33.衝撃の事実
がっくりとうなだれた公爵閣下は、なんだかもう疲労感たっぷりでまた大きく息を吐きだした。
「どうやら我々は、現状について話し合わなければならぬようだ」
公爵さまは振り向いて、後ろに控えていたイケメンさんを呼ぶ。
どうやらこのイケメンさん、公爵さまの近侍らしい。灰青色の髪に、アクアマリンのように透き通った目をしていて、歳のころは公爵さまと同じくらい、アラサーって感じだ。
そのイケメン近侍さんが差し出した封筒を、公爵さまが私たちに示す。
「昨夜王都に戻ったところ、この手紙が届いていると、弁護士から連絡があった」
あーアレだ、魔石を持ち出すことは可能ですか、って問い合わせたヤツ。
公爵さまは本当に疲れ切ったようすで首を振ってる。
「通読しても意味がわからなかった。魔石を持ち出す? いったいどこへ? それで今日こうして訪問したところ、引越しをするという。まったく、何がどうなっているのだろうか、と」
意味がわからないのはこっちなんですけど?
私も首を振りたくなった。
だって、このタウンハウスを博打の形に私たちから取り上げたのは、公爵さまご本人だよね? もしかして、私たちがここに居座るって思ってたってこと? ナニソレ、私たちそこまで図々しくないよ?
お母さまも首をかしげてる。
「このタウンハウスを公爵さまに引き渡す必要があると、わたくしたちは伺いました。それならば、わたくしたちはほかの家に引越すしかないではありませんか?」
その問いかけに、公爵さまはげんなりと答えた。
「確かに、このタウンハウスの引き渡しは必要だ。けれど私は、貴女がたにこのタウンハウスから出て行けなどとは、伝えた覚えがないのだが」
はあぁー?
ナニソレ、意味がわかんないんですけど?
公爵さまの言葉に、私は馬鹿みたいに口を開けてしまった。
いやもう、お母さままで口を開けちゃってる。
だって、引き渡す必要はあるけど出ていけとは言ってない? 引き渡しちゃったら住めないでしょうが。ナニ言ってるの、この人?
「公爵さま、代理人だという弁護士さんははっきりと、このタウンハウスを公爵さまに引き渡す必要があると言われました」
私は思わず言った。「引き渡すということはつまり、わたくしたちはもうこのタウンハウスに住めないと判断するのは当然ではありませんか?」
公爵さまが顔をしかめた。
「弁護士は、ほかになんと言っていたのだ?」
「引き渡しの期日は特に設けないので、身の振り方をよく考えて連絡するように、というのが公爵さまからの伝言だと。だからわたくしたちは、できるだけ早く引越しを終えて、タウンハウスの引き渡しが可能になったとご連絡を差し上げようと」
公爵さまは片手で頭を抱え、またもやがっくりとうなだれてしまった。
「なるほど……レオ姉上が言われていたことは、こういう意味だったのか……」
いっそう疲労感をにじませまくった公爵さまは何度か首を振り、それから大きく息を吐きだして顔を上げた。
「コーデリアどの、貴女は貴族社会の慣例にあまりなじんでおられぬようだ。私も、私の弁護士も、その点について考慮すべきだった」
お母さまは首をかしげてる。
私も一緒に首をかしげちゃった。
公爵さまはしかめた顔で言葉を選ぶように言った。
「貴族社会では通常、このような賭け事によって生じた証文で、勝った側が負けた側に『期日は設けない』と伝えた場合、それは実質的には執行されないという意味に解釈される」
は、いぃぃーー?
私はまた馬鹿みたいに口を開けちゃった。
だって実質的に執行されないって……要するに博打の負けをチャラにするってこと? 全財産を賭けちゃってたのに?
「そんな、そんなの……」
思わず私は言ってしまった。「だったらなんで最初から、タウンハウスを出ていく必要はないと……」
「正式な証文だと言ったであろう」
しかめた顔で公爵さまは答えた。「証文があるのに執行しないのは法に反することになる。そのため、執行を無期限に延期するという意味合いで『期日は設けない』と言うのだ」
わっかんないよ、そんなことー!
ナニソレ、貴族ってそういう言い回しをするの? ソレが常識?
なんかもう、あごが外れそうなんですけど?
なのに、公爵閣下はさらに衝撃的なことを言う。
「通常、そこで証文の話は終わる。実際に債務を返済するかどうかは本人の誠意に関わる話だ。しかし、此度は賭けを行った当主が急逝した。証文がある以上、長女であるゲルトルード嬢は領地も財産も相続できない。そのため、書類上はいったん私が所有者になる必要がある。だから弁護士は『引き渡しは必要だ』と言ったのだ」
公爵閣下はちらりと私に視線を送り、またも大きく息を吐きだした。
「引き渡しの処理をしたあと、領地や財産をどのように扱うのか、貴女がたはどのようにしたいのかについて相談するために、私は『よく考えて連絡するように』と伝えるよう、弁護士に命じたのだ」
は、いぃぃぃーーー?
え、えっと、あの、つまり、公爵さまは最初から私たちの全財産を巻き上げる気なんかなくて、それどころかちゃんと今後のことを相談しようってつもりで……?
だからわかんないって、そんな言い回しされても!
ナニソレ、貴族ならそういう言い方されたらすぐわかるもんなの? 慣用句っていうヤツ? 私もお母さまも、貴族の常識がわかってないってこと?
公爵さまは、憮然とした表情でさらに付け加えた。
「もちろん、貴族の中にも賭け事の証文を盾に、実際に相手の財産を巻き上げてしまうような下品な輩もいないことはない。私はそのような下品な真似をするつもりは、まったくないのだが……その意図が、貴女がたには伝わっていなかったようだ」
つまり、公爵さまがあんなに不機嫌オーラをまき散らしてたのって……私たちが公爵さまのことをそういう『下品』なヤツだと判断したために、なんの相談もなくこのタウンハウスを出ていこうとしていると、そう思っちゃってたからなの?
いや、そりゃもう公爵さまにしてみれば、博打の莫大な負けをチャラにしてやって、しかも私たちの今後のことまで考えてくれてたのに、ちっとも連絡を寄こさないどころか、いきなり『魔石を持ち出してもいいですか?』じゃ意味わかんないよね? 私たちが公爵さまの配慮を無視して勝手に引越ししようとしてるとしか……。
なんか……なんて言うか……えぇぇ? なんかもう、頭ん中が真っ白なんですけど。
だって……だって、あのゲス野郎が作った借金の形に身ぐるみ剥がれちゃって、もうこれからどうしようって毎日眠れないほどあれこれ悩んで、考えて考えてなんとかひねり出したアイディアでお金を手に入れて、次から次へと問題が出てきて、それでもようやく当面の生活のめどを立てることができて……。
それ、全部、必要がなかった、とでも?
いや、もう……私の口から魂が、ひゅるるる~~~って抜け出していっちゃうような……へなへなと崩れ落ちずにまだ立っている自分が不思議なほどだわ……。





