10 最も高名な吸血鬼
「――マリア!」
「っ! はいっ!」
真っ先に反応したのは、音芽だった。
その音芽の呼びかけに、マリアが素早く反応し、十字架と小瓶を取り出し、構える。
小瓶の中には聖水が入っているようだ。その聖水を十字架に伝わらせるように垂らしていく。
すると、床に滴り落ちるはずの聖水は、何故か一切床には触れず、空中で静止する。
やがて、固定された水流の剣が完成する。廃ビルで見た、液体の剣だった。
「へぇ、あれが嬢ちゃんの『法術』か」
「『法術』?」
夕貴はクロの言葉に疑問を持つ。答えは即座にクロが返してくれた。
「魔力を使った術さ。俺たち吸血鬼は魔術って言うけど、『エクソシスト』たちは、魔術って言い方だとイメージが悪いからか、『法術』って言い換えているんだ。魔力のほうも、『法力』って言い換えることもあるらしいが、ここの音芽ってねえちゃんは、そこまで言い方にこだわっていないみたいだな。嬢ちゃんの場合は、物体を完全に固定する術、といったところか」
何故、今、その法術を使うのか、夕貴には分からなかったが、次の瞬間、理解する。
「がああああああああああっ!!!」
突然、教会の入り口のドアをぶち破り、男が襲い掛かってきた。
「うわあっ!?」
慌てたのは夕貴一人である。
マリアは即座に迎え撃っていた。
「『吸血憑き』か」
音芽がタバコをまた、携帯灰皿に入れながら、ぼそり、と呟く。
男の『吸血憑き』の爪と、マリアの聖水の剣が激突する。
教会のドアを簡単にぶち破ってきた『吸血憑き』の恐ろしい力に、真っ向勝負を挑んでいる。
いくらなんでも無茶だ、と夕貴は思ったが、
「はぁっ!」
気合一閃、『吸血憑き』を押し切って、吹っ飛ばすマリア。
「す、すげぇ……!」
夕貴が思わず、感嘆の声を漏らすと、
「魔力は身体能力の強化なんかにも使える。吸血鬼や『吸血憑き』と『エクソシスト』の戦いは、どちらが魔力を有効に使えているか、って戦いさ」
クロがわざわざ、解説を入れてくれた。
その解説の間に、マリアは『吸血憑き』を圧倒していた。
「――妙だな」
しかし、音芽は浮かない顔をしている。
「ど、どうしたんですか?」
夕貴は、その原因を尋ねてみる。
「普通、吸血鬼や『吸血憑き』は、教会みたいな明らかに敵がいるところには、踏み込んでこない。天敵の巣には近づかないのが、あいつらの習性だ」
しかし、この『吸血憑き』は、その習性を無視して、教会に殴りこんできている。それが、納得いかないらしい。
しかし、そんな考えをよそに、マリアは『吸血憑き』を追い詰めていた。
『吸血憑き』は足を切断され、動けなくなっている。
「浄滅、完了……」
そして、マリアから繰り出される、止めの一撃。
だが、そんな状況で笑みを見せたのは、『吸血憑き』のほうだった。
「――っ!? マリア!!」
ドォンッ!!
音芽が叫んだが、遅かった。
花火のような爆発音が響き渡る。
マリアの止めの一撃を食らった瞬間に、『吸血憑き』はあろうことか、自爆したのだ。
花火が炸裂したかのような、音と閃光が放たれる。
夕貴は目を光に焼かれ、一瞬、視力を失う。
やがて、爆発が収まると、視力はだんだん回復してきた。
「うっ……っ! 先輩! 先輩は!?」
すぐさま、マリアがいたはずの場所を確認する夕貴。
そこには、音芽に抱えられた傷だらけのマリアがいた。
小規模な爆発だったらしく、夕貴たちにまで爆発の余波はなかったが、爆心地にいたマリアは大きなダメージを負っていた。
「せ、先輩! 大丈夫ですか!?」
夕貴もマリアの下に駆け寄ろうとするが、
「夕貴! 逃げろ! 今すぐここから!」
クロの声に一瞬、立ち止まる。
「な、何言ってんだよ! 先輩が大変なんだぞ! そんなときに――」
そのとき、
教会の入り口付近から、圧倒的なプレッシャーを感じた。
何か、存在してはいけないものが、近づいてくる。
そんなことを思わせる圧力だった。
身体は悪寒しか感じない。他の情報は神経に伝わらず、身動き一つできない。
音芽も似たようなプレッシャーを感じているようだ。
その腕にマリアを抱えながら、目線は常に入り口に向けられている。
常に落ち着いている印象のあったその顔は、緊張で引きつっていた。
やがて、そのプレッシャーの原因が現れる。
「ふむ……素晴らしいな。『神血』の少女に、我が同士の魂――それに、懐かしい顔までいるではないか。これほどの僥倖、我が長き生涯の中でも滅多にない」
燕尾服に、襟のたった黒いマントを羽織っている、両端を跳ね上げた形の口髭を生やした、中年の男性がそんなことを言いながら、教会に入ってきた。
その、まさしく、吸血鬼という出で立ち、圧倒的な存在感に、夕貴は飲み込まれてしまい、身体のどの部位も動かすことが出来ない。
音芽がかろうじて、声を出す。
「き、貴様、ヴラド・ツェペシュか!? な、何故、ここにいる!? 貴様には行動制限の封印がかけられているはずだ!」
名前を呼ばれたヴラドという化け物は、嬉しそうに言葉を返す。
「おぉ、覚えていてくれたのか、日本の若き、天才『エクソシスト』よ。光栄なことだ」
大仰な台詞回しをするヴラドに、音芽は同じような態度で返す。
「かの『最も高名な吸血鬼』、ドラキュラ伯爵と戦ったことを忘れるなど、あるわけがないだろう?」
夕貴は驚きを隠せない。ドラキュラといえば、物語で語られる吸血鬼の中でも、一番、名の知れたものである。
そんな物語の存在と思われていた化け物が目の前にいる。
そして、その化け物の目線がマリアに向けられる。
「君は覚えているかね? 『神血』の少女よ。君の町を滅ぼした、憎き仇である我を……」
まるでいたぶるような口調で、マリアに話しかけるヴラド。
音芽に抱きかかえられているマリアは、憎悪の瞳をヴラドの向け、
「き、さま、だけ、は、許さ、ない……!!」
言葉にも憎しみを乗せる。
その様子をヴラドは嬉々として、楽しむ。
(先輩の、町?)
