190.あまりにもあまりなこの展開
本日5話目の更新です。
馬に乗るのに魔力って関係あるの?
本当に意味がまったくわからなくて、なんかもうぽかんとしちゃった私のようすに、室内にいるほかの誰もが同じようにぽかんとしちゃってる。
やがて、公爵さまが眉間にシワを寄せまくった顔で、私の顔をのぞき込んで言った。
「ゲルトルード嬢、きみはすでに学院に通っている。ということは、乗馬の授業も受けていると思うのだが」
「はい、あの、受けています」
なんかちょっとどぎまぎしながら私が返事をすると、公爵さまはさらに眉間のシワを深くして訊いてきた。
「まさかとは思うのだが……きみは、乗馬のさいに馬に魔力を通していないのか?」
えっ、いや、だから、なんで馬に魔力を通すの?
馬に魔力を通すってどういうこと?
返事ができない私に、公爵さまは察してくれた。察してくれた公爵さまは、そのまま片手で頭を抱えてしまったけど。
「そうか……きみにはそういうことさえ、教えてくれる人が誰もいなかったのか……」
室内がものすごくビミョーな雰囲気になっちゃってる。
どうやら、またもや私は『貴族の常識』を知らなかったらしい。
公爵さまはちょっと遠い目をして、でもちゃんと教えてくれた。
「ゲルトルード嬢、馬に乗って自分の意図通りに馬を操るには、まず馬に対して自分のほうが上位の存在であることを教える必要がある。馬に自分の魔力を通すことで、自分が魔力を持つ存在であり、馬を支配できる立場であることを示すのだ」
ぽかん、と……本当にぽかんと、私は口を開けちゃった。
魔力を通すことで、自分が馬を支配できる立場であることを示す?
えっと、それってつまり……公爵さまの言ったことの意味が、自分にしみ込んできてやっと私は理解した。
だからか!
だから私は馬にバカにされてたのかー!
ナニソレ、信じらんない、だってまさか馬に乗るのに魔力が関係してるとか、そんなこと夢にも思わなかったよ!
ああもう、乗馬って、馬に乗るって、前世の世界でもふつうにあったことだから……まさか、この世界とそんなところに違いがあったなんて!
愕然としちゃった私に、公爵さまはさらに言ってくれた。
「学院の教師も、まさか上位貴族家の令嬢であるきみが、そんな基本的なことを知らないとは思っていなかったのだろうな……」
ええもう、知りませんよ、知らなかったですよ、この世界の『そんな基本的なこと』なんて!
すっかり涙目になりかけてる私に、公爵さまはやっぱりちょっと遠い目で言う。
「馬に魔力を通さずに乗っていたとは……乗馬の授業では、そうとう苦労したであろう……」
「……苦労、しました」
私のあの苦労を返して欲しいー!
