297.開いた口が塞がらない
遅くなりましたが本日1話更新です。
「今回のブーンスゲルヒ侯爵家への厳しい処罰は、ほかの増長している貴族家へのけん制の意味もあるのよ」
公爵さまが説明してくれる。「それにもちろん、ルーディちゃんがすでに王家の保護を受けていることを示す意味合いもありますからね。今回の処罰が公になれば、他の貴族家もルーディちゃんに対して何か事を起こすには慎重にならざるを得なくなるでしょう」
その言葉に、その場の誰もがホッとした顔になっちゃった。
「本当によろしゅうございましたわ」
「ええ、我々にとっても、かなりいい形で決着がつきそうです」
マルレーネさんの言葉にアーティバルトさんとトラヴィスさんがうなずいてる。
「それでは次に……そうだったわ、あの計算の表についてよね」
はいはい、九九の表についても陛下に確認してくださるってお話でしたよね。
私は思わず身を乗り出しちゃう。
いやもう、ドラガンくんがめちゃくちゃ食いついてくれてるので、そっちも早めになんとかしてほしいと思ってたの。
だけど公爵さまは、ちょっと眉間にシワを寄せちゃってる。
「陛下はもちろん、あのような有益な教材はどんどん、それこそ平民であっても使わせるべきだとおっしゃってくださったの」
じゃあなんで、公爵さまの眉間にシワが寄っちゃってるんですか?
という私の疑問に、公爵さまは続けて答えてくれた。
「ただね、たとえば学院においても、いっせいに算術の授業に取り入れるといったことは、現時点では難しいだろうともお考えだったわ」
「それは、なぜですか?」
なんかもう目をぱちくりしちゃって、私は素朴に質問してしまった。
だって、ただもう丸暗記すればいいだけの表1枚だよ?
それを貴族の学校で教材として使えば、確実に貴族全体の計算能力の底上げになると思うんだけど。それから平民にも広げていけば、国民全体の計算能力が底上げできるでしょ?
いや、冗談抜きで九九の表にはそれくらいの威力はあるよ? 私の前世での日本が、そうだったんだもの。
公爵さまは、深々とため息を吐いて教えてくれた。
「いっせいに導入し、生徒全員にあの表を使って勉強させることに反対する連中が、確実にいそうだからよ。貴族の中には算術というか計算……そうね、もっとはっきりと言うと、お金の計算を自らが行うのは卑しいことだと言い張っている者が、それなりに居るのよね」
「はへ?」
思いっきり変な声が出ちゃった。
私はもう素で、本当に素の状態で訊いちゃったわ。
「あの、お金の計算を自らがするのは卑しいって……それでいったいどうやって、領地の経営をするというのですか? そもそも、タウンハウスでの家計だって……」
「裕福であればあくせく細かいお金の計算など必要ない、つまり、あくせく細かいお金の計算をする貴族などというのは貧しくて卑しいからだ、というのが言い分のようね」
うんざりと公爵さまが答えてくれたけど……いや、いやいや、裕福であればこそ、きっちりお金の計算はしなきゃダメでしょ?
ええっと、この国って貨幣経済だよね?
国内だけでなく諸外国とも貨幣でモノの売買をしてるよね?
領地から国への納税だって、米とか麦とかを納めるんじゃなくお金で納めてるんだよね?
つまり貨幣、お金っていう資本をがっつり握ってる人が、実質的な社会的権力を握れちゃうっていう経済構造なんだよね?
それでなんで、お金の計算が卑しいの?
私なんて、ここんとこもうずっと生活のためにお金の計算しかしてませんけど?
「もちろん『賢い貴族』は、自らきちんと収支を計算して領地経営をしているわ」
公爵さまが言う。「けれど、そうやって卑しいだのなんだの御託を並べて自らの怠慢を棚に上げて、まともに領地経営をしていない領地持ち貴族も多いのが実情なのよ。そういう連中は、明確に収支を出さないことで、のらりくらりと納税から逃れようとするの。裏帳簿を作っていたブーンスゲルヒ侯爵家はある意味立派ね。陛下も本当に苦労されているわ」
ちょ、ちょっと待って、そんなことしてたら冗談抜きで国が亡ぶんじゃないの?
だって国の税収の問題はもちろん、領主がまともに領地経営をしてないって……そこで暮らす領民はいったいどうなってるの? ちゃんと生活できてるの?
領民にどんどんしわ寄せがいっちゃって、人々の生活が圧迫されてっちゃったら、国ってどんどん荒れてっちゃうでしょ?
そんなの、政治のド素人の私にだって簡単に想像がつくことなんですけど?
いや、でも、あのDV確実クズ野郎の侯爵家だって長年にわたって脱税してて……だけど領地の経営状況が良くないから、豊かな領地を持ってる爵位持ち娘の私に目をつけた、っていう話じゃなかったっけ?
それに我が家だって、ベアトリスお祖母さまが亡くなってあのゲス野郎が実権を握ったとたん、税をいっさい国に納めなくなったって、公爵さま言ってなかったっけ?
だから……公爵さまはおそらく陛下というか国からの依頼によって、あのゲス野郎から一時的に領地と財産を取り上げるために、博打で身ぐるみを剥いだと考えて間違いなさそうなんだよね。
ってことは、マジか。
マジでそんなことがまかり通っちゃってるのか、この国は。
領地の経営どころか、まともにお金の計算すらしない、計算もできないような連中が領主なんて地位に座っていられるのか。
しかも、それを是正しようにも博打で身ぐるみを剥ぐなんていう、きわどい方法しかとれない状況だってことだよね?
