54.もしかしてまたキタコレー?
「ええ、いいわよ。貴女の息子たちのお店で売ってもらっても」
あっさりとうなずいた私に、むしろびっくりしたようにマルゴは顔を上げた。
「よ、よろしいのでございますか?」
「ええ」
私は笑顔でもう一度うなずく。「このパン、とってもサンドイッチ向きだと思うわ。具材をはさんでもとっても食べやすいパンだもの。マルゴの息子たち、本当に腕のいいパン職人さんなのね」
「ありがとうございます!」
マルゴは深々と頭を下げ、それから少し緊張した顔で問いかけてきた。
「では、レシピのお代金なのでございますが……いかほどお支払いすればよろしゅうございますか?」
「あら、別にいいわよ、レシピの代金なんて。だって、マルゴはもう作り方はわかっているし、そもそも薄く切ったパンに具材をはさむだけなんだから、誰でも一目で作り方はわかるでしょう?」
私がそう言うと、マルゴは目を見開いた。
「よ、よろしいのでございますか? その、レシピを無料で……」
「ええ、そもそもマルゴにはこれからも美味しいお料理を、わたくしたちにたくさん作ってもらわないといけないのだし」
「ありがとうございます! ゲルトルードお嬢さま、本当にありがとうございます!」
なんだかもう大げさなまでに感激しているマルゴを横目に、ナリッサが私にささやいた。
「本当によろしいのですか?」
私はナリッサが何を言いたいのか、わかっていた。
「ええ。サンドイッチは、意匠登録はまずできないと思うから」
ナリッサの眉がわずかに上がった。
くすっと笑って、私はさらに言う。
「だって、確かに具材の選び方とか多少のコツはあるけど、パンにはさむだけだもの、子どもにだってすぐ真似できちゃうわ。誰かがパンに何か具材をはさんで食べるたびに、意匠使用のための料金を支払ってもらうなんて、どう考えても無理でしょう?」
ええ、ええ、私も意匠登録については考えたのよ、そりゃもうとっくにね。
とりあえずプリンに関しては、見ただけでは作り方がわからないと思うので、レシピを登録することは可能かなとは思ったの。でも、サンドイッチは無理でしょ。一目で作り方がわかっちゃうし、何か特別な食材や調味料を使っているわけでもないんだもの。
なんだか微妙な顔をしてるナリッサに、私は言った。
「わたくしとしてはむしろ、こんな簡単なお料理をいままで誰も考えつかなかったのかって、そちらのほうが不思議なのよね」
「いやもう、ゲルトルードお嬢さまのおっしゃる通りでございます」
答えてくれたのはマルゴだった。「あたしたち平民は、パンにバターやジャムを塗るくらいはいたしますが、そもそも切り分けて食べるような大きなパンを口にすることは少ないのでございます。それに……」
マルゴはそこでちょっと口ごもった。
けれど、スパッと言ってくれた。
「お貴族さまの間では昔から、大きなパンが裕福さの象徴だとされてきましたので、パンを薄く切るということはまずなさらないのでございます」
あら、まあ。
パンを薄く切っちゃうのは貧乏くさいと思われてるってことね。だから、誰も敢えて薄く切ったパンを料理に使うなんて考えなかったのか……。
そう思って、私は素朴な疑問を感じた。
「でも、公爵さまもこのサンドイッチは美味しいとおっしゃってくださって、完食してくださったわ。特に忌避感はなかったように思ったのだけれど……」
「それはもう、こんなに見た目も豪華なお料理になっておりますから」
マルゴは両手を広げて熱心に言ってくれる。「もちろん見た目だけでなく、こんなにいろいろな具材をはさんで食べ応えのあるお料理になっているのですから、薄く切ったパンを使っていても、それを貧しいなどとお考えになることはございませんですよ。ええ、この『さんどいっち』は、まったく新しいお料理でございます」
そういうことだったんだ。
ああでも、公爵さまが平気で食べてくれちゃったってことは、ほかの貴族の人たちも食べてくれるよね? それに平民の人たちなら、もっと忌避感は薄いだろうし……。
これなら、サンドイッチのレシピって売れるのかしら? もしかして、キタコレー?
ちょっとこう、つじつま合わせはしといたほうがいいのかも。
「そうだったのね」
私はちょっと感心したように言ってみた。「わたくし、たまたま厨房に残っていたパンの切れ端をそのまま使って、同じようにちょっと残っていたハムやチーズなどをはさんで食べたら美味しかったのだけど……確かにふつうはそういうことって、しないものかもしれないわね」
と、いうことにしておけば、私がサンドイッチっていう料理を思いついたいきさつとして、かなり信ぴょう性のある話になるなー、と……。
ってナニ、ナリッサもマルゴも、なんでそんな、哀愁漂う目で私を見るの!
そりゃ私だって、夜中に厨房で残りものを漁ってたなんて、貴族令嬢にあるまじき行為だってわかってるけど!
でも、設定として大事なんだってば、そういう信ぴょう性がね!
