12 酒血肉林
――イギリスのとある山奥の田舎町で、マリアは生を受けた。
父は日本の有名なカメラマン。母はイギリスのその田舎町の農婦。
風景の写真を撮りにきた父は、偶然、母と出会い、一目惚れをし、交際を重ね、やがて結婚。
カメラマンを続けつつ、この田舎町で暮らすことを決意した。
そして、授かった宝物。
マリアと名付けられた少女は、両親の愛を受け、素直ないい子へと育っていった。
しかし、マリアが七歳になった頃、
突如として、そんな幸せが崩壊することになった。
「マリア! ここに隠れていなさい! 何があってもここから出ないで!」
マリアの母が厳しい口調で言いつける。
マリアは、毛布を被せられ、物置の奥深くに押し込まれた。
「ま、ママ……パパは、どうなっちゃったの?」
先程見た光景を思い出す。
大勢の人が、この町にやってきた。
時刻は夜の七時。観光名所でもない、こんな山奥の田舎町に、こんな時間に大勢の人が来るなんて事は、まず有り得ない。
不審に思ったマリアの父と、町の男たちが、その人たちに事情を聞きにいった。
マリアはその様子を、母と一緒に家の窓から見ていた。
マリアの父が団体の先頭に立つ男に話しかける。
燕尾服に黒いマント、この場に似合わぬ正装をした男だった。
「どうしました? この辺りはホテルや観光名所はありませんよ? ひょっとして、道に迷われたのですか?」
尋ねられた燕尾服の男が答える。
「いや、なに、実はだね……」
邪悪な笑みを浮かべ、男が答える。
「ここにいるはずの、『神血』の子供を頂きに、ね」
そう答えた瞬間、燕尾服の男が、マリアの父の首筋に噛み付いた。
マリアの父からみるみるうちに、生気がなくなっていく。
それを見た他の男たちが、燕尾服の男を止めようとするが、
「しゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
燕尾服の男の後ろに控えていた人たちが、襲い掛かってきた。
マリアの父と同じように噛まれる男たち。
そして、燕尾服の男が噛み付くのを止め、ぐったりとしたマリアの父に話しかける。
「この町にいる子供を集めてこい。子供以外は、吸ってしまえ」
すると、マリアの父は、生気のない顔のまま、頷き、ゆっくりと町のほうに戻っていく。
他の男たちも同様だ。
その異常さに気付いたマリアの母は、とにかくマリアを守ろうと、物置に隠すことを決めた。
「パパは……っ! とにかく! 絶対にここから出てはダメよ!」
マリアの母はそう言って、物置のドアを閉めた。
マリアは母の言うことを聞いて、大人しく、毛布に包まっていることにする。
光の入らない物置は、暗闇が広がるばかりだ。
マリアの心には、不安が広がっていく。
少しして、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「あなた! いったい、どうしたの!?」
「……マリアを、出せ……」
「おかしいわよ! あなた! いったい、何が……」
「……うるさい」
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
母の悲鳴とともに、食器が落ちて割れる音、なにか家具が倒れる音が聞こえてくる。
しばらく、その音が続き、やがて、静かになる。
そして、
「……マリア、出てきなさい……」
母の声が、扉の向こうから聞こえる。
いつものマリアなら、素直に言うことを聞いて出ていっただろう。
しかし、子供とはいえ、マリアにも分かった。
異常なことが、この扉の向こうで起こっている。
マリアは毛布に包まり、がたがた震えて、母の声を無視する。
しかし、扉は開かれた。
二人分の足音が入ってくる。
父と母の足音に決まっている。そう、決まっているのだ。
だが、マリアは、どうしても、そうだと思えなかった。
やがて、毛布を剥ぎ取られる。
マリアは怯えながらも、わずかな希望を持って、そこにいる人の顔を見る。
いつもどおりの優しい笑顔を浮かべた、両親の顔を夢見て、見上げる。
そして、
死人のような顔をした両親を見て、絶望に叩き落とされた。
「さぁ……来るんだ……」
父に無理やり腕を掴まれ、物置から連れ出されるマリア。
「や、やだぁぁぁっ!! 痛いよ、パパ!! 離してぇっ!!」
得体の知れない恐怖を感じて、マリアは泣き叫ぶ。
しかし、父と母は顔色一つ変えずに、マリアを外に連れ出す。
外では、同じように子供たちが泣き喚きながら、大人に連れてこられていた。
向かう先では、燕尾服の男の前に、先に連れて行かれた子供たちが座らされていた。
皆、拘束などは受けていないが、逃げようという素振りも見せない。
マリアは、他の子供たちと同じように、燕尾服の男の前に座らされて、その理由を理解した。
男から発せられる、異常な気配、圧力。それに恐怖し、身体が全く動かなくなってしまう。
動いたら即座に殺される。動かなかったら、少しは生き延びられる。
短い時間しか、生きていない子供の本能に、そう感じさせる圧力だった。
やがて、町の子供たち全員が集められる。
小さな田舎町だったので、そんなに人数はいない。十数人ほどである。
「ふぅむ……」
その子供たちを見回す、燕尾服の男。一人一人、お宝の鑑定をするかのように、眺めていく。
「…………」
