21.お引越しは始まったばかり
翌朝、商業ギルドから荷馬車が届いた。
基本的に貴族は宵っ張りの朝寝坊なんだけど、私がクラウスに依頼した通りかなり早い時間に届いた。朝早くに荷物を運び出しちゃったほうが、ほかの貴族の視線を浴びずに済むかなという、ちょっと姑息な意図なんだけどね。
裏口に届いた荷馬車にハンスが馬をつなぎ、正面玄関の車回しに持ってきてくれた。
実は貴族家では、コレだけでも眉をひそめられちゃうようなコトなのよ。タウンハウスの玄関前の車寄せに入れるのは紋章付きの馬車だけであって、貸馬車を入れることすら貴族らしくないって言われちゃうのに、荷馬車なんてありえないって。
別にいいんだ、我が家はとにかく無駄に広くてデカいので、門から覗き込んでも玄関まで見通せないもん。玄関前で私がドカドカ荷物を積み込んでたって、気にする必要ないもんね。
って、やっぱカールとハンスは固まっちゃったけど。私がデカくて重い衣装箱をひょいひょいと運んでいくようすに、ね。あ、ちなみに当然のことながらヨーゼフは以前から私のこの固有魔力を知ってるので、ふつうにしてる。
そんでもって、カールとハンスにも一応私の固有魔力については口外しないようにって言ったら、これまたシエラと同じく壊れたようにこくこくこくこくとうなずきまくってくれた。
荷台に衣装箱を積み込んでいくと、8箱が限界だった。
うーん、これは7往復必要かも。
カールとハンスが荷台にしっかり幌をかけてくれ、私はナリッサと一緒に御者台に乗り込む。
「それでは行ってまいります」
「ええ、気を付けて行ってらっしゃい、ルーディ」
「行ってらっしゃいませ、ルーディお姉さま!」
こんなに朝早いのにちゃんと起きて見送ってくれるアデルリーナってどうしてこんなにかわいくてかわいくてかわい(以下略)。
いまのタウンハウスから新居のタウンハウスまで、馬車で四半刻(約30分)足らずの距離だ。
「ナリッサはどこで馬車の操り方を覚えたの?」
「私たちの両親は古物商を営んでおりましたので、子どもの頃から荷運びの手伝いはしておりました」
「そうだったのね」
「ほかにも、ご当家へ奉公に上がる前に一時期、街の食事処で働いていたことがございまして、そのときにも馬車は使っておりました」
朝が遅い貴族街は、まだ静かなものだ。
それに秋は収穫期であるため、領地持ちの貴族はたいてい領地へ戻っているので、そもそも貴族街の人口はかなり減っている。朝帰りの放蕩貴族が乗った紋章付きの馬車がときおり通り過ぎる中を、私たちは荷馬車で進む。
御者台に座っている私たちは丈の長いマントをはおりフードまで被っているので、よほど近寄ってじろじろ見られない限り、侍女と令嬢であることすら誰も気づかないだろう。
新居になるタウンハウスは、門から入ってすぐ車寄せになり、その車寄せも箱馬車なら2台がせいぜいという小ぢんまりとしたものだ。
それでも、いまのタウンハウスのように玄関前の車寄せに箱馬車が10台並んでも全然OKなんてバカでかさに比べたら、私はなんだかホッとする。やっぱ根が庶民な日本人だからでしょうねえ。
「とにかくホールに荷物を運び込んでしまいましょう」
私がそう言うと、ナリッサが玄関を大きく開けてくれた。私は次々と衣装箱を玄関ホールに運び込んで積み上げていく。
もちろんシエラが今日もブリーチズとジレを着せてくれたので、作業も楽ちんだ。それでもナリッサは私を気遣って声をかけてくれる。
「ゲルトルードお嬢さま、あまりご無理はなさらずに」
「ええ、今日はあと1往復で止めておきましょう」
私たちはとりあえず荷物を下ろしたらすぐに戻り、再び衣装箱を8個積んで新居へと運び込んだ。
なかなかの順調ぶりである。
「この調子なら、あと4~5日でいまのタウンハウスをエクシュタイン公爵にお引渡しできるかしらね?」
「いえ、もう少し余裕をお持ちになられたほうがいいかと思います」
私の問いかけに、ナリッサはホールをぐるりと見まわしながら言った。
そしてナリッサは壁際へと歩き、壁に取り付けられている魔石ランプを確認する。
「やはり魔石はありませんね。おそらくこのお屋敷には魔石はまったく置いてないと思われます」
「あー、そうか……」
そうよね、調度品やカーテン、什器なんかを運び出すのは面倒だから全部置いていくとしても、魔石は全部回収して持ってっちゃうよね。なにしろ高価だし持ち運びも簡単、さらに言えば換金もすぐできて資金源になる。
ナリッサはホールを歩き回り、調度品も確認していく。
「おそらくリネン類も置いていないものと思われます。最低限、奥さまやお嬢さまがたがお使いになられる分だけでもご用意しなければ」
「そうね、その準備も大至急ってことね」
やっぱり、いまのタウンハウスから持ち出せるものが限られているので、いろいろ足りないものがあるわけだ。
「ほかにも必要なものを書き出して準備しなくちゃ」
私のつぶやきに、ナリッサが指を折ってくれる。
「そうですね、まずは灯用の魔石が最低でも50は必要でしょう。それから台所の焜炉用にかまど、天火、冷却箱、それにお風呂用と、冬に向けて暖炉用も必要ですね。あと、もちろんはばかり(トイレ)用も」
思わずため息をこぼしちゃう私に、ナリッサはさらに言う。
「あとはリネン類と……それに、私やシエラがお借りしている侍女服も必要ではないでしょうか」
「あー……」
私は思わず天を仰いでしまった。「そうよね、侍女服は『当主の財産』に含まれちゃうわよね」
「さようでございます」
なんかやっぱりいろいろ出費がかさむなあ。
「でもまあ、この際だから、カールに従僕見習のお仕着せも用意しちゃいましょうか。ハンスは御者服でいいかしら。あとヨーゼフは執事だから私服なのよね?」
「ヨーゼフさんのことなのですが」
ナリッサが少しばかり眉を寄せる。「その、おそらくご自分の衣裳はあまりお持ちではないのではないかと。執事に戻られたのはつい最近ですし、それまでは下働きをされていましたので……」
「あー……!」
私は両手で顔を覆ってしまう。
そうだよ、なんで気がつかなかったの。ヨーゼフはもう何年も下働きに落とされて、その間は間違いなく無給だったよね? 当然、執事が着るような紳士の衣裳なんて自前で買えるわけがない。
それに下働きに落とされたとき、あのゲス野郎がそれまでヨーゼフが個人的に持ってた衣裳や私物を全部取り上げてたとしても、私は驚かない。むしろよく、ヨーゼフがいま着ている衣裳を自分で用意してくれたと思わずにいられない。
「ヨーゼフにも大至急、執事の衣裳を支給しなくちゃ」
「はい、それがよろしいかと」
少しホッとしたようにうなずくナリッサに、私はお礼を言った。
「ありがとうナリッサ、教えてくれて。私、全然気がついてなかったわ。申し訳ないけどこれからも、私が気づいてないことをどんどん教えてちょうだいね」
私の言葉に、ナリッサは眉を上げる。
そしてほんの少し口の端を上げて、ナリッサは答えてくれた。
「かしこまりました、ゲルトルードお嬢さま」