閑話@ゲルトルード商会店舗エーリッヒ1
連日の更新です!
新入りエーリッヒくんの閑話です。
長くなっちゃったので2つに分けて更新します。
ベッドとクローゼットと、あとは小さなテーブルを1個置くと、もういっぱいになってしまうような、本当にいかにも使用人部屋という感じの小さな部屋だ。
俺は持ってきた着替えや荷物をクローゼットに押し込み、ベッドに腰を下ろした。
商会店舗での住み込みにされること、それに口外法度の魔術式契約を結ばされることは、まあ、想定内だったけどな。
親父も、いま王都中で噂になってるこのゲルトルード商会に、上手いこと息子の俺をねじ込めるってんで喜んでたけど……まあ、あのエグムンドさんが仕切ってんだから、いくら俺が潜り込めたからって、情報を流すのなんて最初から無理なのはわかってるだろ。
とりあえず、エクシュタイン公爵家にちょっとでもウチが、パリヴァー商会が取り入ることができればって感じなんだろうけどさ。
いや、でも……あのご令嬢、単なる『お飾り』じゃ、なさそうなんだよな……。
なんてことを考えてたら、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「エーリッヒ、食事にしよう」
上着を脱いだクラウスが顔をのぞかせてそう言った。
部屋を出て、クラウスの後に続いて階段を降りていく。
1階まで下りると、クラウスが振り向いて、ニッと笑った。
「今日はエーリッヒの歓迎会を兼ねて、ちょっといいものを食わせてやるよ」
「なんだ? いいものって」
「ゲルトルードお嬢さま考案の、新しい料理だ」
答えながら、クラウスは1階店舗の扉を開けた。
「えっ、まさかクルゼライヒ伯爵家から料理が届いてるとか?」
「届いてるのは、ソースだけだよ」
クラウスが笑う。「いまから、俺たちで作るんだよ」
いまから俺たちで作るって?
ナニ言ってんだ、俺は料理なんかできないぞ。
と、クラウスに言おうとして……俺は固まった。
なんでヒューバルト・フォイズナーさまが厨房で包丁を握ってんだ!
い、いや、この商会店舗に、このおかたも住み込まれてるって話は聞いてたけど!
でもそんなの、俺たちとは違う階で、食事だって俺たちとは別で、当然ご自分の近侍もお連れになってるはずだと……!
「お、来たか、エーリッヒ」
フォイズナーさまは手にしていた包丁を置いて、俺に笑いかけた。
「エーリッヒは料理したことある?」
「えっ、あの、いえ、その、したことはありません!」
慌てて俺が答えると、フォイズナーさまはやっぱり笑う。
「だってさ、クラウス。やっぱり今日もクラウスが頼りだ」
「俺だってあんまり頼りにならないですよ」
クラウスも笑いながらシャツの袖をまくった。
「それでも、ハンスがマヨネーズを持ってきてくれましたから。コレさえあればなんだって美味しく食べられますよ」
冷却箱から取り出した瓶を、クラウスがテーブルの上に置く。
まよね? 『まよねーず』? なんだそりゃ?
瓶の中には、とろりとした淡い黄色のソースが入っている。いや、それよりも……あの布、紐で縛ってあるわけでもないのに、なんであんなにぴったり貼りついて瓶のふたになってんだ?
「マヨネーズは、とにかくその日のうちに使い切らないとダメだそうです」
「そうなのか。じゃあ、夜はサンドイッチだけにして、ホットドッグは明日の朝にするか?」
クラウスの言葉に答えたフォイズナーさまは、ご自分が持っていた包丁で切っていたもの……薄く輪切りにされたパンに目を落とした。
って、なんでパンをあんなに薄く切っちゃうんだ? せっかく、あんなに大きくて立派なパンなのに。しかもなんで、貴族さまが切ってるんだ?
