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後編

第6話 七色のユメ


 倒れてヒクヒク痙攣してる男たちを踏まないようによけながら、四人の侍女が駆け寄ってくる。四人ほぼ同時にオレの前に並んで、そろってゆっくりと跪いた。

 オレのうしろに隠れていたユメも横に出てきた。

「この娘たち、寝てないみたいね」

 たしかに、この様子は現代人っぽくない。

「ああ、それか、そもそも夢がつながらない相手なのかもな」

 オレの言葉に、ユメがちょっと鼻で笑った。

「フッ。そうね。夢の中じゃ、単なるNPCね」

 なんか、優越感に浸ってるらしい。そういうモンなのかな。

 おっと。四人が立ち上がると、オレににじり寄ってきた。やばいって、ユメが見てるし。

 最初のユメみたいにゾンビのような緩慢な動きじゃなく、普通に動いてきた。てっきりゆっくりしか動かないものだと思っていたから油断してしまった。

 須藤エリはオレの右手を、風見先輩は左手を両手で持って自分の胸に抱くように押し付けてるし、島崎レナは両腕を首に回してくるし、羽田ミドリはうしろからオレの背中にぴったり抱きついてくる。

「おいおい!」

 ユメの反応が気になって、首をまわしてユメを見ると、意外にも楽しそうに笑っていた。

「女には弱いのね、勇者様? フフフ」

 笑ってるユメの上で、ポポロムが飛んでいる。

「過去の陛下も、ここで『勇者の光波』をお使いになってしまわれましたが、みなさんをお救いできたのでございます」

 いまんとこ順調ってことか? 気休めにはなるな、そりゃあ。

「陛下、こっちを向いてください」

 首にしがみついてる島崎レナが言った。『陛下』って呼ぶからには、現代の島崎レナじゃないだろう。でも、よそを向いていたオレに向かって言うタイミングは、オレの動きとかみ合ってる。

 さっきの神官との会話といい、だんだん過去の夢とオレたちの行動がかみ合うようになってきているらしいな。ポポロムが言っていた、オレたちの行動が過去に影響を与えるっていうのはこういうことか?

 島崎レナの顔が近い!

 両手は押さえられてるし、後ろにもくっつかれていて逃げ場がない。迫られて、もう、顔が引っ付きそうだ。

 ユメが大笑いしているのが聞こえる。見てないで助けてくれよ。

 あ、あの香り。

 島崎レナから、例の香りがぶわっときた。

 気が遠く……



 わっ! 顔の前が髪の毛で埋まってる。

 島崎レナの頭だ。

 飛行機の座席がまるでうしろに倒れてしまったように、体重が背もたれに掛かっている。

 飛行機は急上昇中で、レナがもたれかかってきてるとこだ。やっぱり一秒も経ってないようだ。

 夢の中と違って、両手が自由な状態なので、レナの両肩を持って、ゆっくり彼女の座席に押し返す。

「ちゃんと座ってないとあぶないよ。……それと、夢のことだけど、見てる夢は別の夢なんだ。キミは出るけど、つながった夢じゃない。ヒコーキ野郎もパトロンも、オレの夢には出ないよ」

「え? そうなの」

 彼女は不思議そうな顔をしていたが、風見先輩やクラスメイトの須藤エリと同様に、急にオレへの興味を失って、正気に戻ったようだ。

 前を向いて、なにか考えごとをしているようで、話しかけてこなくなった。

 ちょっと残念かな。

 まあ、一応、危機的状況から脱出できたってことで、今度は四列前の座席のユメのことが気になった。

 オレといっしょに目覚めただろうか。前のように取り残されたら、また怒るだろうしな。

 そもそも、夢から覚めるときに夢の中で笑っていたけど、機嫌は直ったんだろうか?


 飛行機が上昇を終えて、ベルトをはずしてもよくなったと思ったら、前方でなにかやっている。

 ユメがキャビンアテンダンドをふたりもつかまえて、英語――らしい言語――でなにやらまくしたてている。

 ユメの隣の、いかにもアメリカ人っぽいおっさんも、立ち上がってオーバーアクションでしゃべっている。どうやらユメの援護をしてるらしい。

 なにやってるんだ? ユメのやつ。

 見ていたら、その四人がこっちを見た。

 キャビンアテンダントのふたりは、やや困ったような作った笑顔。笑顔なんだが、眉が『ハ』の字だ。アメリカのおっさんは、満面の笑顔。とっても満足そうだ。そして、ユメはなにやら涙を拭き、鼻をすすりながらこっちを見てる。

 さらにさらに、ユメを除く三人がぞろぞろと縦に連なって、細い飛行機の通路をこっちにやってきた。

 えっ? えっ?

 わけがわからず、三人とユメの顔を見比べると、ユメは三人がオレのほうを向いてるのを良いことに、いたずら大成功、みたいな笑顔を浮かべてる。さっきのはウソ泣きだなあっ!

 三人が同時にオレになにか言った。

 身振りで言葉がわからないんだとアピールすると、代表しておっさんが、ゆっくりしゃべりだした。

 ゆっくりしゃべってもらっても、オレにはわからないんだが、

「『あなたが妹さんの隣に座れるように、CAさんに頼んで認めてもらえました』と言ってますよ」

と、窓際の席のマネージャーの田村さんが訳してくれた。

「え~っ! どういうことよ! 彼女、あなたとなんでもないんでしょ? 妹になんか見えないじゃん」

 島崎レナが不平を言うが、そのとおりだ。どう見たら兄妹に見えるんだ? ユメのやつ、無茶言いやがって。

「『さあ、わたしと席を交換しましょう』って言ってますよ、その男性。レナさんにも『あなたのような美しい方のとなりで旅ができて光栄だ』とかお世辞言ってます」

 マネージャーさんの訳に、島崎レナも職業スマイルでおっさんに笑いかける。

「お世辞は余分でしょ!」

 顔は笑っておっさんを向いたまんま、レナがマネージャーさんにそう言った。


 座席を立ち上がり、四列前の席に行くと、ユメはシートに深く腰掛けて、首をすぼめてクスクス笑っていた。まったく、いたずらの大成功を楽しんでいる幼児みたいだな。

 何か言ってやろうかと思ったが、わざわざ機嫌を損ねるのもバカみたいなので、彼女のひざと前の座席の隙間を通って、隣の席に行く。

 窓際の席では、アメリカ人っぽいおばさんが、大口開けて眠っていた。

 おいおい、これってあのおっさんの奥さんじゃないのか?



 カンクン空港に到着し、島崎レナとはタイミングをずらして飛行機から降りたら、それっきり姿を見ることもなく別れ別れになってしまった。

 あ~あ。あっけないくらいだな。

 空港から市街へのバスの英語の案内をユメが見つけて、バスにゆられて二十分ほどで市街地に降り立つ。

 海外旅行って言うと、家族で行ったハワイやグァムしか知らないからなあ。あん時は、日本人もいたし日本語の表示も見かけたし、へたすると外国人が多い日本国内、みたいな感覚だったもんな。

 ここは、まったくの外国だ。もしもユメがいっしょでなかったら、リアルな360度の3D映像を一人で観てるような、疎外感とウソっぽさを感じただろう。

 当初の計画通り、メキシコには着いたわけだが、ここからが行き当たりばったりの旅ってことになる。

 看板や案内板を見ても読めるわけじゃないオレが、なんとなくあたりを見回していると、ユメが言った。

「なにかモバイル端末とか持ってきてないわけ? ハイテク日本の高校生のくせに」

「オレの携帯はこの国じゃだんまりみたいだし、だいたいオレがパソコン少年に見えるか? 遺跡のことを学校の図書館で調べたのだってオレじゃなくてダチのタカシだし。ユメこそなんか持ってないの?」

「あったらさっさと使ってるわよ。しょうがないなあ。なんとか英語が通じる人探すしかないわねぇ」

 ん? そういえば、なんかあったぞ。

「それなら、オヤジに借りた翻訳機がある。スペイン語も翻訳できるってさ」

 機械をサックから取り出しながら言うと、サックの口から出かかったあたりで、ユメが機械をかっさらった。ちょっと大きめのスマホサイズの翻訳機を手にとって、中指と親指の先の腹で底辺の角二ヶ所ををはさみ、クルクル裏返したりして見ている。

「べんりねぇ。語学留学生をコケにする道具なわけね、これ」

 まさか、壊すつもりじゃないだろうなあ。

 ユメがパッと持ち替えて、翻訳機を振り上げるような仕草をした。

「あああっ!」

 投げそうだったので、受け止めようと両手を差し出すと、ユメが訝しげな顔でこっちを見てる。

「なによぉ。わたしが投げるとでも思ったの?」

 そうなので、頷いておく。

「バッカねぇ。そんなわけないじゃん。大切なアイテムなんだから。とにかく、これで地図と交通手段の情報を確保しなきゃね」

 

 それから一時間あまりで彼女が十数人と話して、ふたたび元のバス乗り場までたどり着いた。

「で? どれに乗ったらカラクムルへ行くんだ?」

 最初の売店のオヤジさんと話すときは、ユメは日本語とスペイン語の翻訳モードで翻訳機を使っていたので、オレにも会話内容がわかってたんだが『日本語訳だと、なんかおかしい訳になってるんじゃないの?』とユメが決め付けて、二人目からは、ユメが英語で話して、機械に英語とスペイン語の翻訳をさせていたので、どっちもオレにはちんぷんかんぷんだった。

「どれも遺跡には行かないわ」

「え?」

 じゃ、なんでバス乗り場なんだよ。

「ほら、さっき買った地図を見なさいよ。ここがカンクン。そしてこっちがカラクムル遺跡。っていうか、マークもなにもないでしょ。世界遺跡って言っても、じゃんじゃん観光客を呼び込むような観光地じゃないんですって、花売りのおばさんが言ったじゃない。聞いてなかったの?」

 聞いてたよ、ユメの英語と相手のスペイン語をな。

「で! この地図にある国境の町チェトマルへ行くバスがあるんですって。そこから車をチャーターして行くのが普通なんですって」

「車をチャーターって・・・・・・誰が運転するんだよ? ユメは免許持ってるのか?」

 ってか、ユメっていくつだ?

「まさか! わたし十七よ。女子大生か何かだと思ってたの?」

「いや、見た目じゃ年齢わかんないから・・・・・・」

 あ、まずい。この話はまずいぞ。

「へぇ! 悪かったわね、外見が外国人で!」

 やっぱり怒った。

『そういう意味じゃないんだ』という言葉は飲み込んでおいた。なにせ、そういう意味に違いないんだもんな。ユメの外見はまったくの欧米人で、今でも普通に日本語で会話してることに違和感があるくらいだ。まるで吹き替え映画見てるような感じかな。

 で、欧米の同年代っていうと、外見はもう大人の女性ってイメージがあるんだけど、ユメの場合逆で、見ようによっては十二、三歳にしか見えない。見ようというのは、つまり、顔の幼さと背の低さに注目した見方だ。しかし、プロポーションはというと、到底そんな歳じゃありえない発育度なわけだがな。

 結局、外見と年齢のギャップ、という面では、ユメは日本人的っていうことだな。実年齢よりも幼く見えるってことだ。

 オレが何もフォローしないのを見ていたユメの怒りは、意外にも収まったようだ。

「ふぅ。ま、いいわよ。運転はねえ、ドライバーを探すの! わかった?!」

 飛行機がカンクンに着いたのは夕方五時で、もう六時をとっくに過ぎている。

「夜行のバスかなんかあるのか?」

 よくわからないバスの時刻表らしいものを見上げてオレが言うと、ユメも見上げてる。

「それを確かめにきたんじゃないの。・・・・・・だめね、明日の朝一番の時間はわかったけど。今日はカンクンで泊まりだわ」

「泊まるって、予約とか取ってないぜ」

 よく知らないが、宿泊には予約が必要なんじゃないのか?

「そりゃ、探すしかないわよ。ご予算は?」

「あ~、金はオヤジが持ってくれる。ジャーナリストなんだ、アメリカで。勇者様の独占インタビューと引き換えに、経費は使い放題ってとこかな」

 クレジットカードを取り出して見せると、ユメが満足げにうなずく。

「じゃ、あっちでいいわね」

 ユメが指差した方角は、どうやらリゾート市カンクンの高級ホテル街のようだった。

 いいよな、オヤジ。

「わたしの分は、あとで折半になるように清算しましょ」

「出さなくていいよ、多分。ユメが居なきゃどうにもならなかったし」

「そういうわけにはいかないものよ。あ、でも、レディの荷物が重そうだと思ったら、持ってくださってもいいのよ? ジュウドウボーイ?」

 そうだった。ここまでユメは自分のバックをカートにしてひっぱりながら歩いていた。重いんじゃないかなとは思ってたんだが『持とうか?』と言ったら怒られるんじゃないかと思って言い出せなかったんだ。持ってもよかったわけか。

 無言で受け取って引いてみると、これが見かけよりも重い。

 いったい、何を入れているんだか。女の子の旅の荷物ってわかんないよな。


 ホテルの選択はユメに任せた。バス乗り場から歩いて十分ほどの距離のところへ入って行く。フロントは英語が通じたようで、これもユメまかせだ。

 大きなリゾートホテル。

 ユメはどんな部屋を選んだんだろう?

