15.ツェルニック商会
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そういうことで、ハンスは我が家に正式採用となった。
本当に素直な性格の子らしく、正式採用を告げると、そばかすの散った愛嬌のある顔を真っ赤にしてお礼を言ってくれた。
ハンスは当初、我が家が引越すまでの短期間だけと言われて自分でもそのつもりで来ていたのだけれど、働いているうちに、どんな仕事でもいいから我が家にこのまま置いてもらえないだろうかと思い始め、カールに相談していたそうだ。
お母さまが望んだヨアンナについては、とりあえずヨーゼフが手紙を送ってくれた。
ヨーゼフによると、ヨアンナはとある伯爵家のカントリーハウスに侍女として仕えているはずだとのこと。ただ、それも何年も前の話なので、いまもそこにいるかどうかはわからない。
それにカントリーハウスというのは地方の領主館のことなので、もしヨアンナと連絡が付き我が家への復帰を望んでくれたとしても、すぐにはやって来られない。とにかく、ヨアンナからの連絡待ち状態だ。
そういう事情と、さらにいずれアデルリーナにも侍女が必要だからと、侍女1名の募集は継続することにしたんだけど……クラウスが遠い目をして言っていた通り、応募が殺到しているらしい。
ごめん、ホントにごめんよ、クラウス。
いまクラウスが必死に書類選考をしてくれてる。
収入源である領地を失い没落確定とはいえ、いまのところまがりなりにも伯爵家の我が家、出入り業者になることを狙った商会から送り込まれてくる、いわゆる『紐付き』なんかも実際にいるらしい。そういった変な下心のありそうな応募者を、クラウスはせっせとより分けてくれているんだ。
それに、庭師のほうもいろいろ難しいらしい。伯爵のような上位貴族の邸宅に通いで入る庭師はまずいないそうで(住み込みが基本)、しかも給金など条件が良すぎて誰を斡旋すべきかクラウスは頭を悩ませているらしい。
うーん、採用者が決まったら、クラウスには特別手当をはずんであげないと。
と、いうことで今日はドレスの買取である。
宝飾品が高値で売れたしお祖父さまの信託金も入ったけど、やっぱり確保できる現金は多いほうがいい。だから売れるものは売る。それに、引越し前に荷物を減らしておきたいというのもある。
だから今日は、お母さまのドレスや靴などを買い取ってもらうために、ツェルニック商会に我が家に来てもらった。
ツェルニック商会は、あのオークションのとき真珠のピンブローチを落札してくれた若手商人のお店だ。
クラウスに確認したら、宝飾品だけでなく服飾品も扱っているとかで、それならばと買取をお願いすることにしたのよね。なにしろドレスの数が多すぎて、さすがにいちいちオークションにかけるのは無理だったので。
「まさか、クルゼライヒ伯爵家ご夫人のお衣裳部屋に招いていただけるとは、夢にも思っておりませんでした」
お母さまの衣裳部屋の入り口で、なんかもう天を仰ぎ両手を握りしめ噛みしめるようにそういうことを言っちゃうリヒャルト・ツェルニックさん。
こないだのオークションに来てくれたロベルト・ツェルニックさんの弟だ。お兄さんが宝飾品担当で、弟さんが服飾品担当なんだって。
ちなみにロベルト兄も一緒に我が家に来ている。そんでもって、リヒャルト弟の後ろに並んでおんなじようなポーズをしてる。
うん、よく似た兄弟だわ。
でもさすが商売人だけあって、衣裳部屋に入ったとたんリヒャルトさんはキラーンと目を輝かせて勢いよく商品チェックを始めた。
「こちらの繊細な刺繍……このドレスはフルーレ工房でおあつらえになったものですね?」
「この美しいレースの手触り……トゥーラン皇国産の最上級の糸がこれほどふんだんに使われているとは」
「おお、こちらのショールは魔羊の……見た目だけでなく保温の効果も素晴らしい」
「ううむ、ワイバーンの皮をここまで薄くなめし、これだけの色合いに染め上げた靴など滅多にお目にかかれません」
