1.伯爵令嬢ただいま所持金ゼロ
「ゲルトルード嬢、このたびは御父上のこと、お悔やみ申し上げます。つきましては多少なりともお慰めになればと、我がベルツライン子爵家の茶会にお誘い申し上げたいのですが……」
私はその声に振り向いた。
授業を終え、急ぎ帰宅すべく学舎の玄関ホールに向かっているところだった。
我がベルツライン子爵家? って誰だっけ? ああ、確か1学年上にいるご次男だ。ブロンドに青い目の典型的王子様タイプのイケメン。えーと、名前は何だっけ?
私は彼のその青い目を見上げて少し困ったように微笑み、制服のスカートに手を添えて軽く膝を折り挨拶した。
「お誘いありがとうございます。けれど申し訳ございません、当主の急逝により、遺されたわたくしたちは立ち退きを迫られておりまして」
「た、立ち退き?」
「ええ、当主が賭け事で領地をすべて、それにこの王都のタウンハウスに至るまで何もかも失ってから亡くなってしまったものですから」
「え、あの、領地をすべて?」
子爵家ご次男さまの目が一気に泳ぐ。
私は頬に片手を当てて小首を傾げる。
「ええ、ですからわたくしたち、タウンハウスから早急に立ち退きを」
「そ、それは大変なことになりましたね。いや、それではあの、お忙しいでしょうから茶会には無理にご参加くださらなくても……」
そうですね、本当に残念ですが……と私が寂しげに見えるように微笑むと、ベルツライン子爵家ご次男さまはそそくさと去っていった。
その後ろ姿に、私は思わず目をすがめる。
そして傍に控えていた侍女のナリッサが、そのきれいな顔に笑顔を貼り付けたままぼそりと言った。
「あれほどあからさまに掌を返してくださるのなら、いっそ清々しくございますね」
「まあでも、そういうものでしょ」
私は小さく息を吐いてナリッサにささやく。「領地を含め財産をすべて失って、残っているのは伯爵家の名前だけ。それがわかれば、わざわざわたくしに言い寄ってくるような殿方もいらっしゃらないと思うわ」
地味顔でチビのツルペタ体型で華やかさのかけらもない私に、地位と財産以外の目的で言い寄るような男がいるわけないじゃん、と私は率直に思うのだけど、ナリッサは違うらしい。
「そんなことはございません」
ナリッサは頑として首を振る。「いままでは単に、ゲルトルードお嬢さまの存在が貴族社会の中で知られていなかっただけでございましょう。おそらく今後は貴族家の殿方だけでなく、平民の豪商などもお嬢さまに注目するはずです」
ナリッサの言葉に、私は貴族令嬢らしからぬ顔のしかめ方をしてしまった。
我が家には伯爵位を継げる男子がいない。
当主はかねてより、このまま男子が生まれなければ、長女の私ではなく妹のアデルリーナに婿をとって跡を継がせると公言していた。
けれど当主の息子は生まれず、しかも正式な遺言書を作成する前に亡くなってしまったため、このレクスガルゼ王国の法に則り、長女である私の配偶者が伯爵位を継ぐことになってしまったというわけだ。
おかげで、まったくもってはた迷惑な、打算まみれモテ期の到来になりそうである。
家督を継げない貴族家の次男以下子息が手っ取り早く爵位を得るには、いわゆる爵位持ち娘を捕まえて婿養子に入ることだからね。
ホンット、こちとら身ぐるみ剝がされてそれどころじゃないってーのに。とにかく当面の生活資金をどうやって工面するか、それだけでもう頭ん中はパンパンなんだから。
って、そこまであからさまなことは、さすがにナリッサ相手でも口にはできない。若いけど超有能侍女のナリッサとは、ふだんからかなり突っ込んだ話もしているんだけど。
「勘弁して欲しいわ。それは確かに、これから商人とのおつきあいは必要だけれど」
ぶなんな返事をした私に、ナリッサはニヤリと悪い笑みを浮かべてくれた。
「とりあえず今夜の取引具合で、商人たちとの今後のつきあいは決まりそうでございますね」
校舎の玄関ホール前の車寄せに次々と馬車が入ってくる。我が家であるクルゼライヒ伯爵家の紋章が入った馬車がやってくると、私はナリッサとともに乗り込んだ。
この馬車が自由に使えるのも今日までだ。御者が今日限りで辞めることになっているから。
我が家の使用人の大半は、当主が賭け事で全財産を失った状態で急逝したとわかったとたん、とっとと去っていった。この御者はたまたま、次の仕事が決まるまで少し日にちがかかっただけという話だ。
明日から秋の自由登院期間に入るのがありがたい。通学のために貸馬車や臨時の御者を雇わなくて済むもの。いまは本当に、減らせる出費は全部減らしていかないと。
だってね、もう冗談抜きで、所持金ゼロなの。ホンットにゼロ!
