169.本日はおあずけです
本日4話目の更新です。
厨房の扉を開けて入ってきたヒューバルトさんは満面の笑みで、その後ろで客間への案内を振り切られちゃったヨーゼフがしょぼんとしちゃってる。
ヨーゼフ、そんなに申し訳なさそうな顔をしなくてもいいよ。
もうね、絶対このヒューバルトさんって『おやつセンサー』を持ってるんだと思うの。それがこの人の固有魔力だとか言われても、私は驚かないよ。だって、毎回毎回ホンットに絶妙なタイミングで登場するんだもの。
だから私はもう最初から、率直に言った。
「ヒューバルトさん、いま新作おやつの試作をしていますが、今日の試食はありません」
「おや、そうなのですか?」
ヒューバルトさんの眉が上がる。「こんなに美味しそうな香りがしているのに?」
「ええ、いま焼いているおやつは、1~2日置いてなじませたほうが美味しいのです」
ウソは言ってないよ、ウソは。パウンドケーキって実際にそうだもんね。
「それに、いま焼いているおやつに栗のお料理を加えて完成させますので、栗のお料理が仕上がるまでは試食はいたしません」
「そうなのですか……」
ヒューバルトさん、本気で残念そうである。
私はさらに言った。
「公爵さま始め、昨日お約束したレオさまメルさまにもお声がけして、明後日には新作栗おやつの試食会を開催しようと、いま相談していたところなのです」
「公爵さまがたの試食会ですか……」
私の言葉にヒューバルトさんがますます残念そうになったのは、さすがにそのメンバーの試食会に商会員が参加するのは難しいって、ちゃんとわかってるからだよね。
だから、そこんとこは私もフォローしておく。
「栗のおやつは季節ものになりますが、ほかに商会の商品として使えそうな新作おやつもありますので、商会員は商会員でまた別に試食会をする予定です」
「ああ、それは大変嬉しいお話です」
とたんに、ヒューバルトさんが笑顔になった。
うん、ちゃんとそのつもりにしてるから、あんまりがっつかないでよね?
そして、ヒューバルトさんが顔を出してくれたんだから、こっちの用件もさくさくと済ませておくことにした。
「ヒューバルトさん、昨日はたいへんお疲れさまでした。貴方が段取り良く進めてくれたおかげで、お茶会は大成功でした」
私がそう言うと、ヒューバルトさんは眉を上げ、それから嬉しそうに笑った。
「とんでもないことです、ゲルトルードお嬢さま」
「いいえ、本当に助かりました」
私は本心から言った。「突然王妃殿下がお見えになったときも、貴方のおかげで慌てずにすみました。それに、王妃殿下にお渡しするお土産もすぐに用意してくれたことにも感謝しています。本当にありがとう」
ヒューバルトさんはまたちょっと眉を上げ、それから右手を自分の胸に当て、片足を引いて腰を折った。
「ゲルトルードお嬢さまのお役に立てたなら、何よりのことでございます」
こういうトコがね、イケメンがやるとずるいってトコよね。ホントにサマになってるんだもん。
で、とりあえず私はそういうのはもう流しちゃう。さくさくと次へ行くからね。
私はヨーゼフを呼んだ。
ヨーゼフはちゃんと心得ていて、用意してくれていた。
「ヒューバルトさん、これは今回のお茶会でよく働いてくれたことへの報奨金です。いまさっき、厨房の皆にも渡したばかりなのよ」
小さな革袋を手に取り、私はヒューバルトさんへ差し出した。
意外なことに、報奨金を想定していなかったのか、ヒューバルトさんが本気で目を見張ってる。
「私もいただいてしまってよろしいのですか?」
「もちろんです。あ、クラウスにも渡しますから、近いうちに我が家に顔を出すように伝えてくださいね」
私がそう答えると、ヒューバルトさんはまた腰を折った。
「謹んでお受けいたします、ゲルトルードお嬢さま」
やっぱイケメンがこういうことすると、サマになりすぎよねー。
そして、本日ヒューバルトさんが我が家の厨房へやってきた用件である。
ええ、公爵さまからお借りしてる、時を止める収納魔道具の中身の整理ね。
そりゃあ、ヒューバルトさんが厨房へ入る必要があるって言うのはもう、しょうがないわ。だって、収納魔道具からはどっさりと、使用済み蜜蝋布とプリンの空き瓶が出てきたんだもん。
あー、いまからコレ全部、洗って乾かさなきゃ。
「それからこちらは、ナリッサ嬢とシエラ嬢の取り分です」
ヒューバルトさんはそう言って、収納魔道具からハンバーガーやフルーツサンドやプリンを取り出した。
言われてびっくりしてるナリッサとシエラに、ヒューバルトさんは笑顔で言った。
