幕間@エクシュタイン公爵邸スヴェイ
本日1話更新です。
ゲルトルードが倒れていた間の、公爵邸のようすです。
今日もクルゼライヒ伯爵家へ、ゲルトルードお嬢さまのご帰宅が遅くなるとお伝えし、俺はゲオルグとともにエクシュタイン公爵邸へと戻る。
伯爵邸では、コーデリア奥さまが心配そうにされていたが……俺自身、詳細を知らされてはいないのでなんとも言えない。ただもう、公爵さまの御用で遅くなられますとしか申し上げられない。
奥さまもそれについてはご承知いただいているようで、詳細を俺に問うようなことはされなかった。
この辺り、俺も正直に不満がある。
仮の状態であるといっても、俺はもう正式にゲルトルードお嬢さまの従者として認められているのだ。それなのに何故、俺だけ公爵家の居間へと招いてもらえないのか。
直接俺にお命じになるのはゲルトルードお嬢さまだが、そこに公爵閣下の意向がまったく絡んでいないとは到底思えない。
公爵邸には、先代未亡人の息のかかった使用人が大勢残っていて、当主である公爵閣下が邸内であっても気を抜けない状態であるということは、俺も聞き及んでいる。
それでも……閣下の義理の兄上にあたられる国王陛下のお側に長らく仕えていた俺を、そこまで警戒されているとは考えにくいのだが。
そんなことを考えているうちに、馬車は公爵邸に帰り着いた。
これからゲルトルードお嬢さまがご帰宅のために玄関に出てこられるまで、俺とゲオルグは今日も車寄せで待機だ。
と、思っていたら、アーティバルトさんが青い顔をして玄関から出てきた。
「スヴェイさん、ゲオルグさん!」
あわただしく馬車に駆け寄ってきたアーティバルトさんが、声を落としながらも緊迫したようすで俺たちに言ってきた。
「すぐに馬車を出してください。あっ、この公爵家の紋章入り馬車ではなく、使用人用の……簡易紋もついていない馬車で」
「何があったのですか?」
ぎょっとばかりに問いかけた俺に、アーティバルトさんは低い声で告げた。
「ゲルトルードお嬢さまが倒れられました。意識がない状態です」
ただちに、ゲオルグが使用人用の目立たない馬車を用意し、俺たちは裏門から公爵邸を出た。
行先については、アーティバルトさんが御者台のゲオルグに指示を出している。
「その医師には、ゲルトルードお嬢さまは幼いころからお世話になっておられるそうです。伯爵家の『事情』もご存じで、間違いなく信用できるとナリッサさんが言っています。それに、俺はすでにその医師とは面識があります」
「しかし、ゲルトルードお嬢さまがお倒れになったというのは……」
俺もさすがに血の気の引いた顔でアーティバルトさんに問いかけてしまった。
アーティバルトさんは顔を強張らせ、俺に言った。
「詳細は、閣下がお伝えくださると思います。とにかく……とにかくゲルトルードお嬢さまにとってあまりにも負担が大きすぎて……」
負担が大きすぎた?
何のことだ?
けれどアーティバルトさんは口をつぐみ、それ以上は説明してくれなかった。
もうかなり遅い時間になっていたが、その医師は即座に往診鞄を持って馬車に乗ってくれた。
アーティバルトさんが言っていた通り、老齢の医師はすでに彼と面識があり、そのアーティバルトさんがゲルトルードお嬢さまの緊急事態だと告げると、それだけですぐに対応してくれたのだ。
医師を連れて公爵邸に戻るときも、裏口から入った。
けれど、アーティバルトさんは馬車を玄関に回すようにゲオルグに言い、そして俺と医師にはしばらく馬車の中で待つように告げて、まず1人だけで邸内に戻った。
すぐに、公爵閣下が自ら、アーティバルトさんと一緒に医師を迎えに出てこられた。
「ご足労感謝する、グリークロウ医師」
「とんでもないことでございます、エクシュタイン公爵さま」
どういうわけだか、このグリークロウ医師は公爵さまともすでに面識があるらしい。街に暮らす医師なのだから、当然平民だ。それなのに、公爵閣下とも面識があるというのはいったいどういうことなのだろう。
しかも、グリークロウ医師は公爵邸に招かれたというのに、変に気負ったようすもなければ、やたらにへりくだるようなようすもない。実に淡々とされていて、それがなんとも頼もしい。
そして今回は、俺も呼ばれた。
「閣下、私もお伺いしてよろしいのですか?」
「構わぬ。私の判断で其方にも来てもらう」
俺はグリークロウ医師と一緒に公爵邸に招き入れられ、そして二階へと上がった。
「ここで私が登録した者でなければ、ここから先へは入れぬ」
閣下はそう説明し、グリークロウ医師だけでなく俺も登録してくださった。
通された公爵邸の居間では、執事のトラヴィスさんとヒューバルトさんが、青い顔をして待っていた。
トラヴィスさんがすぐに、グリークロウ医師を別室へと案内する。どうやら、公爵邸の寝室にゲルトルードお嬢さまは運ばれているらしい。