そりゃもう……長年の内乱で国が疲弊しちゃって、20年経っても経済が回復しないって……ある意味当然じゃないの。
まさか九九の表1枚で、こんな壮大な話になるとは……。
私はもうずっと自分の家の中のことしか知らなかったから、我が家は特殊なんだと思ってた。
でも……もしかしたら、我が家は多少極端ではあったけれど特殊ではなかったのかもしれない。
なんだかもう、この国は……根っこの部分がすでに腐っちゃってるんじゃないか、とすら……思えてきちゃうんだけど。
これってもう遠い目になるというより、完全に目が据わっちゃうよ、って気分だわ。
公爵さまも、心底うんざりと言ってくれちゃう。
「そういう自らの怠慢を卑しいだのなんだの御託を並べてごまかしている連中は、自らの利権を守ることにだけは敏いのよね。あのように良くできた教材を使うことで計算が得意な貴族が増えてしまえば、自分たちが怠慢をしてろくに収益が上がっていないことや、収支をごまかしていることが明らかになってしまうかもしれない……ということには、すぐ気がつくのよ。だから、あの教材を導入することに反対する輩が、まず間違いなく出てきそうだということ」
開いた口が塞がらないって、本当にこういうことだよね?
なんで特権地位にいる者としての義務も果たさず責任も負わず努力もせず、なんで真面目に努力しようとする人を蹴落とす方向にしかいかないんだよ。
そもそも、貴族が自らお金の計算をするのが卑しい?
じゃあ、そういう卑しい行為は下々の者に押し付けてるの?
でもその下々の者である平民には変な知恵をつけるなとか言って、彼らが読み書き計算の教育を受けることすら妨害してるんだよね?
自分がやってることの意味、わかってる?
公爵さまも深々と息を吐いちゃってる。
「もちろん陛下は、そのような状況を憂えていろいろな方策を講じていらっしゃるのよ。あの計算の表も、いっせいに教材として使うことはいまの段階では難しくても、何かの方法で教材として使えないか、学院の教師たちと相談するとおっしゃってくださって」
「それでしたら、ファーレンドルフ先生……1年生の算術を担当されているカルヴァン・ファーレンドルフ先生にご相談いただけないでしょうか?」
言い出した私に、公爵さまは眉を上げてる。
「ファーレンドルフ先生は、わたくしが計算器具も使わずに暗算ですぐ計算できてしまうことに非常に興味をお持ちです。それにファーレンドルフ先生が担当されている算術選抜クラスであれば、算術に熱心に取り組んでいる生徒が集まっていますから、まず彼らにあの表を使ってもらってその有用性を実感してもらえばいいのではないかと」
「算術選抜クラス?」
「はい」
私はうなずく。「秋試験で上位の成績を収めた生徒だけが選択できる、全学年共通クラスです。本日お話しましたヴェルツェ子爵家のご姉弟も、そろってファーレンドルフ先生の算術選抜クラスに入られました。それにキッテンバウム宮廷伯爵家のご嫡男であるペテルヴァンスさまも、その選抜クラスにいらっしゃいます」
「つまり、特に算術にすぐれた生徒が集められているということですね。いまはそういうクラスがあるんだ」
アーティバルトさんが感心したように言ってきたので、私はやっぱりうなずいた。
「はい、通常の授業とは違い、生徒が自ら研究をし、生徒同士で議論を重ねることに主眼をおかれているクラスであることを、ファーレンドルフ先生は説明をしてくださいました」
「と、言うことは、ルーディちゃんも、その算術選抜クラスに入ったのね?」
にこやか~に公爵さまが問いかけてくれちゃいました。
ええ、はい、わかってます。
私、自分でまた墓穴を掘りました。
いいの、いまは自分でわかってて掘ったから。
「そうです」
って、私もにこやか~に、公爵さまに対して笑顔の応酬をしちゃったわよ。
「まあまあ、ではゲルトルードお嬢さまも算術の試験ではすばらしい成績を修められましたのね。さすがでいらっしゃいますわ!」
マルレーネさん、そんな邪気のカケラもないような笑顔で言い出さないでください。公爵さまの笑顔がとってもうさんくさくなってきました。
「ルーディちゃんのことですもの、やはり算術は首席だったのかしら?」
「そうです」
ええもう、はっきりうなずきましたよ、私は。だって、コレについてはお母さまにもリーナにもすでに自己申告しちゃってるし。
私はさらなる突っ込みというか、ほかの科目はどうだったのかなんていう問いかけが来る前に、さくっと話を続けちゃう。
「ヴェルツェ子爵家ご令息のドラガンさまもわたくしが計算道具を使わずに計算してしまうことに非常に興味を示してくださいましたし、ぜひその秘訣を教えてほしいとまで言われていまして、本日はあの表については詳しく説明することは避けたのですがあの表をお渡しすればドラガンさまなら、それにキッテンバウム宮廷伯爵家のペテルヴァンスさまも熱心に取り組んでくださることは間違いありません。さらにほかにも算術に優れた生徒がそのクラスには在籍しているとお聞きしていますので、まずはそのクラスであの表を使っていただきそこから学院全体へ広げていくという方向がよろしいのではございませんでしょうか?」
すいません、めっちゃ早口で言いまくってしまいました。





