218.なんで話が大きくなるんだろう
本日3話目の更新です。
なんかもう、靴一足が重大事案になってしまいました。
このままでは、誰がどう考えても大惨事にしかなりません。
生まれたての小鹿状態で歩き回ることを諦め、私はソファに腰を下ろして恐る恐る言ってみた。
「あの……ヒールを、もう少し太くすることは、できないのでしょうか?」
せめて、せめてピンヒールでなければ、なのよね。7センチでも太ヒールなら、もうちょっとなんとかなる、気がする。
なのに、やっぱりレオさまメルさまは顔を見合わせてくれちゃってます。
「そうねえ……ヒールを太くするのは……やはり無粋というか」
「ええ、ちょっとみっともないわね」
レオさまが言葉を濁してくれたのに、メルさまがズバッと言ってくれちゃった。
「屋外を散策するブーツや、百歩譲って通学用の靴ならともかく、夜会にヒールの太い靴を履いていくのは、どうにも褒められた行為ではないわね」
なんかもう本気で涙目になりそうな私に、メルさまはさらに励ますように言ってくれる。
「ルーディちゃん、特にわたくしたちのように小柄な女性が、こういう細くて高いヒールの靴を履きこなし、さっそうと歩いたり踊ったりできるようになるのは、本当に気分がいいものよ」
そ、それは確かに……こんなピンのハイヒールを履きこなせるようになれば、めっちゃカッコいいと思う。私だって思わずどや顔しちゃいそうになると思う。
でも問題は、そこにたどり着けるまで、どれくらい時間がかかるかってことなんですー!
私は正直に泣きを入れちゃう。
「けれど、年末までにわたくしがこのような靴が履きこなせるようになるとは、到底思えません」
「確かに少し時間が足りないわよね……」
レオさまが苦笑して、それからちょっと考え込む。
「夜会で履く靴は細いヒールであることが求められるものだけれど……今回は『新年の夜会』なのだし、まだ学生のルーディちゃんが履くのだし……」
「そうねえ、夜会といえども、学生が参加できる夜会ですものね……」
メルさまも、うーんとばかりに考えこみ始めてくれた。
だから私はもう、ここぞとばかりに押すことに決めた。
ヨーゼフに言って紙とペンを持ってきてもらい、私は靴っぽい絵を描いて見せる。
「このように、下へ向かってすぼまるように細くなっていくようなヒールはどうでしょうか?」
もうね、チャンキーヒールみたいに上から下までがっつり太くなくてもいいの。とにかく着地面積を少しでも広くしてもらいたい一心で、私は円錐型のコーンヒールっぽい絵を描いてアピールしてみた。
レオさまもメルさまも、瞬きしながら私の手元をのぞき込んでる。
「あら、おもしろい形ね」
「でもここの、上のほうがずんぐりしてしまって、やはり無粋ではなくて?」
うぇーん、でもコーンヒールもあんまり細くしちゃうとピンヒールと変わらないし。
「では、こういう形で……ヒールの途中で一度くびれさせて、床に着く部分をこう、少し太くするという形はどうでしょう?」
私としてはもう必死だからね、とにかく思いつくヒールの形を書いていったわけだけど。
「これは……おもしろいわね、ヒールにこういう曲線が入るというのは」
「ええ、すごく優雅な感じになるわ。これであれば、夜会のお衣裳に合わせてもすてきかも」
おおおお、ルイヒールがレオさまメルさまにヒットしたっぽい!
いや、でも、トゥがとがってて履き込みが少し深くてしかもルイヒールの靴って、まさにロココでヴェルサイユな靴じゃない? こういう、途中でくびれて先のほうが少し太くなるタイプのヒールって、この国では存在してなかったの?
うーん、学院でもほかのご令嬢が履いてる靴なんて、そんなにじろじろと見たことなかったけど……ピンタイプのハイヒールパンプスを履いてるご令嬢は見たことあるな。よくそんな靴で姿勢よく歩けるなーと、前世と同じ尊敬の念を抱いたもんねえ。それに、たぶん通学用なんだろうけど、甲が深めでローヒールな靴も、なんとなくどれもかなり細いヒールだった気がする。
私みたいにブーツで通学してるご令嬢も見かけるけど、ブーツは基本的にどれも太いローヒールなのよね。
前世では確か、ルイヒールが先にあって、ピンヒールは後から登場したような気がするんだけど……こっちの世界では違ったのかな?
