閑話@厨房マルゴ
「いまは正式な晩餐はしていないので、食事はすべて朝食室で摂っているの。厨房も、使っている焜炉は2つだけなので申し訳ないけど。あ、かまどと天火も使えるわ」
16歳になられるというゲルトルードお嬢さまは、自らあたしを厨房に案内して説明してくださった。
「いまある食材や使える食器については、カールが心得ているから」
視線を送られた下働きの男の子が誇らしげに答える。
「はい、大丈夫です、ゲルトルードお嬢さま」
うなずき返したお嬢さまは、また丁寧にあたしに向き直ってくださった。
「今日から働いてもらえるなんて、本当に助かります。これからよろしくね、マルゴ」
侍女頭だという若い侍女を伴って、ゲルトルードお嬢さまは厨房を後にされた。
あたしは思わず大きな息を吐きだして、そこにあった椅子に座り込んじまった。
「マルゴさん、いろいろびっくりしたでしょ?」
下働きの男の子が、いたずらっぽく笑いながらカップに水を汲んで渡してくれる。あたしは遠慮なくそれを受け取って飲み干した。
「いや、びっくりしたなんてもんじゃないよ」
あたしはカップを返しながら言った。「お前さん、カールっていったね、いつからここで働いてるんだい? もうずっとこのお屋敷はこんなごようすなのかい?」
「前のご当主が亡くなられてからだよ」
カップを洗って戸棚にしまったカールがあたしの前に座る。「オレはここにきてまだ1年経ってないし、ほかの貴族家のことは知らないけど、そんでもまあ、それまではふつうのお貴族さまのお屋敷って感じだったと思うよ」
やっぱりそうなんだね。
いや正直なところ、クルゼライヒ伯爵家っていったら、これまであんまりいいウワサは聞いてなかったからね。
その通りのことを、カールは言ってくれた。
「前の執事はオレみたいな下働きなんてゴミを見るような目で見てたし、前の侍女頭はオレのこといじめるのが趣味みたいな感じだったし。ほかの使用人からもフツーに嫌がらせされたしね」
「じゃあ、お家が奥さまとお嬢さまがただけになってからなんだね。こんな、なんて言っていいのかね、使用人のことを、その、ずいぶん大事にしてくださるようになったのは?」
カールは本当に嬉しそうにうなずいた。
「うん。ゲルトルードお嬢さまがこの家のご当主になってからだよ」
どうやらギルドのクラウスさんが言ったことは本当だったようだね。
代替わりしたクルゼライヒ伯爵家は完全に別物だって言われても、どうにも信じられなかったんだけどねえ。
「やっぱりあのお嬢さまが、新しいご当主さまなんだね」
「オレはよくわかんないんだけど、仮のご当主なんだって、姉ちゃんが言ってた。あ、姉ちゃんって、さっきゲルトルードお嬢さまと一緒にここへきてた侍女だよ」
まあ、顔を見たときからたぶん姉弟なんだろうとは思ってたけどねえ。
「もしかして、商業ギルドのクラウスさんも、お前さんの兄ちゃんなのかい?」
「あ、やっぱわかる? ウチ、3人ともよく似てるって言われるんだ」
カールはやっぱり嬉しそうに笑った。
「オレはつい最近だよ。最初は臨時雇いでここへ来てて、こないだ正式採用してもらったんだ」
ハンスという厩番の男の子も嬉しそうに言った。商店から配達されたとチーズとベーコンを厨房に持ってきてくれたんだ。
「そんでオレの姉ちゃんも、ここんチの侍女に採用してもらえて。姉ちゃんも大喜びしてるし、父ちゃんも母ちゃんもすっげえ喜んでる」
ああ、もう1人の侍女だね、このハンスの姉ちゃんってのは。シエラとかいったかね、この姉弟もよく似てるわ。
あたしはハンスが持ってきてくれたチーズとベーコンを確認した。
うん、これは上等だね。チーズはちょうど食べごろに熟成してるし、ベーコンも切り口の色が鮮やかでとても新鮮だよ。
この伯爵家ではさっき奥さまがおっしゃった通り、新鮮な食材で美味しい料理を作って差し上げて大丈夫なようだね。貴族家なんてどこの家でも料理は見映えしか考えてないんだと思ってたけど、このお屋敷は本当に違うようで嬉しいねえ。
テーブルに置かれたチーズとベーコンを横目に、ハンスとカールが話してる。
