悪役の作り方
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。悪役から、悪と邪悪を考えてみた。
物語において悪役とは重要な存在。魅力的な悪役とはときに主役を越える存在感を出してくる。
独自の思考や思想から出るセリフで、『なんて酷い奴だ』となれば、この悪役が破滅するときのカタルシスも高まる。
また、何故、悪役となったのか、という過去から濃いキャラクターへと深みを増したりなど。
主役が打倒すべき敵として、悪役の存在感が必要不可欠。
また悪役が主役となる物語もある。こちらは悪役ならではの魅力というものを見せて欲しいところ。
■悪のカリスマ
週刊少年ジャンプで連載された名作マンガ、
『ジョジョの奇妙な冒険』
作者 荒木飛呂彦
このマンガの第一部における主人公の宿敵にして悪のカリスマ、ディオ。
主人公ジョジョの師であるツェペリが、
「きさま─いったい何人の生命をその傷のために吸い取った!?」
このセリフに対して
「お前は今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」
と、言い放ったのがディオ。食物連鎖の頂点に立ち、人間を食料と見なすもと人間の吸血鬼。この一言で人間と吸血鬼の違いを見せながら、人間を越えた強大な悪としての存在感を見せつけた。
人が倒さねばならない邪悪な吸血鬼にして主人公の幼馴染みという因縁が盛り上がる。憎らしく、また独特のカリスマ性を備えたカッコイイ悪役である。
■邪悪とは何か?
では、邪悪とは何か?
邪悪とは、心がねじ曲がって悪いこと。またはその様。邪悪を掘り下げることで人間的にして、かつ魅力を備えた悪役というものを考察してみよう。
人の人格には九種類の邪悪な特性があるとされる。
〇エゴイズム
自分が成果を残すことが最大の関心事であり、他人を犠牲にすることを厭わない。
〇マキャベリズム
他者を巧みに操作する言動や態度を取り、手段は結果によって正当化されると考える。
〇ナルシズム
自己とその優位性に過度に執着し、極端に他者の関心を求める。
〇サイコパス
他者に共感することができない。自制心に欠け、衝動的に行動する。
〇道徳離脱
罪悪感を持つことなく、非道徳的な行動を取ることに迷わない。躊躇わない。
〇心理的特権意識
自分は他者よりも優れていると考えている。
〇サディズム
自分自身の快楽や利益のために、他者に精神的、または身体的な害を与えたいという欲求を持っている。
〇私欲
自分自身の社会的、経済的地位を高めること、それらを強調したいという欲求を持つ。
〇悪意
自分自身を傷つけることになっても、他者に報復したい、危害を加えたいという欲求を持つ。
この九つをダーク・パーソナリティーと呼ぶ。
ナルシズムや私欲など皆無という人はなかなかいない。
そのため人格特性から、低い、平均的、高い、という個人の違いがある。
この人格特性を膨らませることで、人に嫌われる悪役というキャラクターになる。
この九つをステータス表記などしてみるのもおもしろいかもしれない。
■女神転生
ステータス的に言うと、ゲーム『女神転生』には様々な悪魔、天使、妖精、神や邪神が登場する。その性格を九つに分かりやすく分類している。
善、中立、悪
秩序、中立、混沌
この組み合わせでキャラクターを表現している。3×3の組み合わせで9通りとなる。
例えば善で混沌であれば、性根は良いがその為には手段を選ばないとなる。
悪で秩序、となれば悪党だが決まり事には従う、となる。
『少女の望まぬ英雄譚』
Nコード N1184EM
作者 ひふみしごろ
作者ひふみしごろ様による重厚な戦記。
この作品の主要なキャラクターが、人物紹介においてこの性格特性の方向を、『秩序・悪』型、『中立・善』型、と表現している。その人物の性格、過去の生い立ちから現在の立場など、様々な状況を踏まえつつ、その人物の方向性を分かりやすく表すのに適している方法では無いだろうか。
この作品では魅力的な人物達が己の思うところのままに突き進み、ときに対立、ときに従属、支配と人間模様を魅せるおすすめの一品。書籍化希望。
■邪悪な人間は勝ち組?
では、ダーク・パーソナリティー、この邪悪な人格特性は何の為にあるのか?