なんかレオさまメルさまの反応見てると、女性のフォーマルな靴はピンヒールしかないような感じよね……実際ベアトリスお祖母さまの靴も、パンプスはすべてピンヒールだし。
なんて私は思ってたりしたんだけど、部屋の隅からめちゃくちゃ圧がきてる。
ええ、ええ、わかってます、わかってますとも。
私は笑顔をその圧のほうへ向けて言った。
「そうですね、専門家であるクレアさんの意見も聞かせていただけるかしら? それにツェルニック商会も……エグムンドさんにも」
うん、エグムンドさんの眼鏡がキラーンとしてます。フラグ、立っちゃったかも。ルイヒールを意匠登録するって言い出されちゃうかも。
靴職人クレアさんとツェルニック兄弟が、ささーっとばかりに私たちの目の前にやってきた。その後からエグムンドさんもやってくる。
そして彼らはテーブルの上に身を乗り出すようにして、私がちょいちょいっと描いた靴の絵をのぞき込んだ。
「これは……このヒールの形は……」
クレアさんがうなるように言うのに被せるように、エグムンドさんが言った。
「ああ、この形は、トゥーランヒールですね」
「トゥーランヒール?」
思わずオウム返しに訊いてしまった私に、エグムンドさんが説明してくれた。
「こういう、中ほどでくびれて先でまた少し太くなるというヒールは、トゥーラン皇国でよく見られるのでそう呼ばれています。我が国にもいくらかは輸入されていると思いますが」
やっぱ、あるんだね。この形のヒールも。
へーっとばかりに感心しちゃった私に、クレアさんがエグムンドさんに問いかけた。
「けれどトゥーランヒールの場合、かかとの部分が覆われていない靴ばかりですよね?」
「そうです。よくご存じですね」
エグムンドさんは、私の描いた落書き程度の靴の絵を指して答えた。
「トゥーラン皇国の貴婦人がたのお履物は、このかかとを覆う部分がまったくありません。ただ甲を覆っているだけです」
って、ミュールか!
私はすぐに納得したんだけど、レオさまメルさまはすごく驚いてる。
「かかとを覆っていないって……それではすぐに脱げてしまうのではなくて?」
「そんな靴で踊るのは、とてもではないけれど無理だわ」
「おっしゃる通りです」
エグムンドさんがうなずく。「トゥーラン皇国の貴婦人がたは、その脱げやすいきゃしゃな履物が脱げないよう、足を大きく上げずに小さい歩幅で歩くことが上品だとされているのです。それにかの国では、踊りというものの概念が我が国とは全く違います。貴人の踊りは『舞い』と呼ばれ、娯楽ではなく儀式です。衣装も靴も儀式用のものをお召しになります」
「まあ、そうなのね」
「確かに、そんなかかとの覆われていないきゃしゃな靴で歩こうと思ったら、自然と歩幅も小さくなるというものだわ」
レオさまメルさまも納得されてるけど、私もさらに納得よ。
我が国のドレスは、ペティコートを重ねることでスカートをふくらませてるからね、その何重ものペティコートをさばきながら歩くので結構しっかり足を動かす必要があるのよね。
だから室内用であっても、かかとを覆っていないスリッパみたいな履物はないんだと思う。お母さまの衣裳部屋にあった300足近い靴の中にも、そういう履物はなかった。
エグムンドさんはうなずいて、さらに説明してくれる。
「トゥーラン皇国と我が国では文化がかなり違います。このような形のヒールでかかとが覆われていない靴が輸入されても、ほとんど流通しないのはその辺りが原因でしょう」
そう言ってから、エグムンドさんはまた、私が描いた靴の絵を示した。
「けれど、かかとが覆われている靴で、この形のヒールだけを取り入れるのは、なかなかおもしろいのではと思います。トゥーランヒールというのは単なる通り名で、意匠登録もされてはいませんから、ヒールの形を取り入れるというのはまったく問題ありません」
「それは……なかなかすてきなお話ね」
メルさまが、なんだかすごく乗り気です。
「夜会用の靴は別にしても、この優雅な形のヒールで日中に履く靴を作ってもいいのではないかしら? 少し低めのヒールにして、先ほどルーディちゃんが言っていたように甲を深めにして、刺繍やリボンで飾るととてもおしゃれな感じになると思うわ」
「お、おっしゃる通りでございます、ホーフェンベルツ侯爵家夫人さま」
クレアさんも前のめりだ。「ご無礼をお許しくださいませ。私もそのように考えております。この形のヒールで、ふだんお履きになるお履物を作られても、たいへんすばらしいと存じます」
私もちょっと言ってみた。
「こういうくびれたヒールで、それも少し太めの低めにするのであれば、ブーツに使ってみてもいいのではないですか? ブーツであってもこういう優雅な感じのヒールで、さらに刺繍やリボンなどの装飾もたっぷり施せば、お茶会などのお席で履いてもいいのではと思うのですが」
うん、そういう装飾たっぷりおしゃれ系ブーツって、ロココな時代にはあったよね。
「それはとってもいい案だわ」
今度はレオさまが食いついてきちゃった。
「そんな優雅で豪華なブーツなんて……ベルお姉さまがお聞きになれば、おそらく大喜びで採用されると思うわ」
うぇっ!
ま、ま、まままま待って! レオさま、あの、ベルお姉さまって……王妃殿下ですよね?
いやでも、あの男装の麗人の王妃殿下が、刺繍たっぷりでゴージャスなルイヒールのブーツって……似合いすぎるにもほどがあるのは確かですけど!
私だけじゃなく、ツェルニック兄弟も完全に顔色を失って固まってるんだけど、クレアさんはよくわかってないっぽい。
そのクレアさんにエグムンドさんが小声で耳打ちしてあげてる。
「ガルシュタット公爵家夫人レオポルディーネさまの姉君は、ベルゼルディーネ王妃殿下です」
一瞬にして、クレアさんの顔から血の気が引いた。
それはもう冗談抜きで、サーッという音が聞こえてきそうなほどに。