「このベーコン、美味そうだなあ。おやつをたっぷり食べたばっかなのに、オレもう腹が減ってきた気がする」
「冷却箱にまだ牛乳あるだろ?」
「あ、そうだよな、1杯もらおうっと」
あたしは2人の会話に目を剝いちまった。
「お前さんたち、冷却箱の牛乳を勝手に飲んじまっていいのかい? それにおやつもたっぷり食べたって?」
「いいんだよ!」
「今日のおやつはビスケットだった! しかもジャム付き!」
2人はまるで競うように口々に、このお屋敷では使用人全員に毎日おやつが出ること、食事もたっぷり与えてもらっていることを話してくれた。
「この瓶に入ってる分は、オレとカールで飲んでいいって言われてんだ」
冷却箱から出してきた大きな陶製の瓶から牛乳をカップに注ぎ、ハンスは言う。
「そんでも、さっきのゲルトルードお嬢さまには、なんて言うんだろ、感激? そうだよな、こういうの感激って言うんだよな?」
「オレたちが食べ盛りだからたくさん食べさせてあげて、って言ってくださったときだろ?」
「そうそうオレなんかもう、信じられなかったよ。いまだってじゅうぶん食べさせてもらってんのにさ、その上にまだ言ってくださるお貴族さまがいるなんてさあ」
「オレも、姉ちゃんがいっつも、ゲルトルードお嬢さまは特別なんだって言ってるのが、本当によくわかったよ」
いやもう、あたしもあの言葉には驚いたってもんじゃなかったね。お嬢さまが何を言ってらっしゃるのか、理解するのに時間がかかっちまったよ。
いままでいくつかの貴族家で働いてきたけど、使用人のことをここまで気にかけてくださるようなご当主なんざ、ウワサに聞いたことすらもなかったからねえ。
あたしのお手当のことだってさ、本当にきちんと話してくださって。
毎月のお給金も結構な額なのに、お茶会や晩餐にお客さまを招いたときは別にお手当をくださるとか、ちょっと信じられないような話だよ。
まあ、実際に言われただけ支払ってくださるかどうかは別、っていうのが貴族家ってもんだけどさ、このお家は違うだろうね。このところ市場でも、このクルゼライヒ伯爵家がたまってたツケを踏み倒すどころか全部きれいに支払ってくださったって、話題になってたくらいだからね。
実際、こちらの奥さまとお嬢さまがたを見ていると、ご自分が言われたことをウソ偽りなく本当にしてくださるだろうなって気持ちになる。
あたしの面接に下働きのカールや厩番のハンスまで同席させたってのも本当にびっくりしたけど、そのカールやハンスに対して奥さまもお嬢さまもごく当たり前に話しかけて、いやもう、きちんと相手の目を見て話しかけていらっしゃるんだから。
それどころか、この小僧っ子のカールにすら、奥さまはごく自然に『ありがとう』なんておっしゃってたからねえ。あれはもう、ふだんから口にされていなければ、あんなに自然にお礼を言われるなんてことはないだろうさね。
そこでふと、あたしは思った。
「カール、ハンス」
「なに?」
「もしかしてお前さんたちも、お給金をもらってるなんてことは……?」
2人が顔を見合わせ、それからにーっと顔いっぱいに笑う。
「オレ、臨時雇いの分をちゃんと払ってもらった!」
「オレはいままでの分をまとめて払ってもらった!」
「えっ、いままでの分って、何だい?」
カールの言葉にあたしが問いかけると、カールは胸を張った。
「オレ、ゲルトルードお嬢さまがご当主になられるまでは無給だったからさ、その分をまとめて払ってくださったんだよ!」
あたしは仰天してひっくり返りそうになった。
なのにカールはさらに言う。
「オレだけじゃないよ、ナリッサ姉ちゃんも執事のヨーゼフさんも、ちゃんといままでの分をお手当付きで支払ってもらったんだぜ!」
ハンスまでも言い出した。
「お給金のほかに、オレとカールにもお仕着せを用意してもらえるんだ! それに暖炉の魔石を、それも薪のいらない魔物石を、みんなに1個ずつ買ってくださるんだぜ! こんな貴族家、絶対ないよな!」
こりゃあ、あたしはとんでもない貴族家にお勤めすることになっちまったようだ。