社会において邪悪な性格の持ち主は成功を納めやすい、と言われている。
ドイツの企業数社を対象とした研究では、ナルシズム特性の高さは給与水準と比例する結果が出た。
また、マキャベリズム特性の高さは職位の高さ、およびキャリアの満足度と正比例を示した。
ナルシズムは自己の利の為に貪欲となり、マキャベリズムは社会的地位に貪欲となる。
どちらもモチベーションを高く維持し、集中力、持続力を持ち続けることができる。
サイコパス、ナルシズム、マキャベリズムの特性を持つ人は組織階層の上位に多く見られ、経済的な成功度も高い。
臨床レベルでサイコパスと判断される人々が企業の取締役会に存在する割合は、全人口に占める割合より三倍も高いと言われる。
■ダーク・トライアド
九つのダーク・パーソナリティーの中で、サイコパス、ナルシズム、マキャベリズムの三つを邪悪な三大特性とし、ダーク・トライアドとも呼ぶ。
実はこの三つの人格特性を高く持つことが、社会的、経済的に成功を納める秘訣ともなる。
サイコパスは、不正直、自己中心的、無謀、非情といった傾向が見られるが、集中力が高く、非情な冷静さと精神の強靭さを持ち、恐怖心が欠如するのも特徴。恐れること無く、大胆に新しいことに挑戦できる。
経営者に求められる行動力と冷静さは、サイコパスが兼ね備えている。
2005年、イギリスで企業の経営者と殺人犯などの凶悪犯が入っているイギリスのブロードムーア病院の収容者を対象に、心理テストが行われた。結果は凶悪犯よりも経営者の方がサイコパス度が高かった。
このことから高い知性に冷酷さ、未熟な共感能力が経営者に必要な資質のひとつとも言われる。
他にサイコパス度の高い人が向く職業としては、経営者、弁護士、外科医など。集団の中の一人よりも個人の能力で行う職業に向いている。
ナルシズムは誇大妄想、過大な自尊心、他者を思いやらない利己的な特権意識などと関連する。一方で自分の魅力を把握したナルシストは魅力的な人物となる。カリスマ性と呼ばれるものは、ナルシズムが持つ者の対人的な魅力がプラスとして出た側面でもある。
優秀なリーダーとは、ナルシズムのポジティブな面を周囲に示しながら、ネガティブな面を抑えてみせることに優れる。自負心と自己肯定感の高さが自信へと繋がる。
ナルシズム特性の良い面が出ると頼り甲斐のあるリーダー像となる。
マキャベリズムは、うわべの魅力、人心操作、偽り、冷酷さ、衝動性などと関連している。マキャベリズム特性が高い人は倫理観に乏しく、目的は手段を正当化すると考える。
また、目的を達成するには多少の誤魔化しも必要、という考えに賛同したりすることが多い。
目的を達成することに貪欲で、非情な手段も違法なやり口も恐れずに行うので確実に成果を出す。
サイコパス特性が高いビジネスマンは勤勉に働き正常に見える。また、ナルシズムとマキャベリズムの特性が高い人物は、大衆を魅了し、優れたビジョンで人を惹きつけるカリスマ性を見せる。
邪悪な性格の持ち主は社会的に成功しやすい。ダークトライアドが反社会性を示唆する一方で、キャリア上ではさまざまなメリットももたらすことが、心理学の研究でわかってきた。
悪代官に悪徳商人が何故、高い地位にいるのか。それは彼らが出世にも利益を得ることにも手段を選ばず、常に貪欲に活動的だからになる。
邪悪なパーソナリティとは、人の社会で成功を納める為に重要なモチベーションとなる。
なぜ、こんな人物が組織の重要なポストに? という状況はあらゆるところで見ることができる。
■悪の必要性
社会学者のエミール・デュルケムは、犯罪のない社会は存在しない、と言う。ある一定の比率の犯罪が存在するのは、その社会が正常である証だとも。
犯罪が起これば、それに対する法律や道徳的な観念が生まれる。
悪を裁く機能が正常に働いていたならば、犯罪に対して処罰する、罰則を与える、といった道徳的な発想や戒めが生まれる。
逆に犯罪がない社会というのは、そういう行為がまったくないのではなく、それを裁くシステムがないために犯罪という概念がない社会となってしまう。
犯罪を犯罪として認識し、対処する法と民衆が正義を求めて活動するサイクルが働いている社会が、正常な社会ということになる。
■二つの機能
社会学の機能分析という側面から見ると、犯罪には顕在的機能と潜在的機能がある。
『顕在的機能』とは、何かを企て実行した行為が実際にその目的通りの結果になることを言う。
例えば万引きなど、人の物を盗むという行為は分かりやすい犯罪となる。
そして、その行為の結果が社会に変化や影響をもたらすことを『潜在的機能』という。
例えば万引きが多発し、その社会的背景に貧困から万引きで食料を得なければ生きていけない、という場合。
第二次大戦後の混乱期、食料が不足する中で孤児が生きていくために窃盗や強盗などをする事件が増加。未成年が成人の犯罪に巻き込まれる事案も多く、これらの非行少年を保護し、再教育するために少年法は制定された。
