なろうテンプレについてのメモ&考察
あらすじ通り、批判するものでなく理由について考えただけです。
その個人用メモを一応公開するといった感じです。
小説でよくあるパターンを一つ申し上げると、「主人公が特別」というものです。
これ自身は当たり前です。作者にとって、主人公は特別でなくてはいけませんからこの前提がないと話が始まりません。
ただ、なろうにしぼると登場人物から見ても主人公が「特別」な場合が多いことも挙げられます。
本来「特別」の意味は正負どちらの意味も存在します。
例えば、主人公が何か犯罪を犯しているとか、精神的に病を背負っているとか、離婚されたばかりとか。
これらは負です。
一方、正の意味では
主人公の能力が高い、周りの人からちやほやされる、実は隠された能力が、などになります。
筆者の作品でも、正の意味の特別は潜んでいます。確かに、そちらの方を前面を押し出した方が個人的には読みやすく、楽しいという面もあるかと思います。
では、なぜ正の意味の特別が多いか、を述べると一言で言えば欲求不満だから。
その欲求は自尊心です。
現代の傾向は個人が軽んじられがちな傾向にあります。
(それについて足を突っ込むと、実存主義というものについて触れないといけませんが面倒なので略します)
具体例で言えば、自尊心を満たせるような人間関係を築きにくくなっているとされています。(その根拠はざっくりいえば人間の主体性が弱まったからとされていますが、やはり実存主義が絡むので省略)
しかし人間の欲求に自尊心があるため、それを満たしたくなるはずです。(マズローの欲求段階参照)
その結果、なろうなどに行ったと考えています。
つまり何が言いたいかというと、
基本欲求の一つである自分を認めてほしいという欲求が現代では満たされにくくなったからこそ、主人公が登場人物にちやほやされるタイプの小説がなろうで流行っている、と思っています。
こうしてみると、ハーレム逆ハーレムに関しても別の観点から説明ができるようになります。
なろうテンプレによるハーレムが度々批判されることがありますが、この理論から見ると重要なのは「いかに主人公がより多くのキャラにちやほやされるか」になります。
もちろん、それが同性のキャラでも構わないわけです。
同性パターンが少ないのは、同性にちやほやされるより異性にちやほやされた方が他の欲求も満たされやすいからでしょうか。
(具体的には、異性だともっとも原始的な性的欲求も満たされやすい)
ざまぁ、追放系に関してもこの理論を当てはめると、今まで主人公が虐げられたが認められることで自尊心も満たされ、ついでに今まで見下されたキャラにやり返すことができるためストレス解消にもなり一石二鳥、と考えられます。
もちろん、この理論が当てはまらない場合もあります。ざまぁ系で言えば、ただ復讐相手を痛い目に合わせることに特化したものも見たことがあります。(ただ、仲間無しでそれをやり遂げたのは見たことないですが)
まあ、そもそも小説自体が自尊心によってできるものであるから、この理論自体は当然の帰結ともいえますが……
それはともかく。
考察だけなので、これぐらいで。
参考文献:「みんななんで書いてるの?」 2020年6月17日 『炎上しないかなー』様
https://ncode.syosetu.com/n6391gh/
twitter(ただし、元ツイートは覚えていない)
お読みいただきありがとうございます。
異世界魔法研究記の読者の方は、今日も話を挙げますのでご安心ください。
何度も言いますが、筆者としては別になろうテンプレは嫌いではありませんし批判どころか好きな方です。(ただし、現代の倫理的に反していない場合のみ)