だって、なんで私にこの世界にはない知識がいろいろあるのか、突っ込まれたらマズイでしょうが!
と、私が心の叫びを呑み込んで、ちょっとばかり引きつった笑みを浮かべてると、ナリッサがつっと視線を外し、ちょっと咳ばらいをして言い出した。
「では、この『さんどいっち』をマルゴさんの息子さんのお店で売るとして、どうやって売ります?」
「どうやって、ってのは?」
マルゴが眉を上げて訊き返す。
ナリッサは私が食べているサンドイッチの盛られた皿を示した。
「ふつうのパンと違って『さんどいっち』は崩れやすいです。お皿に盛るぶんには構いませんが、お店で買った『さんどいっち』をかごに入れて持ち帰るのは、難しくはないですか?」
アッとばかりにマルゴが固まった。
そうだよね、平民の人たちがお店でパンを買うときはたいてい、持参したかごに入れて持って帰る。先日、荷物運びからの帰りにナリッサがスコーンを買ってきてくれたとき使った、あのかごだ。日本のレジかごよりちょっと小さめで、持ち手がついてることが多い。
でも、持って帰るのが難しくても、その場で食べるのならいいんじゃない?
「マルゴ、持ち帰らずに息子たちのお店で食べてもらうことはできないの?」
「無理です」
私の問いかけにマルゴは首を振った。「息子たちの店はほんの小さなもので、パンを並べて売るだけの大きさしかございません」
うーん、イートインもできないか。
「お肉やお魚を買うときのように、リールの皮で包むという方法もありますが……」
ナリッサの提案に、マルゴも考え込んでいる。
「うーん、それが一番無難ですかねえ……」
答えたマルゴが、戸棚からリールの皮を取り出してきた。
そしてナリッサと2人、テーブルの上に皮を広げ、こう包んではどうか、いやこのほうが包みやすいのではないか、と試行錯誤を始めた。
リールの皮っていうのは、まんま竹の皮なんだよね。私は初めて見たとき、びっくりしたと同時に感動しちゃったくらい。もち米があるなら肉ちまき作るのに、って。
リールという植物の皮を剥いで乾燥させたこげ茶色のそれは、竹の皮と同じようにざらざらした面とつるつるした面があり、つるつる面は水分をはじいてくれる。安価で手に入るため、便利な食材梱包材として使われている。
ただ、リールという植物は幹の直径がせいぜい5センチほどだとかで、剥がした皮も最大幅が15センチくらいにしかならない。大きなものを包むときは、水糊で貼り合わせるんだけど、片面がつるつるしてるからホントに仮留め程度にしかならないの。まあ、使い捨て前提だからそれでも別に構わなくてみんな使ってるんだけどね。
リールの皮のつるつる面は水分をはじいてくれるといっても、そこはやっぱりビニールコーティングとは違う天然素材、完全に水に漬けてしまうともろくなって破れちゃう。お肉とかお魚とか包んだ後、水洗いできないから使い捨て前提なのよ。
「蜜蝋布なら水洗いもできて繰り返し使えるし、大きさも好きなように作れるんだけどねえ……」
私のつぶやきに、ナリッサとマルゴの問いかける声がきれいに重なった。
「蜜蝋布とは何でございますでしょう?」
「蜜蝋布とはなんでございますか?」
「え、知らない? 蜜蝋布」
もしかして、この世界では使われてないの、蜜蝋ラップって。蜜蝋自体はふつうに食用油として使われてるのに?
いや、でも、確かに我が家の厨房に蜜蝋布は1枚もなかったような……だから私、自分で作ったんだよね。蜜蝋ラップで包んでおけば、パンがパサパサにならずに済むんだもん。
「ええと、蜜蝋布というのは、布に蜜蝋をしみ込ませて乾かしたものよ」
私は説明を始めた。「しみこませた蜜蝋は手で温めるとやわらかくなるの。だから手で温めながら形を整え、手を離せばその形のまま固まるので、カップやお皿のふたにもなるし、ごく簡単な容器にもなるの。手で温めればまた1枚の布に戻るし、汚れても水洗いすればきれいになるし、何回も使えるのよ。それに、蜜蝋が水分を閉じ込めてくれるから、パンを包んでおくとパサパサになりにくいし、お野菜もしなびたりしにくくなるの」
「そんな便利なものが、布に蜜蝋をしみ込ませるだけで作れるものなのでございますか?」
マルゴの目が丸くなってる。
私はうなずいた。
「ええ。わたくし、夜中に厨房で作ったサンドイッチを翌日の朝に食べたかったので、自分で作った蜜蝋布で包んで部屋に持っていっていたの。いまはもう手元に1枚も残っていないのだけど……作ってみましょうか?」
「ぜひ、ぜひお願いいたしますです!」
な、なんかマルゴがすっごい前のめりなんですけど。
もしかして、この食いつき……これってサンドイッチだけじゃなく、蜜蝋布もまたキタコレー! なんだろうか?