その寝室の扉をトラヴィスさんがノックすると、マルレーネさんがやはり血の気の引いた顔を出した。
「グリークロウ先生でいらっしゃいますね? ゲルトルードお嬢さまはこちらです。わたくしとナリッサさんがずっとお側についているのですが……」
医師だけがその寝室に入り、トラヴィスさんはこちらに戻ってきた。
居間には、公爵閣下とアーティバルトさん、ヒューバルトさん、そしてトラヴィスさんと俺という男性ばかりが残っているという状態だ。
トラヴィスさんは、俺の顔を見て苦笑交じりに言ってくれた。
「未婚のご令嬢がお休みになっている寝室に、医師以外の殿方を絶対に入れるわけにはいかないとマルレーネさんが主張しておりまして」
「それは……確かに、そうなのですが」
俺はもう困惑を隠さず、率直に問いかけた。「いったい、何があったのですか? ゲルトルードお嬢さまがお倒れになるなど……ご体調がすぐれぬようなごようすは、まったくなかったのに」
閣下は、ひどく打ちひしがれたごようすでソファーに腰を下ろしておられる。
それでも、深く息を吐きだして閣下は俺に言ってくださった。
「いまゲルトルード嬢の意向を確認することはできないが、スヴェイ、其方は事情を知っておくべきだと思う。私の一存で話そう」
そうして公爵閣下が話してくださったその内容に……俺は、俺までもが、めまいを覚えて倒れそうになってしまった。
コーデリア奥さまの父君が……あの悪辣な前伯の奴隷にされていた、だと?
だからコーデリア奥さまはあの男の妻になるしかなくて……逃げだすこともできず、籠の鳥としてあの男の命令に従う以外できなくて……。
ヒューバルトさんがその『契約書』を、実際に俺に見せてくれたのだが……本当に、足元がぐらついて俺はその場に崩れ落ちそうになった。
こんな……こんなことが……いや、俺もクルゼライヒ前伯の悪行については実際にいろいろと見聞きしてはいたが、まさかこんな……!
絶句してしまった俺に、閣下は両手で頭を抱え沈みきった声で話してくださる。
「我々は、伯爵家の前の執事であったゴディアス・アップシャーは、おそらく隷属契約をさせられていたのだろうと……そこまでは推測していたのだ。けれどまさか……まさか、このような恐ろしいことがなされていようとは……」
うめくように閣下が言う。「ゲルトルード嬢にはどれほどの衝撃だったか……我らの配慮が足りなかったばかりに……」
「閣下、私の責任です」
ヒューバルトさんが憔悴した顔で言う。「私もまさかあのようなものが、伯爵家の収納魔道具に入っているなどとは……ゴディアスもこれについては、まったく知らなかったと思います。けれどそれでもあのように、直接ゲルトルードお嬢さまにご確認いただくことは避けるべきでした」
「ヒュー、それを言ったらもう、この場にいる俺たち全員の責任だ」
アーティバルトさんもやはり憔悴したようすで言い出した。「あのとき……羊皮紙の書類が2枚出てきたとき、ゲルトルード嬢に直接確認してもらうのではなく、我々の誰かが先に確認していれば……あれほどの過酷な衝撃を、それでも彼女は直接受けずに済んだはずなんだ」
最早、誰もが口をつぐむしかなかった。
本当に……ただもう、誰が何を言っても、とりかえしがつかないのだから。
その場にいなかった俺ですら、想像するだけで胸が苦しくなる。
いったいどれほどの衝撃であっただろうと……まさかご自分の祖父君が、父である前伯の奴隷にされていて……そのせいで、母君が婚姻を結ぶしかなかったなどと……そんなおぞましいことを、このような形で知らされてしまうなどと。
いや、俺も多くの貴族家がさまざまな事情を抱え、信じられないようなおぞましいことが行われていることも知ってはいるが……これは、あまりにも非道すぎる。
どれほど聡明で意志のお強いおかただといっても、ゲルトルードお嬢さまはまだほんの16歳でいらっしゃるのだ。衝撃のあまり、意識を失ってしまわれたというのも、当然の話だ。
グリークロウ医師の診察の間に、ゲルトルードお嬢さまは一度目を覚まされたらしい。
けれどまだ意識がはっきりとはされておらず、こちらの呼びかけには反応されるものの、お声も出ないごようすだとのことだった。
「それでも、お熱もございませんし、お体の内部でどこかが傷んでいるようなごようすもございません。吐き気が強くお有りで、お水も飲み込めない状態でいらっしゃることが少々心配ですが、さきほど口をゆすいでいただきましたし、はちみつもひと匙お口にしていただけました」
熱もなければ身体的に大きな問題もないというのは、安堵していいことなのだろうか。
グリークロウ医師が落ち着いた声で説明してくれる。
「お疲れもたまっていらしたようですが、おそらく身体的なご病気というよりは、精神的なものでございましょう。お気持ちに非常に負担がかかる出来事があり、そのことをお気持ちの上だけでなく、身体さえもが受け入れられなくなっておられるのだと思います」