 こういうホテルって、シングルってあるのかな? 別々の部屋だよな、当然。

 それとも、同室で、オレがソファで寝る、とかなんだろうか。

 心配半分、期待半分で到着した十二階。ホテルの人にひとつのドアに案内され、ユメにつづいて促されてオレも入る。同室ってことなのか?

 中に入るとリビングとテラスだけでベッドがない。

 広いテラスがついている。外はもう真っ暗だ。

 横の壁にドアがある。

「そのドアの向こうが寝室よ。ダブルベッドだから、あなたひとりで寝て。わたしはこっちのソファで寝るから」

 スイートルームってことなのか。え? でも普通男の方がソファだろう。

「いや、ベッドはユメが――」

「な~にカッコつけちゃってんのよ。ねぇ、マコト、日本の武士がどうして妻や子よりいいもの食べていい場所で寝てたか知ってる?」

 なにかのひっかけ問題じゃないだろうなぁ。地雷を踏まないように答えないと・・・・・・。

「それは多分、当時は男尊女卑ってやつで、男のほうが偉いっていう考え方だったからなんじゃ・・・・・・ないのか?」

「ちがうわよ。武士はね、いざっていうときは妻子を守って戦わなきゃなんないわけよ。その、いざっていうときにベストの状態で戦えるように、ちゃんと栄養と休養を取る義務があったの。西洋の騎士道なんてダメダメよ。女性にいい食べ物やベッドを譲って自分は我慢して、そりゃあ女性の受けはいいかもしれないけど、いざっていうときに、栄養不足の上に寝違えて筋肉ガチガチになってたら、全力出し切れなくて敵から女性を守れなかったりするかもしれないわけよ。バカじゃない、バ・カ。わたしたちは日本人なんだから、武士道で行くのよ。あなたはやわらかいベッドでぐっすり眠って、ヒューストン空港のときみたいに、わたしが危ないときにはちゃんと守るのよ!」

 ふ~ん、なるほど、そういうものなのか。西洋の方が合理主義なのかと思ったら、そうじゃないんだな。

 あれ? 空港のときは、助けにいったオレをバカ呼ばわりしてたんじゃなかったっけ? な~んだ。ちゃんと感謝してくれてたんだな。

「うん、じゃあわかったよ。オレがあっちな」

 ドアを開けると、で~んとダブルベッドがあって、部屋はリビングより広かった。

「寝具は全部あなたが使っちゃって。わたしの分の毛布はフロントに頼んだし、まくらは持ってるから」

 それってあの旅行カバンの中身のひとつってことか? マイまくら? ソファで眠れるけど、まくらは自前でなきゃってか?

 まあ、ソファは二人掛けといっても大きいサイズだから、ユメの身長ならすっぽりクッションの部分に収まる。オレの身長だと足がはみ出ちゃうけどな。そういう意味でもユメがソファのほうが効率的ってことになるんだろうか。

 寝室にひとりで入ってドアを閉めると、だだっ広い個室。ユメのおしゃべりがないと、しーんとしてる。遠くで波の音が聞こえる。

 ここは今が夜かもしれないが、オレの身体にとっては、今が朝だ。時差が十四時間だからなあ。その上、夢の中の旅の分も体感の時間経過に含めたら、体内時間はぐちゃぐちゃだ。

 ま、とにかくユメが言うとおり、しっかり休養は必要だから、ベッドに横になってみるかな。日本からの飛行機でも寝てたりしてたから、睡眠不足ではないかもしれないが、時差ボケをなくすには、現地の夜に睡眠を取るのがよさそうだものな。


 部屋の灯りを消し、ラフな格好でベッドに入ると、疲れていたのかうとうとしてきた。

 飛行機の中でも寝てたりしたから、寝足りてるはずなんだがな。

 三日間の期限のうち二日目の終わりで、距離的には八割がた来てることにはなるが、実質、ユメに実際に逢えた数時間前からスタートしたようなもんだからな。まだまだ明日からが本番だ。カラクムル遺跡にたどり着いたとして、地底都市の神殿にたどり着けるかどうか。

 心配したらきりが無いんだが・・・・・・眠いから寝ちまおうか。

 例の香りはしないから、あの夢には入らないだろうけど・・・・・・眠気が・・・・・・


 ?!

 何分か、それとも何時間後か。ふと気がつくと、ドアが半分開いていて、リビングの薄明かりがもれてきている。ドアの内側に、人影が立ってる。

 身長からしてあきらかにユメだ。

 ユメは、おなかのところにマイまくらを両手で持っていて、じっとこっちを見てるようだ。

 ユメのマイまくらには頭としっぽと手足がついてるな。犬をつぶして四角いまくらにしたようなデザインのぬいぐるみまくらだ。

 まさか、あの空港でカバンから手を離したがらなかったのは、パスポートじゃなくマイまくらのためだったんじゃないだろうなぁ?

 薄明かりに浮かぶ彼女は、自前のパジャマかネグリジェを着てるらしい。もっと見えるように、とちょっと頭を動かしたら、オレが起きていることに気がついたようだ。

「マコト、起こしてごめん」

「いや、うとうとしてただけだよ」

 ユメはどれくらいああして立っていたんだろう。

「寝てて、あの夢を見た?」

「いいや」

「あのね、ここで寝たら、あの続きを見るのかしら」

 どうやら不安がっているような声だ。

「いや、見ないんじゃないかな。あの三日間のスタートのときから、あの夢をオレが見るときは現実では一秒くらいしか経ってなくて、しかもふとんでちゃんと寝てるときとかには、あの夢を見ないんだ。ユメも最初は夜寝てるときに見たようだけど、さっきの飛行機じゃオレと同じ見かただっただろ? ふたりの夢が一致してきてるから、次も昼間にいっしょに見るんじゃないかな」

「うん。マコトといっしょだったらいいんだけどね。ひとりだけあの夢だと・・・・・・イヤだから、マコトが見てるかな、と思って」

 今までの例からすると、あの、侍女の香りがしたときに過去の夢に入るって決まってるから、今夜はぐっすり眠れるはずだ。彼女はそういうこととは知らないから不安なんだろうな。

「ちゃんと寝とけよ。ソファがだめなら今からでも代わるぞ」

「・・・・・・ううん。あのね、このドア、このまま少し開けておいてもいい?」

「いいよ」

 暗くてよく見えないが、彼女が微笑んだように思った。

「じゃ、おやすみ、マコト」

「ああ。おやすみ、ユメ」

 これは・・・・・・夢かな? あのユメがこんなにしおらしいなんて・・・・・・寝ぼけて・・・・・・るの・・・・・・かな・・・・・・?・・・・・・


 翌朝、部屋にあった金属製の水差しをスプーンでカンカン叩くユメに起こされた。

 例の夢は見なかった。やはり、あの香りが必要なんだ。

 時差ボケのせいで、朝日が夕日に思える。身体の感覚では昼寝して夕方に起きたかんじ。

「ほらほら、バスに乗り遅れるわよ」

 オレの寝室の入り口に立ってるユメは、昨日とはガラリと変わってカジュアルな服装だ。ピチピチ状態の張り裂けそうなジーンズにスニーカー。上はブカブカのタンクトップにTシャツを重ね着してるんだが、ブカブカサイズのはずのタンクトップとTシャツなのに、胸だけは真横にシワが張って張り裂けそうなくらいサイズが小さめになってる。おかげで、おへそのあたりは、長けも短めで、ひらひらと裾が肌から十センチくらい浮いちゃってる状態だ。

 まったく、とんでもないプロポーションだなあ。

「なによ、朝から目つきがやらしいわね。この変態男!」

 いかんいかん、どこを見てるかバレたらしい。

「あ~、いや、え~と、バスの発車まで何分?」

「あと十分」

 ポポロムじゃあるまいし、そういう大事なことを先に言ってくれよ。

 そこからは、とんでもないあわただしさだった。着替えて荷物持ってチェックアウトして、バス乗り場へ走る。ユメの荷物が重そうなので、二人分オレが持って、カートで引いてたら間に合わないかもしれないからユメの荷物は持ち上げて頭に載せて走った。

 バス乗り場に着いたときは、さすがにオレも息が上がっていた。荷物なしで前を走っていたユメは、先に着いて息がすでに整っていたようだ。

 バスの発車時刻には間に合わなかったはずなんだが、バスはまだ発車せずにそこにいた。

「ここ、日本じゃないから」

 すまし顔でユメが言いながらバスのステップを上がる。

 最後のステップをあがるとき、ちらりとこっちを見て、ニヤリと笑いやがった。

 ちくしょう。昨日の聞き込みで、出発時間がアバウトなのを知ってたな。

 昨夜のしおらしいユメは、やっぱり幻だったかな。


 乗り込むと、朝の便はガラガラだった。ユメはさっさと一番後ろの窓際に座っていたので、その隣に座った。

 いよいよ今日が三日目だ。

 今夜の二十四時がタイムリミットのはずだ。

 あと――十七時間ほどだ。


第7話 露見した夢見システム

 バスの旅は四時間半ほどで、いたって平穏だった。

 昨日カンクンでの聞き込み中にあちこち立ち寄った売店で購入した現地のお菓子を、順々に開けて味見してみたり、窓の外の景色について話したり。

 不思議とユメもオレも、相手のことを尋ねたり自分のことを話したりしなかった。

 純粋にメキシコのバスの旅を楽しんだ。よく知っている者同士だからいまさらお互いのことに触れる必要がない、みたいに感じていたのは、オレだけじゃなくてユメも同じだったんだろう。

 旅の目的や夢のこともしばし忘れて、ふたりで話しているうちに、四時間半はあっと言う間に過ぎてしまった。

「さあ、ここで車とドライバーを探さなくちゃ」

 バスを降りてユメがそう言うまで、観光気分だったんだが、世界を救う危険な旅の途中だったことを思い出して、浮かれた気持ちは、しゅんと萎んでしまった。 

 ユメが最初に聞き込みした相手は、ガードマンか警官みたいな制服のおっさんだったが、例によって英語とスペイン語の会話だったので、聞いてもしかたがないオレは四、五メートル離れてあたりを見回していた。

 観光気分で見回していたわけじゃなく、あの黒服どもの仲間とかが居ないか警戒していたつもりだが、街は平和そのもので、ホーリーエンパイア財団の気配は微塵も感じられない。

 おっさんと話し終わったユメが、満面の笑みを浮かべてこっちに駆け戻ってくる。

「わたしたちラッキーよ! ちょうどこの街から、カラクムル遺跡へ行くテレビ局の撮影隊がいるんですって。しかも日本のテレビ局らしいわ。混ぜてもらいましょうよ」


 ユメが聞き込んだ情報に従って、街中を撮影隊が居るというホテルへ向かって移動する。

 ユメは素直に喜んでいて、歩調を速めてどんどん先に行こうとする。

 う~ん。いいんだろうか。

 オレにはひっかかることがないではない。ここまでのいきさつからすれば、遺跡に行く手段がみつかるというのは、もう既定路線のような気もする。行けるようにできているってことだ。そういう意味では心配はないんじゃないかな。

 しかし『テレビ局』というキーワードには、ひっかかるものがあるんだよな。

 せっかくユメの機嫌も直って、楽しい旅になってきたっていうのに。

 角を曲がるとホテルが見えてきた。

 マイクロバス一台と、二台のオフロード車が前に停まっていて、十人ばかりのスタッフたちが荷物を載せている作業中だ。ほとんどが日本人らしい。

 ユメはそれを見つけると、笑顔でオレの腕を引いて歩調を速めた。

「毎週違った女優さんが世界遺産を紹介する番組なんですって。あなたそういうの見てる?」

「いや・・・・・・でも、なんだか、今回のその女優っていうのが誰なのか、予想できる気がする」

 思っていても口に出さないでおけばいいのに、ユメに聞かれていまったじゃないか。ユメが訝しげな顔をする。

「え?」

 前方の撮影隊一行にあって、ひときわ輝く芸能人オーラ全開の美女が、オレを見つけてこっちへ走ってくるのが見える。いわゆる女の子走りで『可憐』という言葉を体現している。

 予想は的中だ。

 っていうか、ここまできたら誰だって判るよな。

 女優の羽田ミドリだった。

 最後に残った四人目の夢の中の侍女だ。

 ちらりと横を見ると、ユメも彼女が誰かわかったらしく、ちょっと驚いたあと――仇を見るような目つきで羽田ミドリを睨んでる。

 羽田ミドリは、去年のなんとかいう新人賞を取った映画のヒロインが恋人に駆け寄るシーンを彷彿とさせる『複雑な笑顔』を浮かべながら走ってくる。泣き出しそうでいて、驚いていながら、心底喜んでる――そんな笑顔だ。

 彼女はオレの前まで来ると、オレの両手を取って、うるうる眼でこっちを見つめ、

「・・・・・・やっと逢えたのですね、マコトさん・・・・・・」

と、かの恋愛ドラマチック映画のクライマックスのごとく感情籠もったセリフとともに、ぴったりの感動タイミングでホロリと涙を流した。なんだか、こっちまで映画の主人公になった気分だ。

 しかも、彼女の場合目力がすごい。

 彼女の目は見るためだけにあるんじゃなくて、男を魅了するための特別な魅力放出器官なんだ、多分。

 これで、落ちない男はいないんじゃないか? あ、オレは落ちてないか。うん、落ちてないぞ。

 去年の好感度ナンバーワン女優に間近で見つめられて、昨日までのオレなら、まちがいなくデレデレになってた場面だな。しかし、相手がこっちの知らない夢の中のオレと現実のオレをダブらせてるのは確実で、しかも、側に居るユメのご機嫌も気になる今の状況じゃあ、素直に喜ぶこともできない。

 困ったな。どういう顔していいんだか。これから撮影隊に遺跡まで連れて行ってくれって頼むとこなんだから、羽田ミドリの夢と現実ごちゃまぜモードは都合いいから維持したいし、かといって、まともに受け止めるわけにもいかないし。

「ちょっとちょっと~。なにメロドラマやってんのよあんたたちぃ」

 横でチョコまか動き回りながらユメがツッコミを入れるが、羽田ミドリは一向に気にしてない様子で、オレとふたりきりの世界にひたっているようだ。

 この入り込み方は、さすが本格演技派女優と呼ばれるだけのことはある――ってことなのかな?

