閑話@侯爵家馬車メルグレーテ
本日7話目の更新です。
帰宅する馬車の中でのメルさまの独白です。
ああ、本当によかった。
リアに思う存分執筆してもらうには、どうしてもルーディちゃんの協力が欠かせないのだもの。
それは確かに、ルーディちゃんがわたくしたちと同じ趣味を分かち合えそうにないという点については、とっても残念だけれど……それでも思っていた通り、ルーディちゃんは嫌悪感や忌避感をあらわにするようなことはなかったわ。
それどころか、リアの執筆活動を後押しするようなことを言ってくれたし、さらにはわたくしたち3人の活動を肯定してくれた。
本当に一安心よ。
今日のクルゼライヒ伯爵家邸訪問は、正直に緊張したわ。
わたくし自身の手落ちについてルーディちゃんにお詫びする必要があったし……それ以上に、わたくしたちの趣味をルーディちゃんに説明して受け入れてもらえるかどうか、大丈夫だとは思っていたけれど、やはり不安だったのよね。
それを思えば、ルーディちゃんとも趣味を分かち合うことまで望むのは、望み過ぎというものだわ。
でも本当に、ルーディちゃんはどうしてあれほどまで、人の気持ちを思いやることができるのかしら……ルーディちゃん自身は、恵まれないどころではない生い立ちだったようなのに。
あのクズで愚かな前当主がルーディちゃんを疎んでいて廃嫡するつもりだったことは、わたくしも聞き及んでいたわ。だけどまさか、ルーディちゃんを『始末』しようとしていただなんて。
まったく、愚かすぎてめまいがする。
あれだけ聡明で優秀で、しかも人の心を思いやれるやさしいお嬢さんを、表に出さずに『始末』しようとするなんて、もはや国家の損失に値するような話じゃないの。
いえ、もうめまいどころのお話じゃないわね。もし本当にルーディちゃんがあの愚かな男の一存で『始末』されてしまっていたとしたら……冗談抜きで血の気が引いてしまうわよ。
そうね、同じ爵位持ち娘として、正直にわたくしもすべてを肯定することはできないけれど……それでもやはり、ルーディちゃんに希望を見てしまうのもまた、正直な気持ちだわ。
リアが言っていた通り、わたくしもルーディちゃんには、本人が本当に好きな人と結婚してほしいと思う。
それがうらやましくないとは言わないし、もっと言えば、できることなら我が家に嫁いでくれればと、願わないわけじゃない。
もし本当に、ルーディちゃんとユベールが結婚して、ルーディちゃんがわたくしの娘になってくれて、リアとも親戚づきあいできるとしたら……想像するだけで踊りだしてしまいそうなほどなのだけれどね。
こればっかりは、しょうがないわ。
栗拾いのときのようすを見ていても、ユベールはともかく、ルーディちゃんにはまったくその気がなさそうだったものねえ。
まあ、ユベールがルーディちゃんより年下なのは確かに不利だけれど、それでも来年から最低2年間は一緒に学院に通えるわ。その間にユベールには頑張ってもらわないと。
本当に正直に、ルーディちゃんがすぐに婚約をせず、保留にしてくれたのは助かったわ。いますぐルーディちゃんが婚約するというのなら、侯爵位を継いだとはいえ未成年であるユベールに勝ち目はないと思っていたもの。
それもまあ、わたくしが今日の訪問で緊張していた要因でもあったわね。
ただ、それにしても……レオはどう思ってるのかしら?
レオのところは、弟であるエクシュタイン公爵さま、それに義理息子であるヴェントリー伯爵さまが成人済みで独身だもの。
しかも、伯爵さまのほうはもうはっきりと、ルーディちゃんを狙っているようだし。
公爵さまの意向はよくわからないけれど、どう考えてもルーディちゃんのことは気に入っておられるようだし、おいそれと手放す気がないことは明白だわ。
もしルーディちゃんが、身の安全のためにすぐに婚約するのだとしたら、お相手はこのお2人のうちどちらかだったでしょうね。
あとは、王太子殿下……と、いう線はないと思いたいのだけれど。
もしベルお姉さまにその気がおありなら、おそらくすでにもっと露骨にルーディちゃんへ接近されていると思うのよ。
わたくしとしては、ルーディちゃんは宮廷に上げるのではなく、市井で経済活動をしてもらうほうがいいと思うのだけれど……ベルお姉さまと陛下も同じ気持ちであっていただきたいものだわ。
それでも、王太子殿下にはいまだに婚約者がいらっしゃらないという状況ですもの、油断はできないわね。
ああ、ほかにもまだ、有力な候補者がいるわ。
ゼルスターク子爵家の末っ子。
ルーディちゃんが嫁ぐのではなく婿を迎えるのだとしたら、すべての条件がそろっているわ。
上の2人は、あれだけルーディちゃんと接触しておきながらその気がまったくないことは、なんとなくわかるのよ。でもそれだけに、あの美貌の兄たちが溺愛しているという末の弟を、ルーディちゃんの相手として考えている……という可能性を否定できないのよねえ。
いろいろと謎の多い末っ子だけれど、魔法省においては本当に高く評価されていることだし、今後ルーディちゃんが新たに何かを商品化するさいに、またあの末っ子が絡んでくる可能性は高そうですものね。
うーん、本当にユベールには頑張ってもらわなきゃ、だわね。
とにかく最低限、ユベールが学院に入学するまで、ルーディちゃんの婚約は保留にしておいてもらわないと。
もし本当にルーディちゃんが我が家に嫁いでくれるのだとしたら……我が家はユベールしかいないのだし、クルゼライヒ領はリーナちゃんに継いでもらえばいいわね。そのほうが、領民も安心するでしょうし。
なにしろ、オルデベルグ一族は我が国建国以来、ずっとクルゼライヒ領の領主なのですもの、たとえ上位である我が侯爵家であっても、ほかの一族が治めることに反発を覚える領民、特に領主館の使用人には反感を持つ人が多いでしょうから。
ああ、でも、それを思うと……本当に、レオの気持ちがわからなくなるわ。
正直に、本当に正直に思ってしまう……どうしてレオは平気なのかしら、って。
だってそうでしょう、いくら同じ父を持つ弟だとはいえ、自分の一族の血が一滴も入っていない子が自分の家を継いだのよ?
