221.何を、言っているの?
本日2話目の更新です。
領主一族であるクランヴァルドの血が一滴も入ってない、って……その言葉の意味が、私はすぐには理解できなかった。
えっと、レオさまと王妃殿下のお母さま、要するに先代の正妻さんが爵位持ち娘ってことは、つまり、エクシュタイン公爵家の先代当主は入り婿だったってことだよね?
その入り婿当主が、爵位持ち娘だった正妻さんではない、ほかの女の人に産んでもらった息子があの公爵さまで、って……。
レオさまが顔をしかめて言った。
「使用人の中には、エクシュタイン公爵家というよりクランヴァルド一族に代々仕えてきたという意識が強い者が大勢いるのよ。クランヴァルドの正統な跡継ぎはわたくしたちの母で、その母が産んだのではない子が当主になるのはあり得ない、と……いまだに言い立てる使用人が大勢いてね」
なに、それ……。
なんか、なんて言っていいのかわからない。
「ちゃんとヴォルフを当主として認めている使用人も、もちろんいるわ」
少しばかりレオさまが息を吐く。「だけど、わたくしたちの母、というか一族の血脈の影響があまりにも強いの。そのため、一族の血脈を継ぐ母に忠誠を誓っている使用人を全員追い出してしまうと、王都の公爵邸も領主館もまったく立ち行かなくなってしまうのよ。本当に、血のつながりって厄介だわ」
いやもう、厄介だとかなんだとか……。
あの残念公爵さま、なんでそんなに過酷な生い立ちなの?
そりゃあもう、正妻さんにしてみれば爵位を継いだのは自分だって思ってて、夫は爵位を名乗っていてもしょせん中継ぎ、自分が産んだ子に爵位を継がせるんだから、って思ってたはず。
実際、正妻さんは娘2人を産んでて、上の娘は嫁ぎ先(王家)が決まっていたけど、下の娘のレオさまがいたわけで……レオさまが爵位持ち娘になって、爵位を継承すればいいだけの話だよね?
それなのに、その中継ぎの婿どのがヨソで子どもを作ってきて、しかもその子が男の子だったからってだけで爵位も領地も財産もなにもかも、自分が産んだのではないその子に持っていかれちゃうってことになると……。
ああもう、わかっちゃいけないってわかるんだけど、でも正妻さんの気持ちもわからんでもないというか……てか、先代の公爵家当主がクズ過ぎるってことだよ!
入り婿の自分がヨソで息子なんか作ってきたら、こういう地獄絵図になるって想像がつかなかったはずがないよね? それでなんで、わざわざヨソで息子を作っちゃったの?
しかもその息子を産んでくれた女性は、いまどうしてるの? 公爵さまは自分のお母さまのことは何も話してくれなかった……ってことは、公爵さまのご生母として大切にされているわけではないんだよね? つまり、先代にとっては息子を産ませるためだけの相手だったと……?
最悪!
ホンットに最悪以外のなにものでもない。誰一人、幸せになれる道がないじゃん!
そりゃもう公爵さまが、お父さまが亡くなって心から清々したって、言うはずだわ。
そして私は思い出してしまった。
私がたとえ5歳の幼児でも、クルゼライヒの領主館で代々仕えてきた使用人たちは喜んで私に膝を折るだろう、って……公爵さまはいったいどういう気持ちで、そう言ったんだろう?
だって、公爵さま自身は、膝を折ってもらえなかったんだよね?
一族の血が一滴も入ってないからって、使用人にまで貶められてきたんだよね? 当主になったいまでも、それを認めないだなんて使用人が主張してるって、そういうことだよね?
そんな使用人にいまだに囲まれて暮らしていて……毎日命の危険を感じながらごはんやおやつを食べて暮らしているって、本当にどうなのよ?
そりゃあの公爵さまが、我が家に連日やってきてはもりもりもりもりおやつやらなんやら、食べていくわけだよ!
我が家でお出しするお料理にそんな危険なナニかなんて、誰も入れないもん!
公爵さまもそのことは、十分わかってるもん!
ホントに、ホンットに、ごく最近知り合った我が家がいちばん安心してなんでも食べられる場所だなんて……なんであの公爵さまは、そんな過酷な状況で暮らしてなきゃいけないの!
「だからね、ルーディちゃん」
レオさまに呼びかけられ、私はハッと顔を向けた。
「もし貴女が、美味しいおやつや軽食をヴォルフのところへ届けてくれれば、ヴォルフはもちろんヴォルフの身内である人たちも、とても喜ぶと思うわ」
公爵さまの身内である人たちって……つまり、その専属の料理人さん用厨房へ入れる人たち、ってことだよね?
