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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ニンゲン・フォビア~Kei.ThaWest式精神糜爛人造恐怖譚~

今、そこにある底辺

作者: Kei.ThaWest

 公園のベンチに座り、3個150円の菓子パンのうち1個を取り出して食べた。朝食はこれと、公衆トイレの手洗い場の水。

 彼は内側に水垢ともカビとも思しきぬめりの付着した空のペットボトルを公衆トイレまで持っていき、水を汲んだ。途中、同じ目的の中年男性とすれ違った。


 少しだけ水を飲んで喉を潤すと、リュックサックを背負って立ち上がる。仕事が今日もある。


 公園にはブルーシートがいくつもテントを張っていて、職を失った者達が寝床としている。しかしここも近いうちに市の職員らによって強制退去させられるだろう。


 誰かの炊き出しの味噌汁のにおいを背に、公園を横切って駅までの道程を行く。


 髪がそろそろ伸びてきたな。

 切らないとな。


 そんなことを思った。

 ちなみに髪は散髪代を浮かせるために自分で切っていた。


 歩きながらイヤホンを耳に挿入し、スマホで音楽を鳴らした。

 30年以上前のポップス。まだ音楽業界に活気があった頃のもの。

 最近のはダメだ。薄っぺらい愛や恋なんかを小学生の作文より酷いセンテンスで叫ぶだけで。


 駅につくと電車の遅延情報が電光掲示板に流れている。

 ため息をついた。今日もか。

 最近はほぼ毎日、遅延している。自殺者は後を絶たない。

 お客様と接触、という文言だからこれもきっと、飛び込みだろう。


 駅員に食ってかかるサラリーマン。もはや日常の一コマと言った感じ。誰も彼もが鬱憤を抱えている。

 電車なんかじゃなくて車でもあればいいのだが。買える金などあるわけがない。


 彼は交通誘導員のバイトで日銭を稼いで何とか生きている。国民健康保険に未加入なので怪我や病気は大敵だ。病院で検査でもしようものなら数万円が飛ぶ。


 金がない。

 これが最大の問題なのだ。


 駅のホームは案の定、人でごった返している。朝からしんどいな。彼は思った。

 電車はいつ動き出すかわからない。今日の現場へ連絡を入れるべきか迷ったが、面倒なので止めておいた。交通警備など、どうでもよい仕事だ。いてもいなくても業務に差し支えなどないだろうと判断した。


 労働意欲が低い。これは彼に限らず多くの若者に共通の点だ。

 働けど働けど、生活は楽にならない。

 むしろ、働くほどに困窮してくるのではないかと錯覚するほどだ。


 人生で一度転落すると二度と這い上がることはできない。この国でそう言われるようになって久しい。

 新卒採用でいい企業で入社できなければ、人生は詰んだも同然である。転職は特別なスキルを持つ人間以外、徹底的に買い叩かれる。


 ちなみに彼の交通警備のアルバイトは時給1700円。労働時間はその日によってマチマチだが、概ね9時間くらい。ということは一日で1万5千円ほどの稼ぎになる。このうち税金で半分ほどが抜かれる。なので手取りでは7千円ちょっとだ。


 この国の税金は高い。所得に対する課税は特に厳しい。バイトの時給は一見高そうに思えるが実際には40%以上が税金として消える。

 歪な社会保障制度は、高齢者を手厚く保護することに執心し若者にその負担を強いている。年金制度はもはや明らかに破綻しているにも関わらず、若者たちは自分達へ決して還元されることのない金を吸い取られ続けている。

 

 一年ほど前に新たに制定された“独身税”は金のない若者を更に貧困にした。独身でいる期間の長さに応じて課税率が上がってくるという恐怖の税制は諸外国から強く非難されたにも関わらず、これに係る新法案は国会にて賛成多数で可決された。


 今の若者は政治に何も期待していない。諦めてしまっている。もう何も変わることは無い。


 彼は落ち窪んだ眼窩の奥の濁った精気のない瞳で、手元のスマホを見ている。ニュースサイトを適当に流し見する。20代の自殺者数が過去最高を記録したようだ。先進諸国の中では断トツの数字だ。


 どうでもいい。

 心底、そう思った。


 今月は家賃の支払いも厳しい。貯金はしていない。貯金をすると“貯蓄税”を抜かれるから給与は振り込まれたその日に全額引き落として机にしまってある。それも今朝確認したところでは、5万円くらい。


 家賃は7万円。部屋の間取りは恐ろしく狭い。4畳半。風呂は無くトイレは共用。近年、このようなアパートが増えてきている。低所得者層向けに家賃を抑え、その分部屋数を増やして儲けを得ようとする家主が多い。


 そろそろ自分もダンボールハウスかブルーシートのテントで暮らすことになるかもしれない。

 漠然と思った。案外リアルな想像だった。


 これならいっそ刑務所にでも入った方がいいな。そんな風に考える若者は多いと聞いている。軽犯罪での検挙率はここ数年急上昇していた。金がない若者が生活に困窮した末に犯罪に手を染めるという。


