41.あり得ないレベルの招かれざる客
もうしばらく不快なエピソードが続きますがご容赦願います。
私はヨーゼフが指示してくれた通り、玄関ホールの衝立の裏にあるソファに腰を下ろした。
なんかこう、顔を合わせたくない貴族同士が訪問先で鉢合わせしたとき用に、こういうちょっと目隠ししたような控え席が貴族家の玄関ホールには作ってあるんだよね。ナニがどうなって顔を合わせたくないのかは、私にはわからないけど。
ドアノッカーが響いた。
ヨーゼフは落ち着いたようすで玄関を開ける。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でございましょうか?」
玄関先に立っていたのは、若い男性……っていっても、たぶん20代半ばくらいだろう。身なりからしておそらく貴族だろうけど、なんていうのか一目見て明らかに公爵さまとは格が違う。
その男性が身に着けている衣装も、ベストにもジャケットにもやたらゴテゴテと刺繍がしてあり、それが逆にものすごく安っぽい印象になっちゃってる。黒一色でまとめた公爵さまはあんなに上品だったのに。
それに、とにかく立ち姿が公爵さまとは比べものにならない。この男性は別に太ってはいないけど、全身がだらんとしててまるで緊張感がない。公爵さまは引き締まった身体で、すっと背筋が伸びていた。動作のすべてに洗練された優雅さがあった。ホンット、この男はぶっちゃけただの軽薄なにーちゃんって感じだ。
「お前がこの家の執事か」
男はいきなりヨーゼフに言った。「当家の爵位持ち娘を呼べ。ああ、伯爵家未亡人も、な」
「失礼ですがお名前を頂戴できますでしょうか?」
ヨーゼフの声は落ち着いている。
男は馬鹿にしたような声で言った。
「お前、私を知らんのか」
「寡聞にして存じ上げておりません」
やっぱり落ち着いた声で答えるヨーゼフに、男はさらにあざけるように言う。
「私はお前の主人になる者だ。よく覚えておけ」
いや、いやいや、ナニソレ?
お前の主人になる者って……名前も名乗らずナニ意味不明なこと言ってんの?
私は衝立の陰であっけにとられてた。
でもやっぱりヨーゼフは落ち着いてる。
「お名前を頂戴することはかないますでしょうか?」
フン、と男は鼻を鳴らし、さんざんもったいぶった挙句、なんだか勝ち誇ったように言った。
「私はバウヘルム・フォン・デ・ボーデルナッハだ。いや、いずれ、クルゼライヒ伯爵家当主バウヘルム・フォン・デ・ボーデルナッハになるが、な」
は、あぁ?
ナニ言ってんの、この男?
いずれクルゼライヒ伯爵家当主になるって……ナニがいったいどうなってこんな一面識もない、しかも失礼極まりない男が我が家の当主、クルゼライヒ伯爵になるっていうの?
ちなみに、フォンは貴族の称号、デは男性貴族の冠詞だ(女性貴族はダになる)。でも、貴族家での名乗りでわざわざそこまで言う人はほとんどいないと思うんだけど。
いや、でも、えっと、もしかしてお母さまの知り合い?
私、なんかまた誤解っていうか勘違いしてる?
いやいや、でも、いきなり自分がクルゼライヒ伯爵になるとか……どう考えてもコイツおかしいよね?
