13.福利厚生は大事
「すでにこちらを辞めた使用人については、特に給金の日割りなどはお考えにならなくて結構だと思います」
クラウスの言葉に、私はちょっと眉を寄せてしまった。
「でも、みな我が家で働いてくれていた人たちなのよ?」
そりゃあ確かに、ヨーゼフの代わりだったいけ好かない役立たず執事とか私のことを完無視してた侍女頭とか、正直辞めてくれて清々した相手も結構いるんだけど。
「その者たちはみな、辞めるさいに奥さまから紹介状をいただいておりますので」
なんだか苦笑気味にクラウスが言う。「下働きの者までもが伯爵家夫人の紹介状を持っているというのは、あまり聞く話ではありません。けれどそのおかげで、全員が条件のよい勤め先を新たに得ていますから」
「そうなの?」
「はい。正直なところ、紹介状をまったく出さない貴族家もめずらしくありません。今回こちらを辞めた者はみな、十分に感謝していると思います」
私はお母さまと顔を見合わせてしまった。
お母さまはクルゼライヒ伯爵家の紋章入りの便せんを使って、形式通りにせっせと何十枚も紹介状を書いてサインを入れた。私も辞める使用人のリストを作るなど、せっせとお手伝いをした。
私もお母さまも、我が家を辞める人が次の仕事探しに困らないよう紹介状を渡すのは当然だと思ってたから、そうしただけなのに。
なんかもう、貴族家ってどこもブラック過ぎるよ。
そう思って、私は気がついた。
住み込みで衣食住を与えるだけでお給料を渡さないってことは、侍女も従僕もいつまでたっても自立できない。それどころか、仕事を辞めたとたん衣食住のすべてを失って路頭に迷う。お金を貯めて結婚して家庭を持って何か自分で商売を始めるとか、そんな展望なんてまったく描けない。
それこそが貴族の狙いなんだ。
最低限の保障で人を縛り付け身動きできないようにして、できるだけ安上がりに使いつぶす。
完全に、消耗品扱いだ。
うわーでもこれって完全に、日本のブラック企業と同じだよね?
日本だってあったもん、お給料は一定額支払われてるけど、寮に住まわせて寮費だの食費だの研修費だのってさんざん天引きして、手元にほとんどお金が残らないようにしちゃうブラック企業って。
ああもう、前世が身に染みるわ……。
「クラウス、わたくしは真面目に働いている人には、ちゃんと対価を得てもらいたいの」
なんだか泣きそうな気分で私は言ってしまった。「だって、一生懸命真面目に生きてる人が報われないなんて、すごく悲しいことじゃない?」
「ゲルトルードお嬢さま……」
「だからね、我が家はこんな状況で、正直あまり余裕もないのだけれど、それでも新しく雇う人たちにもちゃんと、できる限りお給金を払いたいのよ」
宝飾品も売れたしお祖父さまの信託金ももらえることになったし、私たちは本当に恵まれてる。だって、貴族に生まれたっていうだけで、最初から与えてもらっているものを使っているだけで、贅沢な暮らしができちゃうんだもの。
それを少しでも還元するのって、絶対大事なことだよね?
「いいでしょう、お母さま?」
確認をとるようにお母さまへ視線を送ると、お母さまもしっかりとうなずいてくれた。
「もちろんよ、ルーディ」
お母さまが私の手を取ってくれる。「そうやってほかの人のことを思いやれる貴女は、本当にわたくしの自慢の娘よ」
それから、弁護士のゲンダッツさんズにも相談して、使用人の基本給を決めた。
本当に大した金額じゃないんだけど、真面目に働いてくれればそこに手当や一時金を上乗せしていくことにした。
執事のヨーゼフには当然使用人のトップとして管理職手当をつけるし、ナリッサもこれを機会に侍女頭になってもらって手当をつけることにした。
下働きのカールは基本給だけだけど、それでも破格だとクラウスはちょっと遠い目をしていた。クラウス、商業ギルドでどれくらいお給料もらってんだろ。まさか、職員も無給なんてことはないよね?
