閑話@公爵家馬車アーティバルト
公爵さまの近侍であるアーティバルト視点です。
おもしろい。いや、実におもしろい。
俺は、つい緩んでしまいそうになる頬に力を入れて、自分の前に座っているヴォルフを見ていた。
ヴォルフ……エクシュタイン公爵家当主ヴォルフガングは、いつものように眉間にシワを寄せむっつりと黙り込んでいる。それでも、長年の付き合いのおかげで、俺はコイツがいま何を考えているのか、手に取るようにわかってしまう。
だって、あんなおもしろいご令嬢、興味をそそられないわけがないもんな。
ヴォルフとはもう10年以上の付き合いだ。
俺は貧乏子爵家の次男坊で、中央学院ではこの公爵家の跡取りと同級だった。
まあ、なんだかんだいろいろあって、俺は学院を卒業後コイツの近侍になり、以来ずっと仕えている。
「……なんだアーティ、その顔は」
おっと、やっぱり頬が緩んじまったらしい。
口をとがらせ気味ににらんでくるヴォルフに、俺は澄まして答える。
「なんでもございません、閣下」
「閣下言うな」
ふてくされたようなヴォルフに、俺はついに口角を上げてしまった。
「わかったよ、ヴォルフ」
そして俺は軽く手を振る。「疲れてんだろ? 着いたら起こしてやるから眠ってろよ」
なにしろ初めての領地を大急ぎで巡って、昨日の夜中に王都へ戻ってきたばかりだ。
で、戻ってみたら弁護士から意味不明の手紙を見せられ、今日は午前中からクルゼライヒ伯爵邸へ。そこからはもう、大忙しの1日だった。
まあ、とにかくあのあくどくて有名だったクルゼライヒ伯爵家当主のご令嬢だからねえ。
夫人に関しては、ある程度レオポルディーネさまから情報は入ってたけど、娘のほうはどうなんだって、いったいどんな罠を仕掛けようとしてるんだって、ヴォルフが警戒心丸出しで行っちゃったのは仕方ないと思うよ。
でも、見事に裏切られた。いいほうに、だけどね。
まさか、エクシュタイン公爵家当主相手に、あれほど見事に媚びず怯まず向かってくるお嬢さまが居ようとは。
おまけに、エサもたっぷり撒いたはずなのに、あのお嬢さまはそれがエサであることすらまったく認識していなかった。
たいていの貴族なら、いや貴族でなくても、公爵家が関わってきたとたん目の色を変えて食いついて、むしり取れるだけむしり取ろうとするものなのに。あのお嬢さまときたら、言うに事欠いて『親族でも親しい間柄でもない相手を一方的に頼るのは失礼ではないのですか?』だもんなあ。
いや、逆にヴォルフが落ち込むの、わかるよ。いっさい当てにされない、当てにしてもらえない公爵さまってどうなんだ、ってね。
いやいや、俺だって自分の容姿がまったく役に立たないって状況に、結構驚いてはいたんだけどね。たいていのご婦人は、俺の見た目にコロッと騙されてくれるのに。まったく、とんでもないご令嬢だよ。
まずいな、また顔が笑っちまう。ヴォルフはもう寝たか?
コイツもホント、いろいろ面倒くさいヤツだけど、公爵家当主としては真面目に、真面目過ぎるほどによくやってるよ。
今回のことだって、もとはと言えば国王陛下からの極秘の依頼だったもんな。
闇賭博って時点ですでに十分マズイのに、あのゲス伯爵はイカサマでほかの貴族、それも下位貴族を狙い撃ちして身ぐるみ剥ぎまくって、ついに自殺者まで出しちまった。
もしクルゼライヒ伯爵家に爵位を継げる男子がいれば、陛下ももう少し早く手を打たれたんだろうが……あのゲスが一線を越えてしまった以上、たとえ伯爵家を取り潰してでも動かざるを得ない状態になっちまったからな。
まあ、それだけ、あのゲス伯爵も切羽詰まってたんだろうけどさ。
それはでも、自業自得だな。あれだけ恵まれた領地を持ちながら、先代未亡人が亡くなったとたん、領地経営をガタガタにしちまってたんだから。どのみち、近いうちにクルゼライヒ伯爵家は破産してただろうよ。
今回はクルゼライヒ領の惨状についての情報が入っていたから、とにかくそちらが最優先だった。実際、ヴォルフがすぐさま領地に駆けつけたおかげで、領主館の家令が伯爵家の私財をごっそり持ち逃げするのを阻止できたんだし。
しかし本当にクルゼライヒ領は、領主が自分をチヤホヤしてくれるだけの無能ばかり取り立ててるとこうなる、っていう見本だったな。いやもう、無能どころか有害だな、領主館の家令ときたら脱税に横領、おまけに出入りの商人には必ず賄賂を要求。ほかの使用人は当然のごとく家令に媚びへつらう者ばかり。
