358.無礼者に容赦はしません
本日1話更新です。
「ゲルトルード嬢が到着したのだな」
思わずペッテ先輩にすがっちゃいそうになった私に、いきなりそう言ったのは見知らぬ男子生徒……って、まず間違いなく王太子殿下の側近さんなんだろうけど。
でも私は、その顔を見て正直に驚いていた。
だって、サラサラのストレートヘアとはいえ、見事なプラチナブロンドにアメジスト色の目……そうなのよ、我が家のお母さまとリーナと同じ『配色』なんだもん。
学院内でこの色を持つ人を、私は初めて見た。
たぶんこの人も、あのとき王太子殿下と一緒にいたんだと思うけど、あのときはもう夕暮れ時で薄暗くなっていてよく見えていなかったから……。
そういう私の驚きをよそに、その男子生徒は王太子殿下に申し出ている。
「それでは殿下、こちらのお席に。正面に黒板をご用意しましたので、ゲルトルード嬢と、それにペテルヴァンスどのとアルトゥースどのはこちらに」
そしてその男子生徒は、ちらっと私たち……というか、はっきりデズデモーナさまを見て、舌打ちを堪えたような顔をした。
そのとたん、デズデモーナさまがびくっと身体を揺らす。
どうやら、このお2人は顔見知りのようね。
っていうか、さっきのもう1人の側近のアロイジウスさまだっけ、なんで彼はデズデモーナさまの顔を知らなかったのかな?
アーティバルトさんの話では、彼女のお父さまのデルヴァローゼ侯爵はさんざん王太子妃候補にデズデモーナさまを押しまくっているって話だったよね? 側近とはいえ、そういう話は……うーん、知らないワケないと思うんだけど。
でもって、デズデモーナさまを知ってるっぽいそのプラチナブロンドの男子生徒は、ホンットに嫌悪感を隠そうともせずに言うんだ。
「ご令嬢はこちらに席を用意したので」
ってもう、完全に王太子殿下の視界から遠ざけるためにわざわざあんな後ろに、申し訳程度に作りましたっていわんばかりの席を示してる。
いや、こいつ、めちゃくちゃ失礼だよね?
自分で名乗りもしないでナニを一方的に仕切ってんの?
顔見知りらしいデズデモーナさまの名前も呼ばないし、テアちゃんのことは完全に無視だし。
そもそも、自分たちがなんでこんなところで、こんな席を用意して、私にいったいナニをさせようとしてるのかすら、説明もしてないじゃん。
そこで頼りになるペッテ先輩が、とりなすように言い出してくれた。
「フリードヘルムどの、ご令嬢がたはまだ事情もわかっていないのだから、まずは説明を」
「ああ、ゲルトルード嬢の素早く計算をする秘訣を、王太子殿下にご説明願いたい」
そりゃあね、黒板が置かれてる時点で私もそうだろうなとは思ったわよ。
でもその言い方も態度も、あまりにも失礼が過ぎるんじゃない?
私はちょっと苦笑を浮かべていらっしゃる王太子殿下に、さっと笑顔を向けた。そう、そのプラチナブロンドの無礼野郎を完全に無視してね。
「王太子殿下にはご機嫌うるわしく存じます。本日もまた、このようにお目にかかれましたこと、このクルゼライヒ伯爵家長女ゲルトルード・オルデベルグ、たいへん光栄に存じます。僭越ではございますが、本日のご用件をおうかがいいたします前に、わたくしの学友をご紹介差し上げたいのですが、よろしゅうございますでしょうか?」
最上級のカーテシーをして私がそう言うと、王太子殿下はちょっと目を見張り、それでもすぐ鷹揚にうなずいてくれた。
「うむ、構わぬぞ」
私はにっこり笑顔で、まずはデズデモーナさまを示す。ここはほら、爵位順ね。
「王太子殿下にはおそらくすでにご面識がおありだと存じます。こちらはデルヴァローゼ侯爵家ご令嬢デズデモーナ・ヴィットマンさまでございます。本日はこちらの図書館にて、隣接領地の令嬢同士で親交を深めるためにご同道いただいたところでございました」
デズデモーナさまが、それでもやはり侯爵家のご令嬢だけあって、それはもう見事なカーテシーでご挨拶をする。
「デルヴァローゼ侯爵家長女デズデモーナ・ヴィットマンにございます。王太子殿下にはご機嫌うるわしく、本日お目にかかれましたことまことに光栄に存じます」
「うむ、久しいな。息災であったか?」
王太子殿下は、デズデモーナさまに対して特になんの含みもない感じよね。
一応、ご自分の妃候補であることくらいは認識してらっしゃるだろうけど……なんていうか、良くも悪くもまったく気にしてない感じがなんとも。
そして次はテアちゃんよ。
「王太子殿下、こちらはヴェルツェ子爵家ご令嬢ドロテア・シュリーゲルさまでございます。ドロテアさまはたいそう優秀なかたで、入学以来ずっとわたくしたちの学年の首席争いをしていらっしゃいます。わたくしとは、単なる隣接領地の令嬢同士という以上に、本当に親しくしていただいております」
私の紹介を受けて、テアちゃんがツンとあごを上げて前に出た。まあ、テアちゃんもいい加減、あのプラチナブロンドのあまりの無礼さに腹を立ててるよね。
テアちゃんのその姿に、なんか王太子殿下が目を見張っちゃってるんだけど、テアちゃんは構わずカーテシーをしようとした、そのとき。
「そうか、其方であったか!」
王太子殿下が突然、すごく嬉しそうに言い出した。
「以前、母上……王妃殿下が言われていたのだ。今年の1年生には、たいそう優秀な女子生徒がいると。そうか、ドロテア・シュリーゲル、其方のことであったのだな」
今度はテアちゃんが目を見張る番だった。
いや、もちろん私もね。
だってすごくない? テアちゃんってば、王妃さまからも注目されちゃってたの?
