102.いままで公爵さまが黙っていてくれたこと
本日2話目の更新です。
それから私たちはようやく、玄関から家の中に入った。
そして1階にある客間や晩餐室を見て回る。
「確かに少々手狭だが、かえってそれがいいだろう」
私がまたもやきょとんとしてしまうと、公爵さまは説明してくれた。
「未亡人と令嬢だけの家に、不用意に客を招くべきではない。それは、たとえ女性の客であっても、だ」
そしてちょっと顔をしかめて公爵さまは言う。「言い訳をさせてもらうと、最初に私がご当家を訪問したときも、まさか邸内にあそこまで人がいないとは思っていなかったのだ。それがわかっていれば、私は客間に招かれたりはしなかった」
一応、気を遣ってはくださってたんですね?
うなずいた私に、公爵さまは続けた。
「今後は、よほど親しい客を招くとき以外は、後見人である私か、最低でも弁護士か商会員を同席させなさい」
そこまで注意しないとダメなんですか?
私はびっくりしちゃったんだけど、でも確かに言われてみればそうだと思い直した。
だってこないだだって、不用意に門を開けてしまってたばかりに、あのクズ野郎を招き入れることになっちゃったんだし。
本当に、あのとき公爵さまが駆けつけてくれていなかったら、どうなっていたことか。ヨーゼフだって、あの程度のケガで済まなかったかもしれない。
公爵さまはさらに言ってくれた。
「この後、商会用の建物を確認しに行くが……今後、きみが新たな客と面会する場合は、そちらを使うようにしよう。商会での面会であれば、必ず商会員の目がある。それに、きみの母君や妹もそのほうが安全だ」
「ありがとうございます。そのようにいたします」
ホンットに、絶対、お母さまやアデルリーナを危ない目にあわせるわけにはいかないわ。うかつに、自宅に人を招き入れちゃいけないって、基本だよね。
やっぱり、前世の日本はなんだかんだ言っても治安がよかったもんねえ。女の一人暮らしだと確かに用心はしてたけど、いまは家の中に何人も人がいるっていうことで、どこか気持ちが緩んでたと思う。その感覚じゃダメってことだ。
それに、いま暮らしてるあのバカでかいタウンハウスも、高い塀と鉄柵にぐるりと周囲を囲まれていて、門もめちゃくちゃ立派で頑丈で、窓には鉄格子がはまっていたりするんだけど、それってやっぱり防犯に威力を発揮してるってことだわ。なんかもう、でっかい監獄かって思ってたりもしてたんだけど。実際、その意図もあったとは思うけど。
「さきほど我々が確認した点については、早急に対策を施そう。まずは、塀の上の鉄柵を高くすることを急がせよう」
そう言う公爵さまの横で、近侍さんがさっきのチェック項目をささっとメモしてる。
あー、うーん、もうこういうときは、よろしくお願いします、だけでいいんだよね?
遠慮というか、そこまでなんでもかんでもヨソの人にしてもらっちゃっていいのかって、どうしても私は思っちゃうんだよねえ。
私がまたちょっとぐるぐる考えこんじゃってる間にも、公爵さまはさくさくと自分の考えを進めてる。
「そうだな、春先に一度、きみをクルゼライヒ領に連れて行くとして……そのとき何人か、領主館から人を連れてこられれば、それがいちばんなのだが……」
「え、あの、領主館からって……使用人を、こちらに連れて来るということですか?」
思わず問いかけた私に、公爵さまはうなずく。
「そうだ。それがいちばん確実だからな」
「えっと、でも、わたくしはいままで一度も領地を訪れたことはございませんし、領主館の使用人とも一度も面会したこともないのですが……」
いや、いくら自分トコの使用人だからって、いきなりこっちへ引き抜いちゃっていいもんなの?
