149.要するに食いしん坊なんだよね?
本日5話目の更新です。
過酷な話の続きです。ご注意ください。
そこで、公爵さまはまたひとつ、息を吐きだした。
「こういう話は……貴族の間ではすでに知られていることなので、私が訪問先で出された飲食物にいっさい手を付けなくとも、誰も問題にはしなかったのだ」
「……知、られている?」
私は、そこでようやく声が出た。「あの、知られている、ん、ですか? その、公爵さまが、正妻さんから、その……」
喉を鳴らしてしまった私に、公爵さまは当然のようにうなずく。
「ベルゼルディーネ姉上が王家に嫁いだとき、私を一緒に連れて出てくれたからな」
「は、い?」
意味が分からず変な声が出ちゃった私に、公爵さまは続けてくれた。
「私は当時10歳だった。幼い私をそのまま公爵家に残していけば、まず間違いなく正妻によって命が奪われてしまう。だからベルゼルディーネ姉上は、エクシュタイン公爵家の正統な跡継ぎである弟を保護してほしいと先代国王陛下と王妃殿下に願い出て、私を引き取ってくれたのだ」
そして公爵さまはまたひとつ息を吐く。「私は10歳から17歳まで、つまり先代が亡くなって家督を継ぐまでの間、王城で育ったのだ。そのことは、たいていの貴族が知っている」
なんか……なんか、情報量が多すぎて私の頭の中がオーバーヒートしそうなんですけど。
いや、頭の中よりも先に、感情のほうがオーバーヒートしそう。
だってまさか、このいろいろ残念なところのある食いしん坊な公爵さまが、そんな過酷な生い立ちだったなんて。
「そういう顔をする必要はない」
苦笑とともに公爵さまがそう言って、私は思わず両手で自分の顔を触ってしまった。
いま私、どんな顔をしてたんだろう?
「本当に、こういうことは貴族家の中ではよくあることだ」
公爵さまは肩をすくめる。「きみもまた、自分の父親に殺されかけたと言っていたではないか」
いや、それは確かにそうなんですけど。
でも、やっぱり、そういうことを『よくあること』にしちゃいけないでしょう。
それに私の場合は、前世の記憶があったから……鞭でめちゃくちゃに叩かれて殺されかけたときは、まだ記憶が完全にはよみがえってはいなかったけど……それでも前世の記憶のおかげで中身が一気に大人になったから、そのぶん冷静に客観的に自分が置かれている状況を考えることができたと思う。
でも公爵さまは違うでしょ?
生まれたときからずっと自分の命を付け狙われていて、毎日ふつうにご飯を食べることすらできない状況で育つだなんて。
それでも……。
「公爵さまに、姉君さまがいてくださって本当によかったです」
本当に、本っっ当に、心からそう思うよ。
私に、お母さまと妹がいてくれたのと同じように。
「そうだな」
公爵さまの顔が和らいだ。「ベル姉上だけでなく、レオ姉上も私のことをずっと守ってくれた。レオ姉上は学生時代に婚約者を病で亡くしており、結婚が一度白紙になってしまったのだが」
「えっ?」
またびっくりな情報に目を見張っちゃった私に、公爵さまはさらに教えてくれた。
「レオ姉上は、自分が嫁がずに家に残っていると母親である正妻が自分に婿を取って弟の私を廃そうとするからと、自分で決めてガルシュタット公に嫁いでくれた。歳も離れているし、後妻になるわけであるし、先妻の子もいるしと、誰もが案じたのだが……いまもずっと夫婦仲がよくて安堵している」
おおう、レオさまもカッコいいです。
本当に、公爵さまにお姉さまお2人がいてくださって、心からよかったって思うわ。
公爵さまはレオさまとも仲良しだけど、きっと上のお姉さま、いや、うん、王妃さまなんだけどさ、そっちのお姉さまともいまもずっと仲良しなんだろうな。
ただ、公爵さまのお父さまは……亡くなって清々したって言ってたくらいだから、公爵さまのことを何一つ守ってはくれなかったんだろう。それも不思議だけど。
だって、跡継ぎの息子が欲しくて、わざわざ正妻の怒りを買ってまでほかの女性に産ませたんでしょ? それでなんで……それに、公爵さまを生んだお母さまはどうされていたんだろう?