「どうしましょうね、サンドイッチはマヨネーズでなくても、クリームチーズやトマトソースで作っても美味しいですから……」
言いながらクラウスは、また冷却箱をのぞき込む。
「明日の朝は、チーズ入りの炒り卵でサンドイッチにしましょうか。その分、ホットドッグもいまから食べましょう」
「それいいな。じゃあ、とりあえずいまから食べるホットドッグは、1人3本だな」
「3本で足りますか?」
フォイズナーさまが笑い、クラウスも笑いながら応えてる。
「では、ソーセージとベーコンを焼きますね」
クラウスはエプロンを着けると、鉄鍋を取り出して焜炉に向かった。
「ああ、頼む。俺はレタスをちぎるかな。いや、芋をつぶさないとダメか」
フォイズナーさまが、テーブルの上にあった鍋のふたを取って中をのぞき込んでる。
「はい、芋をつぶしていただけますか。まだ熱いと思うので、気を付けて皮を剥いてください」
「わかった」
うなずいたフォイズナーさまが、俺に顔を向けた。
「エーリッヒ、芋をつぶそうぜ」
「は? え? えっと、あの……?」
俺は本当にワケがわからなくて、なんかもうおたおたしちまった。
だって貴族のご令息が、芋をつぶす? え、あの、芋をつぶすって???
さっぱりワケがわかんねえよ!
なんかまったくワケわかんねえまま、言われる通りにやってたら、メシができた。それもテーブルいっぱい、山盛りだ。
「すみません、ソーセージの皮が破れてしまって」
「いや、上出来上出来。俺の切ったパンも、切り口ガタガタだし」
テーブルに並べられた料理は、俺が見たこともないものばっかりだ。
なんなんだ、これは? 薄く切ったパン2枚の間に厚切りベーコンだのレタスだの、具がどっさりはさみこんである。それに、細長いパンにソーセージを1本丸ごとはさみこむ?
つぶした芋は、薄く切った玉ねぎと緑豆、それに小さく切ったハムを混ぜて、さらにあのまよナントカってソースで和えて、やっぱり薄いパンの間にどっさりはさみこんであるし。
「ちょっと欲張りすぎましたかね? これ、パンから具があふれちゃいましたね」
「大丈夫だって、どうせ俺たちしかいないんだ、お行儀よく食う必要なんかないよ。大口開けてかぶりつけばいいんだからさ」
いやいや、フォイズナーさま、俺たち平民は貴族のご令息の前でそんなことできませんって! そもそも、同じテーブルに着いて食事をしちゃっていいはずがないでしょうが!
いいはずがないのに、クラウスは平然とフォイズナーさまと同じテーブルに着きやがった。
「それもそうですね。それじゃ、いただきます」
って、おい、クラウス! お前、本当にそんな大口開けて! いや、フォイズナーさまもなんでそんな大口開けてガブッと!
「エーリッヒも突っ立ってないで食べなよ。どれもめちゃくちゃ美味いからさ」
「は、あの、えっと、では……いただきます」
本気で美味そうに食べているフォイズナーさまに言われ、俺はクラウスのほうへ回ってそっと席に着いた。そんでもって、とりあえず目の前の料理に手を伸ばす。とにかく大口開けなくてもそのまま食えそうな、細長いパンにソーセージをはさんだヤツだ。
え、なんだ、コレ?
パンにトマトソース塗って、マジでソーセージはさんだだけだよな?
なんでこんなに美味いんだ?
「エーリッヒ、マヨネーズを使ったベーコンのサンドイッチも食ってみなよ。びっくりするほど美味いから」
「つぶした芋をどっさりはさんでみたのも、大正解だったな。コレも美味いぞ、エーリッヒ」
クラウスもめちゃくちゃ美味そうに食いながら俺に言ってくるし、フォイズナーさまも次々と料理を口に運んでる。マジで、冗談抜きで、大口を開けてもりもり食ってらっしゃる。
俺はなんか恐る恐るって感じになっちまったんだけど、そのパンで具をはさんだ分厚い料理に手伸ばした。そんでもって覚悟を決め、思い切って大口開けてかぶりついた。
うっま!
え、ナニ、なんなんだよコレ、まじで美味い!