にっこりと、レオさまは笑顔で言う。
「近侍のアーティバルト、執事のトラヴィス、それに侍女頭のマルレーネ。この3人は、ヴォルフにとっては完全に『身内』なの。そこに、親族同等である被後見人の貴女が、美味しいお料理を届けて参加してくれれば、みんな本当に喜ぶと思うわ」
そう言ってから、レオさまはクスっと笑った。
「ただ、専属料理人のテッドは、ちょっと拗ねるかもしれないわね」
あー……まあ、それはそうでしょうね。
その料理人さんにしてみれば、公爵さまがお口にされるものはすべて自分がまかなってるってプライドがあるでしょうから。ヨソのお家の、ヨソの料理人が作ったお料理を、美味しい美味しいって、それも安心しきって公爵さまが食べてくれちゃったら、そりゃ気分はよくないでしょ。
ううーん、とばかりに視線をちょっと泳がせちゃった私に、レオさまはまたクスッと笑った。
「まあ、でも、テッドにはいい刺激になるかもしれないわ。どのみち料理人の講習会が始まれば、ヴォルフは間違いなくテッドを参加させるはずだから」
そう言ってレオさまは、メルさまに視線を向けた。
「ねえメル、貴女のところの料理人も、ルーディちゃんのレシピを購入したことで、とても刺激になったというお話だったものね」
うん、そういうお話でしたよね、と……私も視線を向けた先で、メルさまはすごく難しい顔をしてる。眉を寄せてぎゅっと口を結び、膝の上に置かれた両手に視線を落としたメルさまに、私は正直にギョッとしてしまった。
えっ、あの、なんで?
いったいどうして、メルさまがそんな難しい顔をしてるのかさっぱりわからなくて、私はちょっと本気で慌てた。あの、えっと、私、なんかマズイことした?
どどど、どうしよう? と思わずわたわたしそうになった私に、メルさまがすっと視線を合わせてきた。
「ルーディちゃん、わたくし、あなたにお詫びしなければならないの」
「えっ?」
ホンットに意味がわからなくて、どうしていいかわからない私をまっすぐ見つめ、メルさまはさらに言った。
「ブーンスゲルヒ侯爵家が貴女に対して問題を起こしたのは、我が家から情報が漏れたからなの。本当にごめんなさい」
我が家から情報が漏れたって……えっと、メルさまが離婚されたお相手の親戚筋だから?
今度はぽかんとしちゃった私の耳に、レオさまの声が聞こえた。
「やはりそうだったのね」
「ええ、本当に今回のことは、わたくしの手落ちよ」
メルさまが心底悔しそうに、レオさまに答える。
「本当にうかつだったわ。あの男の息がかかった者がまだ我が家に残っているだろうことは、わたくしも承知していた。そのつもりで対策もしているつもりだった。けれどこんな形で出し抜かれてしまうだなんて……ルーディちゃんからレシピを購入させていただいた時点で、もっと厳しく対処しておくべきだったのよ」
そう言ったメルさまに、レオさまは淡々とさらに問いかけた。
「サンドイッチのレシピも流されてしまったのかしら?」
「おそらく、ね」
そう答えてから、メルさまは口の端をゆがめてフンと笑う。
「けれど、あの愚かな一族は理解できていないと思うわ。まさか貴族である自分たちが、大きなパンをわざわざ薄く切って使う料理を口にするなどと、くらいのことしか考えていないと思うの」
「確かに、その可能性もあるわね」
うなずいてレオさまはさらに言う。「それに、情報を手に入れた人たちが実際にサンドイッチを作ってどうこうしようとしても、すでにベルお姉さまも陛下もお口にされた後ですもの。そこまで愚かなことはしないでしょう」
「ええ、それにマヨネーズに関しては、見ただけでは作り方はわからないでしょうし」
メルさまが息を吐く。「それでも、あの食が細くて好き嫌いの多いユベールが、大喜びして食べるほど美味しいソースだということくらいは伝わっているでしょうから……それでルーディちゃんに関する噂の裏付けが取れたと判断したのでしょうね」
え、ええっと、あの、どういうことなんでしょう……?
なんかまた私を置いてきぼりに、メルさまとレオさまの間でお互い納得ずくの会話がなされているようなんですけど。
メルさまのところから情報が漏れたって……えっと、サンドイッチを見たメルさまのお家の誰かが、そのことをあのドコがスルーだとかいうご令息のお家に教えたってこと?
そりゃサンドイッチなんて、誰だって一目見たら作り方がわかっちゃうもんね。それで情報が漏れたとか、そんな大層なことを言われても。
いや……でもメルさまはそのサンドイッチの、マヨネーズ込みだけど、レシピ代にあんなに高額の対価を支払ってくださったんだから……あれは栗拾いのお弁当代とか商会設立のご祝儀だとか、そういうものも含めてだろうということだったけど、でもレシピ自体にそれだけの価値があるという判断よね……?
だけどそれで、私に関する噂の裏付けが取れた、って……えっと、昨日リケ先生ファビー先生が言ってた、私が商会の頭取だっていっても単なるお飾りだろうと思ってたけど、実際に私が美味しいお料理のレシピを考案してるって、そういうことが確認できたってこと?





