283.ホントにいろんな意味ですごい
遅い時間になってしまいましたが、今日も1話更新です。
「初めまして、ヴィールバルト・フォイズナーさま。クルゼライヒ伯爵家のゲルトルード・オルデベルグです。本日はお会いできることを楽しみにしておりました」
って、私はにっこり笑顔でご挨拶を返した。
でも精霊ちゃんは、なんかこうもじもじと落ち着きのないようすで、そこから会話が続かない。てか、ちゃんと私と目を合わせてほしいんですけどー。
見かねたのかどうなのか、公爵さまが口を開いた。
「久しいな、ヴィールバルト。息災であったか?」
「あっ、閣下!」
いま気がつきましたとばかりに、精霊ちゃんがパッと公爵さまに顔を向けた。
「あ、あの、はい、えっと、私は元気にしています。閣下はいかがですか?」
すごい。
マジですごいぞ。会話が小学生レベルだわ。
だけどとっても嬉しそうで、公爵さまにはすっごくなついてるんだなって感じがダダ漏れしてるよ、精霊ちゃん。
そうか、彼は中央学院に入学以来、高等学院を卒業するまでずっと公爵邸に下宿させてもらってたって、ヒューバルトさんが言ってたもんね。
そのとき、私は自分の背後で人が動く気配を感じた。
どうやらナリッサも、いままで完全に固まってたらしい。
うん、まあ、この精霊ちゃんのすさまじいまでの美貌をいきなり目の当たりにしちゃうと、完全に思考も動作も停止しちゃうよねえ。
いや、あのアーティバルトさんのイケメン圧にも、ヒューバルトさんのばらまきフェロモンにもまったく屈しなかったナリッサであっても、それはもうふつうの反応だと思う。その場にひれ伏してしまったり、オーバーヒートしてぶっ倒れたりしなかっただけでも偉いよ。
イケメン耐性がめちゃ高いとはっきり自覚してる私でさえ、完全に固まったレベルなんだもん。
でもさすがに公爵さまは、精霊ちゃんの美貌にも小学生レベルな会話にも慣れているようで、眉間にシワ状態ながらもちゃんと続けてあげてる。
「うむ、私も変わりない。先日、其方が作ったあの布の試作品をアーティバルトから見せてもらったが、すばらしい製品になりそうだな」
「はい! あの、あの布は、本当にすばらしくて……」
精霊ちゃん、めちゃくちゃ嬉しそうです。そんでもって、ダーッと奥へと走っていって、あの布を持ってきた。
「兄から教えてもらった、状態保存の魔術を付与した試作品も作ってみました!」
早っ!
精霊ちゃんってば、もう状態保存効果のある試作品も作っちゃったんだ?
思わず目を見張っちゃった私を、精霊ちゃんはちらちらと落ち着きなく見てくる。
「それで、あの、試作用にといただいていた、あの布がもう、なくなってしまって……」
「ヴィールバルト、そういうときはどうすればいいのかな?」
と、アーティバルトお兄ちゃんから教育的指導が入りました。
「ゲルトルード嬢は大丈夫だから。ほら、お前を見てもいきなり倒れたりされてないだろう? それに、話もちゃんと聞いてくださるから」
ああああ……なんつーか、精霊ちゃんの苦労がしのばれるよ……。
そうだよね、こんな超絶美貌を間近で見ちゃったら、冗談抜きでぶっ倒れる女子続出だよ。そこで耐えても、見惚れすぎて完全に上の空になっちゃって話もできない女子も多いだろうし。
いや、男子っつーか男性でも、精霊ちゃんのこの美貌に見惚れちゃって話がまったく頭に入ってこないって人、結構いるんじゃないかな。
精霊ちゃんの会話スキルが小学生レベルなのって、その辺もかなり影響してそうだよねえ……。
ええ、私はアーティバルトお兄ちゃんが言う通り大丈夫ですよー、とばかりに、またにっこりしてみせてあげた。
精霊ちゃんはアーティバルトお兄ちゃんに両肩をガシッとつかまれ、私のほうへ強制的に向かされちゃってる。その状態で落ち着きなく視線を泳がせてたんだけど、覚悟を決めたらしい。
「あ、あの、ゲルトルード嬢、その、この布は、本当にすばらしくて……蜜蝋があれば作れると、兄から聞きました。ですからあの、作り方を……僕にも教えていただけないでしょう、か?」
うん、精霊ちゃん、よく頑張りました。
そんでやっぱり、素が出ると一人称は『僕』なのね。
ホンットにこのすさまじい美貌でこのかわいげって、反則どころの話じゃないよねえ。
「はい、アーティバルトさんからわたくしもうかがっています。今日は、あの布を作るために必要な材料を持参いたしました」
私は制服のポケットに手を入れ、公爵さまからお借りしている収納魔道具を取り出した。
あっと、取り出したのはいいけど、布や蜜蝋やセイカロ油を広げる場所が……と、私は本や書類がどっさり積み上げられまくってる机の上を見ちゃった。
「ゲルトルード嬢、こちらにお願いします」
にこやかにアーティバルトお兄ちゃんがそう言って、その机の上の本や書類の山をガサーッと、思いっきり雑に力任せに押しのけた。
おいおい、床の上に雪崩をうって落ちまくってますが、いいんですかい?