なんか、ちょっと考えるといろいろ疑問が湧いてくるんだけど、なんかもうすでに頭の中も気持ちもいっぱいいっぱいだし、いまこれ以上公爵さまに語ってもらうのはさすがにしんどい。
でも、ひとつだけ……これについては、私は訊いといたほうがいいと思うんだ。
「では、あの……なぜ、我が家ではお茶やおやつを召し上がったのですか? その、最初に林檎のパイをお出ししたときも、公爵さまはごく当たり前に召し上がってくださったように思うのですが……」
「そうだな……」
フッと視線を逸らして、公爵さまは黙り込む。
あごに手を遣り、しばらく口をへの字にしていた公爵さまが、ぼそりと言った。
「新鮮、だったから、だろうか?」
「新鮮?」
意味わかんないよ。
私は思いっきり、そういう顔をしたんだと思う。
公爵さまは咳ばらいをして、さらに言ってくれた。
「私が訪問先で飲食をしないことは、貴族の間では知れ渡っているからな。だからもう最初から、誰も私にお茶やおやつを勧めたりしない。だが、きみやきみの家族、それに使用人に至るまで誰も、そのことを知らないのか、と……少し驚いて、新鮮に感じたのだ」
はー……。そういうもんなの?
そりゃ私は、てか、お母さまもヨーゼフもそんな、貴族の間で知れ渡っているようなことなんて知らなかったけど……うーん、やっぱりお母さまがレオさまのお友だちっていうのが、大きかったのかな? 大好きなお姉さまのお友だちのお家だと思うと、安心感はあるだろうからねえ。
とか、私が思っていたら、なんかもうこれまた『いつもの展開』でアーティバルトさんが笑い出した。
「閣下、正直にお話しになるべきですよ」
「アーティバルト」
公爵さまがにらみつけたけど、アーティバルトさんはこれっぽっちも気にせずさらに言った。
「これだけゲルトルード嬢のおやつを召し上がっておきながら、その言い訳はないでしょう。少なくとも、ゲルトルード嬢には知る権利がありますよ」
そう言われても、公爵さまは口をへの字にしたままそっぽを向いてる。
なんなんでしょ、いったいナニがどうなってるの?
アーティバルトさんが肩をすくめ、やれやれしょうがない、といった表情で話してくれた。
「閣下は、嬉しかったんですよ」
「は?」
目を見開いちゃった私に、アーティバルトさんは笑いながら言う。
「もうずっと、どこへご訪問されても、最初からお茶もおやつも出てこないですからね、閣下の場合。それが、林檎のパイもありますよ、だなんて……貴女や奥さまになんの他意もないことは明らかでしたし、それにいい加減」
そこでまたアーティバルトさんが笑う。「閣下も訪問先でおやつをいただきたいと思っていたのですよ。閣下が実はおやつが大好きだというのは、貴女はもうよくご存じでしょう? さすがに、正妻さまもご領地に隔離されてもう長いですからね。でもなかなかそれが言い出せなくて、ずっとその機会をうかがっておられたのですよ」
なんだそりゃ。
でも、アーティバルトさんの説明のほうが、新鮮だのなんだの言われるより、よっぽど納得がいくわ。
公爵さま、ホントはもうずっと、訪問先でもおやつを食べたかったってことだよね?
でも、それを言い出すタイミングがなかったと。
公爵さまがご当主になってすでに10年くらい経ってるわけだし、さすがに日常的に毒殺される危険性は減ってきてるんなら、そりゃみんながおやつを食べてるところで自分だけ何も食べないって、この食いしん坊さんには相当つらかったでしょうよ。
で、たまたま何も知らない我が家で、ごく当たり前に林檎のパイがありますよって言われちゃったもんだから、よっしゃー! って感じで食べちゃったと。
で、食べてみたら、とっても美味しかったんですよね?
夜にお出ししたサンドイッチも、その後のホットドッグやフルーツサンドやプリンやプリンやプリンなどなど、我が家ではとにかくナニを食べても美味しかったので、お姉さまがたにも自慢しちゃったと。
そこからウワサが広がって、私には初対面のリドフリートさまやファビー先生までもが我が家のおやつに期待を込めまくってくれちゃうようになっちゃったと。
つまり、そういうことですね?
どれだけ過酷な経験をしていようと、最後に勝つのは食い意地(;^ω^)