閑話@商業ギルド意匠登録部門室クラウス2
クラウスの話の続き、本日2話目の更新です。
もちろん、エグムンドさんは意匠登録部門の部門長だから、俺だって顔と名前は知ってた。その、噂話もいろいろと聞いていた。
エグムンド・ベゼルバッハ登録部門部門長といえば、とにかく有能過ぎて周囲から煙たがられてるとか、いやそれだけじゃなく元貴族だから煙たがられてるんだとか。とにかく、商業ギルドの中でも孤高の人という印象だった。
実際、意匠登録部門に部下は1人もいない。申請された意匠登録は、すべてエグムンドさんが1人で審査してる。幹部会はエグムンドさんが提出した審査書類に署名するだけだと言われている。
ヒューバルトさまは、何をしているのかさっぱりわからないけど、とにかくしょっちゅう商業ギルドに出入りしている貴族のご令息という印象だった。
またとにかくその容姿がいつも話題になっていて、俺も初めて対面したときは本気でちょっとクラッとしたほどだ。そりゃあもう、これだけの色香を振りまいてたら、ご婦人がたなど意のままだろうなんて噂が立つのは、ある意味しかたのないことかもしれない。
でも、実際会ってみたヒューバルトさまは実に気さくで、しかも実に賢い人だということが俺にもすぐにわかった。まあ、まったく裏がない人だとも思えなかったけど。
あの日、俺は、ゲルトルードお嬢さまから意匠登録に詳しい人を紹介してほしいというご連絡をいただいて、この意匠登録部門室を訪ねた。
エグムンドさんは、俺が用件を口にする前に『きみを待っていたよ』と言って、にんまりと笑った。そして、ヒューバルトさまを紹介してくれた。
そこからはもう、なんだかぽかんとしている間にどんどん話が進んでいった。
だけど、エグムンドさんから、俺も『ゲルトルード商会』に参加するように、念のためゲルトルードお嬢さまからだけでなくエクシュタイン公爵閣下からも参加の許可をもらうように、と言われたときは、またちょっと血の気が退いた。
実際今日は、公爵閣下からお許しをいただくまで、ずっと生きた心地がしなかった。
「明日の物件確認、ヒューバルトどのも立ち会われますか?」
「ヒューでいいって言ってるでしょう、エグムンドさん」
ヒューバルトさまが苦笑しながら答えてる。「明日はもちろん俺も立ち会いますよ。3階は俺にも貸してもらえることになったし」
そしてヒューバルトさまは、俺に顔を向ける。「クラウス、明日からよろしくね」
「えっ、いや、とんでもありません」
俺は思わず姿勢を正そうとしたんだけど、ヒューバルトさまはやっぱり笑って俺を抑えるように手を振った。
「そんなに畏まらなくていいって。クラウスも俺のことはヒューでいいから。それに、俺は毎日にはならないとは思うけど、当面同じ宿舎で寝泊まりするんだぜ? そんなに畏まってたら疲れるだろ?」
「いや、でも、それはさすがに……」
俺は言葉を濁してしまったけど、不安がないわけがない。
なにしろ、ゲルトルード商会として購入する物件の3階では当面、俺とこのヒューバルトさまが寝起きすることに、すでに決まってるんだから。
商業ギルドを辞めれば、当然寮も出なければならない。とりあえず安宿にでも転がり込んで、それから下宿先でも探すかと俺は思ってたんだけど、ヒューバルトさまにあっさり言われたんだ。商会の建物に住めばいい、って。
「いや、俺は大助かりだよ」
ヒューバルトさまはやっぱり笑ってる。「我が家みたいな貧乏子爵家は、王都にタウンハウスを買うだけの余裕なんてないからね。アーティは公爵家に住み込みだし、弟のヴィーは魔法省の寮にいるから問題ないんだけど、俺だけずっと決まったねぐらがなくて、さすがに不便だったんだよね」
貧乏子爵家だとか、自分は三男だから家督を継ぐ可能性はまったくないとか、ヒューバルトさまは気軽にそういうことを口にされているけど、それでも中央貴族のご子息なんだぞ。同じ建物の中で寝起きするとか、緊張するなっていうほうが無理だろ。
それに、エグムンドさんだって元貴族だ。
それも、噂によると伯爵家の嫡男だったのに、家督を妹婿に譲って貴族位を返上したらしい。そこにどんな理由があったのかなんて、怖くて俺には訊けないけど。
「3階は、まだあと4、5人は寝泊まりできますよ。場合によっては早急に商会員を増やす必要もあるでしょうから、3階を宿舎にしてしまうのは妙案だと思います」
エグムンドさんがそう言って、ヒューバルトさまもうなずいている。
「俺も通りがかりにざっと見ただけだけど、場所もいいし大きさもいい感じの物件だったな」
「ええ、あれくらいの大きさは最低でも必要でしょう」
「うん、1階に店舗を置いても、最初は商品数が足りなくて寂しい感じになるかなあと思ってたけど」
