125.今日もやっぱりご登場
本日3話目の更新です。
魔術式契約書は、クラウスが商会のエグムンドさんのところまで取りに行ってくれることになった。なんかすっかりクラウスは、ヒューバルトさんの使い走りにされちゃってる気がするな……。
そんでもってマルゴは、いやたぶんモリスも、絞り袋を使いたくてうずうずしてるっぽい。
「ゲルトルードお嬢さま、その道具は『めれんげ』以外でも使えるのでございますよね?」
「ええ、泡立てクリームなんかも、きれいに絞り出せるわよ」
私が答えると、マルゴは冷却箱からふたのついた容器を取り出してきた。
「こちらに、ゲルトルードお嬢さまから教えていただいたバターのクリームが入っております。これで試してみてもようございますか?」
そう、バタークリーム。生クリームじゃなくて、バターとイタリアンメレンゲを混ぜ合わせて作るバタークリームを、なんとマルゴは知らなかったのよ。
私はふつうにバタークリームもこの世界にあるものと思っていたから、薄く焼いたクッキー2枚でクリームをはさんで……って、マルゴにアレを頼んだとき、マルゴが生クリームのほうを考えてたとは思ってなかったのよねえ。
マルゴは、食べるときにクッキーで生クリームを掬って、それにもう1枚クッキーを重ねるおやつをイメージしてたらしい。それで、試作にこんなに時間がかかっちゃったという、ね。
「こちらがお砂糖を使ったバターのクリーム、そしてこちらがはちみつを使ったバターのクリームでございます」
こちらの世界のお砂糖は、真っ白な上白糖じゃない。茶色いお砂糖なんだけど、お砂糖自体が貴重品だ。もちろんグラニュー糖なんてない。だから、生クリームもバタークリームも、それにメレンゲクッキーもちょっと茶色っぽくなるのよね。
でもね、はちみつ……めっちゃ美味しい!
ホントにホントに、100%天然のまったく熱処理してないはちみつって、こんなに美味しいんだって感動したくらいよ。
なんていうか、すっごく甘いんだけど、くどさとか、しつこさがない甘さなのよね。ほんのり酸味があって甘さだけじゃない複雑な味わいで、しかも花の香りもする。蜜を集めた花の種類によって味も違うので、本当に微妙な甘さを味わえちゃう。
私の前世の記憶からしたら、上白糖よりも100%天然はちみつのほうが、よっぽど高級品なのよねえ。
「あ、でも、冷却箱に入れてあったからちょっと固くなっちゃってるわね」
私はスプーンを渡してもらって、それぞれ味見をした。
うーん、どっちも美味しいけど、やっぱりバターの風味がそのまんま味わえるのはお砂糖のほうかなあ。バターとはちみつって組み合わせも美味しいんだけど、今回のおやつはこれにさらにドライフルーツが混ざってくるもんね。
私は、マルゴが出してくれた薄焼きクッキーと、甘口のお酒に漬けこんだ干し葡萄と干し杏も味見をした。
「今回は、こちらのお砂糖を使ったほうのクリームにしましょう」
メルさまからお弁当資金いただいちゃったことだし、今回は贅沢にお砂糖で!
ただ、やっぱり冷やしてあったぶん、絞り袋を使うにはちょっと固くなりすぎてるので、ぬるめの湯せんにかけて少しやわらかくすることにした。
マルゴもモリスもちょっとがっかりしてるけど、後でいっぱい絞らせてあげるから。
「じゃ、この間にもうひとつの試作をしましょうか」
私は、クラウスとカールが買ってきてくれたひき肉を確認した。脂の少ないきれいな赤身のひき肉だ。うふふん、これならがっつり肉肉しいパティが作れそう。
ただ、このひき肉だけじゃ、焼いたときにちょっとボソボソしちゃうかな。あんまり捏ねちゃうとお肉の食感が落ちちゃうし……卵はいらないけど、牛乳に浸したパン粉をちょっと加えるか。
って、パン粉、ないかも……。
もしかしたらパン粉ってモノ自体、この世界にはないのかもしれない。我が家の厨房で見たことがないもの。やっぱ、トンカツもコロッケもないもんね。パン粉を作る必要がないんだろうね。
かといって、マルゴは食材の管理がきっちりしてるから、干からびたパンなんてこの厨房にあるわけがない。
うーん、生パン粉より乾パン粉がいいんだけどな、どうしようかな、スライスしたパンをちょっと焼いて砕く?