犯罪とは社会の問題を写し出す鏡でもあり、社会が産み出す病理でもある。犯罪という症状が現れることで社会の病理が顕在化する。現れた病理を治療しようと方策が練られる。
悪は常に社会の中から現れる。
落語家、立川談志はとあるコメントで、
『誰かが悪い事してくれなきゃみんな困るんじゃないですかねえ?』
と、応えたのは一流の落語家、立川談志の社会に対するアイロニーでは無いだろうか。
■善悪論
何が善で何が悪か、というのは過去、いくつもの哲学や宗教で語られた。
このエッセイでは分かりやすい悪役とは何か、ということで常識に反するものを悪、という仮説を立てる。
異論、反論はあるだろうが、誰もが『コイツは悪い奴だ』と感じるのは常識に反する行為をする者ではないだろうか。
常識とは、社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている社会的な価値観、知識、判断力のこと。
ここで重要なのは、常識とは『私はそう思う』という個人の思想では無いということ。
常識とは『他の人はこう思うだろう』という不特定多数が賛同するであろう他人の考えることを想像したものになる。
知識人しか解らないものでは無く、知識や経験の少ない子供でもそう考えるだろう、というのが常識をかたち作る。
故に常識に反する行動や言動をする悪役に対しては、誰もがコイツはヒドイ悪党だ、と感情を逆立てるようになる。
常識から秩序が作られるなら、悪役とは常識と秩序の反逆者となる。
逆に言えば、魅力的な悪役が活躍するには、人が賛同する常識と秩序がしっかりとある世の中で無くてはならない。
常識と秩序が正しくあってこそ悪役が映える。
■常識の悪用
ブロードキャスター、ピーターバラカンは、
『日本人は雑学と常識を混同しているのではないか?』
と言う。常識が只の雑学となってしまっては、常識から成り立つ秩序が歪んでいく。
一方で常識の方を都合良く変えようとする者もいる。
自動車の排出ガスが環境汚染の問題となる中で、自動車を販売する企業にとっては、自動車の排出ガスを忌避する人が増え、排出ガスを減らそう、という常識が蔓延しては自動車が売れなくなり困ることになる。
その為に常識の方を企業に都合良く変えようとロビー活動を行うようになる。
2020年4月、トランプ政権は自動車排出基準を過去のレベルに戻すと発表。
排出ガスをコントロールするにはお金がかかる。厄介な排出基準に合わせ無ければ、誰もが新車を安く購入することができる。
排出ガス基準を過去のレベルに引き戻せば、より多くの人が新しく、安全な車を手に入れ、雇用は増加し経済は回る。
この論理を進めるとどうなるか。
政府によるすべての規制は悪いものだ。だから社会や環境にかかるコストがどれだけになろうとも、ビジネスが利益を上げられるようにすればいい。
すべての規制は可能な限り排除する。今日作れる金の為に、数百年、起こらないかもしれない惑星のオーバーヒートなど知ったことか。
事が起こった際に、その時代に生きている人に心配させておけば良い、自分達には関係が無い。
経済を重視し過ぎた社会の、既得権益にしがみつく企業の望む常識とはこれになる。
日本でも公害や薬害などが起きたとき、責任の所在を誤魔化す為に原因究明を混乱させる様々なロビー活動が行われた。
薬害イレッサ事件もまた、新薬の利益を見込み副作用の存在を隠蔽した
利潤追求のために安全性を軽視し、承認前から、『副作用の少ない抗がん剤』という宣伝広告を行ったうえ、添付文書等における十分な警告などの安全性確保措置を怠った。
副作用である間質性肺炎で800人以上の死者が出ている。
ここには健康保険のメリットを享受するためには、薬害というデメリットも受け入れなければならない、という歪んだ常識が現れつつある。
利潤を追求するには規制が少ない方がいい、というのは自動車に限らず全てのビジネスに含まれる問題である。
■秩序の破壊者
悪役の効能のひとつが既存の秩序と常識の破壊。
では歪んだ秩序と狂った正義が蔓延した世界ではどうなるか? ここで映画『ジョーカー』に触れておこう。
映画『ジョーカー』はヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞という、アメコミのキャラクターの映画化としては異例の作品。
また、その内容の為にアメリカでの公開に際しては、警察や陸軍が警戒態勢を強化するという事態となった。
主人公は、人を笑わせることを生き甲斐とするコメディアン志望の不器用な人間。
格差社会の中のさらに底辺に位置し、障害のために奇異な目で見られる社会的弱者。
いかなる努力も認められず、理不尽な暴力で失業の危機に陥る。
社会保障の打ち切りによる精神病の治療の中止、薬も手に入らない。