ヒューバルトさまがにんまりと笑う。「まったく、ゲルトルードお嬢さまにかかれば、すぐに目新しい商品でいっぱいになりそうだ」
「まったくです」
なんだか、エグムンドさんとヒューバルトさんが悪い笑顔でうなずきあってる。
「そうだ、クラウスは、料理はできるの?」
「は? えっと、料理ですか?」
ヒューバルトさまからいきなり問われて、俺は慌てて答えた。「あの、簡単なものなら……たいした料理は作れないです」
「そうなのか。うーん、ゲルトルード嬢のレシピが届いたら、試作と称して商会内で作ってもらえないかと思ったんだけど。あの物件、1階に小さな厨房があるんだろ?」
ヒューバルトさまが苦笑する。「今日の『ぷりん』も美味かったけど、俺、ウワサの『さんどいっち』だってまだ食べさせてもらってないんだよねえ」
「あ、『さんどいっち』くらいなら」
俺が答えたとたん、ヒューバルトさんが食いつく。
「えっ、『さんどいっち』なら作れる? なんか、細長いパンにソーセージ挟むヤツと、パンを薄く切っていろいろ具を挟むヤツの2種類があるって聞いてるけど?」
「あの、はい、先日、エグムンドさんとクルゼライヒ邸を訪問したときに食べさせてもらいましたし」
俺がエグムンドさんに視線を向けると、エグムンドさんもうなずいてくれた。
「ええ、本当にパンに具材を挟むという、ごくごく単純な料理なのに、具材の種類やパンの形を変えるだけで実にさまざまな食べ方ができると驚きました」
「そりゃ朗報だな。じゃあ、楽しみにしてるぜ、クラウス」
「いやもう、本当に簡単に、パンに具材を挟むだけですよ?」
「それが、斬新なんだって」
なんだかヒューバルトさまはすっかり上機嫌だ。でもって、ちょっと首をひねって言い出した。
「でもさすがに、『ぷりん』は無理か?」
「あー、たぶん、無理です。カール……あの、クルゼライヒ伯爵家で下働きさせてもらってる弟が以前、ゲルトルードお嬢さまが『ぷりん』を作られているとき、お手伝いさせてもらったらしいんですけど」
「えーっ?」
ヒューバルトさまがさらに食いつく。「なんだそれ、そういうことがあったの?」
「はい、あの、俺も弟から聞いただけなんですけど、その、火加減とか、いろいろコツがあるらしくて」
「うーん、そうなのか……それは残念だな」
「しかし、あの『ぷりん』を店頭で販売するのは、やはり難しいでしょうかね?」
エグムンドさんが考え込むように言い出すと、ヒューバルトさまも眉を寄せた。
「そりゃあ、あれだけやわらかいおやつだと、持ち帰る間につぶれちゃうよ」
「あ、でも皿に出さずに容器に入れたままなら、持ち帰りができるんじゃないですか?」
俺が何気なく言うと、エグムンドさんもヒューバルトさまもすごい勢いで食いついてきた。
「クラウス、容器に入れたままとは?」
「あの『ぷりん』ってどうやって作るのか、クラウスは知ってんの?」
「えっ、あの、お2人は、さっきレシピをご覧になったんですよね?」
ちなみに俺は、レシピの購入予定なんかないので、まったく見ないようにしていた。
「レシピなんか見たってわかんないって! とりあえず卵と牛乳を使ってるんだな、くらいしか」
「私もまったくわからなかった。あの書き方には驚いたが」
さすが貴族家のご令息と元貴族ってことだろうか。
俺は、カールから聞いていることを説明した。
「あの、俺も詳しくはわからないですけど、溶いた材料を小さなカップに流し込んで蒸すんだそうです。だから、弟はカップに入ったままの状態で、スプーンで掬って食べたと言ってました」
「カップに流し込んで蒸す?」
「今日はカップに入っていたものを、皿に空けてあったのか?」
エグムンドさんとヒューバルトさまが顔を見合わせている。
「ええ、だから、カップに入ったままの状態で、それにあの、先日ゲルトルードお嬢さまに見せていただいた、手で温めると形を整えられる布でぴったりふたをしておけば、たぶんそのまま持ち帰りできますよ」
「それだ!」
エグムンドさんとヒューバルトさまが同時に叫んだ。
「冴えてるじゃないか、クラウス!」
ヒューバルトさまが俺の背中をバンバンとたたく。
「いや、すばらしい。実にいい案だ」
エグムンドさんは立ち上がって室内を歩き回り始めた。「明日はまず、商会の1階の厨房を拡張することを公爵閣下とゲルトルードお嬢さまに提案せねば」
「いや、まったくだ!」
なんかまた、2人して悪い笑顔を浮かべてうなずきあってる。
うん、エグムンドさんのおかげで今後も王都で、それもゲルトルードお嬢さまの商会で働けるようになったことには、本当に心から感謝してるけど……でも俺、こんな環境で本当にやっていけるのかな……。