 刑務所暮らしなんか楽でいいよな。衣食住が保証されていて。


 肩に誰かがぶつかってきた。少しよろけてしまった。

 振り向くと、杖をついた老人とその妻と思しき老婦人が険のある視線で彼を凝視していた。

 数秒間、視線が交わった。だがここでやり合うのも面倒なので彼は無視してまたスマホの画面を見始めた。


「最近の若いのはぶつかっても謝りもせん」

「いつからこんな世の中になったのかしらねぇ」

「ワシの若い頃は……」


 ぶつぶつと文句を言われている気がしたが、どうでもよい。体力を無駄に消費したくないというのが本音だ。慢性的に栄養が足りていないのだ。


 ホームで20分くらい待っただろうか。ようやく電車がやってきた。

 案の定、人がぎゅうぎゅう詰めになっている。朝から陰鬱な気分が更に悪化した。


 ドアが開閉すると、降りてくる客と乗り込もうとする客が激しく入り乱れた。明らかに周辺の人間にぶつかりながら体を押し入れているサラリーマン。顔に手が当たったといって降車の客と小競り合いが始まった。


 彼は流れに身を委ね何とか電車に乗ることができた。けれど座ることは出来ない。車両の中ほどまで押し流され、吊革を両手でしっかりと持った。背中でリュックが客にサンドされて歪んでいる。


 満員電車に揺られ続けながら勤務地へと向かう必要がある。着いた頃にはだいぶ体力を消耗しているだろうが、我慢だ。


 車内には酷いにおいが充満していた。汗と皮脂特有の不快なにおいだ。風呂に何日間も入っていない人間がいるのだろう。だが自分もさして変わらぬにおいを放っているはずだ。風呂はそう頻繁には入れない。近くの銭湯へ行かなくてはならないのだが金が無いので一週間に一回と決めている。


 アパートでは基本的に水は使わないようにしている。水道事業は民間へ委託されたせいで料金が跳ね上がった。いまや、気軽に使えるものではない。


 見渡せば誰もが死にそうな顔をしている。この国の人々は疲れ切っている。彼も俯きながら前の席に座っている男性の革靴を見詰めていた。


 次の駅につく直前に、この男性がカバンを抱えて立ちあがった。どうやら降車するらしい。これ幸いとばかりに彼は入れ替わりに着席した。近くにいた乗客達から恨めしい視線が飛ぶ。


 少し、ホッとした。体力を温存できる。


 電車が動き出す。スマホでニュースを追う。消費税の増税が決まったらしい。この前の衆議院選挙は政権与党の圧勝で終わった。


 現在の消費税率20%というのは高いというご指摘について、ヨーロッパ諸国と比べれば我が国の税率は特段高いとは言えず、目標25%へ向けての増税に国民の皆様の理解が得られたと……


 党首のコメントが掲載されていた。


 暗いニュースが多い。飽きたのでサイトを閉じ、目を瞑ってしばし音楽に耳を傾けることにした。


 その矢先。


 足に違和感を覚えた。何かがしきりにぶつかっている。目を開けると、杖で何度も足の甲を叩かれていた。


 顔を上げる。するとさっきホームでぶつかってきた老人夫婦がいた。男性の方が杖で何度も何度も彼の足の甲を突いている。


 関わり合いになりたくなかった。面倒だなと彼は思った。無視を決め込もうとしたが、段々杖で突く力が強くなってきたので、イヤホンを外し、「何ですか?」と小声で訊いた。


「何ですか、とは何だ!?

 近頃の若者はマナーがなっとらん!

 さっさと席を譲らんか!」


 老人は言った。唾が、彼の頬にかかった。

 彼は大いに気分を害したが、席を譲る気は毛頭無かったのでやはり無視することにした。


 目を瞑って殊更に頭を垂らし、無言の意思表示を行う。これでわかってもらえるだろう。足を突いてくる杖は放っておく。いずれ諦めてくれるだろう。


 が、そうはならなかった。


 頭に突然衝撃が来た。

 驚いて再び老人を見上げる。


 拳骨で殴られたらしいと彼は気付いた。

 老人の握り拳がプルプルと震えていた。


「足腰の不自由な人間が目の前にいて、無視するのかバカ者!」


 老人が喚いた。


「あなた、もう放っておきましょう。

 きっとまともな教育を受けてないのでしょうね」


 老婦人は嘲るような口調で彼を見下ろしていた。


 彼はふいに立ち上がった。

 老人は意外なその反応に少し面喰ったようだったが、席を譲られたと解釈し、そそくさと座ってしまった。


 彼は隣にいる老婦人の髪を掴んで、窓ガラスへ叩き付けた。二度、全力で叩き付けた。

 それから老人の顔を思い切り殴り、鼻血を噴いて横倒しになった老人の頭部を何度も、何度も、踏みつけた。


 老人が動かなくなると、空いた席にどさっと座ってイヤホンを耳に挿した。

 まだ目的地までは時間がある。


 音楽でも聞いてゆっくりしよう。


 30年以上前の古いポップスは鳴り続けている。

 パーカッシブなサウンドが心地良かった。


 無駄な体力を使ってしまった。

 少し、今日は疲れるかもしれない。


 彼は思った。


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― 新着の感想 ―
[一言] これで『彼』は刑務所で衣食住保障された生活を送れるんだな、と思うと実に皮肉が効いた話だと思いました。 アメリカとかホテル並みの豪華刑務所もあるから、実際笑えない。別の州だと砂漠でテント生活…
[良い点] 電車の座席すら若者から収奪しようとする老人。我が国の主要閣僚も老人と呼べる年齢の人たちばかりです。まさにシルバー民主主義。 閉塞した社会で不条理に曝されながら堪え続けた「彼」は、ラストシー…
[良い点] ただ鬱々とした状況を並べているだけじゃなくて、最後に暴力という解放があるのが良いですね。 素晴らしいホラーでした。
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