2.足元を見られるわけにはいきません
この世界、というかこのレクスガルゼ王国では、貴族といえども女性の権利なんてほとんど認められていない。娘は父親の所有物だし、妻は夫の所有物だ。
娘は爵位を継ぐことができず、娘の配偶者である夫がその爵位を受け取る。それどころか、娘はどれだけ莫大な遺産を相続しても、結婚したとたんそれはすべて夫のものになってしまう。それでいて、結婚しなければ女性は爵位持ち貴族であることを認められないんだから、どうしろっていうのよね。
だからあのゲス野郎……ホンットに父親だなんて呼びたくもない我が家の伯爵家当主が、自分の財産をすべて抵当に入れて博打で大負けしやがったおかげで、遺された伯爵家夫人と伯爵家令嬢である私たちは文字通り路頭に迷いそうな状況になっちゃった。
いま住んでる家もあるし、たぶん家の中の金庫にはお金もあるはずなんだけど、私たちの財産とは認められてないからね。
おまけにゲス野郎は私だけでなくお母さまにさえ、現金をいっさい持たせていなかった。おかげで所持金ゼロ!
それでも、あのゲス野郎もさすがに全財産を失ったってことにショックを受けたのか泥酔して、帰り道に馬車にはねられて死んでくれたのは、ぶっちゃけ僥倖だったわ。
ええもう、はっきり言っちゃうわよ、全財産を失ってなお、あのゲス野郎が生きてなんかいやがったら、お母さまもアデルリーナもどこぞの変態野郎に売り飛ばされちゃうっていう地獄の未来しか見えなかったもの。
本当に幸いなことに、あのゲス野郎が死んでくれた。
少なくとも、私たちが債権者によってどうこうされちゃう心配だけはない。妻子は夫であり父親である当主の所有物扱いだといっても『財産』ではないから。
だから私はいま、先のことに不安を覚えながらも、同時に心の底から安堵してる。これから私たちは母娘3人で生きていくんだ。お金がないのは大問題だけど、お母さまとアデルリーナを養っていくくらい、私がなんとかしてみせるわよ!
と、いうわけで、いま我が家の小ホールには商人が7人集合している。
全員が貴族との取引もある名の知れた商人なのだけれど、7人もまとめて貴族の邸宅に呼ばれるなんてことは彼らも初めてらしく、ちらちらとお互いのようすを探るような視線をかわしつつ微妙な顔をしていた。
「お待たせいたしました」
お母さまが声をかけ小ホールへ入っていくと、商人たちはさっと姿勢を正して恭しく礼をする。
「本日は当家への来訪、感謝いたします」
未亡人らしく黒のシンプルなドレスに身を包んだお母さまは、商人たちが思わず息を飲んでしまうほどの美しさだ。可憐に整った顔立ちはもちろん、輝くようなプラチナブロンドに、透き通ったアメジスト色の瞳。肌は抜けるように白く、冗談抜きでシミもシワもまったく見当たらない。
本当に、私みたいにすでに王都中央学院へ通っているような年齢の子どもがいる母親なのかと、誰もが疑わずにはいられない清楚な美しさがお母さまにはある。
お母さまに続いて娘の私も小ホールに入ったんだけど、たぶん私の姿は商人たちにはまるで見えてないんじゃないかな。まあ、自慢じゃないけど自慢できるほど私の容姿は地味で平凡だから。
私の後に控えている侍女のナリッサも、いまは気配を消してる。ナリッサも、お母さまとはまったくタイプは違うけど実はものすごい美人さんなんだよね。きりっとした顔立ちなんだけど、赤銅色の髪は本当につややかで、エメラルド色の瞳は一度見たら忘れられないほどに印象的だ。しかもすらっとした長身で、出るとこはばっちり出た超ナイスバディだし。
で、案の定お母さまの美貌にくぎ付けになってた商人たちは、そのお母さまの後ろに控えているイケメン眼鏡青年クラウスくんの姿に気が付いたとたん、少しばかりざわついた。
お母さまはそんな彼らのようすにはまるで気を留めず、柔らかなほほ笑みを浮かべて言葉を続ける。
「このたび、当クルゼライヒ伯爵家が長年所有してきました宝飾品を、いくつか手放すことにいたしました。購入を希望されるかたは、ぜひ名乗りをあげてくださいませ」
そう、我が家のこの小ホールで、いまからオークションが開催されちゃうのよ。
妻の財産はすべて夫が所有できるのがこのレクスガルゼ王国の法律だ。ただし宝飾品、いわゆる貴金属のアクセサリー類だけは、代々女性が受け継ぐという『名目』になっている。本当に名目だけなので、実際は夫や父親が勝手に売り払ったりできちゃうんだけど。
それでも、実質がどうであろうが、名目はちゃんとある。
つまり、宝飾品は名目上妻の所有となるので当主の財産とはみなされず、今回あのゲス野郎が作った借金の形になってる『伯爵家当主の全財産』からは除外されるんだ。
たぶんこれって、貴族女性に対する一種の救済措置だと思うんだけどね。
だからもう、売れるものは売っぱらっちゃって、当面の生活費に充てることにしたわけ。
ただ、そこで問題になったのが、いったいいくらで売れるのか、ってこと。
なにしろウチは伯爵位だけど歴史が長く、しかも代々国政において重要な役割も担ってきたいわゆる名門だ。その伯爵家が何代にもわたって所有してきた家宝ともいえる宝飾品なんだけど、私にはその正確な市場価値がわからない。
しかも、伯爵家当主が博打で身ぐるみ剥がれて亡くなったなんて情報は、目ざとい商人ならすぐにつかんじゃうはず。そうなると、路頭に迷いそうな私たちが、貴族女性の救済措置にすがって宝飾品の売却に踏み切ることは、誰でもすぐわかっちゃうよね。
つまり、商人から足元を見られて、安く買いたたかれちゃう可能性がめちゃくちゃ高い、ってことだ。
だから私は、できる限り高値で販売できるよう、このオークションを計画したのよ。
そう、オークションを開こうなんてことを思いついたのは私が前世の記憶、それも21世紀の日本で暮らしていた記憶を持つ転生者だったから、なんだけどね。