思いっきり目を見開いちまった俺を、フォイズナーさまが笑う。
「美味いだろ。ホンットにこのマヨネーズは、野菜にも肉にもなんでも合うし」
「唯一、日持ちしないのが難点ですよねえ」
クラウスも口の中のものを飲みこんで言ってる。その視線の先には、さっきまでその『まよねーず』なんてヘンテコな名前のソースが入っていた瓶が、きれいに洗われて置かれていた。
「それだよな」
フォイズナーさまがうなずいて、また別の料理に手を伸ばした。
「我が家の末っ子に、なんとかできないか頼んでみようかと思ってるんだけどね」
「魔法省にお勤めの弟さまですね。もしマヨネーズが日持ちできたら、瓶詰にして売れますよね。そりゃもう飛ぶように売れると思いますね」
いや、クラウスの言ってることが本当だって、俺にもわかる。
この『まよねーず』、瓶詰で売りだしたら絶対めちゃくちゃ売れるぞ。もう、間違いなく大儲けできる。マジで、冗談抜きで、こんなに美味いんだから!
そして、あんなに山盛りあった料理が、キレイさっぱりなくなった。
いやもう、信じらんねえ、とっくに腹いっぱいなのに、目の前にあったらまだ食っちまうだろうな。それくらい、どれもこれも美味かった。
お茶の席でいただいたあの、『ぱうんどけーき』だっけ? あれもかなり美味かったけど……俺は甘いおやつより、こういうがっつり食える料理のほうがいい。
それにしても、ちょっとヤバいよ、この料理は。
いやほら、『ぱうんどけーき』とか『まよねーず』とかは、レシピがないと作り方がわからないけど、この『ほっとどっぐ』ってヤツなんか、子どもでも作れるだろ? パンに切込み入れてトマトソース塗って、焼いたソーセージはさむだけだもんな。
それに『さんどいっち』ってのも、まあ『まよねーず』がなければ違うのかもしれないけど、クラウスはクリームチーズやトマトソース使っても美味いって言ってて……実際そうだろうなってのが簡単に想像できちまう。
これは確かに、全員に魔術式契約をさせないとダメだわ。
俺だって、料理のことなんか全然わかんねえし、魔術式契約なんかしなくったってウチの親父や兄貴にレシピをもらすとか絶対無理って思ってたけど……簡単に説明できちまうわ。
ホンット、そんな簡単な料理なのに、こんなに美味いってどうなってんだか。
いや、これ、情報解禁されたらめちゃめちゃ流行るぞ。こんなに簡単で、こんなに美味いって、流行らないはずがないだろ。
それに、ツェルニック商会が持ってきてた刺繍。
部屋の隅に控えてた俺には、細かいとこまでは見えなかったけど、コード刺繍って言ってたからな、間違いなくコードをそのまま布地に縫い付けてあんな模様を描いてたんだ。
コードを縫い付けて模様にするって……ふつうの刺繍をするより簡単じゃないのか?
いや、俺は刺繍なんてできないから断言はできないが、とりあえず一針一針縫っていくよりずっと早く仕上げられるよな? それであんな豪華な、見栄えのする意匠にできるって……ツェルニック商会のお針子の腕もあるんだろうけど、あれも間違いなく売れるな。
しかも、その刺繍をしたお衣裳を『新年の夜会』で披露するって?
おまけに、披露するときのお相手は公爵閣下だけじゃなく、王太子殿下もだなんて……ちょっともう本気でめまいがしそうな話になってたしな……。
あのエクシュタイン公爵さまが背後に控えておられて、しかも商業ギルドきっての切れ者と言われていたエグムンドさんが実務を担当してる商会なんてとんでもないぞって、王都中の商会が噂しあってるけど……これはもう噂どころの話じゃないだろ。
だいたい、噂では単なる『お飾り』だろうと言われてる頭取のゲルトルードお嬢さま……店舗の改装についてもあの、なんていうか、ちびっこいお嬢さまが決定権を持っていたのは明らかだったし、それにこんな美味い料理もぜんぶ本当にあのご令嬢が考案したのだとしたら……。





