223.貴族女性の希望に
本日4話目の更新です。
「よく頑張ったわね、リア」
レオさまの声が耳元で響く。「本当によく頑張ったわ、貴女がルーディちゃんを守ったのね」
気がつくと、メルさまも一緒になって私たち母娘をまとめて抱きしめてくれていた。
「大丈夫よ、リア。もう貴女を、貴女の娘たちを、虐げる者は誰もいないわ」
こわばっていたお母さまの体から、ゆっくりと力が抜けていく。
「リア、これからはもう貴女が望む通り、ルーディちゃんもリーナちゃんも、うーんと甘やかしてあげればいいのよ」
「ええ、貴女自身が本当にやりたいことを、やりたいようにやればいいのよ、リア。もう我慢する必要なんてないのよ」
レオさまメルさまがそう言って、お母さまを私の体をゆっくりと放す。
お母さまは、握りしめていた両手を開き、その手で自分の顔を覆った。
「ごめんなさい、取り乱してしまって……」
震える声で謝罪するお母さまの肩を、レオさまもメルさまもぽんぽんとたたいてあげる。
「とんでもないわ。言ってくれてよかったわ」
「そうよ、わたくしたちには何でも言ってちょうだい。ルーディちゃん本人の気持ちだけでなく、母親である貴女の気持ちも、とても大切なのですからね」
両手で顔を覆ったまま、お母さまは何度もうなずいた。
「わたくし、ルーディにはもう、すべて本人が望む通りにさせてあげたいの……」
やはり震える声でお母さまは言う。「いますぐに婚約してしまうのが、いちばんいい方法なのだと、わたくしにも理解できるわ……でも、だからと言って、ルーディに無理や我慢をしてほしくないのよ……」
そしてお母さまは、絞りだすようにして言ったんだ。
「ルーディには、ルーディ自身が本当に好きな人と、結婚してもらいたいの……」
「ありがとうございます、お母さま」
思わず、私はそう言ってお母さまの背中に腕を回し、ぎゅっと身体を寄せた。
お母さまは自分自身がずっと、つらい結婚生活しかしてきてないもんね……だから、私には本当に好きな人と結婚してもらいたいって言ってくれる、その言葉が本当に胸に刺さっちゃうわ。
いやもう、私としては正直、自分に本当に好きな人ができるのかどうか、かなり怪しい気はしてるんだけどねえ……。
「何か方法を考えましょう」
レオさまが、きっぱりと言ってくれた。
「確かに、いますぐルーディちゃんが婚約することがルーディちゃんの身を守るためにはいちばん効果的であるのだけれど、でもルーディちゃん自身がそれを望まないのであれば、わたくしたちはそれを強要したりはしないわ」
「レオさま……」
堂々と宣言してくれちゃうレオさま、本気で泣けそうなほどカッコいい。
お母さまもレオさまの言葉に、まだ手で口元を覆ったままではあるけれど顔を上げた。
「ありがとう、レオ……!」
そして、ぎゅっと奥歯を噛みしめたメルさまも言い出してくれた。
「ルーディちゃん、突然爵位持ち娘という立場になってしまったことに戸惑う貴女の気持ち、わたくしはとても理解できるわ」
「えっ……?」
メルさまは私をまっすぐ見て告げた。
「わたくしには兄がいたの。その兄が、亡くなってしまったのよ」
ぎょっとしたのは、私とお母さま。
どうやらレオさまはそのことを知っていたらしい。
「物静かでやさしい兄だったわ。けれどわたくしが14歳のとき……わたくしが学院に入学する1年前のことよ、突然……亡くなってしまって」
突然亡くなった、って……事故か何か? それとも突発的な病気とか?
メルさまは、お兄さまが亡くなられた理由については何も言わなかった。
「我が家は、兄とわたくししか子どもがいなかったから、必然的にわたくしが跡継ぎ、つまり爵位持ち娘になったのよ。そして、わたくしが何も考える余裕もないままに、父がわたくしの婚約を決めてしまった」
つまり、その、勝手に決められちゃった婚約者っていうのが、メルさまが先ごろ離婚して叩き出したっていうお相手ってことだよね……?