 無視されたユメが暴れだす前に、進めるとこは進めておかないとな。

「ごめん。実は、カラクムル遺跡へ行かなくちゃならなくて。番組の収録で行くところなんだろ? なんとかふたり、いっしょに連れてってもらえないかな?」

 オレが『ふたり』と言ったときに、羽田ミドリの右の眉がピクリと上がった。

 彼女は気を落ち着けるように、一呼吸したあと、ユメのほうを向いた。その真剣なまなざしに、さすがのユメもちょっと引いて身構えたようだ。

「あなたまで現実に存在するなんて思わなかったわ。夢の中でも現実でも、あなたはマコトさんとわたしの間に立ちふさがる大きな障害のようね」

 え? 羽田ミドリの夢にはユメが出てくるのか? 今までにはなかったパターンだな。あ、もっともユメといっしょに現実で会ってるのは、グラビアアイドルの島崎レナだけだから、クラスメイトの須藤エリや学園のマドンナ風見先輩の夢にも、ユメは出てるのかもしれないな。

「べ、別に現実ではマコトとはなんでもないわよ! いっしょに遺跡へ行かなきゃいけないだけで」

 そう言いながらも、ユメは一歩踏み出して羽田ミドリを睨み返していた。

 ふたりの間に火花が散っているように見える。

 そこへちょうど、撮影隊のADかなにかやっていそうな若い男性がやってきた。

「羽田さん。そろそろ出発ですので車へどうぞ」

 羽田ミドリはユメと睨み会うのをやめて、そのスタッフに向き直った。

「車の座席はまだ空いています? このおふたりを遺跡までお乗せすることはできないかしら。座席が空いているようなら、ディレクターにはわたしから直接お願いするんですけど」

 このスタッフは、羽田ミドリにお熱らしい。オレとユメの方を見もせずに、後頭部を掻きながら羽田ミドリに笑顔で答える。

「あ、空いてます空いてます。マイクロバスのほうなら、座席はまだ十分ありますよ。道が悪いらしくて、マイクロバスだとかなり揺れるかもしれませんが、それでよければ、ディレクターにはボクからうまく言っておきますよ」

「ありがとう、恩に着ます」

 羽田ミドリは両手を顔の前であわせ、情感たっぷりに言った。普通の男はこれでイチコロだよな。このスタッフも例外じゃなく、少年のように初々しい笑顔で羽田ミドリを何度も振り返りながら車の方へ駆け戻っていって、ディレクターらしい人物にペコペコ頼み込んでいた。

 羽田ミドリは、小首をかしげてオレの方を振り返った。余裕の笑みを浮かべている。

「わたしは途中、車での撮影もあるから、四駆に乗らなきゃいけないの。遺跡まで離れ離れになっちゃうけど、続きはあちらでお話ししましょ」


 マイクロバスは、あのスタッフが言ったほど空いてはいなかった。

 撮影隊の下っ端スタッフらしいのが五人、前のほうの座席に座り、後方の座席には機材が満載だ。機材の中にはテントなんかもある。やたらでかい発電機みたいなのや照明らしいのも何個かあった。遺跡で泊まって夜の撮影なんかもあるんだろうか。それでこんな昼前になって出発ってことなのか。

 最後尾の座席の荷物を横に積み上げてもらった分、ふたりの座席が確保でき、いやおうなしにユメとオレは並んでそこに座ることになった。

 道は、ほとんど舗装されていないうえにジグザグで、揺れるたびにオレの横の機材の山がギシギシ鳴っていた。

 ユメはこっちを見ない。窓際の彼女は窓枠に頬杖をついてジャングルを見ている。

 

「・・・・・・つまり、そういうことね」

 十分ほど無言の旅が続いたあと、ユメが窓を向いたまま、ぽつりと言った。

「え?」

 何が『そういうこと』だ?

「飛行機の中で、あなたはあのグラビアアイドルさんといちゃいちゃしてて夢の中に入った。で、この撮影隊に参加してる女優が、四人の侍女のうちのひとりだっていう予想があなたにはできてた」

 どうやら真実に到達したらしい。つくづくユメは頭がいい。

「つまり、日本であなたが化学準備室と旅行会社の窓口で夢の中に入ったときは、侍女のうちのクラスメイトと学校の先輩さんがそれぞれそばにいて、いちゃいちゃしてたときだったわけで、もうすぐあの女優さんともいちゃいちゃして夢の中に入るってしくみなわけよね」

 完全正解だ。

「そういうことに・・・・・・なる・・・・・・かな・・・・・・?・・・・・・」

 いちおう、この場は肯定しておこう。どうせ、あとでそうなったらバレちゃうような嘘はやめとくべきだな。今までだって、隠してたわけじゃなくて、わざわざ言ったりしなかったってだけなんだし。

「モテモテですこと」

 トゲがたっぷりある言い方だ。

「いや、こっちから言い寄ってるわけじゃないんだ。彼女たちの夢の中のオレがいけないんだよ。なんかどの娘の夢の中でも、彼女たちに色目使ってるらしくてサ」

 ユメがくるりとこっちを向いた。鼻の上にしわを寄せてる。

「あなたって、実はプレーボーイの素質があるんじゃなくって? あ~いやらしい!」

「な・・・・・・」

 言うだけ言うと、絶句しているオレを放って、また窓の方を向いてしまった。

「わたしの夢の中じゃ、クラスメイトたちといちゃついてるだけで、わたしに言い寄ったりしなかったくせに・・・・・・」

 今度のは独り言なのか、声が小さかった。しっかり聞き取れたが。

 マンハッタンの青年実業家のオレは、秘書のユメとはビジネスだけの付き合いだったらしい。それでもって他の女の子といちゃついて、ってとこがユメの夢の『本物の夢』っぽい共通項ってことになるのかな。


 遺跡までの四時間半は、この前のバスの旅とちがって、二人並んでいるだけの一人旅だった。会話もなきゃ、笑顔もない。

 同じ『四時間半のバスの旅』なのに、体感時間はぜんぜん違っていた。今度の四時間半は、ずいぶんと長いものに感じられた。

 そろそろ着くころだろうかとユメの頭越しに窓の外を見ると、ジャングルの中にちょっとした駐車スペースが切り開かれていて、公園の入り口みたいなかんじになっている。観光客らしいのと、現地の係りの人のようなのとが、話していて、観光客の乗ってきた車は駐車スペースへ案内され、ここから先は小汚いマイクロバスに乗り換えるように言われているようだ。シャトルバスかなにかなんだろうか。

 撮影許可を取ってるからか、撮影隊は係りの人とちょっと話しただけで、そのまま遺跡へ向かって進んだ。そうだよな。この大量の撮影機材をシャトルバスに載せかえるなんていうのは、考えたくない。


 木々の間から、石の遺跡がちらちら見えていたかと思ったら、いきなりジャングルが途切れて、広い場所に出た。

 広い場所といっても、ジャングルの木々がないスペースだっていうだけで平坦な広場ばかりじゃない。遺跡の一部らしい石を積み上げた跡のようなのが、あちこちにあり、で~んと広場の中央をピラミッドの土台部分が占めていた。

 撮影隊は車を並べて停めて機材を降ろし始めた。

 ただで乗せてきてもらってるので、なんとなく手伝うことにした。ユメも文句ひとつ洩らさず手伝ってる。

 運動会で使うような屋根だけのテントを張って、そこに濡れたら困るような機械類を移動する。でっかい照明は六個あった。日も傾いているし、やはり撮影は夜かららしい。

 まず、カメラマンさんが、沈む夕日を撮り始めた。遺跡とジャングルの向こうへ真っ赤な太陽が沈んでいくシーンだ。番組のオープニングあたりで使うのだろうか。とりあえず、なにかに使えるから撮っとけ~みたいなノリかもしれないが。

 とりあえず、乗せて来てもらったお礼分くらい手伝って、ADさんから感謝もされた。あとは世界を救うために地底都市へ行くことを考えなきゃな。ユメと目が合うと、彼女もそう思ってるらしく、力強く頷いていた。

 一応、羽田ミドリにも礼を言っておかなくちゃ、と思って彼女の姿を求めて見回すと、数人のスタッフといっしょにピラミッドの裾のあたりの石段にのっかって、片手に台本を丸めて持って立ちポーズをとっていた。

 リハーサル中らしい。

 羽田ミドリが、台本をひとしきり黙読してから、顔を上げて遺跡案内人の演技に入った。

「――この遺跡がこのあたりの中心都市として栄えた時代は、六世紀から七世紀ごろ。青銅器や鉄器を持たず、牛や馬などの家畜を持たなかったかわりに、数学や天文学が発達していたマヤ文明では――」

 え?

 なんか、かなり夢とズレてるな。

 六千年前と六世紀じゃ、四千五百年も開きがあるじゃないか。夢にはウマも出てきたから家畜も飼ってたみたいだし。まるで別の文明の話だ。同じ場所でも四千五百年も違えば、別物か。

 マヤがあの夢の文明の模倣ってことになるのかな? 四千五百年も経って、記憶も薄れて、ちょっとだけ似ている別のものになっちゃったわけだ。

 まあ、そもそもドラゴンとか出てきてるから、六千年前っていうのは現実じゃないかも・・・・・・あ、夢だからいいのか? う~む。

 そんなことを考えながら彼女を見ていたら、こっちが見ているのに気がついたらしい。

「ちょっと休憩させてください」

 まわりのスタッフに声を掛けて、彼女が石段から、ぴょんと飛び降りた。

「カメラテストはOKだ。陽が沈んで暗くなったら本番だから、ミドリちゃん頼むね」

 スタッフの声に笑顔を振り撒いてから、こっちに歩いてきた。

 彼女はマヤの女性をイメージしたロングドレスを着ていた。あくまで日本人が思い浮かべるマヤのイメージなんだろう。ギリシャの女神みたいなデザインのドレスで、色彩が中南米っぽい原色系だ。

 さっきセリフを言っていたときは、神々しい感じがして人間じゃないような雰囲気をまとっていたが、今は素に戻っていて、とてもやわらかな人間味にあふれた感じだ。

 ユメをチラリと見てからオレの方を見て、そのまま視線を合わせたまま近づいてくる。

 ちょっと、胸のあたりがキュンとした気がする。

 目力がすごいんだ。

 素じゃなくてこれも自然体な演技なのか。

 目が離せないじゃないか~!

 これじゃあ、まるで金縛りだ。

「マコトさん。ようやくふたりで話せますね」

 彼女は『ふたり』のところを強調した。

 わざとらしく無視されたユメが息を荒げる気配がした。

 ヤバイぞ、このパターン。

「あ、いや。ここまで連れてきてくれたお礼を言いに。実はオレたち、これから行かなくちゃいけないとこがあるんだよ」

 羽田ミドリが眉を寄せて、オレとユメの顔を見比べた。

「こんなとこから? もう夜になるのに?」

「ああ。ここはまだ目的地じゃないんだ」

「そうよ、早くしないと時間切れだわ」

 横からユメが口を出す。

「やっぱりあなたが勇者様なのですね」

 羽田ミドリはユメのちょかいを意に介していないようだ。・・・・・・と思ったら、彼女は急に、ユメの方を振り向いた。

「そして、あなたが、いつもわたしと彼の間に立ちふさがるというわけね」

 どういう夢なんだ? 羽田ミドリの夢は。

 羽田ミドリはユメに対して対決姿勢なんだが、ユメはちょっと睨み返しただけで、プイっとよそを向いてしまった。

「しらないわよ、そんなの。マコト、さっさといちゃいちゃして夢に入っちゃいなさいよ。あの続きを見ておかないと、神殿の場所も入り方もわかってないのよ!」

 ユメの言うとおりだ。このまま、あいさつしてサヨナラってわけにはいかないんだった。

 夢ではまだ『感謝の壁』の手前までしか行ってない。あの先、どうやって神殿に行くのか、神殿でどうやって栓を抜くのか、それを知るためには夢のつづきを見るしかない。夢を見るには、あの香りが必要で、香りをかぐには羽田ミドリにせまられて鼻の下を延ばす必要があるってことになる。

「どういう意味なのかしら?」

 羽田ミドリはそんなことは知らないから、不思議そうな顔で、オレの顔とそっぽを向いたユメの顔を見比べてる。

「マコトがあなたといちゃいちゃしないと、夢が完成しないのよ」

 ユメはそっぽを向いたまま言う。

「わたしが道具かなにかみたいな話なのね」

 羽田ミドリは、オレに向かって、目で『そうなの?』と訊いているようだ。

「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・・・・いやいや、そういうことになるのかもしれないな」

