103.思い違いだらけだった
本日も2話更新です。
「で、その私腹を肥やしていた輩の処罰はこれからなのだが」
公爵さまは咳ばらいをして続けた。「取り急ぎ、領地の立て直しが必要だ。幸いなことに、先代未亡人に仕えていた使用人たちがまだ領地に残っており、領主館の人員を総入れ替えしてきた」
そこで、公爵さまは私に視線を戻した。
「先代未亡人に仕えていた彼らは、代々クルゼライヒ領主、つまりきみのオルデベルグ一族に仕えてきた者たちだ。それこそ家令から下働きにいたるまで、彼らには自分たちが領主を支え、ともに領地を発展させてきたという自負と誇りがある。私は、彼らに領主館へ戻ってもらうにあたり、手続きが済み次第必ずきみに、つまりオルデベルグ一族の当主たるゲルトルード嬢に、領主の地位を返すと約束した。彼らは、そのことに納得したからこそ、いま領地の立て直しに奔走しているのだ」
ぽかん、と……本当にただ、ぽかん、と……私はしてしまっていた。
あの、代々って……使用人も、もしかして世襲? いや、ちょっと待って、それってもう使用人というより、家臣? あの、領主と使用人って……そういう関係なの?
公爵さまはさらに言う。
「領主館の家令は、七代目である自分の代でクルゼライヒ伯爵家を、領主であるオルデベルグ一族を絶えさせてしまうわけにはいかないと、何度も何度も王都へやってきて、前当主をいさめようとしていたらしい。けれど、完全に門前払いで面会することすらかなわなかったと、それこそ声を震わせて私に告げてくれた。彼らにしてみれば、どれほど歯がゆい思いをしてきたことだろうか」
な、七代目って、ナニソレ、譜代の家臣? 家令じゃなくて家老?
領主って、もしかして本当にお大名とか、お館さまみたいなもんなの?
なんか、なんか、私がこの王都のタウンハウスで経験してきた、雇い主と使用人っていう関係とは、根本的に何かが、まったく違う気がするんですけど……!
冗談抜きで驚愕しちゃってうろたえてる私を、公爵さまはその不思議な藍色の目で見つめてる。
「彼らにとっては、きみが、領主であることが何より重要なのだ。たとえきみがまだ5歳の幼児であったとしても、彼らは喜んできみの前で膝を折るだろう。きみが一言、王都で人手が足りぬと言いさえすれば、彼らは競って手を挙げるに違いない。きみの傍に仕えることができる、その名誉を欲しがって」
公爵さまは視線を落とし、そして深く息を吐きだした。
「きみは、領地を訪れたことが一度もないと言う。親から領主教育を受けたこともないと言う。それはつまり、こういうことが、まったくわからないということなのだな……」
「わかりませんでした……」
私は、本気で泣きそうだった。
だって、まさか領主っていう立場がそれほどのものだったなんて……そりゃもう、私には最初から拒否権も退路も、そんなものあるわけがない。公爵さまだって、最初からそんなもの斟酌することすら夢にも考えてなかったのも当然だ。
絶対的、なんだもの。
単なる世襲の経営者なんてものとは、まったく違う。絶対に逃げることが許されない、できるかできないかではなく、必ずやるしかない、そういう類のものなんだ。
こういうことって本当に、幼いときからたとえ年に数回であっても領地を訪れ、領主一族であることを周囲から求められ、そのように使用人に傅かれて育っていれば、自然と理解できることなんだと思う。
でもそれだけに、学んで身につくようなものじゃない。
もしかしたら、王都のタウンハウスにだって、代々仕えてきた使用人が居たんじゃないだろうか。それを、あのゲス野郎がみんな追い出して、自分に都合のいい、自分に媚びるだけの使用人に変えてしまった可能性が高い。
だから私には『こういうこと』が、決定的に足りてないんだ。
前世の日本社会の庶民にはすっかり縁遠くなってしまってた話だけど……お家のために身を捧げる、それが要求されてしまう立場に、私は転生しちゃったんだ。