「貴女がたはゆっくり交代して休憩する時間もなくて、すべては食べきれなかったでしょう? ちゃんと取っておきましたからね」
うーん、こういう気遣いができるって、やっぱヒューバルトさん有能だわ。
私も笑顔でナリッサとシエラに言ってあげた。
「ナリッサもシエラも、これは今日のおやつや夕飯にする? できたら早めに食べてしまったほうがいいわ」
「ありがとうございます、ゲルトルードお嬢さま、ヒューバルトさま」
ナリッサがさっと礼をし、シエラも慌てて同じように礼をした。
「ありがとうございます、ゲルトルードお嬢さま、ヒューバルトさま」
うふふふ、ナリッサは澄ました顔をしてるけどやっぱり嬉しそうだし、シエラはもうはっきり感激しちゃってる。あの場で食べ損ねて、もう食べることはできないってあきらめてたんだろうね。
「ヒューバルトさんは、しっかり交代で休憩できたのかしら? それに、ちゃんと自分の取り分は食べられたかしら?」
「もちろんです、ゲルトルードお嬢さま」
にんまりとヒューバルトさんは笑った。「ほかの侍女さんや侍従、近侍も、ちゃんと自分の取り分はその場で食べるか、持って帰りましたよ。みんな、大好評でした」
「それはよかったわ」
「店舗での販売が始まればぜひ購入したいと、みな口をそろえていましたし、ものによってはレシピの購入もしたいと何人もが言ってくれていました」
「それは、本当にありがたいことね」
私も笑顔でうなずいちゃった。
でもって、やっぱり、ナリッサとシエラの取り分以外は何一つ残らなかったらしい。
「王妃殿下へのお土産は、本当にギリギリでした。それでも一通り数をそろえてお渡しできましたので、本当によかったです」
「そうなのね。ギリギリでもなんとか数が足りて本当によかったわ」
私もだけど、ヒューバルトさんも本気で胸をなでおろしてる。
いやー、もうめっちゃ教訓。お茶会のおやつは、かなーり多めに用意すること。ホント、余ったら余ったでお土産にしちゃってもいいもんね。今後も気をつけよう。
と、ここでマルゴからブレイクが入りました。
「ゲルトルードお嬢さま、お話し中ではございますが、そろそろ天火のほうが……」
「そうね、焼き加減を確認しましょう」
すでに厨房には、ケーキが焼ける甘くて香ばしい匂いが充満しまくってる。
その状態で、天火の扉を開けちゃったら……うううう、この匂いを嗅ぎまくって試食ナシって、冗談抜きで拷問。
私はマルゴと一緒に、型の代わりに使った鉄鍋を1個ずつ扉のほうへ引き寄せた。
「わあ、きれいに焼き目がついてるわ!」
「見るからに美味しそうでございますね!」
マルゴが用意してくれた、竹串のような細い先のとがった棒をそっと差し込むと、抵抗なくすっと刺さる。引き抜いても生焼けのタネがくっついてくることもない。
「いい感じよ。もうひとつのほうは?」
「こちらもいい感じでございますよ」
同じように細い先のとがった棒を刺して、焼き具合を確かめる。こっちもしっかり焼き上がってるようだ。
うむ、大成功である。
「じゃあ、天火から出して粗熱がとれるまで冷ましましょう。型から抜くのはその後ね」
そう言って、私とマルゴでひとつずつ鉄鍋の柄を鍋つかみでつかんで取り出し、一緒にくるりと振り向くと、なんかもうみんなしてずらっと私たちの後ろに並んでた。
いやまあ、この美味しそうな匂いにはどうしても釣られちゃうよね。
お母さまとアデルリーナまでテーブルの向こうから回ってきて、私とマルゴが焼き具合を確認しているのを後ろから見ていたらしい。
「ルーディ、お味見はできないの? 本当にいい匂いでたまらないわ」
お母さま、ヒューバルトさんの前でそれを言わないでください。ヒューバルトさんも期待で目が輝いちゃってますから。
私は心を鬼にして、にっこりと言うしかない。
「お母さま、残念ながらこのパウンドケーキは、このまま粗熱がとれたらしっかり水で絞った布巾で覆って、乾燥させないように一晩寝かせます。明日、明後日のほうが美味しく召し上がっていただけると思います」
だってね、ここでひとかけらでもみんなで味見しちゃったら、ヒューバルトさんだけあげないなんてワケにはいかないじゃない?
そんでもし、ヒューバルトさんにも味見を分けてあけちゃったら、ナニをどうやっても間違いなく公爵さまにバレると思う。そんでもって公爵さまが拗ねちゃって、またさらに面倒くさいことになる未来しか見えないんだもの。
ああああ、お母さまもアデルリーナもしょんぼりしちゃった。とりあえず、ヒューバルトさんが帰ってくれるまで待ってー!
とりあえず栗のおやつ試食会は避けて通れない……でもルーディちゃん、いつになったら学院に通えるんだろう(;^ω^)