 羽田ミドリとユメの両方にいい顔しようとしても、ムダだな。ふたりともこの場にいるわけだし、オレはプレイボーイじゃないんだから、そんな高等テクニックは使えない。

 あ、そうか。だからユメはそっぽを向いたんだ。

 この場ではユメに気を遣うなっていうメッセージなんだ。

 そういうことなら――

「あのさ。キミの夢も繰り返し同じ夢で、オレが出てくるわけ?」

 オレはユメのほうを見るのをやめて、羽田ミドリを説得することに集中することにした。

「ええ、そうです。ホーリーエンパイア財団が言っている『繋がった夢』の一部だと思うわ。同じ夢を繰り返し見てます。あなたの夢です」

 夢の話を振ると、なんとか羽田ミドリをふたりの世界に引き込むことに成功したようだ。

 羽田ミドリが、ユメを意識から消し去ってオレの方を向いて、一歩迫ってきた。

「あなたは華道の家元を継いだところで、わたしは子どものころからあなたを慕うお弟子さんなの。でも、あなたは、海外進出のために、華道の『か』の字も知らないカナダの富豪の娘に迫られて、仕方なく付き合っているの。本当はわたしと愛し合っていて心はつながっているのに」

 カナダ娘がユメというわけか。たしかに恨まれそうな役どころだ。

「オレが華道、ねぇ」

 花なんか生けたことはない。どのへんが本物の夢とつながってるんだ? ユメが出てくるとこかな。そういえばユメのマンハッタンの夢だって、本物との共通点は、オレが四人の女性といちゃいちゃしてる、ってことと高い眺めのいい部屋で話しがはじまるってところぐらいだった。

 つながってる夢って、本当の夢とはその程度の共通点しか持ってないんだ。そういう夢をあつめて、本物の夢に近いストーリーをつきとめたホーリーエンパイア財団っていうのは、相当の人数の夢のデータが集まってるのか。それとも、代表者のあの神官の夢が、オレの見る本物の夢に近いんだろうか。

 夢のことを考えていて、気がつくと、羽田ミドリがかなり近い位置まで迫ってきていた。彼女が両手を伸ばして、オレのシャツの肘あたりをつまむ。

「わたしの夢が本当の夢じゃないってことは、なんとなく分かっていました。でも、本当の夢での人間関係を暗示してるんじゃないかしら。ねぇ、そうでしょう?」

 羽田ミドリは、背伸びをして顔を近づけてくる。

 瞳がうるうるしてる。演技なのかどうか、よくわからないが、こんなふうに見られたら、彼女に愛されてるんだって、男の方は思っちゃうよな。

 あ、来た。あの香り。

「ねぇ。マコトさん。本当のことをおっしゃって?」

 うわ、唇もピンクのプルプルだ。

 肘のとこをひっぱられると、自然とオレの両手は彼女の両肩あたりにいって、瞳とくちびるの誘惑にはまって、彼女の肩を抱いてキスしてしまいそうになって・・・・・・。


第8話 修羅場


 地底都市だ。

 あの、神官たちに追いつかれて『勇者の光波』を使った場所のままだ。

 なんで? 前に見た夢から進んでない? 現実じゃ、丸一日以上経ってるのに。

 四人の侍女を助け出して、彼女達がオレに駆け寄った場面のつづきらしい。

 ユメは?

 ユメの方を見ると、彼女は金髪だ。彼女も寝てるんだ。オレと同じで場面が進んでないことを不思議がってるようだ。あたりの様子を見回している。

 おや? 四人の侍女たちも、似たようなことしてるぞ。まるで夢から目覚めたばかりのように、周囲の様子をきょろきょろ見回して、今の状況を把握しようとしているような・・・・・・。

 彼女たちも寝ちゃったのか? 今度は。

 オレが彼女たちを見ていると、目が合ったクラスメイトの須藤エリが口を開いた。

「鵜筒クン・・・・・・鵜筒クンよね? どういうこと? わたし自分の部屋にいたはずなのに、これは夢?」

 日本にいるはずの須藤エリは、時差十四時間で多分朝だ。オレが眠ったのに合わせて寝ちゃって、このオレの『本物の夢』をいっしょに見ることになったんだ。

「あ、ああ。これがオレの夢だ」

 どう説明したらいいんだろう。彼女の夢がどんなものだか聞いてない。どの程度一致してるのかわからないからなあ。

「ここはどこなの? 地下? 現代じゃないみたいだし。鵜筒くんもいつものレーサースーツじゃないわ」

 レーサーなのか、彼女の夢では。脚が長い彼女は、さしずめレースクィーンってとこだろうか。須藤エリは、状況を整理するかのように口に手をあてて首をかしげながら長考に入った。

 かわりに呼びかけてきたのは風見先輩だ。

「夢がつながった、つながったのね、あなたとわたしの夢。カリブじゃなかったのね? あなたが海賊じゃなくて勇者様なのが正解なら、本当のこの場所は?」

 風見先輩は、つながった夢について、かなり理解しているようだ。そういえばホーリーエンパイア財団のことをよく知っているみたいだったよな、旅行店でも。情報収集して研究してたんだろうか。

「近いんですけど、ここはメキシコのカラクムル遺跡の近くの地底都市なんです」

 ここで、島崎レナが風見先輩とオレの間に割り込んでくる。

「地底? あなたには空のほうがお似合いよ! でも、その姿もソソるわね。で? 本当の夢でのわたしの役は何なのかしら?」

 なんて説明すればいいんだ? オレといちゃいちゃする役?

 さらに羽田ミドリが追い討ちを賭けてくる。

「さっきまで、カラクルムのピラミッドの横で、わたしたち話していたのに・・・・・・彼女が言ったとおり、夢を見るためにわたしを利用したの? 彼女は何者? なぜ彼女と旅をしているの?」

 羽田ミドリが言う『彼女』っていうのは、もちろんユメのことだ。彼女だけ連れて、特別扱いだってことなんだから。夢でも現実でもそういうことになっちまってる。オレが答えに困っていると、四人は口々に「なぜ?」「どうして?」の質問の大合唱になった。もう、何にどう答えたらいいかわからないぞ。

 そこで横槍が入った。ああ、そうさ。それは助け舟じゃない、横槍だ。

「本物の夢は六千年前のこの地底都市近くの神殿が目的地で、彼は世界を救う英雄で王様。あんたたち四人は侍女。で、わたしは彼の妹で婚約者。わかった?」

 四人に向かっててきぱきと説明したユメが、ドヤ顔で腕を組んだ。

 大勢のナースを前にした婦長さんが指示を出すような感じだ。

 なにを威張ってるんだか、よくわからんが、四人のオレへの攻勢は止まって、彼女の方に視線が集中した。

 ユメの場合、腕を組んでるっていっても、自分のでかすぎる胸がじゃまで、しっかり組めているわけじゃない。両手首あたりで腕を交差して、やわらかそうなハンドボールをふたつその上にのっけてるようなポーズなんだが、とにかくこの中で一番背が低いくせに、上から目線だ。

 あまりにも当然っぽく威張っているので、四人はあっけにとられてるってとこだろうか。

 四人(オレも入れれば五人)の視線を浴びて、自分のドヤ顔に気づいたのか、ユメは『なに見てんのよ』と言いたげな表情とともに、両手を腰に当て直した。

 そのポーズも依然として上から目線だぞ、おい。

「とにかく。あんたら、こんなとこに連れて来られてまで、マコトレベルの男を取り合うようなタマじゃないでしょ? しっかり現実見なさいよ! 状況把握、状況把握!」

 そりゃあ、オレが彼女たちに吊り合うようなレベルじゃないことは自分が一番わかってるが、本人を前にして堂々と言うか?

 なんだか反論したくなったぞ。

 オレが何か言うより早く、女性陣の反論が始まった。

「なによ、あなた。彼が自分のものだとでも言いたいの? 自分が先に同行してたから既得権があるって言いたいんだとしたら、残念でした~。わたしは四月からずっと彼のクラスメートよ。夢の前からちゃんとマークしてたんですからね」 最初にユメに食い付いたのは須藤エリだった。マークの話は初耳だ。ほんとか? 彼女がオレに気がある、なんて話は聞いたことがないぞ。

「妹で婚約者って、現代日本じゃありえませんわ。で、あなたはどっちの立場を主張したいのかしら? 妹? 婚約者?」

 風見先輩は怒ってるみたいだ。美人が怒ると怖いよな。

「こんなことでもなかったら、彼レベルを取り合うタマじゃないってことでいえば、あなただって十分当てはまるんじゃなくて? 普通にロリ巨乳グラビアアイドルとして業界のトップ争いやってそうじゃないの」

 島崎レナの言うことはもっともだ。

 認めるよ。ユメは普通にメジャー雑誌のグラビアに出てくる美少女レベルだ。美少女との二人旅が照れくさくて、今まで、その事実に触れないように触れないように避けてきてたわけだが。

 ユメほどの美少女が、オレなんかとの旅で、ほかの女の登場にいちいち反応してる、っていうのは未だに信じられない。オレなんか鼻にも掛けない、っていうレベルの女の子だよ、実際。

「あなたも素直に認めたら? この、心の奥底の、前世から沸きあがってくるどうしようもない彼への思いを、あなたも感じているんでしょう?」

 おいおい、そうなのか? 羽田ミドリはこの前の悲恋ものドラマのヒロインのときより感情篭ったセリフを言ってるようだった。これは芝居か? それともマジなのか?

 美女四人のバトルロイヤルだった争いは、ユメの乱入で四対一のにらみ合いに移行していた。

 これって、オレが何か言って場を治める場面か? 何を言っても、焼け石に水どころか、火に油だろうなあ。

 お~い、ポポロムはどうした。

 こういう時こそ、場の雰囲気を無視したことをベラベラしゃべって、怒鳴られ役を買ってくれるようなキャラじゃないのか?

 お、オレの後頭部の上あたりでパタパタと羽音がする。ポポロムだ。ちょっと位置取りは悪いな。そこで何か言って顰蹙を買うと、オレの方に向かって視線が集中するんじゃないかな。

 そういう事態になる前に、場所を変えようと思った矢先、ポポロムがしゃべりだしてしまった。

「あの~、お聞きしておりましたが、妹姫様。『侍女』というのはどなたを指しておいでですか?」

 ポポロムは、心底不思議そうにユメに尋ねた。

「誰って、この四人よ。わたし、マコトと繋がった夢の中で妹姫としてのセリフで『いつまで侍女をはべらせてんの!』って彼女たちのことを呼んだわ!」

 ユメは記憶力がいい。たしかそうだったんだな。

「妹姫様がそのようにおっしゃるわけはございません」

 ポポロムはきっぱり否定した。四人の女性の視線がポポロムに集中している。自然と、オレの方を向いてるわけで、やはりこの位置取りは居心地悪い。四人はポポロムを始めて見るはずなんだが、その存在やしゃべるっていうことにかんして、驚いたりする様子がない。ポポロムの存在を肯定した上で、ポポロムが話す内容のほうに興味があるようだ。

 ユメはというと、脇を向いてなにやらブツブツつぶやきながら必死に何か考えているようだ。

「・・・・・・そうよ、あのときはまだ、わたし英語を使ってたわ。マンハッタンのビルでの会話のつもりだったもの。実業家の彼に向かって言うにしては似つかわしくないセリフだったのは、本当の夢じゃないわたしの夢は、この本物の夢とはズレがあったからよね。わたしが彼女達のことを呼んだ言葉は英語では・・・・・・『コンパニオン』だわ」

 完璧っぽい発音とイントネーションを交えてユメが回想した。

「さようでございますですね。その呼び方でしたら近うございます」

 ポポロムがユメのつぶやきにコメントした。

「日本語化した外来語の『コンパニオン』と英語の『コンパニオン』はニュアンスが違ったから日本語としては『侍女』って思ってた。日本語では『侍女』としか表現できなかったから。でも、それって適切な訳じゃないってことなのね?! それはつまり彼女達が使用人や召使いじゃなくて高貴な身分だってことでしょ? そこが違うってこと? そんなの、今はあんまり重要なことじゃないわよ。マコトとの関係が問題なのよ!」

 ユメは真顔でポポロムを見上げてた。

 ポポロムのやつ、珍しく間をおいて答えやがった。

「はい、貴族階級の出であることはおっしゃるとおりでございますが、問題の部分についても差があるようでございまして」

 ポポロムは一呼吸した。

 おいおい、そういうキャラじゃないだろう。もったいぶるなよ。場を読んだりしてこなかったじゃないか、今までは。

「つまり、ここにおいでのみなさまは、陛下のお側にいてお相手やお世話をする役をなさいますのと同時に、陛下と婚姻関係をお持ちでいらっしゃいます」

 場が凍りついた。

 最初に動いたのは、激高したユメだった。

「つ、つ、つ、つまりわたしは五人目の妻になる婚約者だってこと?! いくら本妻でも、お妾さんがすでに四人いるなんてバカにしないでよ!」

 それに対しポポロムは平然とした口調のまま答える。やはり空気を読まないやつだな。

「陛下はまだお后をお持ちではありません。妹姫様が望んでおいででしたのは、たしかにお后になられることでございましたが、さきほど陛下がなさったプロポーズはほかの方々と同じ立場のものでございまして。でも、妹姫様はたいそうお喜びでございましたよ?」