この世界の貴族に生まれたということは、こういうことだったのかと、私はいま初めて痛感した。
なんかもう、自分がどれほど思い違いをしてしまっていたのか、そのことがショック過ぎて茫然としちゃってる私に、公爵さまは言ってくれた。
「きみが育ってきた環境を考えれば、いろいろと不安になるのはしかたのないことだろう。それでも、領主であるきみを支えようと、支えたいと願っている者がいる」
そして公爵さまは少しばかり苦笑を浮かべた。「どのみち、領主であろうが1人ですべてを司ることなど不可能なのだから。領主の仕事の9割は、人を測ることだ。自分を支えてくれる者を見極めることができれば、たいていのことは片が付く」
そう言って、公爵さまは私に立ち上がるよう、手で示した。
「とりあえずきみの場合、できるだけ多くの人に会うことから始めるべきだな。いまきみが見ている世界は、どうにも狭すぎるようだ」
うっ……それに関しては、まったくもってその通りだと思います。
本当に、いままでずっと、あのバカでかいタウンハウスの中だけが、私の世界だったんだもん。
椅子から立ち上がる私に、公爵さまはまた言ってくれた。
「もうきみが、家の中でまで必死になって母君や妹を守る必要は、なくなったのだし」
そこまでお見通しでしたか……。
なんか私、公爵さまのこともいろいろ思い違いしてたかも。悪い人じゃない、どころじゃなかったかも。これからは、もうちょっと素直に頼ってしまってもいいのかも。
とりあえず、先輩領主であることは間違いないんだし、いろいろ教えてもらおう。相談にも乗ってもらおう。
そう思いながら、私は公爵さまと一緒に客間を出た。
そこでふと、思い出したように公爵さまが言った。
「そう言えば、きみと同じ学年にいるのだったな」
「どなたが、ですか?」
きょとんと見上げる私に、公爵さまはまた苦笑する。
「きみは、どのような学院生活を送っているのだ? 少しは令嬢同士の付き合いというものもしておくべきだぞ?」
ええ、それについても、返す言葉はございませんとも。すでにお茶会参加もきっぱり諦めております。
もう思わず胸を張っちゃいそうになった私に、公爵さまは教えてくれた。
「クルゼライヒ領に隣接している、デルヴァローゼ領の侯爵家令嬢と、同じく隣接しているヴェルツェ領の子爵家令嬢だ。ヴェルツェ子爵家は、子息も在学しているはずだ。せめて隣接している領地の領主一族とくらいは、知己を得ておきなさい。領境で何か起きたときも、まったく知らない相手と交渉するより、はるかにいいだろう?」
同学年にそんなご令嬢やご子息が!
全然知らなかったよ!
「それに、ヴェントリー伯のリドも、すぐに紹介できるな。まあ、リドの場合は、私が放っておいてもレオ姉上が紹介するだろうが」
どなたですか、リドさんって?
問いかけてしまっていいのか、私が迷っている間に、公爵さまはさくさくと話を進めてしまう。
「学生の間は、本格的な社交には参加しないことが建前になっているが、そんなものは本当に建前にすぎぬ。『新年の夜会』でお披露目をすれば、きみも一気に注目を集めてしまうだろうから、いまのうちに学院内で顔を売っておくべきだな。まあ、いきなり顔もわからぬ者ばかりの集まりに放り込まれてしまってもいいというのであれば、特に勧めはしないが」
な、なんか、さらっと恐ろしいことをおっしゃっていませんか?
思わず身をすくめちゃった私に、公爵さまはクッと口の端を上げた。
わ、笑いましたね? 笑ってくれちゃいましたね、公爵さま!
「これからは、きみの周りには多くの人が集まってくる。むしろ、その中から誰を選んでどのように付き合っていくのか、それをまず考えなければならないだろう」
そして公爵さまは廊下の奥を示した。「それでは、厨房の確認をしようではないか。これから、新たな料理のレシピを作っていくには、非常に重要な場所だな」
なんかそれっぽい名前をつけようとすると『ヴ』ばっかりになってしまう……。