何のことだか夕貴には、全く分からなかったが、
「さて……」
ヴラドが今度は、夕貴のほうを向いたため、それどころではなくなった。
正確には、夕貴の肩に乗るクロのほうを向いている。
「こんな極東の国の部下の消滅にも、気を配ってみるものだな。探し物が、同時に二つとも見つかった」
そんなことを呟いた後、ヴラドはクロに話しかけてきた。
「やあ、クロウリー。元気そうで何よりだ。君が魂だけの存在になる前に、君自身の身体に妨害魔術をかけてくれたおかげで、儀式が全く進まないよ」
クロも夕貴から離れ、ヴラドに近づき、言い放つ。
「そりゃ、良かったよ。嫌がらせが成功したときほど、嬉しいことはないね。自分の部下に教会に特攻しかけるように命令した上に、自爆させるような奴の思い通りに事が運ぶのはムカつくしな。っていうかなんのつもりだ? お前、ヴラド本体じゃないだろ?」
突然の爆弾発言。明らかに空気が重くなる。
「ほう、分かるか」
「分からないわけがねぇ。本物のお前は、さっきの十倍はプレッシャーが強いさ」
(あれの十倍!?)
クロの発言に、夕貴が驚く。
偽者でもあれほどの圧力なのに、本物はその十倍以上。
それを脅威に思わないわけがない。
しかし、音芽は冷静に呟く。
「なるほど……。行動制限の封印をかけた本物のヴラドがここにいるわけもないか。……偽者ならば、勝機もあるな」
むしろ、希望を抱く人物もいるようだ。
さらに、クロの話は続く。
「どうせ、その身体もお前の部下の『吸血憑き』に自分の魂の一部を多めに叩き込んで、主導権を奪ったんだろ? 嫌だね、部下のものは俺のものってか? ジャイアニズム振りかざしてんじゃねぇぞ、このカイゼル髭」
「ぶっ!」
思わず、夕貴が噴き出してしまう。
(か、カイゼル髭……くくっ!)
どうしても笑いそうになるが、必死で夕貴は堪える。
音芽も同じように、笑いを堪えていた。
クロの挑発が終わると、待っていたのは、
「……ふははははははははははははははははははははははははははっ!!」
「はぁっははははははははははははははははははははははははははっ!!」
ヴラドとクロ、お互いの哄笑だった。
笑い終えた後、ヴラドはクロに手をかざし、
「……やかましい餓鬼め」
魔力の衝撃波を放って、消滅させる。
「く、クロ!」
夕貴がクロを心配して叫ぶが、
《大丈夫だ、夕貴。アレは単に仮の姿。俺の本体は常にお前の中にいる》
頭の中にクロの声が響いてきたので、少し安心する。
「……なるほど、君がクロウリーの宿主か。クロウリーの魂を消滅させないと、我らの重要な儀式が行えないので、悪いが……」
しかし、安心はすぐさま不安に変わった。
(つ、つまり、俺が狙われる、ってことか?)
《……そういうことになるな》
「死んでもらうぞ」
その一言が放たれた瞬間に、音芽がヴラドを横から、
「滅っ!!!」
と、殴り飛ばした。
爆発音とも聞こえる、強烈な打撃音が響き渡り、無言で壁まで吹っ飛ばされ、激突するヴラド。
しかし、何事もなかったかのように、即座に立ち上がる。
音芽はそのままヴラドの前に立ちはだかり、夕貴に叫んで伝える。
「少年!! 今のうちに、マリアを連れて、裏口から逃げろ!! 奥の扉から真っ直ぐ向かえ!!」
「わ、分かりました!!」
音芽の呼びかけに、固まっていた身体を何とか動かして、マリアのもとに向かう。
「先輩っ! 大丈夫ですか!?」
「ゆ、夕貴くん……」
マリアは返事はしてくれたが、重傷のようだ。身体を満足に動かせていない。
夕貴は急いで、マリアを背負う。そして、奥にあるドアに向かおうとする。
「逃がさんよ、『神血』の少女も、クロウリーの魂も……」
ヴラドが指をはじく。渇いた音が響いた。
すると、教会の入り口や、窓から何体もの、人間の形をした化け物が入ってきた。