 ユメは絶句してしまった。

 一方、ほかの四人は呪縛から解かれたようにそれぞれ動き出した。

 彼女達には暗黙のうちの順番があるのか、須藤エリが最初だ。

「な~んだ、特別なのは『妹』ってことだけなんじゃない。それどころか、一歩出遅れてるわけだし~」

 ちらりとユメを見ながらだったが、ユメの耳には入っていないようで、ユメはまだ言葉を失ったままだ。

 ユメのその様子を見定めてから、風見先輩がオレの頭上のポポロムを真正面に見据えて確認する。

「つまり、わたしたち『五人』は正室不在状態の彼の側室ってことですのね?  かわいいドラゴンさん?」

「おお! そのご説明は非常に的確なものでございます!」

 さらに追い討ちをかけるのが島崎レナ。

「そんな一夫多妻なんだったら、彼の姉妹もたくさんいるんじゃないの?」

「はい! 陛下には姉君が三人と妹君が十八人いらっしゃいます」

 そうして、とどめの役が羽田ミドリということか。

「わたしを――わたしたちを、と言ったほうがいいかしら――選んだのは陛下ご自身なんでしょう? 政略や押し付けではなく、愛情があって、妻にめとられたのですよね?」

 そこを突くのか。陛下はプレーボーイ確定だもんな。

「ええ! それはもう、みなさん、熱烈な求愛を受けてのご成婚でございましたとも!」

 ユメの肩がピクリと動いたように見えた。

 四人の女性の視線が、ふたたびユメの方に戻る。彼女がどうするのか待っているようだ。

 ただひとりの婚約者かと思えば、あとの四人は先に妻になっていた。妹という立場も十八人のうちの一人。さっきのユメの大見得は全部裏目ってことになってしまったわけだ。

 ユメはうつむいていて表情が見えない。

 ユメの肩が震えてる。

 そのまま、カツカツと足音を立ててオレのすぐ前まで歩み寄ってきて、きっ! とオレを見上げて睨んだ。

「あなたって、あなたって! あなたって!! 最っ低!!!」

 ユメはオレの胸を両手で叩きながら怒鳴った。

「そ、そんなこと言われても、オレじゃないってば!」

 責任は『陛下』にあるんであって、オレじゃないんだから。

 ユメも怒りながらもそれを思い出してか、叩くのをやめた。

 ユメの眼に、涙?

 彼女の頬をひとすじ涙がこぼれたとき、それに気付いて『はっ』とした彼女は、オレから離れ、ぷいっ、とそっぽを向いた。

 何か言わなくちゃ。オレが何か言わなくちゃ。

「オレには! ・・・・・・現代のオレにとってはユメだけだよ」

 何を言い出すんだ? オレは。

「オレにとっては、ほかの四人は、ほとんど話したことないクラスメイトや、遠くから見たことがあるだけの先輩や、雑誌やテレビでしか見たこと無いアイドルや女優さんだ。・・・・・・夢で会ってからまだ三日目だけど、ここまで苦労していっしょにたどりついたパートナーはユメだけなんだってば」

 ・・・・・・言っちまった。もう、引っ込まないぞ、このセリフ。いいのか、オレ。

「なんか」

「くやしいっていうより」

「シラけちゃったわね」

「ほんと」

 四人の美女は、例の順番でそう言うと、それぞれよそを向いてしまった。

 引いちゃったようだな。我ながらクサいセリフが言えたもんだと思うよ。

 ユメはくしゃくしゃに泣きながら・・・・・・オレの左肘にすがりついていた。

 顔を上げたユメは、恨みがましいような怒ってるような喜んでるような、複雑な表情だ。ちょっとほかの四人を気にするように視線が踊って、またオレを見たときには、キッと睨んでいた。

 バシン!

 ユメのビンタがオレの左頬にヒットした。

「なんで殴るんだよ!」

 いきなり、まさかの行動だったので、避けるヒマがなかった。

「うるさい! これでいいの!」

 ユメは、つまり、ほかの四人のためにオレ――というか陛下か? ――を叱ったってことらしい。

「さて、ゴタゴタも片付いたようですし、そろそろ参りませんと」

 空気を読んでいたつもりになっていたかのように、ポポロムが言った。

 いいタイミングだよ、おまえはな。

 待てよ、このパターンは・・・・・・。

「ポポロム、先に言っておくことがないのか?」

 そうだ。ポポロムの場合『そろそろ参りませんと』どうなるのかって話の方が重要だ。

「間もなく神官が新手を連れて、またやってまいります」

 やはりな!

 ユメの手首をつかんで『感謝の壁』へ向かおうとして、あとの四人はどうしたらいいか、ってことが残ってるのに気付いた。

 ここで言うべきセリフは、おそらく『きみたちは、どこかに隠れてやりすごして! さあ! いくぞユメ』なんだろうな。

 が、四人の美女の目が『それを言っちゃうつもり?』というプレッシャーのようなメッセージを発信している。

「と、とにかく『感謝の壁』へ走れ!」

 あ~、ダメダメだ。今度はユメの反応が恐い。

「・・・・・・意気地なし!」

 走り出しながら、オレにだけ聞えるような声でそう言ったユメの顔は、意外にも満足げな笑顔だった。

 つくづく、ユメってわからん。

 あ、いや、ほかの女の子のことがわかるってわけでもないけどな。

 ほかの四人も同じ方向に走ってくる。

「鵜筒クン、誰から逃げてるの?!」

 須藤エリが走りながら訊いてくる。そうか、彼女たちはこの夢ははじめてだから事情がわかってないんだ。

「追ってくるのはホーリーエンパイア財団のやつらさ。オレの使命を妨害しようとしている。オレはこの先の神殿で、世界に充満した『悪意』を魔界に吐き出すために栓を抜かなきゃいけないんだ」

 この説明で、なんとか伝わらないかな。

「財団って妨害する側だったの? 相談しなくてよかったわ。夢のこと話しに行こうか迷ってたの」

 やっぱり風見先輩は財団のことをいろいろ調べていたんだな。ヘタをすると敵に回ってたかもしれないじゃないか。

「風見先輩、それ、しなくて正解です」

 まったく、危ない話だ。

「この先はどうなってるわけ?」

 島崎レナの質問に答えられる知識はオレにはない。ポポロムを見上げると、さきにポポロムが答えはじめた。

「この先の『感謝の壁』には神殿へ通じる洞窟がございまして、その途中に『試練の谷』がございます。そこを越えられるのは陛下と陛下のお連れの方のみでございまして、その先が神殿でございます」

「神官もそこへはひとりで行けないのですね」

 羽田ミドリの心配はもっともだ。神官っていうからには神殿へ入れそうだもんな。

「彼は地上で崇拝されている神に仕える神官でございまして、古の地底都市においては何の権限もございません」

 両側の町並みが途切れ、正面に地底都市の果ての岸壁が迫った。岸壁に神殿の玄関のような入り口がある。扉はない。幅も高さも五メートルほどの洞穴の入り口らしい。

「ねぇ、ポポロム。『試練の谷』って、なにか試練があるわけ?」

 ユメの問いに、洞窟への玄関口をくぐる前に足が止まってしまった。たしかにヤバそうなネーミングだな。

「陛下。どのみち進むしか道はありませんのでは?」

 ああ、ポポロムの言うとおりだ。だが、そんなわけのわからないところへ、みんな連れて行っていいものだろうか?

 オレの迷いを見透かしてか、その場を仕切ったのは羽田ミドリだった。

「マコトさん、行ってください。わたしたち四人はここで時間をかせぐわ」

「ちょ、ちょっと! 勝手に仕切っちゃうわけ?!」

 須藤エリが突っかかる。

「あなただって・・・・・・この場所に来て、なにか思い出したでしょう?」

「え?」

 須藤エリは羽田ミドリに言われて、その玄関を不安そうに見回した。

 そして、なにかを思い出したようだった。

「・・・・・・ええ、そうね。この場所は見覚えがあるわ。わたしたち四人にとって大事な場所」

 大事な場所? ほかのふたりも、同じように何か思い出したようで、顔を見合わせては頷きあっていた。

「そうよ。さっきユメさんが言ってたとおり、この夢が六千年前の話なんだったら。わたしたちには魂の記憶があるんだわ」

 羽田ミドリはオレの方へ歩み寄ってきた。

「さあ。ふたりで行って。そしてあなたの使命を果たしてください」

 彼女は、すっと顔を寄せて、オレの頬にキスをした。幸運を祈る別れのキスか? 速攻だったのでそのまま受けちゃったが・・・・・・やばい。

 あの香りだ。

 こんな場面で起きちゃっていいのか? 『試練の谷』の渡り方はどうなる?



 カラクムル遺跡のピラミッドの横だった。

 起きちまった。

 もう、四人の侍女とのいちゃいちゃは済ませてしまった。彼女たちの香りがないと夢に入れないなら、そして、ひとりの侍女につき一回の夢なら、夢はあそこで終わりってことなんだろうか。神殿に入って栓を抜く場面は、夢では体験しないのかな? だとしたら、六千年前のことは、陛下と妹姫にまかせるしかないか。

 ま、そのほうが成功率高そうだけどな。

 オレと同じく一瞬の眠りから覚めたユメと羽田ミドリがそこに居た。羽田ミドリは、オレのシャツの肘から手を放して、二歩ほど下がって距離を取った。

「あの場所はね、あの時代のわたしたち四人の・・・・・・死に場所だったの」

「えっ?」

 彼女の言葉に、オレとユメは思わず声を上げた。四人が思い出した記憶っていうのは・・・・・・そういうことだったのか。

「後から追ってきた神官は五十人くらいの男達を連れていたわ。問答をしたりして、四人で時間を稼いでいたんだけど、神官が命じて、わたしたちはあっさり殴り殺されちゃったの」

 ちゃったの、って、軽めに言われても困る。

「幸い、追体験は免れたようね。あの時代のわたしたちが稼いだ時間が有効に使われたならうれしいわ」

 彼女はユメのほうへ歩み寄った。

「あなたたちはまた、あそこへ行くのね。現実の世界でも、あとはあなたにまかせるわ。マコトさんと・・・・・・がんばってね」

 そう言い残すと、羽田ミドリは撮影スタッフたちがいる方へ歩き出し、女優としての仕事に戻って行った。


第9話 ご都合主義と行き止まり


 暗くなってきた。

 撮影隊が夜の撮影の準備をしている場所から離れて、遺跡の周りの切り開かれた場所からジャングルを見回して、ユメが言った。

「どっち行けば地底都市だかわかる? そもそも、六千年前の道なんて残ってないかもしれないけど」

 このジャングルじゃ、六年前の道だって残っているかどうかあやしいもんだ。

「わかんないな。例のフラシュバックでもあればわかるかもしれないけど。出発

したときオレは起きちまってたからなあ。ユメは寝てたんだからどっちへ向かったのかわかったんじゃないか?」

 ウマに乗って歩いた旅の大半は、ユメしか寝てなかったから、オレは体験していない。

「あの部屋があったピラミッドみたいなののまわりには街があったのよ。見送りの人も大勢いて。ここにはそんなものないわ。そもそも、ここがあのスタートの場所とは限らないし」

 そうだ。この遺跡のピラミッドは、あのときのスタートの建物ってわけじゃない。四千年以上経って跡地に建てられたって可能性はあるが、まったく別の場所なのかもしれない。

 さらに暗くなっていくジャングルを見ていると、茂みの陰に猛獣か毒蛇でも隠れていそうな感じがしはじめた。

 途方に暮れるっていうのは、こういうときのことを表す言葉なんだな。

 あの地下への入り口の像まで道がちゃんとあって、車で行くっていうのならなんとかなりそうだが、ジャングルを徒歩っていうのはなあ。

「撮影隊にここまで連れてきて貰ったのは、こうなると失敗だったわねぇ」

「そうかもな」

 遺跡まで来るには都合よかったが、目的地は遺跡じゃなくて地底都市の神殿だ。この遺跡が、地底都市の入り口と、どういう位置関係にあるのかわかっていない。

「ここが六千年前のあのスタート地点なら、地底都市の入り口までジャングルを二、三十キロは行かなきゃならないわ。そのあと地底でもかなり歩いたみたいだし」

 そうだよな。たしかジャングルを二人乗りのウマで半日で地底の入り口で、地底も数時間歩いてたらしい。道がわかったとしても、ここから徒歩じゃ、丸一日なんてことになるかも。

 猛獣が出そうなジャングルを二人だけで歩いていって無事かどうかっていう大問題を横に置いて考えたとしても、これから丸一日かけていたら、完全に時間切れアウトだ。

「ここまでのご都合主義が嘘みたいな状況だなあ」

 思わず本音が出た。

「えっ?」

 小声だったと思ったが、ユメに聞えたらしい。

「え、いや。ここまで無理そうな場面でも、なんとか道が開けてきただろ。多分こんなかたちで道が閉ざされるはずじゃないんだ」

「そんな神頼みみたいなのじゃだめよ! たまたまここまで都合よく来れたからって・・・・・・マコト? どこ見てんのよ」

 オレが見ていたのは、ユメの頭の上。ユメの後方五、六メートルのジャングルの端とでも言うべき場所にある木にからみつかれた石の遺跡物だった。

 ユメがオレの視線をたどって振り返る。

 そこにあったのは、見覚えのある石像だった。

 身長の二倍くらいの高さの、三頭身の神像――つまり、地底都市への入り口の印だ。

「なによ! これ! 人が説教してるとこなのに、なんでこんな、ご都合主義なとこに突っ立ってるわけ?!」

 ユメはおかんむりだ。そりゃあそうだろう。オレが神頼みのご都合主義を望んだことを咎めようとしたときに、オレの頼みを神様がきいてしまったようなわけだから。

「これって、あの滑り台の入り口だろ?」

「だまりなさいよ! なんで遺跡のすぐそばにあんのよ! 夢じゃ半日かけてウマで移動したのよ! その間あなたは戻ってこないし!」

 ユメの怒りは収まらないようだ。

「だって、この遺跡は千五百年前のものだろ? 六千年前はジャングルだったってことじゃないかな? ポポロムは神像はいっぱいあるみたいに言ってたし」

 そうは言っても、納得いかないよな、確かに。

「そ、そんな簡単なことでいいわけ?!」

 でも、それをオレに言われても、なあ。

「道が無いよりいいじゃないか。それに、本物の入り口かどうかは、オレが近寄ればはっきりするんだろ?」

 オレが像に向かって歩き出すと、ユメが引き留めた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。これであなたがあの像に近づいて、黒い穴が開いちゃったら、それってどういうことかわかってんの?!」

 ユメは何を言ってるんだ? ここまできて地底都市の入り口を見つけたら、当然入るだろ?

