さまが支払ってくださると……?」
私の説明に、お母さまは目をぱちくりさせている。
よかった、お母さまはやっぱり私と同じ感覚だった。
「公爵さまは、そのおつもりのようです」
「なぜ公爵さまは、そこまでしてくださるのかしら……」
ええ、お母さま、私もその疑問というか不安、すっごく感じました。
そう思いながら、私は言った。
「わたくしも、よくわからないのですけれど……ただ、公爵さまのように地位も財産もお持ちのかたの場合、手を差し伸べられた側が頼りにしないというほうが、むしろ失礼にあたってしまうのかもしれません」
「ああ……確かに、貴族男性の場合、そういうことも考えられるわね」
お母さまも納得顔でうなずいてくれた。
「それに、公爵さまは、わたくしの後見人になる用意があるとおっしゃってくださいました」
「後見人に? あのかたが、ルーディの?」
アメジストの目を瞬いてるお母さまに、私はうなずく。
「はい。庇護が必要な未亡人と令嬢が目の前に居るのだから、ご自分が手を差し伸べるのは『持つ者』としての義務であるから、と。それに、わたくしに対して、利用できるものは何でも利用しなさい、わたくしに利用されたぐらいで公爵家がどうにかなるようなものではないから、と」
私の言葉に、お母さまが考え込んでいる。
そしてお母さまは、まっすぐに私を見て問いかけた。
「ルーディ、貴女はどう思っていて? 公爵さまに後見人になっていただきたい?」
「……迷っています」
私は正直に言った。「決して悪いかたではないと思います。けれど、本当にまだ昨日初めてお会いしたようなかたですし……」
「ええ、本当にそうね。貴女が迷うのは当然よ」
お母さまはうなずいてくれた。
でもね、だってね、私の場合、いい人判断の基準が、暴力をふるわなかった、ナリッサを変な目で見なかった、くらいなんだもんね? 判断基準のあまりの低さに自分でもめまいがしそう。
ああ、でも、今日はアデルリーナをあんな笑顔にしてくれたし……いろいろ残念なこともしてくれちゃったけど。うん、悪い人じゃないとは思うのよ、悪い人じゃないとはね。
むしろ、あのイケメンなだけじゃなさすぎる近侍さんのほうがよっぽど悪そうなんだけど……悪そうだなってわかるほうが、どこか安心しちゃう自分ってどうよ、って思っちゃうのよねえ。イケメン耐性どころか悪いイケメンに慣れすぎだろ、私。





