322.私ってずいぶんマシだったんだ
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続きはできるだけ早めに更新するよう頑張ります。
だってね、私は精霊ちゃんが作ってくれた硬化布の性能や、それを売り出すのが国家機関であること、さらに量産の目途が立ってるなんてことを考え併せた結果、この商品はめちゃくちゃ売れるに違いない、っていま予測したわけだけど。
まずその時点で、私は『計算』してるんだよ。
自分が持ってる情報の中から、この契約内容に結び付けられるものを選び出し、それらを組み合わせてその結果を推測してるわけだもの。この時点ではまだ解答はわからないけど、でもそれってまさに『計算』だよね?
計算って、単純に数字を足したり引いたりするだけじゃないんだわ。
そうだよね、学校でたくさん計算問題を解いて勉強するのって、そういうことなんだよ。計算問題を解くことっていうのは、筋道を立ててものごとを考えて答えを導き出す、そういう論理的思考を身につけるための訓練なんだ、ってこと。
その訓練の機会を、わざわざお金を払ってまで放棄してる……お金で成績を買ってる連中がしてることって、そういうことなんだよ。
うわー……そうか、わからないのか。
いや、これは本気でヤバいよ、学校の成績云々どころの話じゃないよ。単純に足し算や引き算ができないって問題じゃないんだよ。
だって、いやしくも領主として大規模な経営を担ってる人がこういう計算ができなくて推測できない、推測すること自体がわからないって……どう考えても致命的じゃないの。
もちろん、算術選抜クラスのメンバーなら、そういうこともすぐわかると思う。
もし書面を見ただけではピンとこなかったとしても、あのメンバーなら全員自分で試算してみるでしょ。それに、商品としてどの程度の売上が見込めそうなのかってことも、いま私が持ってるのと同じ情報を持っているのであれば、しっかり『計算』できると思うわ。そういう比較検討もちゃんとできる人たちだと思うもの。
だからテアとガン君のヴェルツェ領とか、バルナバス先輩やエルンスト先輩、それにフランダルク先輩のご領地なんかは、すっごくしっかり経営されていると思う。
でもアルトゥース先輩が言ってたからね、上位貴族家の嫡男がお金で成績を買ってるんだって。親が見栄のために成績を買い与えてるんだって。つまり、上位貴族家ほどヤバいってことだよ。
そんなの、経営のド素人である私だってわかるもの、経営ってまずは現状把握と、そこから先をどう見通すか、だよね?
だけどその経営を担ってるトップが、そういう筋道だったものの考え方ができない、見通しが立てられないってさ……完全に泥船じゃん。
しかもあいつら、たまたま自分に与えられた権力は絶対に手放さない、つまり握った舵にしがみついて誰にも渡さないどころか、自分の代わりに舵を取れる人を蹴落とすことしか考えてないんだよ? それで沈まなかったら奇跡だわ。
なんかもう愕然としちゃった私に……さすがだなんてとんでもございませんわ、なんてことを言い出さない私に、公爵さまもエグムンドさんもちょっと戸惑っちゃったみたいだ。
「ゲルトルード嬢? どうかしたのか?」
眉間にシワを寄せて問いかけてくれる公爵さまに、私はもう正直に言っちゃった。
「この国の貴族……というか、領主の中には、こういう計算がまったくできないまま領地経営をしている人たちがいる、ということなのですね……」
その私の言葉に、公爵さまもエグムンドさんも、それにアーティバルトさんとヒューバルトさんにゲンダッツさんズ、私のお供についてきているスヴェイまで、とにかくその場の全員が目を見張ってくれちゃった。
もう私はさらに言っちゃう。
「自分より身分が低い人たちがより賢くなることが許せないからと、あの計算の表を教材として利用することに反対し、自らの努力を放棄して成績をお金で買うということが、どれほど自分自身の首を絞めているのか……それさえもわかっていない人たちに領地経営ができるとは、わたくしには到底思えません」
そして私は、本当に絶望的な気分でそれを口にした。
「我が家の前当主が、たった5年で我が領をめちゃくちゃにしてしまったというのは、つまりそういうことだったのですね……」
ホントに、ホンットに考えたくもないけど……その自分で自分の首を絞めてまともに計算すらできないのに経営のトップとしてふんぞりかえっていた領主、その筆頭はどう考えてもあのゲス野郎でしょ。
隣接するヴェルツェ領とのお取引を一方的に取りやめ、それどころか魔物討伐のための隣接領地の協議へもいっさい参加せず完全に無視。
そうやって自分が行ったことがいったいどのような結果をもたらすのか、これっぽっちも想像できないから平気でそういうことをしちゃってたんだ。
本当に、なんでその程度のことがわからないの?
魔物を討伐しなければ、領民が困るんだよ? 領民が困るっていうことは、領民が納めてくれる税だか租庸調だかの納付が滞るってことだよ、領地としての収入が減っちゃうってことだよ?
だから、魔物が出る森を共有している領地同士でずっと協議をして討伐してきたんじゃない。なのになんでそれを勝手に止めちゃうわけ?
ヴェルツェ領とのお取引だって、双方の合意によって行われていたものを一方的に放棄しちゃうとか……相手に迷惑をかけるのはもちろん、自分の利益も捨ててるよね?