「どういうことって?」

 オレが無頓着に訊き返す。ユメが怒ってまくしたてる。

「これまでのことは『不思議な夢ね~』みたいなノリでなんとかなるけど、穴が開いちゃったらそうはいかないのよ! これって現実なのよ! 現実の世界で、だれかが近寄ったら地面に穴が開く太古の石像なんていう存在が、あなた許せる? それって現実の崩壊よ?!」

 たしかに、コンビニの入り口の自動ドアとは訳が違う。あの穴の開き方は異様だったよな。地面がまるで薄っぺらい紙かなにかのようで、ぽっかり空いた穴の下は真っ黒で何も見えず、穴が開くようなしくみも見当たらない。穴が開く前は、地面は本物の地面だったし。

 でも、だからと言ってこれまでの出来事だって、それと同じくらいありえないことだらけだったじゃないか。カナダと日本にいたユメとオレが夢の中で会話ができて、メキシコへ行く相談をしてヒューストン空港で落ち合う、なんてことにしくみがないなら、それと同じことがたまたま起きる確率っていうのは、どれほどになるっていうんだ?

「ここまでのことだって、単なる偶然とかじゃ済まされない、キセキみたいなもんだったろ?」

「でも、現代科学でも説明できないようなしくみの地底都市の入り口、なんていうのはなかったでしょ? これは越えちゃならない一線よ!」

 ユメはまだ、穴のことを特別視しているらしい。

「わかんないなあ。地底都市に行かないとしたら、なんでここまで来たんだよ。ここで帰っちまうって選択肢、あるのか?」

 ユメが困惑顔で黙り込んでしまった。

 とりあえず、ユメが納得するまで、オレも待つことにしようか。無理やり引っ張り込むようなことじゃないし、ここにユメを置いていくなんていう選択肢なんてありゃしない。

 ここまでいっしょに来たんだから、もう、最後までいっしょに行きたいよな。

「・・・・・・あのね、わたしね、多分、心のどこかで信じてなかったの。不思議な夢でめぐり合えたあなたと、楽しく旅ができるってくらいにしか思ってなかったんじゃないかな。でも、地底都市が実在したりしたら、それはつまり人類の危機っていうのも実在してて、あなたの使命っていうのも本物だってことよね。それが恐いの」

 そう言ってオレを見上げたユメの瞳が、月明かりに反射してキラリと青く光った。

「ユメ。オレたち・・・・・・いっしょだから。これまでもふたりで来たんだし、ここからもいっしょに行こう」

 うまく言えないけど、なにかが伝わったらしい。ユメが覚悟を決めたように頷いてオレの腕につかまり、像の方を向いた。

 ふたりでゆっくりと像に近寄る。

 一歩。

 二歩。

 そして、夢の中で、黒い入り口が開いたあたりへ足を延ばす。

 二人でゆっくりとつま先を地面に近寄せ・・・・・・。

 つま先が硬い地面に触れる。

 穴じゃない。

 そのままかかとまで地面についても、なにも起きない。

 ユメを見下ろすと、彼女が笑顔で見上げてきた。不安から解き放たれた幸せそうな笑顔だ。

 ユメにとっては、このほうがよかったんだろうな。あの夢のことはなにかの偶然で、人類の危機も危険な使命の旅も、実は、ありゃしない。

 お? 彼女が両腕をオレの首に伸ばしてきて、しがみついて顔を近づけてくる。笑顔が近づいて、彼女が目を閉じる。

 これって・・・・・・え? キスとかしちゃう場面か? 断るのは、まずいよな。うん、ユメを怒らすわけにはいかないよな。

 オレも覚悟を決めて目を閉じようとした瞬間、足の下の地面が消えた。

「いじわる~~~!!!」

 真っ暗な滑り台を滑り落ちながら、ユメが叫んでいた。

 多分、神様ってやつに向かってだろう。



 この滑り台は二度目なので、勝手がわかっている。今度は姿勢制御もうまくできるぞ。手足を伸ばして、丸いチューブ状の滑り台の壁との摩擦で身体の向きを整え、滑る体勢を取る。滑り台のだいたいの長さも覚えているし、終わる前に角度がなだらかになるのも知っている。あ、ほら、きたぞ。もうすぐ出口だ。最後の着地も今度は危なげなく成功した。

 あの場所だ。

 間違いない。

「どうせ穴が開くんだったら、すぐに開きなさいよね! なによ、さっきの『溜め』は?! 開かないんだと思ったじゃないの! いいこと、マコト! さっきのは『ナシ』よ! 『ナシ』!」

 前半部分はオレに対してじゃなく『運命』に向かっての不平らしい。『ナシ』にしたい『さっきの』って、キスしようとしたことか?

「で? ここはどうなの、マコト? 夢の中とおんなじ?!」

 あ、そうか。夢じゃユメは滑り台の途中で目が覚めてたんだっけ。

 広さや間取りは同じようだ。原理のわからない夕暮れくらいの明るさの灯りも健在だ。でも、出口、っていうか街への入り口の方向が逆だ。

「地底都市の入り口には違いないようだが、夢の中とは別の入り口みたいだ」

 ユメとゆっくり街への通路へ向かおうとすると、あちこち見回していたユメが、宙に浮かんだ楕円形の黒い穴をみつけた。

「こ、これ何よ?! あり得ないわ!」

 そのとおりだ。空中に穴が浮かんでいて、その穴の中は、まったく別の場所に繋がっている。この穴に腕を突っ込むところを横から見たら、突っ込んだ腕が途中で消えているように見えるんだろう。

「ああ、それがさっき滑ってきた滑り台の出口。オレがこの平らなスペースを出るまでは閉じないんだってポポロムが・・・・・・」

 シュシューっと、穴からすべる音がする。誰かが滑ってきてる? 羽田ミドリか? でも彼女はオレたちふたりを見送ったはずだ。

 そう考えた一瞬を後悔するハメになった。滑り台の穴から飛び出してきたのは、迷彩服を着たやばそうな男達だった。

 肩から掛けた自動小銃を脇に持っている! ヤバいだろこいつら。

 驚いてると、例のフラッシュバックが起こった。こいつら神官といっしょに四人の美女を連れて追ってきたときにいたやつらだ!

 あわてて四畳半ほどの平らなスペースから離れる。黒い楕円の穴が縮んでいく。ギリギリ飛び出してきた男のすぐ後にいたやつの靴が出てきたあたりで、穴が小さくなって、穴の中から「うわ~っ!」という声が聞えたかと思うと、いきなり途絶えて穴が消え、ストンと靴が落ちて転がった。

 足首が切断されたんじゃなく、靴だけだった。身体はどうなったんだろう。出口がなくなって、チューブ滑り台に残されて詰まっているのか? それとも、あの滑り台全体が、オレがいることで開く『入り口』なら、チューブごと全部消えてしまったのかもしれない、その場合、中に残っていた人間がどうなったかなんて、考えたくないな。

 オレが動いて滑り台の穴が空中で消えるまでに、穴から出た男たちは八人。皆、銃で武装してる。

 夢のような出来事に驚いているのか、あたりを見ていたが、すぐにオレとユメの方を向いて銃を構えた。

 ひとりが何か言った。

 オレたちに向かって、だが、スペイン語かなにかだ。オレもわかんないしユメもわかんなかったようだ。だが、脅し文句らしいのはわかる。

 別のヤツがしゃべった。今度はなんと日本語だ!

「おとなしく降伏しろ。日が変わるまでここでじっとしていれば、殺しはしない」

 なるほど、そうしたら栓抜きは時間切れってことか。

 今動くと、撃たれちゃうんだろうな。こんな場所じゃ、死体もみつからないものな。撃ったやつらも、どうやって戻るつもりかわからないが。

 八つの銃口から逃げ出すのは不可能そうだ。やつらとは五メートルほどしか離れていないし、手近な岩陰までは、その倍はある。

「財団はなんでオレたちの邪魔をするんだ? あんたたち、知ってるのか? オレが勇者で、これから使命を果たすところなんだぞ。サポートするのが財団じゃなかったのかよ」

 ひょっとしたら、末端のメンバーは騙されているのかもしれない、という線に賭けてみたんだが、そもそも六千年前にオレたちを追い回していたやつらだから望み薄だ。

「勇者様なのは知ってる。おまえが使命を果たしたら、千年の平穏が訪れるって話もな」

「あのときの神官は、信者を失いたくなくて悪に走っていた。現代の代表もそうなのか?」

 その日本語男は、別に部隊のリーダーじゃないようなんだが、日本語で話が出来るのがそいつだけらしく、次第にグループの真ん中に移動し、前に出てきた。

「代表はいわゆる死の商人さ。平穏が訪れたら、商品が売れなくなる」

 おやおや、やばそうな団体だな。六千年前の神官もそうだったが、平和になると商売あがったり、ってことなのか。

「あなたたちも、それを望んでいるの?! お金で雇われてるの?」

 ユメがしゃしゃり出てきた。日本語でしゃべってるから、意味がわかってるのは、日本語男ひとりだけだろうけど、八人の視線がユメに集中した。

 オレはさりげなくユメを前にいかせ、彼女の陰で右腰に両手をそろえた。

 あの光線みたいなの――『勇者の光波』だっけ?――が出れば、楽勝だ。

「説得しようとしても無駄だ。オレたち実動部隊は、呼びかけで集まったわけじゃない。元々彼の部下だ。残念だったな」

 よし、やつらはまだ気付いてない。

 腰を落として、気を貯めて――両手を前に押し出す!


 出ない!!


 出ると信じて恥ずかしげも無く『かめ○め波』のポーズを取ったのに、オレの両手からは何も出なかった。

 しかし、効果はてきめんだった。

 八人の視線はオレのポーズに釘付けになった。

 こいつらみんな、六千年前にオレの『勇者の光波』っていう自動追尾多弾頭貫通光弾を喰らったやつらの生まれ変わりなんだ。あのときの記憶が刷り込まれていて、オレのポーズを見ただけで、ビビってしまっていた。

 固まったのは一瞬で、顔を覆ってかがみこむやつから、倒れてピクピク痙攣して泡を吹いてるやつまで、効果の差はあるようだが、全員戦意を失っていった。

 多分、六千年前にどんな状況になったのかによって、ひとりひとりの効果が異なっているんだろう。ただし、『やられた』ってことは共通なわけだ。

「ユメ! 今だ! 来い!」

 チャンスだ! ユメの手を引いて駆け出す。

 やつらの武器を奪ったり、縛り上げたり、っていうのも、ちらっと考えたが、そんなことをしている間に回復でもされたら勝ち目はない。ここは逃げちまうに限る。

 洞窟を走りながらユメが言った。

「あなた、なにしたの?!」

 そうか。ユメは知らないんだったな。『勇者の光波』を放ったとき、夢での連れは妹姫だったから。

「陛下の必殺技、『勇者の光波』だよ! 出なかったけど、やつら、オレにまたやられたんだと思ったんだ!」

「あの、一日一回っていう必殺ワザ? 出ないなんて、あなた夢を信じてないの? こんなとこまで来たのに」

 さっきまで信じてなかったのはユメの方だろうよ! でもまあ、そうかもな。オレだって、完全に信じていたってわけじゃないかもしれない。

 ところが、そんなオレも完全に信じるしかない光景が前方に広がった。

「地底都市だ・・・・・・本当にあった!」

 スケールも、明るさも、そして無人ぶりも、あの夢のまんま、目の前に都市が広がっていた。オレたちが出てきたのは『感謝の壁』のような、都市がある空洞の側壁に開いた穴だ。