そうなんだよね、あのゲス野郎って超ドケチのくせに、たまにお母さまを連れ歩くときはここぞとばかりに飾り立ててたんだよね。お母さまみたいな美貌の女性を妻にしていることが自分のステイタスだとか思ってたんだろうね。
だからふだんお母さまのことを徹底的に籠の鳥にしちゃってたくせに、たまに見せびらかすために連れ出して。本当に、お母さまのことを単なる自分のアクセサリーだと思ってたんだよ。
ただ、そのために、お母さまの美しさを最大限引き出すようにドレスも小物もそれなりにお金をかけてあつらえてた。それが17年分溜まってるんだから、量も質も相当なレベルなんだと思う。
「それでは奥さま、どの品を私どもにお譲りいただけるのでしょうか?」
期待を込めまくったリヒャルト弟に、お母さまはおっとりと答える。
「そうねえ、わたくしは未亡人ですから、もう社交に出ることはほとんどないと思いますの。もし夜会に招かれても黒の衣装があれば済みますし、あとはふだん着る衣装が数着あれば……」
「奥さま……!」
リヒャルト弟が額に手を当てて天を仰いだ。
そしてスチャッとばかりにお母さまの前に片膝を突く。
「どうかお願いです、そのようなことはおっしゃらないでくださいませ! 未亡人でいらしたとしても、美しいお衣裳をお召しになり、楽しいお気持ちを味わわれることは決して罪ではございません!」
なんだろうね、こないだのイケオジ商人ハウゼンさんもそうだったけど、宝飾や服飾を扱う商人ってみんなこんな芝居がかった人たちなのかしらね。
「そういうものなのかしら……」
リヒャルト弟の熱弁に、お母さまは困惑気味に小首をかしげてる。
実はお母さま、ご自分の美貌にまるっきり無頓着なんだわ。なんかもう服は着られればなんでもいいって感じで、毎日侍女が用意したものを順番に身に着けるだけっていう。
それでも、本当に本物の美人だから、毎日輝くばかりの仕上がりになっちゃうんだけど。
「そうでございますとも!」
リヒャルト弟の熱弁は続いてる。
「もちろん、これほど素晴らしい品々をお譲りいただけるのは、私どもにとって大変光栄なことでございます。けれど、お衣裳はご婦人がたの御身を飾るだけでなく、そのお心にも華やぎを添えてくれるものなのですから!」
リヒャルト弟、絶好調だ。
「もしいまお持ちのお衣裳がお心に沿えぬということでしたら、私どもではお衣裳のお仕立て直しも承っておりますので、そちらもぜひご相談いただければと!」
「あら、それはすてきなお話ね」
パッとお母さまの顔が輝いた。「それなら、娘たちが着られるようにお仕立て直しをしてもらえないかしら? 特に上の娘のゲルトルードは、これから本格的な社交のために、衣装がたくさん必要になりますもの」
「お、お母さま」
思わず、私はお母さまとリヒャルト弟の間に手を伸ばしてしまった。
だって今日はドレスを売るために商人に来てもらってるのに、お母さまってばなんかすっかりリヒャルト弟に乗せられちゃってるんだもん。
「わたくしはいいのです。そもそも、これからは倹約して暮らしていかなければならないのですから……」
「何を言っているの、ルーディ」
めずらしくお母さまが強めの口調で言った。「本来なら貴女はもっとたくさん衣装を持っているべきなのよ。でもわたくしが不甲斐ないばかりに……わたくしのおさがりで本当に申し訳ないけれど、せめてお仕立て直しでも衣装の用意をさせてちょうだい」
あー……ちょっとばかり、私の目が泳いじゃった。
お母さまもね、わかってらっしゃるのよ。私のクローゼットのスカスカぶりを。
あのゲス野郎は、地味で平凡な容姿の娘にカネをかけるなんて無駄なことはいっさいしなかった。だから私はほとんど衣裳を持ってない。はっきり言って、まだ10歳の妹アデルリーナと比べても半分どころか3分の1以下だと思う。
正直、お母さまのそういう気づかいは本当に嬉しい。
でもねえ……費用のこともあるけど、お母さまのドレスなんてどれも私にはまったく似合わないのよねえ……。