あんなことになってて、領地収入が上がってくるわけがない。
まったく、先代未亡人に仕えてた使用人たちがまだ領地に残っててくれて助かったよ。
あれでもう誰も残ってないなんて状況だったら、ヴォルフはこんなに早く王都へ戻ってこられなかった。使用人総入れ替えでなんとか最低限の体裁は整えられたからね。
まあ、クルゼライヒ領の本格的な立て直しはこれからだけど……あのご令嬢なら、ご令嬢自身に経営を任せてしまうのもおもしろそうだ。たぶん、ヴォルフもそれを考えてるだろう。
いや、それにしてもすごいよ、ゲルトルード嬢は。
まさか、自分で競売を開くとは。ふつう、当主を失った貴族家の未亡人や令嬢が自分の宝飾品を売り払うとしたら、出入り商人の言い値で思いっきり買いたたかれるもんだ。それを競売にするとは。いったい、何をどうやってそんなことを思いついたんだろう? ヴォルフも呆気に取られちまってたよなあ。
まあ、そのおかげで『クルゼライヒの真珠』の買い戻し代金が結構な金額になっちまったわけだが、あの程度の金額ならヴォルフは痛くもかゆくもない。
そして案の定、競り落としたハウゼン商会は、いずれクルゼライヒ伯爵家が買い戻しにくるだろうことを想定してたよな、あの態度はどう見ても。むしろ待ち構えていた感じだったな。そりゃあ、まさかエクシュタイン公爵が買い戻しにくるとまでは思ってなかっただろうが、ね。
ふん、ルーベック・ハウゼンか……もしかして後ろに元辺境伯がついているのか? 一応調べておいたほうがいいな。
いや、そもそも商業ギルドでも、宝飾品部門の上層部は国家財宝目録のことは承知しているはずなんだが……あのクラウスという青年は、おそらく上層部の者に嵌められたんだろう。見るからに優秀そうな子だったし、妬まれたか。宝飾品部門は商業ギルドの中でも特にいろいろ面倒だと、ヒューも言ってたしな。
しかしその嵌めようとしてたヤツ、クルゼライヒ伯爵家から紋章と署名の入った手紙を受け取って、いったいどんな顔をしただろうか。
ふふん、まさか伯爵家が、一介の職員をそこまでかばうとは思ってもいなかっただろう。いくら、その職員の姉が伯爵家で侍女をしているといっても。
むしろ、これ幸いとばかりに下の者に責任を押し付け、自分は悪くないとふんぞり返る連中ばかりだからな。
それにつけても、ゲルトルード嬢の使用人に対する手厚さには、ちょっと本気で感動しちまうね。
使用人のほうも、そのことを十分理解していて真摯に仕えてるし。なにしろ、侍女も執事も身をなげうってお嬢さまを守ろうとしてたからなあ。あれほどまで使用人に慕われているご令嬢が、ほかにいるだろうか。
それも、彼女自身決して恵まれた環境ではなかったというのに。
ホント、あれには肝を冷やしたよ。
ヴォルフも茫然としてた。
そりゃ衝撃的だよな、ヴォルフが一歩踏み出しただけで、ゲルトルード嬢は瞬時に身構え、侍女は飛んできて身を盾にしたんだから。
あれはもう……どれほど彼女が暴力にさらされてきたのかを、如実に物語ってた。
日常的に父親から暴力をふるわれ、自分の身を守るだけでなく、おそらく同じように暴力にさらされて精神の安定を欠きそうになってしまった母親をも守ってきたんだ、あのまだたった16歳のお嬢さまは。
あのたくましさは本物だな。
額面通り家屋敷財産すべてを失ったと思い込んでたのに、泣き暮らしたりゴネ倒したりするどころか、自ら資金を調達して新居を購入、だよ?
その資金の調達方法も、本当によくまあそんなことを思いついたな、っていうねえ。いや、実にすばらしい。
あのゲルトルード嬢がヴォルフの被後見人になってくれれば、今後もヴォルフは堂々と介入できる。
いや、介入できる状態を維持するために、少々裏工作をしてでも被後見人になってもらわねば、だな。その辺、ヴォルフともよく相談しておかなければ。
さあ、公爵邸の門をくぐった。そろそろヴォルフを起こしてやろう。
まったく、これからが本当に楽しみだ。
何やらいろいろ裏事情があったようです。
ヒューというのは誰でしょう?w ヒューが実際に登場するのはもうちょっと先の話です。