そもそも、王妃さまは学院の生徒たちの成績までチェックされてるんだ?
テアちゃんの顔に浮かんでいたお愛想の笑みが、本気の笑みに変わった。
「王太子殿下にはご機嫌うるわしく存じます。ヴェルツェ子爵家長女ドロテア・シュリーゲルと申します。本日は王太子殿下にお目にかかれましたこと、また王妃殿下にはそのようにおっしゃっていただいていましたこと、恐悦至極に存じます」
「そうか、其方も算術選抜クラスに在籍しているのだな」
「さようにございます。ゲルトルードさまが考案された計算方式には、わたくしもたいへん感銘を受けました」
王太子殿下、なんかもう上機嫌でお話しされちゃってます。
いや、テアちゃんもさすがの強心臓。まず間違いなく初対面の王太子殿下相手に、笑顔でさらりと受け答えしちゃってるし。
それになんてったって、あの側近らしきプラチナブロンドの無礼野郎の顔色がちょっと変わってるのが、なかなか気分いいですわ。
キミが完全に無視してたこのテアちゃんはね、王妃殿下も一目置いていらっしゃるんだよ。
王妃さま、本当にありがとうございます!
それにそのお話を、この場で思い出して言ってくださった王太子殿下もありがとうございます!
王太子殿下とテアちゃんのご挨拶が済んだところで、私はさらにわざとらしく側近のアロイジウスさまに顔を向けた。
「セイゼルフッド伯爵家ご嫡男アロイジウス・ドルエスタフさま、先ほどはご挨拶もお返しいたしませんで、たいへん失礼いたしました。わたくしはクルゼライヒ伯爵家長女ゲルトルード・オルデベルグでございます。どうぞお見知りおきくださいませ」
アロイジウスさまは案の定面食らった顔をしたけど、それでもちゃんと対応してくれた。
「ていねいなご挨拶、いたみいる。ゲルトルード嬢、こちらこそ見知りおきください」
そんでもって、アロイジウスさまにデズデモーナさまとテアちゃんもご挨拶をさせてもらう。
で、私は思いっきり笑顔で、王太子殿下に、問いかけた。
「それでは王太子殿下、本日のご用件はどのようなものでございましょうか?」
ええ、私は目の端で呆気にとられてる無礼野郎をとらえてたけどね、完全無視よ。
はーい、そこ、アルトゥース先輩。下を向いて肩を揺らしてないでねー。
ペッテ先輩もちょっと肩を揺らしちゃってる。それにフランダルク先輩も結構図太いな? 肩を揺らしちゃってるよ。
ガン君とバルナバス先輩、エルンスト先輩はなんかもうボーゼンとしちゃってるけど。
それに、私からの問いかけを受けた王太子殿下も片手で口元を覆って、自分の横にいるプラチナブロンドの無礼野郎に笑いを含んだ横目を送ってらっしゃる。
プラチナブロンドの無礼野郎は、さすがに顔をひきつらせ、はっきり不満と抗議を込めた声で私に言ってきた。
「ゲルトルード嬢、私には挨拶は不要だと?」
私はもちろん、思いっきり笑顔でお答えしますとも。
「お名前もちょうだいしておりません殿方に、わたくしどものほうからご挨拶を差し上げるのは失礼かと存じまして」
うん、王太子殿下、爆笑です。
「フリード、其方の負けだ。ゲルトルードを侮るべきではなかったな」
もう1人の側近アロイジウスさまも爆笑してる。
ああ、こういうのを見ると、王太子殿下も側近のアロイジウスさまも、とってもフツーの高校生男子だよね。
同じく高校生男子のアル先輩とペッテ先輩はもう机に突っ伏しちゃってるし、それにテアちゃんも私の後ろでひくひくしてるのがわかる。
いやガン君やほかのメンバー、それにデズデモーナさまは、なんか驚愕してるって感じ? さっきまで肩を揺らしてたフランダルク先輩まで驚愕の顔をしてるのは、ちょっと納得いかないわ。
一応ね、紹介を受けていない初対面の貴族男性に、貴族女性のほうから声をかけるのは『失礼』だってことになってんのよ。社交界のルールだからね、さすがに未成年の学生ばかりである学院内では、それほど厳密には言われてないようだけど。