「『感謝の壁』はどっち?!」

「わかんないよ! 壁伝いに回るしか・・・・・・お~い!! ポポロム!! 目をさませ~!!」

 いきなり思いついてポポロムを呼んでみたが、返事はない。オレの声が都市に響いただけだ。

「たしかに、ポポロムが見付かれば道案内できるんでしょうけど、どこで寝てるかわかんないわね」

 そうだ。まだポポロムが寝る場面まで夢を見てない。肝心な場面は、まだ全然体験できていないのに、なんで起きちゃったのか。

「それに、もしもポポロムが起きてきても、言葉が通じないわよ。夢の中は完全翻訳モードで何語でもお互い通じてたけど、現実世界でポポロムがしゃべるのは、多分古代語よ。今の地球でしゃべれる人なんていないわ、きっと」

 そうだった。ポポロムは七分刻みで時間を区切る言語を使っていて、夢だから翻訳されていただけなんだ。

「ここに立っててもしょうがない。さっきのやつらが追ってくるかもしれないし。とりあえず、右向いて進もう」

 どっちでもよかったが、右へ向かって壁沿いにスタートしようとしたとき、いきなりフラッシュバックがあった。

 あのときの神殿への入り口の画像が目の前に浮かぶとともに、どっちにあの入り口があるのか、急に頭が理解した。

「見えた! ユメ! 見えたぞ、あっちだ!」

 フラッシュバックが指し示す方向は左七十度くらいの方角の壁だった。右から行っていたらあやうく都市をほぼ一周して、時間切れになるところだったな。



 無人の石の街の格子状の道を斜めに進みたいものだから、右へ左へジグザグに曲がりながら進むことになる。冷たい感じがする石だけの家からは、なんとなく邪悪な感じがただよっていて、例の『悪意』が出てきそうな恐怖が付きまとう。こんなとこで肝試しとかやったら、すぐに降参かもな。

 感覚を信じて、一時間ほど小走りに進み続けたら、岩壁に、入り口が見えた。

「あった!」

 ユメとオレはいっしょに声を上げ、顔を見合わせた。

 あのときのままだ。

 そして、入り口をくぐるとき、ユメがあたりの地面を見回した。

 そうか、ここで、あの四人の美女たちが、オレたちの時間稼ぎのために命を落としたんだ。

 誰かが埋葬したのか、それとも六千年の時のせいか、そこにはそんな惨劇の後や人骨なんて残っちゃいなかった。そうだよな。ほんの四、五百年前の日本の古戦場とかに行ったって、人骨や鎧が転がってたりしないものな。

「さあ、行こう。ユメ」

 神殿への洞窟は、幅と高さが五メートルほどの四角い穴がまっすぐ続いていて、四、五百メートル先で照明が途切れているかのように真っ暗な部分があり、さらにその先に洞窟が続いているようだ。

 あの暗い部分が谷なんだろうか?

 どんどん進んでいくと、その暗い部分が近づいてきた。

 ついに明るい場所の最後まで到達する。どうやら、床や壁はそこで途絶えていて、暗い部分は大きな空間のようだ。風の音がするし、そこまでの洞窟と違って、なんだか熱気がある。

 正面には、四、五十メートル先だろうか、明るい洞窟が続いていて、すぐに行き止まりになっているようだ。そこまでの真っ暗な部分は、空洞か? これが谷?

 谷の部分に頭を出して見回してみる。しかし、明かりが無くて真っ暗だ。真上に星が見えたような気がしたが。一瞬だけで、眼を凝らしてもなにも見えなくなった。

「どうなってるのかしら?」

 ユメがオレに訊いた。でも、オレにもわからない。

「見えないね。明かりある?」

「あなた持ってないの?!」

 あるよ、そうだった。

 LEDの小さな懐中電灯を持ってきてたんだった。

 サックから取り出して照らしてみる。前方の穴のあたりは、周りは垂直に切り立った壁のようだが、よく見えない。下も上も左右も、どこまで続いているのかわからない。今立ってる側のまわりも、顔と腕を出して、照らしてみてみたが、ライトが届く範囲は、どっちも垂直切り立った岩壁だ。

「迂回路も橋もなさそうだな」

 ユメが、あたりにあった小石を拾って、外に投げ捨てた。

 なるほど、下に落ちる音がするまでの時間で高さがわかるんだったな。

 心の中で、秒数を数える。

 一秒、二秒、三秒? 四秒?! 五秒??!! 六・・・・・・

 ユメとオレは顔を見合わせた。

「聞こえた?!」

 オレの問いに、ユメは全力で首を横に振った。

「・・・・・・下に綿でも敷いてあるのかな?」

「んなわけないでしょう!」

 だよな。

 手詰まりだ。明るくなるまで待つわけにもいかない。タイムアウトは今夜の二十四時なんだから。

 そのとき後ろで気配があった。

 滑り台のとこの男達か?

「おとなしくそこで止まれ! さもないと撃ち殺すぞ!」

 洞窟にあの日本語男の声が響くと同時に、銃声が轟いた。洞窟のあちこちで弾が跳ねて火花を散らす。

 止まれって言ったって、こっちは鼻っから止まってるのに撃ってくるなんて、撃ち殺す気満々なんじゃないか? まだ二、三百メートル後ろで、普通に考えれば自動小銃なんかじゃ当たらないんだろうが、洞窟の中で弾が跳ねるから、どうなるかわかったもんじゃない。しかもこっちは銃で撃たれるのも、銃声を聞くのもはじめてだ。

 どうする?!

 逃げ場はないぞ。一か八か飛び降りるか?

 ポポロム、何か教えてくれよ。


第10話 過去編!


 そうだ!

 夢の中のオレはどうやって、谷を渡るんだろう?

 いま明晰夢に入れたら、この場を切り抜けるヒントが得られるかもしれない。

 夢で時間がたっても、こっちじゃ一秒ほどしかかからないんだから、すぐに戻ってこれるってことだし。

 だが、今まで、昼間に明晰夢に入るときは、あのソファーでオレが侍らせていた女の子たちの『香り』が必要だった。もう四人は居ない。

待てよ。あの夢に出てくる四人の女の子は、オレの好みで選んだんじゃなくて、現実世界でオレを夢に導いてくれることになる女の子を示す予言みたいなモノだったんじゃないかな。

 だからひょっとすると、こっちのユメは五人目の『香り』の持ち主かもしれない。

「おい、ユメ、ちょっと」

 オレはユメの肩をつかんで引き寄せた。

「え、何よ」

 頭のてっぺんに鼻を寄せてクンクンしてみる。

 う~ん。香りはないな。違うのかな。

 そうか、もうひとつの共通点。鼻の下が伸びるような状況だ。

 そう、思ったときにちょうどユメが上を見上げて目が合った。真っ青な目、ピンクのプルプルしそうな唇と丸顔の子供らしさを残したあごの先に見下ろせるのは、ブラに圧迫されてひしゃげた風船のように上向きに丸く飛び出している胸と胸が、押し合っている谷間だ。

 それを意識したら、自然と鼻の下が伸びてきて・・・・・・あの香りが、ぶわっと胸の谷間あたりから湧き上がってきた。


 夢の中もほぼ同じ場所だった。

 ユメとふたりで、洞窟を走ってきて、途中で洞窟が途切れてるとこだ。

 違うのは明るさだ。

 途切れている部分の方が、洞窟内よりもかなり明るい。

 夢の中は、まだ日没前で、洞窟の途切れた『試練の谷』は野外だったんだ!


 なんだかどこかで見たことがある情景だな。

 洞窟は断崖絶壁の真ん中に抜けていた。正面も絶壁だ。

 谷というよりも、まるで地面が裂けてできた隙間のようだ。穴から首を出して、まず下を見ると、霞んで底が見えない。軽く二、三百メートルはありそうだ。

 石を落としたって音がしないわけだな。

 上を向くと絶壁は百メートルほど上まで続いていて、ジャングルの緑がちょろちょろっと見えて、青空がその先に細い筋のように見えている。

 『谷』の幅は五十メートルほどで、向こう側には、こっちの洞窟のつづきらしい洞窟の穴がぽっかり開いている。だが、こっちの穴とあっちをつなぐような橋もなにもありゃしない。

 これって、行き止まりなんじゃないか?

「やっぱりこっちも行き止まり?」

 そう言って、ユメも穴から顔を出してオレと同じように上下左右を見る。ユメは金髪だ。オレと同時に、この夢に入ったんだ。

「こういうの映画であったわね」

 あ、そうか。映画で見たんだ。こういう橋がないとこで、たしか、実は橋があるんだけどカモフラージュしていて無いように見えてるっていうやつだ。

 映画のマネをして、しゃがんで足元の砂を手ですくって、谷に向かってばら撒いてみる。

 映画のとおりなら、見えなかった橋に砂がばら撒かれて見えるようになるはず。

 だが、オレが撒いた砂は無情にも谷底へ向かって落ちていった。

 これは映画のワンシーンじゃない。橋なんてないんだ。

「陛下、早くお渡りください。神殿は対岸に渡ってすぐでございます」

 ポポロムが急かす。

 そうだ、夢にはポポロムが居るんだ。

 対岸の洞穴を見てみると、穴のサイズはこちらと同じ幅も高さも五メートルほどだ。奥行きは三十メートルほどで行き止まりになってる。そして、行き止まりの左の壁に扉があるようだ。突き当たって左の扉を開けて進んだら神殿ってことなんだろう。

「ポポロム、オレはお前みたいに飛んだりできないんだよ。ここは渡れない」

「陛下がお進みになれば、道ができます」

 え?

「なに? だって道なんか見えないぞ」

「ですから、足を踏み出されないと、橋は出てきません」

 そんなことできるか!

「多分、滑り台の入り口の穴と同じなんだわ。陛下が神殿へ行こうとしたら道ができるわけね」

 おい、ユメ、おまえまでそんなことを!

「それを試せっていうのか?」

「落ちないように、わたしがベルトを持ってたらいい? もう追っ手が来ちゃうわよ」

 落ちないように持っていてもらって、それで一歩進もうとしても橋が出てこなかった場合に引き戻してもらっても、結局追っ手に追いつかれるだけか。落ちたほうがマシかもしれないわけだな。

 こりゃあ、つまり、勇気を出して足を踏み出せってことか。

 右足から行くか。

 え? どっちでも同じだろうって? ここはゲン担ぎしていいところだろうよ。オレは右足スタートが縁起いいんだ。柔道の試合でも右足から試合場に入ることにしてる。

 しかし、見た目は、どうみたって橋はないし、さっき砂が落ちていくところは見ちまってる。迷いが生じて、頭で進もうと思っても、足が出てくれない!

 そのとき、後方で女性の悲鳴がした。

 羽田ミドリが言ってた、時間稼ぎしてて彼女たちが殺された場面なんだ。

「はやく! 彼女たちが作ってくれた時間が無駄になるわ!」

 それはわかってるが、足が出ないんだ・・・・・・あ、いや! 動くぞ! 行ってやる!

 自分の右足の甲を見つめながら一歩踏み出す。足の下には谷しか見えない。橋はどうした? 重心移動しながら足を差し出したから、このまま足が橋につかなけりゃ、落ちるしかないぞ! こら! ポポロム!

 サクッ。

 サンダル履きの右足に硬い地面の感覚が先にあった。そして、足の裏から放射状に、青い石作りの橋が広がった。

 オレが落ちると思ったのか、ユメは必死になってオレのベルトを持って後ろに引き戻そうとしていた。

「ユメ! だいじょうぶだ! 橋があったぞ」

 まだ橋は現われている最中で、向こう岸までは届いていない。欄干がなく、幅は二メートルほど。端の幅三十センチほどのところは装飾が施されている。その間の百四十センチほどが、歩行用の幅らしい。材質がなにか、とか、何で支えられているか、とかを考えるのはよそう。

 後ろからは大勢の駆け足の音が聞えてくる。どんどん近づいてくる。

「ポポロム! この橋はユメも渡れるんだな?!」

「はい、陛下。陛下がお渡り終えられてから十四秒ほどの間は実体化したままでございます」

「どういうこと? 連れだけが通れるって言ってなかった?!」

「ですから、ごいっしょのタイミングにお渡りになられる方のみが渡りきれるという意味でございまして」

 五十メートルほどの橋だから、五十メートル走が七秒なら、オレが渡り切ってから七秒後にスタートしたって渡れるってことじゃないか!

「ユメ! 走るぞ!」

 オレは先に駆け出し、ユメも続く。ポポロムはオレといっしょに飛んでくる。

 谷はすごい横風だった。

「ああ、いやな予感がいたしますです。と申しますか、いやな場面を思い出してしまいました」

「なんだ? ポポロム、はっきり言え!」

 ワナかなにかでも待ってるのか?

 オレは橋を渡りきった。渡った先の洞窟の端で振り返り、ユメを見る。あと七、八メートルだ。彼女の後ろ、橋の向こう岸に追っ手の先陣がたどり着いた。かなりの勢いで走ってる。まだ、橋は向こう岸まで実体のままだ。

 そのとき、強い横風にあおられて、ユメが橋でころんでしまった!



