31.招かれざる客とかみ合わない会話
もともと我が家を訪れる客なんてものは、ほとんどいなかった。
以前は我が家の大ホールでも夜会が催されていたりしたそうなんだけど、私の記憶にある限りそんなイベントが開催されたことはないし、あのゲス野郎を訪ねてくるのなんて悪徳商人くらいなものだったと思う。
お母さまを訪ねる人も以前はいくらかいたらしいけれど、ゲス野郎が片っ端から門前払いしたとかで、お母さまのお客さまももう何年もやってきたことなどなかった。
だから私は、どこからどう見ても上位貴族のものだとしか思えないその立派な馬車が、すーっと滑らかに車寄せへと入ってくるのを、ただぽかんと眺めてしまった。
玄関前に立っていた私とナリッサの目の前に停まったその馬車は、内側から扉が開いた。御者が扉を開けに降りてこなかったということは、男性が乗っている。
案の定、すっごいイケメンが降りてきた。
私はその顔にまったく見覚えがなく、やっぱりぽかんとしていたら、そのイケメンが馬車の扉を広く開けて恭しく頭を下げた。
あれ? このイケメンがお客さまじゃなくて? えっと、従者?
私が混乱している間に、馬車からはもう1人、男性が降りてきた。
背の高い男性が、私の目の前に立っている。
衣装は黒ずくめで、上着の襟元からのぞくシャツとクラバットだけが白く、そしてそのクラバットに留めてあるピンの青さが目に飛び込んでくる。
そこからさらに視線を上げると、ものすっごく不機嫌そうな顔が目に入った。きりっとしたいかにも男性的な顔立ちの、その直線的な眉が真ん中に寄っちゃって深いしわを刻んでる。青みを帯びたブルネットの髪は短く刈られていて髭はなく、見た目アラサーって感じだ。
そして、本当に不機嫌そうに私を見下ろしてくるその目。
私はやっぱりぽかんとしてた。だってこんな目は見たことがない。まるで宵闇の空のようだと思った。一見黒にも見える深い藍色の瞳の中に、まるで星のようにきらきらといくつもの銀の粒が散っているんだもの。
「クルゼライヒ伯爵家未亡人に取り次いでもらいたいのだが?」
低い声が降ってきた。
私の後ろに控えていたナリッサが、サッと前へ出る。
「お名前を頂戴してもよろしゅうございますでしょうか?」
「エクシュタインだ」
やっと私は、事態が飲み込めた。
エクシュタイン!
我が家の全財産をギャンブルで巻き上げてくれちゃった公爵さま、その人か!
私は思わずナリッサの前に出た。
こんなに威圧的で不機嫌オーラをまき散らしているような人を、お母さまに会わせたくない。それに、いまからお茶をしようと居間にはアデルリーナも居る。アデルリーナだってきっと怯えてしまう。
「エクシュタイン公爵さま、本日はどのようなご用件でしょうか?」
私の問いかけに、公爵閣下はわずかにあごを上げて質問で返す。
「其方は?」
「当家の長女、ゲルトルードです」
「其方が?」
公爵さまの眉が少し上がった。
「このようないで立ちで申し訳ございません」
私は軽く膝を折って礼をする。
そりゃあまあ、伯爵家の令嬢が馬に乗るわけでもなくタウンハウス内でブリーチズなんか履いてたら、ふつうはびっくりするでしょうよ。それにたぶん、地味子の私を一瞥して使用人だと思ってただろうしね。
「引越しの準備のため、動きやすい衣装をまとっております」
「引越しだと?」
いきなり、公爵閣下の不機嫌オーラが倍増した。
そして本当に苦虫をかみつぶすような声で言ったんだ。
「何を言っているのだ? 引越しなど、其方たちにできるわけがないだろう」
は、い?
私は本気で目が点になりそうだった。
ナニ言ってるの、この人? だって、この家から出て行けって言ったのはアナタでしょ? 引越しなどできるわけがない? できようができまいが、私たちにはここから出ていく以外の選択肢なんかない状態にしちゃったご本人が、いったい何を言ってるの?
けれど私の目の前で、エクシュタイン公爵はさも忌々し気に頭を振っている。
「まったく、何がどうなっているのだ? まさか本当に引越しなど……」
「お言葉ですが」
私は本気でムッとしてた。「すでに新居を購入しておりますし、荷物の運び出しも順調に進んでおります」
私は玄関ホールの隅に積まれている衣装箱へ、わざとらしく視線を送る。
公爵さまは私の視線の先をちゃんと追ってくれた。
「荷物? それに新居だと?」
公爵さまが目を見張った。「新居を購入しただと? いったいどうやって?」
私は憤然と答えた。
「ご心配いただかなくとも、公爵さまのご指示通り、わたくしたちが持ち出せるもの以外には一切手を付けておりません」
領地も家屋敷も全部、そっくりそのまま差し出すわよ。見せてもらったギャンブルの証文通りにね。
「待ちなさい」
公爵閣下が思いっきり顔をしかめてる。「きみは何か勘違いしているのではないのか? その新居というのはいったいどこにあるのだ? 誰かに騙されているのではないのか?」
私は本気でムカついてしまっていた。
いくらこっちが女こどもだからって、馬鹿にしすぎじゃない? ちゃんとまっとうな家を、まっとうな手続きで買ったわよ! その購入資金だって、ちゃんとまっとうな方法で手に入れたんだからね!
「購入のさいには弁護士を立て、正式な契約書を交わしております」
「弁護士だと? その弁護士の身元は確かなのか?」
「もちろんです」
公爵さまの眉間のシワは深くなる一方だ。
「しかし新居というのはいったい……」
ああもう、いい加減、人を馬鹿にしてるとしか思えないこの公爵さまとの会話を打ち切りたい。
私はとがった声で言った。
「先ほども申し上げました通り、わたくしたちはわたくしたちが持ち出してもよいと、公爵さまの代理人のかたにご許可いただいたもの以外には手を付けておりません。わたくしたちがどのように新居を購入し、どこで新しい暮らしを始めようが、公爵さまには一切関係のないことでございますので」
「一切関係ないだと?」
公爵閣下の不機嫌オーラがさらに倍増した。
その圧に、私は思わずひるみそうになったけど、なんとか踏ん張った。
「公爵さまが賭け事をなさった相手は当家の前当主でございますので、その当主が亡くなったいま、証文通りに公爵さまが得られたものを手になされば、それ以降はわたくしたちに関わりなどございませんでしょう」
私は、公爵閣下の不思議な色をした目をにらみつけていた。
公爵閣下も私をにらみ返し、けれどすぐに、心底うんざりしたといわんばかりに大きな息を吐きだした。
「……関わりがないなどと、よくもそんなことを」
「事実でございますでしょう?」
この人、いったい何を言いたいの?
ムカつきのあまりすぐさま言葉を返してしまった私に、公爵閣下の不機嫌オーラは最高潮に達した。
「いいから聞きなさい!」
公爵が私に向かって一歩踏み出したその瞬間、私は反射的に身を丸め両腕で頭を覆った。
打たれる!
怒気をまとった貴族男性の目の前で、私が思ったことはただそれだけだった。





