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没落伯爵令嬢は家族を養いたい  作者: ミコタにう


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30.もしかして売れちゃうの?

「もしお時間が許せば、こちらのスカートの裾に刺繍を入れさせていただきますのに」

 リヒャルト弟が、心底残念そうに言った。

 ナリッサもシエラもシンプルなドレスを選んじゃったもんだから、レースの襟やリボンを追加しただけでは伯爵家なんて上位貴族の侍女服として物足りないらしい。


 シエラが見本の黒いドレスの裾を手にして言う。

「もし刺繍糸をご用意いただけるのであれば、私が仕事の後に少しずつ刺繍することもできますが……」

「シエラは刺繍もできるの?」

 私の問いかけにシエラはうなずく。

「あまり難しいものはできませんが、基本のステッチは刺せますので」

「でも、仕事の後に刺繍するなんて、大変でしょう?」


 ヨアンナが来てくれるかどうかまだわからないし、侍女2人で私たち3人の世話をするのってかなり大変だと思う。

 しかも学院の授業が再開すれば、ナリッサは私と一緒に登院する。日中在宅する侍女はシエラだけになってしまう。そんな状況で仕事の合間に刺繍をしてもらう余裕なんてないし、仕事の後に刺繍してもらうのは申し訳ない。


「少しずつでしたら、それほど負担ではないと思います」

 シエラはそう答えてくれたけど、お母さまも懸念を示した。

「いいえ、無理は禁物ですよ。貴女の気持ちは嬉しいですけれど、それでなくてもシエラはまだ侍女の仕事に慣れていないのだし」

 ナリッサもうなずく。

「奥さまのおっしゃる通りです。シエラにはこれから覚えてもらうことがたくさんありますから」

 そう言われてしまえば、シエラもそれ以上は何も言えない。


 そのとき、私はふとひらめいた。

「そうだわ、細いモールを使ってみるというのはどうかしら?」

「モール、で、ございますか?」

 問いかけてきたリヒャルト弟に、私はうなずいた。

「ええ、お祖母さまの軍服にあるようなモールの装飾を、もう少し繊細な感じにしてみるといいのではなくて?」

 私はシエラに頼んで、お母さまの衣裳部屋から軍服を持ってきてもらった。


 お祖母さまの軍服はいわゆる肋骨デザインで、前身ごろにずらっと太いモールのブレードが並んでいる。私はその肋骨デザインの前身ごろではなく、袖口を示した。

 袖口にも、身ごろよりはだいぶ細めのモールが何本かぐるりと縫い付けてあるんだ。

「これよりもさらに細いモール……コードかしらね、それか細いリボンを装飾的に縫い付けるといいと思うの」


 私はヨーゼフに頼んで紙とペンを持ってきてもらった。正直あんまり絵心はないんだけど、簡単な絵を描いてみせる。

「スカートの裾に、こういう感じでところどころくるっと、そうね、蔓草みたいな模様を描きながら縫い付けていけば……刺繍を刺していくより簡単ではなくて?」

 本当に簡単な絵を描きながら、私はさらに思い付きを言った。

「わたくしの学院の制服の襟にも、ちょっとこういう細いコードかリボンの飾りを付けてもいいかもしれないわ」


 貴族のための王都中央学院の制服は、黒いドレスに白い大きな襟と白いカフス、それに白いアンダースカートを組み合わせたシンプルなデザインになっている。

 貴族といえども学生のうちはあまり華美に着飾らないようにという配慮だということなんだけど、襟とカフス、アンダースカートはアレンジが認められている。だから上位貴族の令嬢であれば、レースやフリルを付け加えたり、華やかな刺繍を施したりしてるんだよね。ベースが白であれば、結構派手なアレンジもOKらしい。

 私はなんの飾り気もない真っ白なまんまで着ているんだけど、襟くらいはちょっと何かデザインを加えたほうがいいかなとは思ってたの。一応伯爵令嬢だからねえ。


 私はちょいちょいと襟の形を描き、コードの線を描き加えていく。前世の日本では中学生のときセーラー服を着ていたのでイメージしやすい。そこにちょっと装飾を加えるべく、襟の角のところでくるんと丸を3つ加え、さらに小さな花の模様のようなものも描いてみる。

