328.沈む
本日1話更新です。
明日もまた更新する予定です。
頭が重い。
身体も重い。
とにかく指一本動かすのもおっくうなほど、なにもかもが重くてだるい。
こんな、全身が泥になってしまったかのような感覚は、ずいぶん久しぶりだと……私はぼんやりと思った。
そうだわ、前世では……ブラック企業で働いてたときって、最後の方はもう毎日眠るたびにこういう感じだったんだっけ。だけどいまは、そんなこと全然なくて……まだ子どもだからなのか、そもそもこの転生した身体がよっぽど丈夫なのか……。
おっくうながらも身じろぎしたとたん、強烈な吐き気が込み上げてきた。
「ゲルトルードお嬢さま!」
ナリッサの声が聞こえる。
なんだか目がかすんでよく見えない。
起き上がろうとしてるんだけど、どうにもこうにも身体が重くてだるくて起き上がれない。
誰かの手が、私の顔を横に向かせた。
待って、いまそれをしてもらっちゃうの、めちゃくちゃまずい。だって、吐く。
でも顔の横に、洗面器か何かがあてがってあって、私はそのまま吐いた。
吐くと胃液しか出てこなくて、喉が痛いし口の中も気持ち悪い。なのに、吐き気が止まらない。
「むせてしまわれて、お水もお飲みになれないのです」
「ゆすぐだけでも構いません。お水を口に入れてあげてください」
ナリッサの声と……誰だっけ、この男の人……知ってる声だと思うんだけど……ヨーゼフはいないの……?
「さ、ゲルトルードお嬢さま、お口をゆすいでください。さっぱりしますよ」
あれ、マルレーネさんの声……?
やっぱりぼんやりしたままの私の口に、何か吸い口のようなものがあてがわれる。
「無理に飲み込まなくていいです。そのまま吐き出してください」
喉は、乾いてる。
ものすごく乾いてる。
なのに飲み込めない。喉が痛くてつかえちゃうような感じで、どうにも飲み込めない。
私はそのまま、口に含んだ水を顔の横にあてがわれた洗面器か何かに吐き出した。
それだけでも口の中がさっぱりして、私は大きく息を吐いた。
「熱はありませんし、何か流行り病ということはないでしょう。ただ、少しでも何か口にしていただかないと、体力がどんどん消耗してしまいます」
男の人が話してる。
「幼いころから本当に丈夫なかたで、風邪ひとつひかれたこともないお嬢さまなのですが……飲み下しやすいよう、とろみのついた具のないスープなどをご用意いただければ、少しは召し上がれるのではと思います。それから喉の痛みを訴えられるようでしたら、はちみつを少しずつ差し上げてください」
「すぐにご用意いたします」
あ、この声……グリークロウ先生だ。
ナリッサがグリークロウ先生を呼んでくれたの?
えっと、お母さまは、どう……。
そう、思ったとたん、記憶が……自分が倒れたときの記憶が、一気に押し寄せてきた。
同時にまた、強烈な吐き気が込み上げてくる。
私はもう自分から顔を横に向けて吐いた。
吐いて吐いて、胃液も空っぽになっちゃったんじゃないかと思うくらい、吐き続けた。
誰かの手が、私の背中を撫でてくれている。
吐いているうちに、血の味が口の中に広がってきた。また吸い口のようなものを唇にあてがわれる。やっぱり痛くて飲み込めなくて、たぶん吐きすぎて喉が切れたんだろうなと思いつつ、私は口をゆすいだ。
その後、ティースプーンに1杯だけ、はちみつを口に入れてもらった。めちゃくちゃ喉に滲みまくった。
そして、はちみつが滲みたからじゃないんだと思うんだけど……ぼろぼろと涙があふれてきた。
なんかもう、自分の感情が壊れちゃったような気がする。
思い出してしまった内容が、断片的にぐるぐると頭の中を回ってるんだけど、何も考えられなくて、悲しいのか悔しいのか、情けないのか腹立たしいのか……もうわけがわからなくて自分の中がぐちゃぐちゃになっているような感じだった。
「いまは無理に起こさずに、十分に休ませて差し上げてください」