と、私が思案していると、その声が聞こえてきた。
「私はゲルトルード嬢の後見人なのだ。親族同等なのだから、何も問題などないであろう?」
「いいえ、他家の殿方が厨房へお入りになるのは、どう考えても不自然でございます」
あー……来たよ、来ちゃったよ。
私だけじゃなく、マルゴもカールもナリッサも、みんな気が付いちゃった。ナリッサの笑顔が氷点下になり、ヒューバルトさんはおもしろがってる顔してる。そんでもって、モリスとロッタはナニが起きてるのかさっぱりわかってない。
厨房の扉が開き、黒づくめの公爵さまが堂々と乗り込んできた。
「ゲルトルード嬢、邪魔をする」
ええ、思いっきり邪魔ですとも。
公爵さまの後ろには、ごめんなさいねと言わんばかりに眉を下げちゃったお母さまがいる。わかっていますとも、お母さまはなんにも悪くないです。こんな横暴なおっさん、げふんげふん、公爵さまを止めるなんて誰にもできやしませんから。
「ごきげんよう、エクシュタイン公爵閣下」
私は笑顔を貼り付けて言った。「本日も我が家の厨房に直接足を運んでいただきまして、まことにありがとう存じます。ただ、お出しできるお料理はまだ何もできておりませんので、ぜひとも客間で、お待ちいただきたく存じます」
はっきりと、イヤミたっぷりに私はカーテシーをしてみせた。
だけど公爵さまは意にも介さない。
「いや、ここで待たせてもらうので、気遣いは無用だ」
気遣いじゃ、ありませーん!
って、誰も許可してないのに、当然のように丸椅子に、やたら優雅に腰を下ろしてんじゃないわよ。近侍さんは相変わらず笑いをこらえて肩をひくひくさせてるだけだし。
それにほら、モリスとロッタなんて真っ青な顔してる。そりゃそうよ、まさか厨房に公爵さまが乗り込んで来るだなんて、夢にも思ってなかっただろうから。
ああ、先に教えておいてあげたほうがよかったかも。カール、しっかり2人のフォローしてあげてね。
「ああ、そうであった、ヒューバルト」
「はい、閣下」
呼ばれたヒューバルトさんが公爵さまの脇に控える。
あ、モリスと、それに特にロッタが驚いてるのはこの2人のせいもあるかもね。ヒューバルトさんはフェロモンの栓を閉めてくれてるけど、それでもこれだけそっくりなイケメンが2人並んでたら、その破壊力にちょっとビビるわよね。
でもって、公爵さまは完全にマイペースだ。
「ヒューバルト、時を止める収納魔道具だが」
「こちらにございます」
ヒューバルトさんが差し出した収納魔道具を手に、公爵さまは私を呼んだ。
「ゲルトルード嬢、きみもこの収納魔道具が使えたほうがいいだろう。登録をしておこう」
それはもちろん、私も使えたほうが嬉しいしありがたいですがっ。
なんか、そのことをちゃっかり言い訳にされちゃってる気がしちゃうのはナゼ?
いかにも、時を止める収納魔道具を貸し出してあげたから、しかもその魔道具を私にも使えるよう登録してあげる必要があったから、自分は厨房まで出向いてきたんだよーん、みたいな?
私はやっぱり笑顔を貼り付けて言った。
「ありがとうございます、公爵さま。ぜひお願いいたします」
とりあえず、時を止める収納魔道具を使えるようには、してもらおうじゃないの。
手招きする公爵さまのところまで行くと、公爵さまは自分の手のひらの上に収納魔道具を乗せた。
「この上に、きみの手を置きなさい」
言われた通り、私は公爵さまの手のひらの上の収納魔道具を押さえるように、自分の手を載せる。
公爵さまは、その私の手の上にもう一方の手を乗せた。公爵さまの両手で、魔道具と私の手がはさみこまれた格好だ。しかし公爵さま、手がデカいな。私の手、完全に隠れちゃうよ。
とたんに、公爵さまの手ではさまれた私の手が、ふわーっとした温かさに包まれた。
あれ、これって……公爵さまの魔力?
魔力だよね?
人の魔力を直接受けると、こんな感じなんだ?
そう思ってると、なんかいきなり、すぽん、と魔力の小さな塊が私の手のひらから吸い取られたような感じがした。
「登録完了だ」
公爵さまはそう言って、私の手を放してくれた。