だいたい、私なんて未成年の小娘だよ? おまけに領主だなんていったって、完全に(仮)状態だし。そんな頼りない領主の命令で、いきなり王都に連れてこられて、それで納得して働いてくれるもんなの? 同じ家の中で日常的に接する使用人なのに、ずっと不満を抱えたまま接することになるのは、お互いキツイと思うんだけど……。
公爵さまは、なんだか不思議そうな顔で、その藍色の目を瞬いてる。
「それが、何か問題なのか?」
「えっと、わたくしはその、領主といっても、いまのところ完全にお飾りですし……」
私の言葉に、公爵さまはさらにその目を瞬かせた。
「飾りの、何がいけないのだ?」
は、い?
今度は私が目を瞬かせてしまった。
公爵さまは眉を寄せて私の顔を見下ろしてる。
そしてわずかに首を振ると、公爵さまは静かに言った。
「クルゼライヒ領の現状について、少し話しておこう。そこに座りなさい」
私は言われるままにその場の、つまり客間の椅子に腰を下ろした。
うん、衣装箱を運んできたとき、ナリッサと2人で埃を払う程度だけど掃除しといてよかったわ。
私の前に腰を下ろした公爵さまは、しばし逡巡していた。何から話すか、考えていたんだと思う。
そして、公爵さまは口を開いた。
「クルゼライヒ領は豊かな領地だ。土地や気候にも恵まれ、交易の拠点もある。だから、本当によほどのことがない限り、領内が荒れるということは考えにくい」
そう言って公爵さまは息を吐く。「しかし、そのよほどのことが、起きていた」
目を見張っちゃった私に、公爵さまは淡々と続けた。
「5年前、先代未亡人がお亡くなりになって以来、クルゼライヒ領から国へ納める税がいっさい上がってこなくなった。いくら問い合わせても『不作だ』の一点張り。まったく、そんな幼稚な言い訳が通用するとでも思っていたのか……国もさんざん指導をしてきたがらちがあかず、この収穫期には抜き打ちで査察に入ることになっていた」
あー……あのゲス野郎、領地を私物化してやがったのか。
なんかもう、私は簡単に想像がついちゃって、恥ずかしさで顔を覆いたくなっちゃった。
公爵さまは、またひとつ息を吐いて続ける。
「しかし、領主が急逝した。どんな形であれ、領主が交代するときは必ず国から一度、査察が入る。そうなると、領地で私腹を肥やしていた連中が真っ先にすることは決まっている。領主の私財の強奪、そして逃亡だ」
うわー……これも簡単に想像がついちゃうよ。タウンハウス内であのゲス野郎に媚びてるだけだった使用人が、どういう連中だったか私は身をもって知ってるから。
実際、我が家から使用人が次々と辞めていったあと、確認したら明らかに銀食器が減っていたし、こないだ魔石回収を行ったときも魔石が入っていない魔道具がいくつも見つかった。
たぶん、辞めていくときに勝手に持ち出した、いやもうはっきり盗んでいったヤツがいるんだわ。あまりにも情けなくてみっともないことだから、私もお母さまも口にせずにきたけれど。
「私としては、それはなんとしても避けたかった」
公爵さまはやっぱり淡々と言う。「だから、証文が整ったところですぐ、私はクルゼライヒ領へ向かった。そして、かろうじてそのような不逞な輩に領主館を荒らされてしまうことを未然に防ぐことができた」
うわー! ホントに、ホンットに申し訳ないです! そんな事態になってたなんて!
もう、ただ頭を下げる以外、私にできることなんかない。
「ありがとうございます、公爵さま。心から感謝申し上げます。そして、本当に申し訳ございませんでした」
「いや、きみが気にすることではない」
公爵さまはそう言って、軽く手を振って視線を逸らしてる。
いやいや、どう考えてもソレって、誰を差し置いてもまず私が気にしないとダメなことでしょ。
でも、なんかようやく、私にもわかってきた。
『わざと』だったんだわ。
公爵さまは『わざと』あのゲス野郎の身ぐるみを剥いだんだわ。
たぶん、そうすることで、クルゼライヒ領を一時的にでもゲス野郎から取り上げることが目的だったんだと思う。それもおそらく、国からの依頼で。
やり方としてはかなり強硬だけど、何かそういう強硬策を取らないといけないくらい、緊急で大きな問題が生じてたんじゃないだろうか。
なんか……なんか、ホンットーーーに、いろいろすみません、公爵さま!