「この条件で使用人の募集をかけると、おそらく応募が殺到しますよ」
なんだかやっぱり遠い目でクラウスが言う。「侍女は1人か2人とおっしゃっておられましたが、それはいかがいたしましょう?」
「わたくし、もしもできるのなら侍女は、ヨアンナに戻ってきてもらいたいのだけれど……」
お母さまが突然言い出した。
そして言いながら、お母さまは視線をヨーゼフのほうへ送っている。その視線に答えるようにヨーゼフがうなずいた。
「ヨアンナの消息については心当たりがございます」
お母さまがハッと身を乗り出した。
「では連絡は可能かしら?」
「確実とは申し上げられませんが、連絡をとってみましょう」
「ええ、ええ、ぜひお願いね、ヨーゼフ」
ヨアンナは以前、我が家に勤めていた侍女だ。
確かお母さまの専属侍女の1人で、幼い私にも親切にしてくれていた記憶がある。当時はまだ二十歳を過ぎたばかりの、若い侍女だったと思う。
でも、ある日気がついたら、ヨアンナはいなくなっていた。
お母さまは、ヨアンナは急な事情があって辞めたのよ、とおっしゃっていたけれど……私はいまのお母さまとヨーゼフのやり取りで確信した。ヨアンナは、あのゲス野郎に辞めさせられたんだ。それもたぶん、私が原因で。
ヨアンナがいなくなる前の数日間、私は記憶があいまいでおぼろげだ。そのことに関係があると思って間違いない。
「では、そのヨアンナさんというかたが決まるまでは、侍女の募集はお待ちしたほうがよろしいですか?」
クラウスの問いかけに、お母さまは少し思案する。
「そうね、確実ではないとのことだから、1人は募集をかけておいてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
クラウスが頭を下げる。「では、従僕や御者はどういたしましょう? 先ほどの条件で募集をかけると、やはり応募が殺到すると思いますが……それに、もし御者を雇用される場合は、馬車と馬のご購入についても商業ギルドで業者をご紹介できますが、いかがいたしましょう?」
うーん、従僕や御者をどうするかって、本当に悩みどころなのよね。
我が家は未亡人と令嬢だけの家になっちゃって、しかもいまいる男手はおじいちゃん執事のヨーゼフとまだ少年のカールだけっていう状況はさすがに不安。
だからできれば用心棒も兼ねてくれるような、ちょっと厳つい感じの男手が欲しい。
でも、だからこそ邸内に住み込みになる従僕の場合、人選がすごく難しくなるのよ。
それでなくてもお母さまは美しすぎるしアデルリーナはかわいすぎるんだから、まかり間違っても変な気を起こしそうな人を家に入れるわけにいかない。それに、本人にそんな気がまったくなくても貴族には『外聞』ってものもあるし。
ホント、あと4~5年もすれば、カールを従僕にすることができるんだけど。
カールなら侍女頭になったナリッサの弟だからね。なんか、同じ屋敷内に身内が雇われている場合、外聞的に問題がないとみなされることが多いらしいのよ。だからカールがどんだけイケメン青年に育っても(その可能性は高い)大丈夫なのよね。
御者の場合は厩暮らしになるのでそこまで気を遣う必要はないのだけれど、御者がいるのに馬車がないという状況にはできない。
ただね、馬車って維持するのにすっごく経費がかかるの。御者だけでなく馬も必要だし、場合によっては御者以外に馬の世話をする厩番も必要になるし。
だから当面は必要に応じて貸馬車を利用し、通学には貴族令嬢用の乗り合い馬車を利用するのもアリかと思ってたんだけど……ただ、乗合馬車で通学する場合、ナリッサは連れて行けない。本来は、侍女をともなって登院できないような爵位のない名誉貴族の令嬢が利用するものなんだよね、通学用乗合馬車って。
うーん、ほぼ実質的に名誉貴族向けといっていいテラスハウスに住むことも拒否されちゃったくらいなんだから、乗合馬車にも乗せてもらえない可能性が高いなあ。
それを思うと、やっぱり馬車は買うしかないかって気がする。そして御者も雇う。できたらちょっと厳つい感じの。
とにかく問題なのは私の通学だ。新居から学院まで、正直に言って歩けない距離じゃないんだけど、貴族令嬢が街中を徒歩で通学するのはどう考えてもまずいだろうしねえ……。