ったく、博打で全財産を擦ってしまうなんて、まったく盛大にやらかしてくれたもんよ。
伯爵家だっていうのに、食材すらいまはツケで売ってもらってる状況って、信じられる?
そりゃあ、ツケであってもまだ、食べるものが手に入っているっていうだけでマシなんだと思うけど……そのツケも、もし払えなかったらどうしようって、本気で胃が痛い。
ああもう、この御者にだって今日までのお給金を日割りで支払わないといけないのに、お金が入るまで待ってもらうことになる。
もちろん、辞めていった使用人たちみんな待ってもらっている状態だ。お母さまがせっせと紹介状を書いてくださったおかげで、みんなすぐ次の仕事が決まったみたいだけど。
こうなるともう、使用人の大半がとっとと辞めてくれてありがたいほどだわ。
債権者であるエクシュタイン公爵さまの代理人だという弁護士からの申し伝えでは、特に期日は設けないので今後の身の振り方をよく考えた上で連絡するように、とのことだったけど、身の振り方って言われてもね。
ギャンブルだろうがなんだろうが正式な証文があるんだから、その証文通り家屋敷全財産を明け渡す以外に、ナニをどうしろっていうのよね。
だいたい、相手は公爵さまなのよ?
学院図書館の貴族名鑑で調べたけど、現在のエクシュタイン公爵家当主って国王陛下の義理の弟にあたるんだから。つまり、現公爵家当主の姉君が王妃さま。学院の一学年上に王太子殿下も在籍してるけど、たまーに遠くからお見かけするけど、その王太子殿下の叔父上ってこと。
ちなみに公爵さまにはもう1人姉君がいらっしゃるそうなんだけど、そちらはほかの公爵家に嫁いでいらっしゃるとか。
公爵家に王家。そんな雲の上の高貴なおかたに誰が逆らえるって言うのよ?
まあ、そんな高貴なおかたが博打で相手の身ぐるみ剥いじゃうっていうのも、私ゃびっくりだったけどね!
王都の北西部にある貴族街、その中でも一等地といっていい場所にあるタウンハウスに到着し、私はナリッサと馬車を降りた。
玄関前に立つと、ナリッサがドアノッカーを持ち上げる前に扉が開く。
「お帰りなさいませ、ゲルトルードお嬢さま」
「ただいま、ヨーゼフ」
出迎えてくれた初老の執事にうなずきながら、私は家に入る。
ヨーゼフが私のボンネットを受け取りながら言った。
「クラウスさんがお見えです。居間で奥さまとお待ちです」
その言葉に、私は気を引き締める。
今夜は大勝負だ。
少しでも多くの現金をゲットせねば!
「お母さま、ただいま帰りました」
居間へ入ると、ソファに腰を下ろしていたお母さまが、立ち上がって私を迎えてくれた。
「お帰りなさい、ルーディ」
私を優しくハグしてくれたお母さまは、ナリッサにも笑みを向ける。「ナリッサもお帰りなさい」
そして居間にいたもう一人、すらりとした長身の青年が立ち上がり、私に挨拶をした。
「お邪魔しております、ゲルトルードお嬢さま」
「本日はわざわざありがとうございます、クラウスさん」
「どうか、クラウスと」
さわやかな笑みを浮かべたイケメン眼鏡男子は、その笑みを少しばかり苦笑に変えて言った。
「姉弟そろってこれほどお世話になっておりますのに、私が『さん付け』で呼ばれるのはどうにも居心地が悪いですから」
「ええ、お嬢さまも奥さまもクラウスのことはクラウスと」
その姉であるナリッサも、うんうんと頷きながら言う。「それでクラウス、今日の仕込みはどうなの?」
クラウス青年はニヤリと、姉のナリッサと同じように悪い笑みを浮かべてくれた。
「予定通りだよ、姉さん」
そして彼は私たちに頭を下げる。「ではこれから最後の作戦会議と参りましょう」