「はて?」
ヨーゼフの、やっぱり落ち着いた声が聞こえた。
「私は長らく当クルゼライヒ伯爵家にお仕えしておりますが、新たなご当主がすでにお決まりであるなどということは、まったく存じ上げておりませんでした」
よかった、ヨーゼフも心当たりなんてないみたい。
って、ヨーゼフ、その言い方はちょっとまずいんぢゃ……。
けど男は、ヨーゼフの言ったことなんて聞いちゃいねえって感じで、ヨーゼフを押しのけて玄関に入ろうとしている。
「フン、執事ごときでは話にならん」
ヨーゼフはなんとか男を押しとどめようとしているけれど、一応相手は貴族のようだし、平民のヨーゼフでは強く出ることはできない。男は玄関ホールに踏み込んできた。
私は立ち上がって衝立の陰から出た。
「どのようなご用件で当家をご訪問くださったのでしょうか?」
男の背後から私に視線を送るヨーゼフがわずかに首を振る。わかってるよ、私は隠れてたほうがよかったんだろうけど、でもこんな礼儀知らずのワケわかんないヤツをヨーゼフ1人に押し付けておくことなんかできない。
男は衝立の陰から出てきた私に顔をしかめた。
「なんだ、お前は?」
「当家の長女ゲルトルードです」
「お前が?」
男はぽかんと間の抜けた顔をし、それから眉を寄せて私を上から下まで、遠慮のかけらもない目つきで眺めまわした。そしてその挙句、吐き出すように言った。
「嘘をつくにも、もうちょっとマシな嘘をつけ。お前のような不細工で貧相な小娘が伯爵家の令嬢だと? それも絶世の美女と名高いクルゼライヒ伯爵家未亡人の娘だなどと……下女だかなんだか知らんが、人をたばかるのもいい加減にしろ」
「わたくしが、当家の長女ゲルトルードです」
いや、正直にムカついてたけどね、ちょっとネジが外れてるようなヤツを相手にする場合、とにかく根気が大事だからね。だから私は表情を変えずに繰り返した。
男は苛立ちを隠さずに言う。
「いい加減にしろと言っているんだ、だいたい伯爵令嬢がそのような恰好で」「わたくしが、当クルゼライヒ伯爵家の長女ゲルトルードです」
相手に最後まで言わせず、はっきりと言葉を被せながら、私は3度目を繰り返した。
恰好のことはしょうがないよ、引越し作業中でブリーチズ履いてたんだもん。
「それで、本日はどのようなご用件で当家をご訪問いただいたのでしょうか?」
なんだか馬鹿みたいに口を開けちゃってるソイツに、私はにこやか~に問いかけた。
「……お前が?」
男はまだ私が伯爵令嬢だとは認められないらしい。私と執事のヨーゼフの顔を、何度も見比べてる。そりゃあね、たとえウワサ程度でもお母さまの美貌について聞いてるなら、どうにも信じられないんでしょうけど。
「まさか本当にお前が? 16歳だと聞いていたが……」
男は顔をしかめ、それからフッと鼻で笑ったかと思うと、思いっきり声をあげて笑い出した。
私もヨーゼフも、なんだかもうあっけにとられちゃってる。
いやもう、ホントにマジでコイツ、頭、大丈夫?
けれど男は……なんだっけ、ボーデル……棒出る菜っ葉? だかいうその男は、ひとしきり笑ってから言い出した。
「いや、これはいい。たとえ爵位持ち娘だろうが、お前みたいな不細工で貧相な女を妻に迎えようなどと考える男がいるわけがない。私は何もしなくても6年後には伯爵位が手に入るというわけだ!」
6年後に伯爵位って……私はそこでようやく思い至った。
コイツ、まさかあのゲス野郎のまたいとこの息子とかいうヤツ?
確かに貴族名鑑で我が家の親族をたどったけど、あのゲス野郎の親族だと思うと名前を覚える気も湧かなかったわ。
思わずヨーゼフと顔を見合わせちゃったんだけど、男はふんぞり返ってさらに言った。
「だが私は慈悲深いからな。お前が成人する2年後には結婚してやろう。そうすれば、お前のように誰も見向きもしないような女でも伯爵家夫人だ。ふふん、ありがたく思え」
開いた口が塞がらないって、こういうこと?
いやもう、失礼だとか無礼だとかそんな言葉、軽く超越してるよね?
私はもう本気でまじまじと、そのどや顔棒出る菜っ葉を見てしまった。





