315.基本的人権が存在しない世界で
本日1話更新です。
今日の報告を終え、私はお母さまと一緒に居間を出て、それぞれ自分の寝室に入った。
私の寝室は、いまはリーナと共用しているので、室内にふたつあるベッドのうちひとつではすでにリーナが眠っている。
今日は1日リーナの声を聞いてない。
うぅぅ、お姉さまとしてはかわいいかわいいかわいい妹成分を摂取できなくて悲しいよ。明日も……どうだろうなあ、明後日からのお休みではゆっくりリーナともお話しできるかなあ。
私はナリッサに手伝ってもらって、手早くお風呂を済ませて寝間着に着替え、自分のベッドにもぐりこんだ。
でも、今日もやっぱり目がさえちゃって眠れない。
毎日毎日、ホントに次から次へと問題が発覚しちゃって、振り回されちゃってる状態だもん。体は疲れ切ってるのに考えなきゃいけないことも多いし、ホントにぐっすり眠るんじゃなくて、ぐったり眠ってるって感じよ……。
お母さまにも、今日は私の固有魔力の話はせずに済ませちゃったし……いずれは、ちゃんと話をしないとダメなんだけどねえ。
そういう、いますぐ話せないことだけじゃなく、話したいけど話せていないことも結構ある。精霊ちゃんのこととか、それに九九の表のこととかも、お母さまには話したいんだけど。
うん、私が秋試験で学年三席だったことは、とりあえず黙っておくけどね。
それに、魔物討伐に関しても、あの惨敗お茶会の内容については、お母さまへの報告では端折っちゃったし。だってこれもねえ……私に対して、学院入学前に子どものお茶会の経験をさせてやれなかったからだって、お母さまは気に病んでしまいそうなんだもん。
あのお茶会の内容だと、令嬢同士の会話どうこうっていうより、私が自分の領地について完全に無知だったせいなんだけどね。ただまあ、そうであっても、私が領主教育をまったく受けていないこととか、やっぱりお母さまにとってはよくない記憶がセットになってるから。
ああ、でもそうなると、九九の表もビミョーだな。アレについても、私が計算器具を与えてもらえなかったから、ってことにしちゃってるんで。
ほかにも、乗馬の話もダメっぽいわ。馬に魔力を通す必要があることだって、お母さまは自分が教えていなければいけなかったのにって、絶対思っちゃうはず。それに、私は専用の馬も馬具も用意してもらってなかったから……実際、伯爵家以上で自分の馬や馬具、特に自分の馬具を持ち込んでなかった生徒ってたぶん、学年で私だけだったと思う。
ダンスの授業だって……私が制服でダンスの授業を受けてるって知ったら、お母さまは絶対気にしちゃうよねえ。これもまた、上位貴族家の令嬢で制服のままダンスの授業を受けてるのは、やっぱり学年で私だけっぽいもんなあ。下位貴族家のご令嬢だと、ふつうに制服で授業を受けてるんだけどねえ。
ホント、こうなると我が家ではなく公爵さまのタウンハウス、それも身内だけの居間でいろいろと相談させてもらえるっていうことが、しみじみとありがたい。
私の帰宅が遅くなることでお母さまにはいろいろ心配させちゃうけど……それでも、お母さまがまた心のバランスを崩してしまうほどに自分を追い詰めてしまうよりは、全然いいと思うから。
ただ……公爵さまも、ちょっと心配。
だってね、もう間違いなく、公爵さまも子どもの頃から言われ続けてきたんだと思うの。自分の親から、自分をとことん否定されちゃうような言葉を、それも日常的に。
あのとき、私はお母さまが言われていたに違いない否定の言葉を並べたわけだけど、公爵さまはすぐに気が付いたんだよね。同じようなことを、娘の私も言われていたんじゃないか、って。
それはやっぱり、公爵さま自身がそうだったので、ってことだと思うの。
公爵さまは特にああいう、女性的な部分があるから……そういうところを、たぶん強く否定されてたんだろうなって、簡単に想像がついちゃう。
たとえば、男のくせに女々しいだとか、男のくせに意気地がないとか……ドレスや服飾品に興味があることも、きっと否定されまくってたんだろうな。男のくせに気持ちが悪いだとか、露骨な嫌悪感をぶつけられたりしてたんじゃないだろうか。
その上で、なんでお前みたいなのが跡継ぎなんだとか、なんのために息子を作ったと思ってるんだとか、公爵さまの存在そのものを否定するようなことも口にしてたんじゃないかと思う。
そりゃもう、父親が亡くなって清々したって、公爵さま自身が言ってたくらいだもん。
家の中で、本来なら養母になるはずの人から命を狙われ続け、父親からは自分の在り方を否定され続けて……あんなに頼りになるお姉さまが2人いてくれたとしても、子どもが育つ環境としては劣悪どころの話じゃないよ。
地位も財産もあるお家だから貧困からは遠いといっても、別の理由でろくにごはんも食べられない状況だったんだからね、子どもにとっては幸せからはかけ離れ過ぎてる。
だいたい、公爵さまは私と違って、別の人生を生きた大人としての記憶なんてものがあるわけでもないんだし、そりゃあ大変だっただろうって、いまだって苦しんでるんじゃないかって思っちゃうんだよね……。
私は人生、二周目だからねえ。
前世での経験や記憶が、自分を……自分の心を護るために、いろいろと役に立ってる。
だって、私ははっきりと理解してるもの。
人が持って生まれた個性に、良いも悪いもない。
ましてや、人の個性に対して正しいとか間違ってるとか、そんな勝手な判断を下す権利がある人なんて、誰もいないんだ、って。
たとえそれが、血のつながった誰かであろうとも。
だいたい、性格って病気じゃないから一生治らないんだってば。
それを、善意だろうが悪意だろうが『矯正』してやろうだなんて、考えるだけ無駄。
それがわかってるから、私はあのゲス野郎にどれだけ暴言を浴びせかけられても心が折れるようなことはなかった。
いや、もちろん暴言を浴びせかけられて否定されて、私だって傷つかないわけじゃないけどね。それでも相手の幼稚さや浅ましさがはっきり見えていたぶん、冷静でいられた。
まあね、私も前世では、そういうことがちゃんと理解できるようになるまでは、やっぱいろいろとしんどかったからねえ。
ホンット、自分の子どもが自分の期待したとおりの個性じゃなかったからって、それを否定して『矯正』したがる親のなんと多いことか。またそれを、そうやって『矯正』してやることを、親にとって当然の権利だと思い込んでるだけでなく、むしろいいことなんだと思い込んでたりするし。
子どもはみんな、明るく元気でかわいげがないとダメだなんて、誰がどんな権利のもとに決めたの?