それでどうして、そんな弟とずっとあれほど仲良くしていられるのか……。
本当に申し訳ないけれど、わたくしは公爵さまを『始末』しようとした先代の未亡人さまの気持ちが、痛いほどわかってしまうわ。
もしも、わたくしが同じような立場になったとしたら……わたくしだって正気を保てる自信がないもの。
代々受け継いできた領地を自分もまた受け継ぐために、自分の意には添わぬ相手を婿に迎えて、それでもずっと我慢して領地を治めてきて……それなのに、その意に添わぬ婿が勝手にほかの女に産ませた子に、領地も爵位も財産もなにもかもすべて、くれてやらなければならないなんて……!
絶対に、無理。
わたくしには耐えられない。
もちろん、その子には何の罪もないことは、理解しているわ。
エクシュタイン公爵さまは、本当に不幸なお立場だと思う。
けれど、あらゆる苦労や不満、拭いようのない屈辱を呑みこんで領地と爵位を継いできた者としては、どうしてもそれを受け入れることができないのよ。
レオのことは好きよ。大好き。
本当にレオがわたくしに声をかけてくれなければ……学院で、同じ趣味を持つ者として声をかけてくれていなければ、間違いなくいまのわたくしはいなかったわ。
レオのおかげで、どれほどわたくしが救われたのか、もう言葉に尽くせないほどだもの。
学院で、レオとリアに出会っていたから、わたくしは父からどれだけ鞭打たれても耐えられた。
父からわたくしの趣味をおぞましいと罵られ、異常者だとまで決めつけられ、地下牢に閉じ込められても、わたくしは自分自身を保ち続けることができた。
本当に、父が死んでくれて清々したわ。
けれど父が決めたあの愚かな男と結婚することが、わたくしが爵位と領地を継ぐための条件として遺言されてしまっていたから……本当にどれほど悔しく、苦しかったかわからないほどよ。
ただもう、お兄さまが生きていてくださりさえすればと……わたくしの趣味のことも知っておられたのにずっと黙っていてくださった、やさしいお兄さまのことまで恨んでしまいそうだった。
ああ、駄目ね。もうとっくに済んだことを、あれこれ思ってもどうにもならないわ。
先のことを考えましょう。
リアが新作を書いている。
わたくしの挿絵をまとめた挿絵集も出版することになった。
それだけでもう、十分ではなくて?
そもそも、ようやく離婚が成立してあの愚かな男を我が家から叩き出すことができて、こうして晴れて王都に居を移すことができたのですもの。
レオとリアだけではないわ、同じ趣味を持つ者同士、ひそやかに、けれど確実に交流を重ねていくことができるわ。それを待ち望んでいたのは、わたくしたちだけではないはずよ。
ユベールが一人前になってくれるまではまだ少し時間がかかるけれど、それでも本当にようやくわたくしは自由になれた。
もう誰はばかることなく、好きな絵を好きなだけ描いて暮らしていけるのよ。
本当にようやく、わたくしの人生が報われる気がするわ。
そしてそのためにまず必要なことは、リアとルーディちゃんという世間知らずの母子を愚かな男どもから守ることね。
今回のわたくしの手落ちを挽回するためにも、なんとか良い方法を考えなければ。
まったく、離縁してさえもあの愚かな男とその一族に頭を悩ませられることになるなんて、本当に腹が立つけれど。
ええもう、むしろこれを機に、わたくしの大切なもの、大切な人たちに手を出したらどんな報いを受けるのか、思い知らせてやるべきだわ。
そうよ、わたくしがこれだけ苦労して、地位と財産を維持し権力を握ってきたのは、そのためだと言っていいようなものですもの。せっかくだから使えるものは何でも使って差し上げましょう。
うふふふ、そう思うと、ちょっと楽しくなってくるわね。
さあ、そろそろ馬車が我が家に到着しそうだわ。
帰宅すれば間違いなくすぐ、ユベールが今日のことを訊いてくるでしょうね。
何をどれだけ、ユベールに話してあげようかしら?
とりあえず、新しい靴と新作おやつの話をして、ユベールのルーディちゃんに対する興味をさらに掻き立てておいてあげようかしらね。