でも精霊ちゃんはもちろん、公爵さまもまったく気にしてないごようすですわ。
だからもう、私も気にしないことにした。
「それでは、こちらにお出ししますね。布を何種類かと、蜜蝋、それにセイカロ油です」
私は収納魔道具から、シエラが用意してくれた蜜蝋布キットを出していく。
今回の布は、平織りの綿生地だけでなく、薄いモスリンや厚手のキャンバス地のようなものもシエラは用意してくれていた。
「このお鍋に入った蜜蝋を溶かすための焜炉が必要です。それに塗布した蜜蝋とセイカロ油をしっかり布になじませるために、ほんの少し加熱する必要がありますので、天火も使用します」
さすが我が家の使用人は優秀なので、もう削った蜜蝋が入った状態の小鍋をそのまんま用意してくれてるのよ。
「あっ、焜炉と天火はこちらにあります!」
精霊ちゃんがパッと身をひるがえし、私もアーティバルトさんに促されてその後に続いた。机の上に出したばかりの蜜蝋布キットは、ナリッサとアーティバルトさんが運んでくれる。もちろん、公爵さまも一緒に移動してる。
案内された奥の部屋には、見るからに実験用ですっていう感じの二口焜炉と、それに小型の天火もあった。側には水道や流し台もあるんだけど、ホントに厨房じゃなくて理科の実験室って感じなのよね。
私が収納魔道具からエプロンを取り出すと、ナリッサが着せてくれた。それに制服の袖口もまくり上げてくれて、準備完了だ。
「では、焜炉と天火の確認をさせていただきますね」
小型の天火なので、あまり大きな布は入れられなさそう。天パンも……うーん、なんかちょっと汚れてるなー。薬品でもこぼしたんじゃないだろうか。先に洗ったほうがいいよね?
「こちらの天パンを使用したいのですが、洗っても構いませんか?」
私は振り向いて精霊ちゃんに問いかけたんだけど、その精霊ちゃんはなんかぽかーんとしてる。
「ヴィールバルトさま?」
呼びかけると、精霊ちゃんは慌ててまたわたわたと両手を動かした。
「あっ、あの、ゲルトルード嬢が、ご本人が、作ってみせてくださるのですか?」
「はい」
どうやら精霊ちゃんは、私は指示をするだけで侍女のナリッサが作るのだと思ってたらしい。
そうか、まあ、そうだよね。ふつうは、伯爵家の令嬢が自らエプロン着けて焜炉や天火の前に立つってなさそうだもんね。
「わたくしが自分で考案した品ですから、わたくしが実際に作るところをお見せしたほうがいいと思いまして」
「ヴィールバルト」
再びアーティバルトお兄ちゃんの教育的指導が入る。「ゲルトルード嬢にお任せしなさい。彼女はご自分でよくお料理もされるし、道具の扱いも慣れておられるからね」
ええ、むしろナリッサに任せたらちょっとした惨事になりそうなんで。ナリッサ、実はいろいろと不器用だから。慣れてる私がするほうがいいんです。
「では、こちらのお道具を使わせていただきますね」
私はにっこり笑ってみせてから、ナリッサに手伝ってもらって天パンを洗い、天火の予熱を開始する。シエラが用意してくれた蜜蝋布キット、ちゃんと布巾まで入ってるのがありがたい。
「布に塗布した蜜蝋をまんべんなくしみ込ませるだけですので、低温でごく短い時間だけ加熱します」
天火の温度設定を低めにセットし、次に私は削った蜜蝋の入った小鍋を見せる。
「塊のままの蜜蝋だと溶けにくく、溶けムラもできやすいですから、こうやってナイフで削っておくといいのです。あと、セイカロ油はなくても大丈夫ですが、少しだけ入れると布がやわらかく扱いやすくなりますので入れています」
説明しながら、私は削った蜜蝋が入った小鍋にセイカロ油を少々足していく。
「あっ、あの、蜜蝋とセイカロ油の分量は? どういう割合にされていますか?」
おおっ、精霊ちゃんが身を乗り出してきたよ。
「厳密な割合は決めていないです。本当に感覚的なもので申し訳ないですが……それに、セイカロ油でなくても、ほかの油でも大丈夫ですよ」
「えっ、ほかの油でも? どんな油でもいいんですか?」
「乾かない油、えっと、こぼしてしまうといつまでも乾かなくてべたべたしている油なら」
「不乾性油ですね?」
なんか精霊ちゃんのスイッチが入ったっぽい。
めっちゃ至近距離まで寄ってきて、その美しい顔を突っ込まんばかりに小鍋をのぞき込んで、くんくんと匂いまで嗅いでくれちゃってる。
そんでもって、蜜蝋を溶かすのはどれくらい加熱すればいいのかとか、加熱ができたときの見極めはどうすればいいのかとか、ガンガン質問し始めてくれちゃう。
なるほど、こういうトコは思いっきり研究者って感じだわ。