テレビやラジオで流される『普通の幸せ』から遠く離れ、生きるという苦行の中から、貧困にあえぐ平凡な市民である筈の主人公が銃撃事件を起こす。
そして歪んだ秩序にあえぐ大衆は、秩序の破壊者たる悪役『ジョーカー』を歓声で迎える。
弱者に対して酷薄である秩序と常識が人を蝕むとき、人を楽しませることを生き甲斐とした青年は暴力で社会と関わることになった。
ジョーカーという悪は殺伐とした冷酷な社会が産み出したアンチヒーローであり、また条件が揃えば、誰もがジョーカーに成りうる社会の闇を描いた。
正義と悪の対立構造が無効化した先にある社会派映画でもある。
■正義対悪
正義と悪が対立する善悪二元論は分かりやすく勧善懲悪の物語には都合がいい。
しかし、完全な善や完全な悪というのもこれはまた難しい。偽善、偽悪、偽凡など複雑化すれば善も悪も立場と条件次第、ということにもなる。
映画のジョーカーを見た後に私が考えたのは、正義と悪の他に邪悪もくわえて考えてみるのはどうか、というものだ。
正義は秩序を守る。秩序の破壊者たる悪を正義は許さない。
ところが正義は邪悪には手を出せない。というのも邪悪は秩序の中にあり、正義が守らなければならないもの、とする。
邪悪な者とはその気質はタダ乗りにある。
既存のシステム、法律、慣例、常識を都合良く使い他人を利用して自分だけ利を得よう、というのが邪悪の本質となる。
今の日本でも銀行や証券会社が、痴呆老人を騙して利益を得る合法詐欺が増えている。書類さえ整えば違法では無くなり犯罪とはならない。
また、騙される方が悪い、という自己責任論が蔓延すれば、歪んだ常識のもとで邪悪は法を犯さずに利を得ることができる。
秩序の守護者たる正義は秩序を利用する者に手を出せない。
本来は人を守る為に正義が作った法律や制度をタダ乗りして利用するのが邪悪、とする。
悪事を働いていないことになる邪悪を正義が処罰することはできない。
だからこそ邪悪は人々の常識の方を自分達に都合良く改編しようとロビー活動を行う。
邪悪な3大特性には確かに、社会への適応力を高める効果がある。故に邪悪な者の社会的成功につながる。
しかし、その成功には代償が伴う。代償を払うのはシステムを運用する組織になる。邪悪な特性には、進化論で言うところのタダ乗りの要素が見られる。そして社会が堕落していけばいくほど、この種の寄生的な人格の持ち主は繁栄することになる。
この邪悪を正義が止められずに向かう先が、ディストピアとなるのではないだろうか?
邪悪が常識と秩序を利用しようというなら、その邪悪の中で搾取される不条理と不満に怒る者はどうなるのか?
秩序を破壊せんとする悪として立ち上がるのではないだろうか?
ここにジョーカーのような悪役が持つ、狂気に満ちた神聖さもまた同時に存在する。歪んだ秩序の犠牲者が増える程に、破壊と解放にカタルシスを覚える大衆もまた増加する。
正義は悪を打倒する為に戦うが、悪とならない邪悪とは戦うこともできない。逆に秩序を守る為に邪悪に利用される。
邪悪は法の内側に寄生しシステムを利用して搾取する。
そして奪われ続けた者の怒りがやがて悪として目覚め秩序を破壊する。
■悪の必要性
映画『ジョーカー』は斬新なアンチヒーローとそれを産み出した社会の狂気を描いた。
しかし、まったく新しいタイプのアンチヒーローでは無い。テーマで言うならチャップリンの『モダンタイムズ』もまた、資本主義社会の機械文明をの中で、労働者の個人の尊厳が失われ、人が機械の歯車のようになった社会を扱ったコメディだ。
マンガでは、
『アクメツ』
脚本 田畑由秋
作画 余湖裕輝
週刊少年チャンピオンに連載された、バイオレンス政治漫画。悪を滅する悪として、腐敗した政治家を一人一殺と次々に処刑していくダークヒーロー、アクメツの活躍を描いたもの。
政治と経済が内包する邪悪に言及する異色の名作。
小説では、
『ブラッドジャケット』
著者 古橋秀之著
ケイオスヘキサ三部作の二作目、ブラッドジャケットでは、主人公は社会の底辺で母を介護しながら暮らす青年と、映画『ジョーカー』と似ているところがある。こちらもまた優しく繊細な人間だからこそ陥る狂気と破滅を描いている。
1997年、メディアワークス刊。
■終わりに
善と悪を考察することで新たな悪役が産まれる。また邪悪と悪の違いについて考えてみるのも、人の社会をこんな視点で見てみることも興味深い。
このエッセイが新たな悪役が活躍する物語作りの参考になれば幸いである。
もっとも何もしなくとも、人の社会とは未来の悪役をせっせと作っているようにも思えるが。
ラストはアンチヒーロー『人造人間ハカイダー』において、正義を自称するミカエルに対し、ハカイダーが言ったセリフで締めよう。
『確かに、貴様が正義なら、俺は、悪だ!!』
黒猫虎 様の感想から、善、中立、悪、秩序、中立、混沌、の部分に少し修正を入れました。
黒猫虎 様、ありがとうございます。