なんかもう、魂の叫びだよ、コレ。
「早急に、乗馬の練習の場を用意したほうがよさそうだな」
公爵さまがそう言うと、アーティバルトさんがすぐにうなずいた。
「それでしたら、最初はまず現在のクルゼライヒ伯爵邸か、公爵邸のお庭をお使いになってもよろしいのではございませんか?」
「そうだな、とにかく馬に魔力を通す練習さえできればいいだろう」
うなずいた公爵さまが言う。「ゲルトルード嬢、それで一度練習してみよう」
「ありがとうございます、公爵さま」
はー、これで私の乗馬もちょっとは上達するかしら。
とにかく乗馬の授業がいまほどの苦痛じゃなくなれば、それだけでありがたいわ。
私は素直に公爵さまに感謝した。
その公爵さまは、すっかり考えこんじゃってる。
そりゃまあ、そうでしょうね。本日2つ目の案件だもんね。
自分の家に強力な防御の魔法陣が設置してあること、それに馬に魔力を通すこと。
貴族なら誰でも知ってることを私が知らなかったっていうのは、公爵さまにとっても衝撃的だったでしょうからね。この子は、こんな当たり前のことさえも知らなかったのか、って。
それでも……この公爵さまは、私が知らなかったということに対して、私をバカにしたり見下したりするような態度はいっさい見せない。
困惑して頭を抱えちゃったりはするけど、それでも私の事情をちゃんと考慮してくれる。
公爵さま自身、いろいろ苦労されたお育ちだからっていうのもあるだろうけど、それでも自分がどれだけ苦労して嫌な思いをしてきていても、それをほかの人に対して考慮できるって、実はかなり難しいよね。
それどころか、自分がこんなに苦労してこんなに嫌な思いをしてきたんだから、ほかの人も同じように苦労して嫌な思いをすることが当然だ、それでなければ許せない、なんて考える人は決して少なくないもの。
そういう意味では、この公爵さまはすごくいい人だよね。まあ、いろいろ残念なところはあるんだけど、そういうのを差し引いても信頼に値するって、私には思える。
本当に、この公爵さまに後見人になってもらったのは正解だったかも。
こういう人なら、私も安心してなんでも質問できるもの。それにいまだってこうして、すぐに乗馬の練習をするよう話をしてくれているわけだし。
何も知らない私をバカにしたり見下したりせず、ちゃんと教えてくれてさらに手を差し伸べてくれる人って、間違いなく貴重だと思うわ。
と、私は自分で納得してたんだけど、その通り公爵さまはまた訊いてくれた。
「ゲルトルード嬢、その、ほかにも学院内で困っているようなことなどは、何かあるだろうか? 授業でもなんでも構わないのだが……」
ええと、じゃあもうここは、正直に訊いてみましょう。
「あの、公爵さま」
「うむ」
「わたくし、その、ダンスがどうにも苦手で……」
公爵さまの眉が上がった。
私は思い切ってさらに訊いてみた。
「その、たとえば、履いて魔力を通せば自動的にステップを踏ませてくれる、そんな靴があったりはしないのですか?」
「そんなものはない」
うわーん、公爵さまってば即答だよ!
それどころか、公爵さまの眉間のシワがめっちゃ深くなっちゃってるんですけど!
「それは単に、きみの練習不足だな。確かに、これまできみには踊る機会が、練習も含めてまったくなかったのだろうが」
公爵さまのお口がへの字になってます。
「だが、きみが踊れないとなると実に由々しき事態だ。来たる『新年の夜会』では、きみは私と踊らなければならないのだから」
そして公爵さまは、実に重々しく言ってくれちゃいました。
「これは年末までにダンスの練習、いや、特訓が必要だな」
ひいぃぃー! ヤブヘビ! 完全にヤブヘビだ! 藪をつついて蛇を出しちゃったよ!
でも、蛇が出たどころの騒ぎじゃなかった。
ダンスの特訓なんて言われただけで私はおののいちゃったのに、公爵さまってばとんでもない追い打ちをかけてきたんだ。
「だいたいゲルトルード嬢、きみはわかっていないのか? 『新年の夜会』では、きみは私と踊るだけではない、まず間違いなくヴォルデマール、つまり王太子殿下と踊ることになるぞ」
は?
私は完全に固まってた。
だ、だだだだだだって、お、おおおおお王太子殿下?
と、おおお踊る?
だだだだ誰が?
完全に挙動不審状態に陥ってる私に、公爵さまはため息をこぼした。
「叔父が後見人を務めている令嬢をダンスに誘うのは、甥にとっては当然の礼儀だ。たとえその甥が、王太子殿下であったとしてもだ」
ひいぃぃぃぃーーーーー!
お、叔父とか甥とか!
そそそそそそそうだったよ、この人、王太子殿下の叔父さんだったよ!
ダダダダダメだ、この公爵さまに後見人になってもらったのは失敗だったわーーーー!
またとんでもないフラグが立っちゃった?