5.いや驚いた。実に驚きました
と、そこでカヤはふと我に返る。
(どうして私、家庭の事情をこんなにあっさりと話しているんだろう?)
初対面の相手に。
しかし考えるまでもない。
父のためにチャンスをつかもうとしているのだ。
目の前にいるこの光岡さんに関心を持ってもらおうとしている。
あわよくば「じゃあ、お父さんの原稿を一度見せてもらってもいいですか?」という言葉を引き出そうとしている。
母が亡くなったことは、この前までマドカにも話していなかった。
変な同情をされたくなかったという理由だが、それを今、初対面の相手にあっさりと話している。
もしかして私、同情を買おうとしている?
「ふむ」
これは見方によれば、母の死を利用しているとも言えるのではないだろうか。
母を亡くし、父は無職。
そういう境遇にある自分を“アピール”することで救いの手を求めようとしている……?
「おバカさんね、カヤは」と母の声が聞こえた。
「死んだ人間を利用したところで、当人は死んでいるんだから気にするも何もないでしょう? それに、そもそもお母さんがそういうことを気にすると思う? あなたとお父さんのメリットになることだったら、なおさらそうでしょ?」
ま、そうだよね。
カヤが肩をすくめた時、光岡の背後から沖田が近づいてくるのが見えた。
ビールのグラスを手にニコニコと笑いながら光岡の肩をポンと叩く。
「光岡さん。来て下さったんですね」
「ああ、これは沖田先生。ご無沙汰しておりまして」
「こちらこそなかなかご挨拶にもうかがえず申し訳ありません」
と言った後、マドカとカヤに目を向ける。
「マドカも大きくなったでしょう?」
「中学生だそうで。早いものだ」
「そうですね。それで、こちらのお嬢さんが、」
「空野さん。今、ご挨拶させていただいていたところです」
「ああ、そうですか。とてもしっかりしたお嬢さんなんですよ。こんにちは、空野さん」
「こんにちは。お邪魔しています」
カヤは再び立ち上がり、お辞儀をする。
「マドカが無理に誘ったんじゃなければいいけど、来てくれてうれしいよ。また、そのうち食べ放題に付き合って下さい」
「はい」
「じゃ、マドカ。空野先輩が退屈しないように、ちゃんとおもてなしするんだよ」
「はーい」
マドカの返事にうなずき、沖田と光岡は離れていった。
(結局、チャンスはつかめなかったな)
と、カヤは少し残念に思う。
「先輩、後で私の部屋に行きます? ゲームとかありますよ」
「このおうち、マドカの部屋もあるの?」
「はい。たまにお泊まりに来ますから」
ああ、そうだった。
そもそもマドカと知り合ったのは、このコがこの家に泊まった翌朝のことだった……。
「ゲームか。私、ほとんどしたことないから教えて」
「はーい」
一方、光岡と沖田。
「うーむ……」
と光岡は低く唸っている。
マドカとカヤに背を向けた途端、一転して気難しい表情になっていた。
「どうされましたか?」
と沖田が不審そうな顔で尋ねる。
「いやしかし……」
とつぶやく光岡。
「光岡さん?」
「はい? あ、ああ、すみません」
「どうしました?」
「いや驚いた。実に驚きました」
「驚いた。何をそんなに?」
沖田がそう言うと、光岡は顔を寄せてきて小声で言った。
「どうか、ご内密にお願いします。いや、実は今の空野というお嬢さん、かつて私が担当していた漫画家先生のお子さんのようです」