女の子は勉強なんて特にできなくてもいいから、素直で明るくて愛想がよくて親の言うことはなんでもハイハイって聞くのでなければダメだとかさ。
悪かったわね、私は前世でも気が強くて理屈っぽくってかわいげなんかカケラもない女の子だったわよ。
いや、ただもう自分が気に入らないからってだけで、自分以外の誰かを自分の思い通りにしようとすることがどれほど傲慢で醜悪なことなのかわかってない人が、前世でも多すぎたわ。
そんでもって今世では、それが公に認められちゃってるっていうのがねえ……。
妻は夫の、娘は父親の所有物である、ってことが実際に認められちゃってるんだもの。女性には爵位はおろか、財産の保有さえも認めないって、ホンットにどういうことよ、だわ。
自分にとって都合のいい権利を与えられた側は、当然その権利を使いまくる。そして自分にとって不利益でしかない法を強いられた側は、どれだけ理不尽な扱いを受けてもそれが『正しい』ことにされてしまう。
『正しさの暴力』をふるう連中って、ホンットに見境ないからね。自分は正しい、これは正義なんだって、何に対しても堂々と思い込んじゃうから。
だから娘だけでなく息子に対しても、自分がちょっとでも気に入らなかったら平気で否定するんだよ。それこそ、固有魔力がないからってだけで廃嫡したり。
別に固有魔力なんかなくったって、それを理由に領主になってはいけないなんて法はないんだよね? レオさまは、固有魔力がないことなんかでリドさまを廃嫡する気なんてまったくないっていうことを言われていたし。
でも、都合のいい権利を与えられた側は、なんでも自分に都合がいいようにどんどん拡大解釈していっちゃうんだ。しかもその拡大解釈さえ、『正しい』ことであるかのように、本人だけでなく周りも思い込まされてしまう。
公爵さまだって、そもそもその生まれ自体が、入り婿だった先代当主がやらかした、爵位持ち娘である正妻に対するほとんど嫌がらせとしか思えないことだったわけでしょ。公爵さまは生まれた瞬間から、命を狙われちゃうほどのマイナスな要素を押し付けられちゃってるのよ。
もうその時点で、ナニやってくれちゃってんだ先代当主! って状況なのに、そういう身勝手な理由で作った息子が自分の期待したような息子じゃなかったからって否定して虐待するとか……ホンットに想像するだけで、怒りで胸がむかむかしてくる。
ああもう、基本的人権が存在しない世界が、こんなにしんどいとは。
私にとって当たり前であることが当たり前ではない、それはもう自分が異世界に転生したと理解した時点で、十分に考えたはずなんだけどねえ。私の前世の価値観はまず通用しないだろうと思ったし、むしろ自分の前世の価値観をこの世界に持ち込むべきじゃないって考えてた。違う世界の記憶を持つ私は、この世界の異分子だから。
でもね、腹立つもんは腹立つのよー!
私は転生するときに、どこかの神様に会って転生の説明を受けてチート能力を授かったとか、そういうことはまったく記憶にないからね。自分が知ってるゲームの世界と酷似してるとか、そんなこともまったくないし。
一応、この世界の支配者階級側に生まれたっていっても、私は単なるモブだろうなとしか思ってなくて……とにかくお母さまとリーナを守らなきゃって、本当にそれしか考えてなかった。
それも、誰から守るかっていったら、目の前には具体的にあのゲス野郎がいたからね。
そのゲス野郎が死んでくれて、その後始末がいっぱい出てきて、それだけじゃなくて我が家と似たような状況に置かれている女性が実はたくさんいるらしいってことがわかってきて……なんかもう、誰からっていうか、何から家族を守らなきゃいけないの、っていう状況になってきちゃってるんだよ。
このままどんどん自分と、自分の家族だけの問題じゃなくなっていっちゃったら……いったい私はどうすればいいんだろう?
どうすればいいのか……その答えを、私は自分で出さなきゃいけないのかなあ……。