マリアも他の子供も、恐怖を感じながら、無言でじっと座っている。
そして、
「……ほぉ」
マリアの手前で、男が止まる。
マリアの顔をじっと観察し、
「……君のようだな、だが、少し確認しようか」
そう言って、マリアを立たせる。
訳も分からず、立ち尽くすマリアに、
男は自身の鋭い爪を叩き込んだ。
「――っぁ」
腹を深々と刺され、血を吐いて倒れるマリア。
出血は激しく、その様子を見ていた他の子供たちが泣き喚く。
明らかなる致命傷の傷を受け、マリアの意識は遠くなる。
しかし、
マリアは意識を完全に失くすこともなく、死ぬこともなかった。
「ふははははっ!! やはり、君のようだな!!」
そんなマリアの様子を見て、男は歓喜の笑みを浮かべる。
マリアの腹部の出血は明らかに治まり、傷も癒えかけていた。
「流石は『神血』の持ち主、大した再生能力だ!!」
そして、男はマリアを抱きかかえる。
傷は癒えかけているとはいえ、致命傷を一時は負い、致死量近い出血をしたマリアの身体は自由に動かない。
ぼんやりとした意識の中、マリアは他の子供たちのほうを向いていた。
子供たちは皆、泣き喚き、混乱していた。
そんな中、マリアを抱えた男は、他の連中に命令する。
「この少女以外は、もういらん。好きにしていいぞ」
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
その命令を受け、喜びの雄叫びを発する人外の化け物たち。
そして、酒池肉林といっても差し支えのない、宴が始まった。
子供たちの悲鳴を音楽代わりに、化け物たちは血を飲む。もちろん、子供たちの血である。
肉を喰らい、文字通り、浴びるように血を飲み干す。
そんな光景を、マリアはかろうじて残った意識の中、見せ付けられる。
現実であってほしくない光景が、網膜に焼き付いてしまった。
「ふははははははははっ! 愉快、愉快!」
男も同じ光景を見ているはずなのに、笑いが止まらないくらい、楽しいらしい。
少女には、全く理解できない思考回路。
眠ってしまいたい。少女はそう思った。
これは、夢なんだ、と考えた。
夢の中で眠ってしまえば、反対に現実では起きるのではないか、と考えた。
しかし、どう誤魔化しても、現実はこちらなのだ。
あまりに酷い現実だった。
「さぁ、我は城に引き上げることにしよう。『神血』の少女と共にな」
そう言って、男は背中に蝙蝠の翼を生やす。
他の化け物たちはいまだ、宴の真っ最中だ。
そんな光景を眼下に、宙に浮かび上がったそのとき、
「『改約聖書』! 『吸血鬼を二つに断ち切り、全てを主に捧げよ』!」
「なっ!?」
野太い男の声で、そんな言葉が聞こえたのと同時に、燕尾服の男は何かを避けるような動作をする。
しかし、片方の羽が根元から斬り落ちた。
「ぐぬっ! 不可視の刃だとっ!?」
そのダメージにより、マリアを落としてしまう。
マリアは落ちる瞬間、きれいな、とてもきれいな満月を見た。
「音芽ぇっ! 拾えぇぇぇっ!」
「はい! 師匠!」
先程の野太い声が聞こえたのとほぼ同時に、マリアは誰かに抱きかかえられる。
「無事、保護しました!」
女の人の声が聞こえる。
マリアの瞳に、黒髪の女性が映る。
「よし! 音芽はその娘をそのまま保護! 他は全員、俺に続け! 気合入れろ、相手は『最も高名な吸血鬼』、ヴラド・ツェペシュだ!!」
「ちっ……厄介な奴らだ」
燕尾服の男――ヴラドは斬られたはずの羽根を即座に再生し、ここでは形勢不利と見て撤退する。
それに続いて、何体かの『吸血憑き』も撤退する。
それを見届けて、音芽はマリアに話しかける。
「おい、大丈夫か、お嬢ちゃん」
マリアは朦朧とする意識をなんとか保ち、答える。
「うぁ……」
しかし、うまく返答できない。
「無理に返事しなくていい」
音芽がマリアを気遣い、制する。
だが、なんとか声を出すマリア。
「……お、ばちゃん、誰……?」
ピシリ、と
何かが割れるような音が聞こえた、気がする。
ボスッ!
「ぴぃぃっ!?」
マリアはいきなり傷口を殴られた。
「良かったな、お嬢ちゃん。痛みを感じるなら、最悪の状態ではない。それと、私はまだ二十歳だ」
「ご、ごめんな、さい、おねえ、ちゃん……」
とりあえず、謝って訂正しておくマリア。
「……というか、もうほとんど傷は塞がっているな、流石、『神血』持ちだ」
「……?」
マリアは『神血』というよく分からない言葉を疑問に思うが、
「がぁぁぁぁぁぁっ!」
「かぁぁぁぁぁぁっ!」
「むっ!」
『吸血憑き』が二体、襲い掛かってきたので、質問は出来なかった。
気付いた音芽が迎撃し、瞬時に素手で『吸血憑き』二体の首を狩る。
しかし、
「っママ! パパ!!」
「っ!?」
灰になって、消滅していく『吸血憑き』二体を見て、
満月の光が降り注ぐ中、
悲痛な叫びが、マリアから放たれた。
その後、音芽たち『エクソシスト』は、ヴラド・ツェペシュの行動封印に成功する。
この際、『聖法教団』は住民が一人を残して、全員が死亡した町のことを、土砂崩れで住民全員が犠牲になったことにして、もみ消した。
マリアは『聖法教団』に預けられることになった。その際、戸籍を失ってしまったマリアの保護者として音芽が名乗り出た。そのため、マリアは戸籍上、音芽の娘ということになっている。
そして現在、彼女は『エクソシスト』として、活動している。




