42.真っ白になった
ここからしばらく暴力に関わる話になりますのでご注意ください。
なんかもう、ナニをどう反応していいのかわからない。
それが私の正直な感想だった。
でもヨーゼフは違ったのか、すぐにはっきりと言った。
「おっしゃりたいことは以上でございますか?」
「は? お前、何を」「ご用件がお済みでございましたら、お引き取り願います」
みなまで言わせずヨーゼフは棒出る菜っ葉に玄関を示す。
とたんに棒出る菜っ葉が苛立ちをあらわにした。
「お前、たかが執事の分際で何を言っている。私がクルゼライヒ伯爵になった暁には真っ先にお前の首を切ってやるからな!」
「どうぞご自由に」
さらりとヨーゼフは答えた。「貴方さまが当クルゼライヒ伯爵家当主になられる日は永遠に来ないと存じますので」
ちょ、ちょっ、ヨーゼフ?
ねえヨーゼフ、どうしたの、もしかしてめちゃくちゃ怒ってる?
ヨーゼフの表情はまったく変わってないんだけど、こんなストレートなイヤミを言うヨーゼフなんて私は初めて見た。
まずい、棒出る菜っ葉の顔色がみるみる変わってきたよ。
「貴様、よくも私に……!」
私は慌てて、でもできるだけ落ち着いて見えるように、口を開いた。
「大変申し訳ございませんが、ご用件がお済みでしたらお引き取り願えませんでしょうか?」
ちょっとひきつってるって自覚はあるけど、私は精いっぱいの笑顔を貼り付けて言った。
「わたくしたちはこのタウンハウスを引き払う準備で、大変忙しくしておりますので」
棒出る菜っ葉の視線が私に向く。
「は? 引き払う? このタウンハウスを?」
案の定食いついてくれたので、私はさらに頑張って笑顔を浮かべた。
「ええ。ご存じかと思いますが、このタウンハウスだけでなく領地も含め、亡くなった当主の全財産を、エクシュタイン公爵閣下にお引渡しすることになっておりますので」
領地も財産もなーんにもないよ、残ってるのは伯爵位だけだよ、と私はわかりやすーく言ってあげる。
けれど棒出る菜っ葉は鼻で笑った。
「そんなもの、『期日は設けない』と言わせておけば済むことではないか」
出たよ、『期日は設けない』!
思わず目を見開いてしまいそうになるのを、私は堪えた。
てか、その言葉ってそんなにメジャーなの?
棒出る菜っ葉(って名前に私の中ではすでに決定)は、なんかもう自慢げに続ける。
「公爵は期日を切ってきたのか? フン、何が公爵だ、器の小さい男だな。だがそんなもの、期日に納得できない、再考しろと、こちらから言い続けてやれば済む話だ」
……いやもう、目が点になっちゃうよ。
それが『正しい』お貴族さまのやり方なわけ?
だいたい、『期日は設けない』って博打に勝ったほうの温情でしょ? なんで負けたほうがそんな偉そうに、借金なんか踏み倒して当然とか言ってんの?
私はなんとか気持ちを落ち着け、とにかく頑張って笑顔を貼り付ける。
「このタウンハウスを手放すことは、すでにエクシュタイン公爵閣下にお伝えしております。何かご不満がお有りでしたら、ご自分で公爵さまにお問い合わせされてはいかがですか? 貴方にそのような権利がお有りなのか、わたくしは存じませんけれど」
やべっ、ついイヤミをくっつけちゃったよ。
いやもう、私も結構本気で怒ってるみたいだわ。
「当クルゼライヒ伯爵家の今後については、エクシュタイン公爵閣下のご意向に沿うことになりますので、わたくしからは何も申し上げられません」
と、急いでとりあえず公爵さまのご意向ならぬご威光に丸投げしてみた。
だってこの手のバ、げふんげふん、その、頭が少し悪くていらっしゃるようなかたの場合、序列とか権威とかの前ではあっさり尻尾巻いちゃうことが多いからね。
で、またもや案の定、棒出る菜っ葉はひるんだような表情を浮かべた。
でも、それは一瞬だった。
「こ、公爵に問い合わせる? いや、それはお前の役目だろうが! お前が公爵に『期日は受け入れられない』と言い続ければ済むんだ! お前が私の言う通りにしさえすれば、すべて上手くいくんだ!」
まさかの逆ギレだよ……。
なんなの、この幼稚さは。私は頭を抱えたくなっちゃった。
でも、この状況はまずい。公爵さまはいきなり暴力をふるようなことはしなかったけど、この頭が悪くて幼稚な菜っ葉にそんなことは期待できない。
私だけなら筋力強化しさえすれば、こんなヤツに殴られようが蹴られようが痛くもかゆくもないけど、ヨーゼフがいる。
なんとか穏便に……。
「お引き取りくださいませ」
とか思ってたのにいきなり、ヨーゼフがずいっと足を踏み出した。
その顔にうっすらと貼り付けた笑顔がめちゃくちゃ怖い。
ヨ、ヨーゼフ、だからなんでそんな怒り狂ってるの? そりゃこんな男、相手すればするほど疲れるしムカつくだけなのはよくわかるけど!
ヨーゼフを止めなきゃと焦ってるのに、どういうわけかナリッサが階段を早足で降りてくるのが見えた。しかもナリッサも、ゾッとするようなすさまじい笑顔を貼り付けてる。
だからダメだって、ナリッサまで!
ナリッサがさっきみたいに自分の体を盾に私を守ろうとなんかしてくれちゃったら、とんでもないことになる。
さらに焦る私の耳に、ヨーゼフの低い声が聞こえた。
「貴方さまにはもう二度と、ゲルトルードお嬢さまの前に現れてくださらないことを強く願います。さっさとお引き取りくださいませ」
だから、だから煽っちゃダメ、ヨーゼフ!
私は叫びそうになったけど、もう遅かった。
棒出る菜っ葉は手を上げていた。腰に差していたらしい乗馬用短鞭を握りしめた手を。
その手が、その鞭が振り下ろされ、ヨーゼフに打ち付けられた音が響いた瞬間、私は頭の中が真っ白になった。