「それでは、どのように手当てをすれば……」
閣下の問いかけに、老医師はやはり落ち着いたようすで答えた。
「まずはゆっくりとお休みいただくことです。そしてできれば、滋養のあるものを召し上がっていただきたい。さきほど侍女どのにもお伝えしましたが、飲み下しやすいとろみのあるスープなどであれば、お口にしていただけると思います」
「ただちに用意する」
勢い込んで身を乗り出す公爵閣下に、グリークロウ医師はうなずいて続ける。
「最初は、食べものを口にされても吐いてしまわれるかもしれませんが、少しずつでも召し上がっていただくようにしてください。そして、それだけ吐き気が強く出ておりますので、当面は馬車にお乗せするのは避けられたほうがよいでしょう」
「それは……」
公爵閣下の視線が揺れた。
「もちろん、我が家で彼女をお預かりすることについては、なんの問題もない。私はゲルトルード嬢の後見人であるからな。ただ、そのことを……彼女の母君であるコーデリア夫人にどのように伝えるべきか……」
穏やかに、落ち着いたようすで閣下と向き合っているグリークロウ医師に、閣下は揺らした視線を戻された。
「其方は、伯爵家の『事情』を承知していると、ナリッサ嬢から聞き及んでいる。その、コーデリア夫人の心の病については……」
「存じております」
はっきりと医師はうなずいた。「先日、私が伯爵邸に往診しましたおりに、また発症されたのでございましょう?」
その答えに、閣下は明らかに安堵の表情を浮かべられた。
コーデリア奥さまの心の病? しかも、つい最近、このグリークロウ医師が伯爵邸を往診するような出来事があったのか?
俺は医師と閣下の顔を素早く見比べた。どうやら、その往診のさいにこの医師は閣下と、それに近侍であるアーティバルトさんとの面識を得たらしい。
「ゲルトルード嬢は、自分の母君に、できる限り心の負担をかけたくないと言っている」
閣下が言葉を選ぶように言い出された。「其方が言う通り、ゲルトルード嬢は……自分の心で受け止めきれぬほどの恐ろしい事実を突きつけられ、意識を失ったのだ。だがそのことを、彼女は自分の母君に伝えることを決して望まぬはずだ。そのため、いまこうしてゲルトルード嬢を我が家にお預かりすること、なにより彼女が不調をきたしていることを、コーデリア夫人にはどのように伝えるべきであるかと私は思案している」
グリークロウ医師は、すっかり白くなった眉をわずかに寄せた。
そしてすぐにうなずき、老医師は言い出した。
「それでは、私がコーデリア奥さまにお伝えにまいりましょう。ゲルトルードお嬢さまの吐き気が強いためしばらく馬車にお乗せできないこと、そして流行り病の可能性も完全には否定できないため、公爵邸でお預かりしてくださるとお伝えすればよいと存じます」
「流行り病……」
「実際にはその可能性はほぼございません」
一瞬、不安の表情を浮かべた公爵閣下に、グリークロウ医師はわずかに口元を緩めて即座に答えてくれた。
「けれど、医師としてはどのような可能性も否定はせずに治療にあたりますので。おそらくいままでのご心労がたまってご体調を崩されたのだと思いますとお伝えし、ただし万が一にもゲルトルードお嬢さまが流行り病であった場合、まだ幼いアデルリーナお嬢さまのご安全のためにも、症状が落ち着かれるまでは公爵邸でお預かりいただいたほうがよろしいでしょうと、お伝えいたします」
「ああ、そうしてくれるか」
公爵閣下だけでなく、その場にいた誰もが……アーティバルトさんもヒューバルトさんも、トラヴィスさんも、そろって安堵の表情を浮かべた。
そしてグリークロウ医師は、明日もまた往診させていただきます、もしゲルトルードお嬢さまのご容体が急変するようなことがあればただちに自分を呼び出してください、と公爵閣下に告げた。
「グリークロウ医師、其方には心より感謝する」
「とんでもないことでございます、公爵さま」
深々と頭を下げられた閣下のごようすに、老医師が驚いている。
けれどすぐに、グリークロウ医師は言い出した。
「ゲルトルードお嬢さまは、幼いころからたいへんなご苦労を重ねてこられました。それでいて、本当にお心優しく驚くほどにご聡明でいらっしゃる。母君さまのご病状についても、お心の負担をできる限り減らし、安らかに日々を過ごしていただく以上の薬がないことを、よくご理解されているようです。またそのことを、公爵さまもよく酌んでくださっていることに感服いたしました」
そして老医師は、穏やかな笑みを浮かべた。
「ゲルトルードお嬢さまは、本当によき後見人を得られましたな」
ドラガンくんの閑話を入れたばかりなのでちょっと悩みましたが、スヴェイさんの話を入れてみました。
明日は後編を更新予定です( *˙ω˙*)و グッ!