「コードかリボンを縫い付けて、そこにこうやって刺繍やビーズなどを少し足せば、ちょっとしゃれた感じになると思うのよ」


「ゲルトルードお嬢さま」

 私の手元をじっと食い入るように見つめていたリヒャルト弟が、いつになく真剣な声を出した。

「これらの意匠を、私どもで買い取らせていただくことは、可能でございましょうか?」

「へっ?」

 思わず間抜けな声を私はもらしちゃったんだけど、リヒャルト弟は真剣そのものだ。いや、ロベルト兄もなんだかギラギラした目で私の描いた適当な絵を見つめている。


「これは本当に素晴らしいです」

 リヒャルト弟は唸るように言った。「モール、いえコードにこのような使い方ができるとは。私どもでは、モールは太く編んでブレードにし、胸や腹を守るために軍服に縫い付ける補強材としての機能が最優先で、装飾的な意匠にするという考えがございませんでした。ブレードの色や形は階級を示すためのものですし、実際に軍服をお召しになるかたはたいてい装飾があると邪魔になるとおっしゃいますし」


 あ、肋骨デザインの軍服ってそういう目的だったんだ?

 むしろ私はびっくりしちゃったんだけど、言われてみれば確かに理にかなってる気がする。あれだけずらっと、しっかり編み込まれた太いモールが縫い付けてあれば、刀で切りつけられてもスパッとは切れないよね?

 っていうことは、袖口のこのモールも手首を保護するためのものってことか。


「コードや細いリボンを縫い付けていくだけという手軽さで、襟でも裾でも華やかさを加えることができるとは」

「しかもビーズを加えるなど、簡単に変化をつけることもできますね」

「従来の刺繍よりよほど素早く仕上げることができますよ」

「それも間違いなく、すべて刺繍にするよりずっと安価で承れます」

「いや、極細レースのリボンに玉石のビーズなど、使う素材を工夫すれば、従来の刺繍よりもっと豪華に仕上げることができるのでは」

 ものすごい熱心さで、ツェルニック兄弟が口々に言う。

 そして兄弟そろって深々と頭を下げた。

「ぜひ、この意匠を私どもツェルニック商会に買い取らせてくださいませ!」


 なんかもう意味がわかんなくてあっけに取られちゃってる私に、シエラが教えてくれた。

「ゲルトルードお嬢さま、刺繍やレース編みでは、独特の模様や編み方をそれぞれの工房や商会が意匠登録しているのです。ほかの工房や商会がその意匠を使う場合、使用料を支払わなければならないのです」

 なんと、この世界にも著作権みたいなものがあるんだ?

 あっ、だからリヒャルト弟はお母さまの衣裳部屋で、刺繍を見たとたんどこの工房であつらえたドレスなのかがわかったのか。


「差し出口でございますが」

 口をはさんだのはナリッサだった。「この意匠をそちらにお買取りいただく場合、商業ギルドに仲立ちを依頼してもよろしいでしょうか?」

「もちろんでございます!」

 即答したリヒャルト弟に続きロベルト兄も言う。

「意匠登録自体、商業ギルドで行うものですし、ご当家で弁護士をお立ていただき正式な契約書をご用意いただければと存じます」


 本当に、めちゃくちゃマジな話らしい。

 私は思わずお母さまの顔を見ちゃったんだけど、お母さまはほほ笑んでうなずいた。

「ルーディ、買い取っていただいていいのではなくて? 詳しいことは顧問弁護士のゲンダッツさんに相談すればいいでしょうし」


 私は前世で、著作権についても多少は扱ったことがある。でも著作権より肖像権を扱うほうが多かったし、そもそもその権利自体の売買についてはさっぱりわからない。いったい、いくらくらいになるものなんだろう?


 わからないながらも、私もうなずいた。

「わかりました。買い取っていただく方向で、まずは我が家の顧問弁護士に相談してみましょう」

「ありがとうございます!」

 兄弟の声がきれいに重なった。



「お恥ずかしながら私ども商会では、いまだ自前の服飾工房を構えられておりませんで」

 玄関へと一緒に向かう私に、ロベルト兄が言った。

「けれどゲルトルードお嬢さまが考案されたあの意匠であれば、お仕立て直しに加えるだけで新しいお衣裳として販売することができます」


 ツェルニック商会は、兄弟の両親が始めた古着屋を発展させたものだという。宝飾品を扱うようになったことで貴族との取引も始まり、貴族から買い取った服飾品を仕立て直して販売することが、いまは服飾部門のメインになっているらしい。

「私どもに意匠買い取りをさせていただければ、必ずや新しい流行として広く売り出させていただきますので」

「ええ、期待していますね」

 私は笑顔でツェルニック商会を送り出した。


 けれど、彼らの乗る馬車と入れ違いのように我が家の門に入ってきた立派な紋章付き馬車に、私はなんだか間が抜けたように目を見張ってしまった。


嵐を呼ぶ誰かさんがやってきた!w 次回からしばらく怒涛の展開が続きます。

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