それでもやっぱり、初対面の場合は基本的に先に声をかけるのは男性で、女性は男性からの名乗りを受けるまでは黙ってろってことになってんのね。それはそれで『はあ?』な話ではあるんだけど、私はそれを逆手にとってやったってわけ。
「すまぬな、ゲルトルード。私の側近が失礼をした」
「とんでもないことでございます、王太子殿下」
私はやっぱり笑顔でお答えしましたわよ。
そして王太子殿下に促されたそのプラチナブロンドの無礼野郎は、むすっとした顔のまんまようやく私にご挨拶してくれた。
「私はソルデリーア侯爵家嫡男フリードヘルム・グリーツェルだ。王太子殿下の側近を務めさせていただいている」
おおっと、ソルデリーア侯爵家って……私でも知ってる、北の大侯爵家じゃん。
北部地方の、かつては辺境伯家が有していた地域を新たに下賜された侯爵家。あの独立戦争をしたホーンゼット辺境伯家ではなく、ヒルデリンゲン辺境伯家のほうね。
もちろん領地は分割されての下賜なので、かつての辺境伯家ほどの広大な領地ではないものの、ソルデリーア侯爵家は有数の魔鉱石鉱山を抱え、さらには我が国唯一の塩湖を有しているという、もっとも裕福な侯爵家だ。
私、海なし国の我が国のお塩ってどっからきてんだろ、って思って調べたことがあるのよ。
それで、北部地方のソルデリーア侯爵家の領地にでっかい塩湖があって、そこで国内のお塩はすべてまかなってるんだって知ったのよね。
その北の大侯爵家のご嫡男さまは、さらに意外なことを言い出した。
「私は王太子殿下の側近としての務めがあるため辞退させていただいたが、ファーレンドルフ先生の算術選抜クラスに参加できる資格を有している」
おおおおっと、マジですかい?
私は思わずペッテ先輩を見ちゃったんだけど、彼は私の視線にすぐうなずいてくれた。
「フリードヘルムどのは、私やアルと同じ3年生でね。すべての科目で優秀な成績を収められているのだけれど、特に算術を得意とされているんだよ」
そんでもって王太子殿下も、笑いながら言ってくださった。
「フリードは、ゲルトルードの『素早く計算する秘訣』について、一刻も早く知りたくてたまらぬらしい。来年度から私の側近になる予定のホーフェンベルツ侯爵に先を越されたと知って、焦っておるのだ」
ホーフェンベルツ侯爵って……ユベールくん?
え、なんで、ユベールくんに先を越されたって?
「その話を、今日の算術選抜クラスでゲルトルード嬢にもするつもりだったんだけど」
ペッテ先輩とアル先輩が目を見かわしてる。
「ホーフェンベルツ侯爵家から学院に対して、正式な依頼があったんだよ。新しい計算方式を指導してほしいと。だから昨日、放課後に私とアルの2人でタウンハウスにおじゃましてきたんだ」
「そう、お若いホーフェンベルツ侯爵さまご本人と近侍、それにメルグレーテ夫人、執事という4名に、ゲルトルード嬢の計算方式をご指導してきた」
マジですかーい!
昨日? えっ、私が欠席してる間に?
さすがメルさまというべきか、あっという間に九九の噂を聞きつけて、あっという間にユベールくんに覚えさせようと手配されたと?
学院に対する正式な依頼で、って……それでペッテ先輩とアル先輩が指導係として派遣された?
で、それを知った算術がお得意なソルデリーア侯爵家のこの側近さんが、じゃあ俺にも教えろとばかりに王太子殿下をダシにして引っ張ってきた、なんていう状況だったりする?
側近的にソレってOKなの?
てか、それでその態度ってめっちゃくちゃ失礼じゃない?
人に教えを乞う態度では、まったくないでしょーが!
ペッテ先輩とアル先輩がユベールくんに九九を教えにいった話は、たぶん次の8巻に書き下ろすと思います。たぶん(;^ω^)