「貴族家における当主の意向は絶対ですからね。わたくしも父に逆らうことはできなかった。それでも……結婚までに相手を知れば知るほど、なぜ自分がこんな愚かな男を夫に迎えなければならないのかと、本当に暗澹たる気持ちになっていったわ」
メルさま、すごい。身もふたもないです。
でも、当人がそこまではっきり嫌悪していても、当主が決めた相手と結婚しなきゃいけないのが貴族家の令嬢だ、ってことよね……。
無理に浮かべたような笑みを、メルさまは私に向ける。
「だからね、ルーディちゃん。爵位持ち娘でありながら、いまや誰の言いなりになることもなく、自分自身で結婚相手を決めることができる貴女のことをうらやむ貴族女性は、とても多いと思うわ。もちろん、それはわたくしも含めて、ね」
それは、メルさまの本当に率直な気持ちなのだと、私は痛感してしまった。
自分が心底嫌悪している相手であっても親の命令で結婚して、しかも実質的な領主として領地を治めていって……メルさまは本当にいろんなことを我慢して呑みこんで、その上であらゆる責任をその小さな体で背負ってきたんだわ。
それを思い、なんだかもう申し訳ないような気持ちになってしまう私に、メルさまはさらに言ってくれた。
「だけど、ルーディちゃん……同時に、貴女がわたくしたち貴族女性の希望になってくれればと、思ってしまうのよ」
そう言ったメルさまの目がきらめいた。
「だって考えてもみて? 父親から廃嫡されようとしていた娘が、爵位も領地も財産も何もかも受け継いで、しかも自分自身で自分の道を切り拓いていくのよ? 自分の商会を持ったルーディちゃんが、新しいお料理や新しい品々でさまざまな流行を生み出すの。女性には爵位を名乗ることも、領主を名乗ることも認めないこの国で。なんて痛快なのかしら!」
「メルの言う通りよ!」
レオさまが手を打ち鳴らした。「これからルーディちゃんがどんな流行を生み出していってくれるのか、考えるだけでわくわくするわ! 爵位を名乗ることも、領主を名乗ることも許されていないからって、それが何? 実権は、ルーディちゃんの手の中にあるの。ルーディちゃんがこの国の経済を回すのよ。最高じゃない!」
い、いいいいや、ちょ、ちょ、ちょま、ちょっと待ってくださいー!
あの、その、私がこの国の経済を回すとか、実権は私の手の中にあるとか!
そんなことあるわけないでしょーが!
だからなんでみんなして、そんなにどんどんどんどん話を大きくしてくれちゃうの!
「レオ、メル、貴女がたがルーディのことを高く評価してくれているのは、本当に嬉しいわ」
お母さまが少し困ったように言い出した。「だけど、あまりにも多くのことを、その、ルーディに背負わせてしまうのは……」
そうです、お母さま!
私がこの国の経済を回すとか、その実権を握るとか、なんかもうそんな、黒幕令嬢みたいな役割を私に期待されても!
「何を言っているの、リア」
なのに、なんでかレオさまもメルさまも、にんまりと笑って顔を見合わせてる。
「ルーディちゃんだけじゃないわ。貴女もよ。貴女も、これから多くの貴族女性の希望になってくれなければ」
「そうよ、貴女の復帰を、いったいどれだけの貴族女性が、いえ、平民を含めこの国のどれだけの女性が待ち望んでいたと思っているの?」
「そ、それは……」
お母さまが言葉に詰まっちゃったんだけど……何の話でしょう?
えっと、お母さまの復帰、って……どれだけの女性たちが待ち望んでた?
さっぱり意味がわからなくて、きょとんとしてる私にお構いなく、レオさまもメルさまもなんだかお母さまを焚きつけてる。
「リア、わたくしは最初のお手紙に書いたでしょう? 今後は殿方を頼ることなく生きていく方法を考えるべきだ、と。貴女にはそれができるのよ。もちろん、貴方だけではなくルーディちゃんにもそれができるということは、本当に嬉しい誤算だったけれど」
レオさまがそう言うと、メルさまも意気込んで言う。
「わたくしも、そのために身の回りを片づけて貴女の復帰を待っていたのよ。本当に、これほどいい頃合いで貴女もわたくしも自由になれたというのは、もはや僥倖としか言いようがないわ」
僥倖、て。
なんですか、その、めちゃくちゃすごいメルさまの意気込みは?
てか、レオさまもめちゃくちゃ鼻息が荒いんですけど?
「リア、新作はどの程度進んでいるのかしら? あとどれくらいで書きあがりそうなの?」
レオさまはお母さまの肩をがっしとつかみ、めちゃくちゃ真剣な顔で迫ってます。
そしてメルさまも負けじとばかり、お母さまの腕をつかんで言い出しました。
「いま書きあがっているぶんだけでいいから、まずわたくしに読ませてちょうだい。挿絵の構想を練りたいの」
新作? 書きあがっているぶん? それに挿絵の構想って……?
も、もしかして、お母さま……連日夜なべをして書きものをされていたのって……!