グリークロウ先生の声が聞こえる。「ただ、何か少しでも口にできるようであれば、できるだけ食べていただくようお願いします。少し食べられるようになられましたら、こちらのお薬を食後に服用していただきますように」
「ありがとうございます、グリークロウ先生」
ナリッサがお礼を言っているのが聞こえ、それからマルレーネさんが私に言ってくれる。
「さ、ゲルトルードお嬢さま。ゆっくりお休みくださいませ」
お湯で絞ったやわらかい布で、マルレーネさんが私の顔を拭ってくれる。
私は泣きながら、また眠りに落ちていった。
次に目が覚めたときは、だいぶ意識もはっきりしていた。それに、気持ち悪さは残っているものの、吐き気も治まっていた。
でも、ちょっと頭がぐらぐらしてる。
あれだけ吐いたし、水もぜんぜん飲めなかったから、脱水症状を起こしかけてるのかも……前世だったらとっくに点滴打たれてるような状態だわね……。
顔を動かすと、ナリッサが……私が寝ているベッドの端に突っ伏すようにして眠っていた。
ごめん、ナリッサ。心配かけちゃって。
そう思うと、私はまた涙があふれてきそうになった。
お母さまは……お母さまには、なんて言えば……。
いや、お母さまにはいま、どういうふうに、伝えてもらってるんだろう。私が公爵邸で倒れたことについて……。
もちろん、本当のことなんて、公爵さまは絶対話してないと思う。そういうことは、ちゃんと考慮してくれる人だから。
何か私の体調が急におかしくなったとか、そういうことを言って……それでもお母さまはきっとものすごく心配してくれていると思う。リーナだって、すごく心配してくれているはず。
ダメだ、涙が止まらない。
だって……だって、まさか、あんなことが……。
信じられない、本当にあのゲス野郎には、人の心なんてなかったんだ。
ゴディアスを奴隷にしてたっていうだけでも、恐ろしいどころの話じゃないのに……まさかマールロウのお祖父さまを……信じられない、本当に、こういうのを、おぞましいって言うんだ。
お母さまは、たった1人の家族だった自分のお父さまを人質にとられて……どんなに嫌でも、どんなに恐ろしくても、逃げ出すことができなくて……マールロウのお祖父さまも、本当にどんな気持ちだっただろう。
もう間違いなく、お祖父さまはあのゲス野郎に嵌められて騙されてサインさせられたんだ。
自分のたった一度のその過ちで、大事な大事な1人娘を地獄に落としたも同然になってしまって……お祖父さまはどれほど自分を責めて、どれほど苦しんで……その絶望の中で、亡くなってしまわれたのだと思うと……。
それに、お祖父さまが亡くなられた後は、まず間違いなく私が、お母さまにとっての人質だったんだ。
どういう理由なのか、隷属契約書の名前はお祖父さまのままで、書き換えられてはいなかったけど……それでもお母さまは、どれほど恐ろしかっただろう。
逃げることも、逆らうこともできず、お母さまはあのゲス野郎の顔色をうかがいながら怯えて暮らすしかなくて……それでいったいどうして、お母さまは私に、あれほどの愛情を……。
私……私は、生まれてきてよかったんだろうか……。
涙が、ぼろぼろとあふれて止まらない。
だってお母さまは私に、信じられないほどの愛情を注いでくれたけど……でも、その結果、私はずっとお母さまを、あの家に縛りつけてたんじゃないの?
私は、いったいなんのために、この世界の、この身体に転生してきたの?
真っ暗な底が知れない穴の中に、ずるずると落ちていくような、そんな感覚の中で……私はぼろぼろと泣き続けた。
本日7月20日、本作4巻発売しました!
すでに読んでくださった方、ありがとうございます。
まだの方は、早めにご購入いただけるとたいへん助かります _ _)ペコリ
出版社さんは、発売後1週間でどれだけ売れたか、で続刊を決められることが多いのです。
どうかよろしくお願いいたします<(_ _)>