愚かというのか、浅はかというのか……本当に言葉にするのも気分が悪いわ。
もう両手で顔を覆ってがっくりと落ちこんじゃった私に、公爵さまが言ってくれる。
「ゲルトルード嬢、だがきみは、そのことをしっかり理解できているではないか」
そうですね……私は理解できているだけ、マシなんだと思います。
そう思って、私はちょっとだけ納得しちゃった。
公爵さまは最初から、私がちゃんと領主としてやっていけるってミョーに確信してたフシがあったけど……それってつまり、私って自分で考えて自宅でオークションなんか開催しちゃうような令嬢なんだもんね、そんなことができるくらいにはちゃんと『計算』できる子なんだって……だからその辺を根拠にそう言ってくださってたワケですね……。
ごめんなさい公爵さま。
私は、公爵さまってばなんの根拠もなく、無責任にそういうこと言ってるんだと思ってました。
そりゃもう、まともに掛け算もできないような連中に比べりゃ私はずいぶんマシですわ。てか、領主っていう職業のハードルが低すぎないか?
「ゲルトルード嬢」
公爵さまがまた、私に言ってくれる。
「クルゼライヒ伯爵家の前当主がしてきたふるまいの、その後始末をしなければならないきみの負担は私も憂慮している。私もできる限り助力すると約束しよう。まずはきみができる範囲で、少しずつ進めていけばいい」
「ええ……それにつきましては、本当にありがとうございます、公爵さま」
うん、本当に感謝します。
そしてエグムンドさんも言ってくれた。
「ゲルトルードお嬢さま、我々商会員はご領地の経営にお力添えすることはなかなかに難しいかと存じます。けれど、我々も商会としてできる限り、ゲルトルードお嬢さまのご利益を守るよう尽くしてまいります」
そう言ってからエグムンドさんは、また別の書類を出してきた。
「こちらはそのためにご用意した契約の案なのですが……事前に閣下にもご相談させていただき、ご同意をいただいております」
「うむ、エグムンドが考えてくれたこの案は、きみの財産を守るために有効な方法だと思う」
公爵がその書類を示してくれる。「ゲルトルード商会の利益はいったんすべて、顧問である私に預けてもらう。私はその利益をそのまま信託基金とし、受取人に指定された頭取ならびに商会員はその基金より信託金を受け取ることで給与とする」
信託金って……あの、お母さまがマールロウのお祖父さまから受け取れるっていう、アレ?
私は思わずゲンダッツさん……おじいちゃんのほうのゲンダッツさんを見ちゃった。
「私もこの方法が一番よいかと存じます」
ゲンダッツさんがうなずいてくれた。「公爵閣下はゲルトルードお嬢さまを受取人に指定した信託金を、毎年給与としてお支払いくださいます。支払われる信託金の基準金額は決めてございますが、ゲルトルードお嬢さまのご必要に応じて増額することも可能です」
そしてゲンダッツさんとエグムンドさんがうなずきあって、エグムンドさんが言ってくれた。
「受取人を指定した信託金は、今後ゲルトルードお嬢さまがご結婚されたとしても、配偶者さまの財産にはなりません。ゲルトルード商会の頭取であるゲルトルードお嬢さまが得られる正当な報酬は、そのまますべてゲルトルードお嬢さまがご自由にお使いいただけます」
ああ、そういうことか……!
そうだった、この国の貴族女性が持つ財産は、結婚しちゃったらすべて配偶者へその所有権が移されてしまうんだった。それは、現在進行形で稼いでいる収入にも当てはまっちゃうんだ。
つまり、もし私がごく当たり前に商会の売上から報酬を受け取ってしまえば、それはそのまんま配偶者の財産にされてしまう。
ホンット、信じられないような法律だわよ。貴族女性は、どれだけ働いて報酬を得ても、そのぜんぶがまるごと夫に搾取されちゃうなんて。
だけど、お母さまのケースで教えてもらった抜け道……つまり受取人指定の信託金であれば、指定された受取人しか受け取れない。つまり、配偶者の財産にされてしまうことがない。
もちろん、妻の財産を使い込む夫なんてのはきっといっぱいいるだろうけど。あのゲス野郎だって、もし生きてるうちにお母さまの信託金の存在を知っていたら、間違いなく勝手に使い込んだだろうね。
けれど、信託金はあくまで受取を指定された人の財産だから。妻が受取人であれば、それを勝手に使い込んだ夫を公に訴えることもできちゃうってわけか。
だから万が一のことを考えて……エグムンドさんの提案をもとに、後見人である公爵さまと顧問弁護士であるゲンダッツさんが、事前にこうして正式な契約を用意してくれたんだ。
エグムンドさんがさらに説明してくれる。
「また頭取というのは、商会における地位の名称です。たとえ頭取が実質的にその商会を所有しているのであっても、商会自体は頭取の財産とはみなされません。ですから、今後ゲルトルードお嬢さまがご結婚されても、ゲルトルード商会は配偶者さまの所有になることはございません」
「じゃあ、もしわたくしが結婚しても、ゲルトルード商会を配偶者に取り上げられてしまうことはないし、さらにこの信託金方式であれば、わたくしが商会から得た報酬も配偶者に取り上げられてしまうこともなくなるということですね?」
思わず問い返してしまった私に、エグムンドさんは力強くうなずいてくれた。
「その通りでございます、ゲルトルードお嬢さま」