「ユ! ユメ!!」

 ユメはなんとか橋の上に半身を残して転んで、落ちずにすんだ。しかし、早く渡らないと橋は消えてしまう。

 さらに向こう岸側に到達した兵士たちは橋に乗って走ってき始めた。

 オレがユメを抱き起こしに行こうとしたら、顔の前でポポロムが羽ばたいた。

「なりません! 陛下! 陛下がお戻りになれば、橋の実体化時間が伸びてしまいます! ここはポポロムめにおまかせください!」

「ポポロム!」

 向こう岸のあたりの橋が消え始めた。しかし、すでに橋には兵士が五人乗ってこっちに走ってくる。

 ポポロムは起き上がろうとしているユメの上を飛び過ぎて、先頭の兵士の前まで行くと、ホバリングして大きく口をあけ、炎を吐いた。

「うわっ!」

 炎を避けようとした兵士に後ろから走ってきた四人が次々に玉突き衝突し、三人目は勢い余って橋の横に飛び出して、橋の端に必死で摑まった。しかし、さっきオレが橋を駆け抜けたスピードで橋が消えていく。五人のところまで橋の消失が追ってきて、彼らは次々に谷底へ落ちていく。

「わあ~!」

「ひぃ~っ!」

 ユメにも消失が追いつきそうだ。

 仕方が無い、橋がもう一度実体化しても、ユメを落とさないためなら! オレが谷に踏み出そうとしたら、ポポロムが強い口調でとどめた。

「陛下! ポポロムめをお信じください!! 必ずや妹姫様をお助けいたします!!」

 間一髪、橋がユメの足元から消える瞬間に、ユメの両肩をポポロムが両足で掴んだ。

 ポポロムが必死に羽ばたいて、ユメを持ち上げる。

「ふむむむむむぅ! 姫様! ダイエットなさいませ~」

 無茶だ! いくらユメが小柄でも、ポポロムはハンドボール二個分サイズの頭と身体の二頭身キャラで、羽ときたら、ユメの手よりも小さい。

 オレが谷に踏み出そうとすると、ふたたび、

「なりませぬぅぅぅぅ! ポポロムをお信じくださいませぇぇぇぇ!」

 宙に浮いたユメの身体は、ガクンと五十センチほど落ちたかと思うと、すぐにポポロムが立て直して高度を上げる。

 もうすこしだ!

 ユメが右手をこっちに伸ばす。オレも両手を差し出す。

「がんばれ! ポポロム! あと少し!!」

「わかって・・・・・・おりますとも!! ふんむぅぅ!!」

 届いた!

 ユメの右手をしっかり両手で掴まえた!

「陛下! お届けしましたぞ! 使命を、お果たしくださいませ・・・・・・」

 ユメの体重がいきなり、オレの両手にかかった。ポポロムの羽ばたきが止まったんだ。

「ポポロム!」

 ポポロムはゆっくり目を閉じながら、足をユメの肩から離して、谷底へ向かって落ちていく。もう意識がないようだ。

 ユメの身体をなんとか抱き上げて、洞窟に引き上げ、四つんばいになって、谷底を覗き込む。

「ポポロムー!!」

 返事はない。飛んでいる姿も見えない。

「ポポロム!」

 隣にユメも来て、谷底を覗き込む。

「・・・・・・バカドラゴン、なんて無茶するのよ!」

 泣き出すユメの両肩を抱いて揺すりながら、なにか、はげましを言わなくちゃと考える。

「大丈夫、大丈夫だ。ポポロムは死んじゃいない。ほら、寝てるんだよ。な? 寝ただけだ」

「・・・・・・そ、そうね。死んだんじゃないわよね」

「ああ。さあ、行かなくちゃ。栓を抜くんだ」

 神殿の門はもうすぐだ。洞窟の突き当たりの左側の壁に、石の柱にはさまれた両開きの石の扉があった。

 とても人力で開きそうな扉じゃないが、なんとかなるのか? あれって。

 扉に向かう前に、もう一度『試練の谷』の向こう岸を振り返った。

 あっちの洞窟の端に、数十人の兵士が立ち往生してる。弓や投げやりのような飛び道具はないようで、こちらを攻撃できないらしい。あとの障害は、扉だけか。

 そう思って、向き直ろうとした視界の隅に、兵士をかけわけて前に進み出てきた神官の姿が見えた。

 彼は、手に持った杖を振り上げるところだった。

 そのことに気付いて、もういちど神官の方を向いた瞬間、神官が杖をこっちに向けて振り下ろし、その先から、どす黒い炎の球が飛び出して、こっちへ向かって飛んできた。

 やばい! 直撃する!

 そう思った瞬間、オレの前に飛び出す影があった。

 ユメ!

 炎の球は彼女の腹に直撃した。

「きゃああっ!」

 ユメの身体が大きく弾かれて、こっちに飛ばされる。彼女の上半身を後ろから抱きかかえて、引きずるように石の柱の影まで連れて行き、神官から身を隠す。

「ユメ!」

 抱き上げた彼女は、ぐったりしている。医者じゃなくてもわかる。助かりそうに無い傷だ。

 うっすらと目を開けて、青い瞳がこっちを見た。

「ごめん、マコト。ここまでみたい」

「いいから、はやく起きろ」

 このままユメが夢の中にいたら・・・・・・死んでしまうまでここに居ることになる。それが現実のユメにどんな影響を及ぼすかはわからないが、身体に影響なくても、死ぬのを体験するなんてかわいそうだ。

「うん・・・・・・現実で・・・・・・」

 ユメが目を閉じた。なんとか起きたのか? ユメ。

 そして、ユメの身体が小刻みに震え、金髪は黒髪に変化した。

 彼女は目を閉じたまま言った。

「おにいさま・・・・・・の、花嫁に、なりたかっ・・・・・・」

 最後まで言葉は続かなかった。これは、ユメじゃなくて、妹姫の死に際のセリフなんだ。ユメの目覚めは間に合ったようだ。

 彼女は二度と目を開けない。千切れるような痛みが胸を襲う。

 辛い。

 しかし、これがもしユメだったときのことを想像するくらいなら・・・・・・。妹姫にはすまないが、やはりオレにとっては妹姫は現実味のない過去の人で、ユメこそが現実だ。

 胸の痛みよりも、安堵感が勝っていることに、罪悪を感じながら、そんな自分を必死に正当化しようとしている自分がいた。

 ちくしょう!

 石の柱から顔を出し、神官を見ると、ヤツは杖を腰にしまって、まわりの兵士たちの首を次々と左右の手で掴んでいた。神官に掴まれた男から、黒い『悪意』のもやが神官の腕を伝わって神官の身体へ吸収されていく。『悪意』を吸収された兵士は掴まれた手が離れると力なくその場に崩れ落ちる。

 そうやって十人ほどの兵士がその場に倒れ、神官の身体は黒いもやに色濃く包まれた。

 何をするつもりだ?

 ヤツは数歩下がって、谷に向かって走り出した。

 いったい何をするつもりなんだ?

 ヤツは、向こう岸の洞窟の端を蹴ってジャンプした。

 五十メートルジャンプするつもりか?!

 空中で、足をバタバタさせながら、両手の平を大きく広げ、歌舞伎役者の見得のようなポーズを取りながら、放物線を描いて・・・・・・。

 こっちの端に両足で着地した。

 まずい! 早く栓を抜かなきゃ!

 扉の真ん中に両手の絵が刻まれている。ここを押せっていうのか?

 胸の高さの絵に両手を合わせて、扉を押す。

 う、動いた!

 だが、この動きは・・・・・・。

 押して開くドアじゃない。自動扉だ。オレの両手が鍵になって開き始めたが、開く速度はひどく遅い。いくら手で押しても、その速さは速くならない。

 神官が迫ってくる気配がある。

 早く開け!

 ちらりとヤツの方を見ると、もう二メートルくらいまで近寄っていた。そのとき、扉の隙間がオレの身体の幅ほどになり、なんとか中に飛び込めた。

 中は十メートル四方ほどの部屋だ。ドアも、入ってきた以外の扉もなく、神像も祭壇もない。なにもない倉庫のような部屋。

 ただ一箇所、扉の対面の壁の下の方だけ、むき出しの岩になっている部分があり、そこに、長さ三十センチほどの木切れが刺さっている。

 あんなチャチなものが、世界を救う『栓』なのか?

 迷ってはいられない。とにかくそいつに向かって走る。

 部屋の真ん中あたりまで来たとき、背中に大きな衝撃が走った。

 足が宙に浮いて、前のめりに二メートルほど吹き飛ばされた。

 ユメがやられた炎の球だ。撃たれちまった。

 身体をひねって上体を起こし、扉を見ると、杖を構えた神官が悠々と入って来ていた。

「陛下、かくなるうえはお命頂戴いたします・・・・・・」

 言いかけていた神官の表情が変わった。そして口調も。

「小僧、手間をかけさせてくれたじゃないか。だがこれまでだ。夢でも現実でも、お前に剣は渡さんぞ」

 これは、財団の代表だ。

「何の部屋だ? ここは。宝剣の在り処を示すものでもあるのかな?」

 そうか。やつは『栓』のことを知らない。オレが剣を抜くんだと思ってるんだ。

 チャンスだ。『栓』まで行ければ。

「すべての人間が平和を望んでいると思ったら、おおまちがいだぞ、小僧。人間とは、もともとワルで、戦いを好むものなのさ。この世は悪意に満ちているほうが正しい姿なのさ」

 ヤバい。背中の傷の具合は見えないが、両足が言うことを聞かない。

 まだ『栓』は二メートルほど後方だ。振り返ると怪しまれるから、ヤツを睨み続ける。

 そういえば、やつの炎の球にやられると二メートルほど吹っ飛ぶんだったな。

 オレは両手の手首を合わせて、腰に寄せて手のひらで翼の形を作る。

 神官なら、こいつが一日一回と知ってるかもしれないが、代表は知るまい。そして、もし、兵士たちのように、そのワザの恐怖だけを魂が記憶していたとしたら・・・・・・。

 とにかく、やつは、オレになにかされると思った。そして、自分の杖が飛び道具を発することも覚えていてくれたらしい。

 近寄っていた足を止めて、ヤツは腰に挿していた杖を取り出し、振り上げると、オレに向かって振り下ろした。

 炎の球が飛び出す。

 向かって来る球を上体を起こしてわざと胸で受ける!

「ぐわぁっ!」

 衝撃で身体が宙に浮き、二メートルくらい飛ばされた。

 胸は焼けただれ、口から血の塊が噴出す。

 致命傷だな。だが、目的は果たしたぞ。

 最後の力を振り絞って、オレがやったことは、ヤツに向かって『不適な笑い』ってやつを浮かべてやることと、身体をひねって右手を後ろに伸ばすことだった。

 右手の平が木切れに触れた。

「や! やめろおぉぉぉぉお!」

 おそらく、すべてを思い出したヤツが駆け寄ってくる気配があるが、どうでもいい。

 木切れをしっかり握ると、木切れが金色に光り輝いた。

 なるほど、このシーンを覚えていて、ヤツは宝剣だと勘違いしたんだ。

 肘を曲げると、あっけないくらい簡単に、そいつは岩から抜けた。

 神官、いや、代表の身体が、覆いかぶさっていたが、ヤツの手は間に合わなかった。

 木切れの抜けた穴に向かって、黒いもやが吸い込まれはじめていた。

 それはどんどん勢いを増す。

「うおぉぉぉぉぉ!」

 代表が両手で自分の首を絞めている。口から飛び出す大きな黒い塊を留めようとしているらしい。そうしてる間にも、ヤツの身体からどんどん黒いもやが染み出してきて穴に吸い込まれていく。

 そしてついに、ヤツの喉から大きな黒い塊が飛び出して、穴に吸い込まれていった。

 扉からはどんどん黒いモヤが流れ込んでくる。

 六千年溜まりに溜まった世界中の『悪意』が、この部屋に流れ込んでいるんだ。

 気が遠くなっていく。

 やり遂げたぞ。

 死ぬのかな? それとも・・・・・・。

 あの香りだ。そうか、この木切れの香りだ。・・・・・・それを覚えてたんだな。彼女たちは、この木切れにオレを導いてくれたから、この香りをまとって・・・・・・。


 先に目をさましていたユメが、なみだ目で言った。

「彼女は? ・・・・・・死んじゃったの?」

 オレたちは、さっき眠りに入ったときと同じポーズで、洞窟の縁に立っていた。

「・・・・・・ああ、陛下もな。栓は抜いたが悪意と刺し違えだ」

 おそらくあれが、過去にも起きたとおりの結末なんだろう。

「アンハッピーエンドだったのね。六千年前のわたしたち」

 彼女の青い瞳から、涙が溢れ出した。

 ふたりは末永くしあわせに暮らしました・・・・・・なんていう話じゃなかったのはショックだった。

 洞窟の後方から軍靴の音が近づいてくる。状況は待っちゃくれない。

「いくぞ、ユメ! 覚悟はいいな!?」

「ええ、もちろんよ。いっしょに踏み出しましょう!」

 今度こそ、あんな結末にはさせないぞ!

 オレたちは同じ思いで手をとりあって、真っ暗な『試練の谷』にむかって、同時に一歩踏み出した。


第11話 そして現代・・・・・・


 靴の裏がしっかりと、硬い橋を踏みしめた。

 橋は暗闇の中を青く輝きながら、徐々に実体化していく。

「走るぞ! 今度はこけるなよ!」

 彼女の手を取ってそのまま向こう岸へ向かって駆け出す。前方に向かってどんどん橋は実体化していく。

 後方でまた銃声がした。

 なにかわめきながら、やつらが撃ってきている。

 六千年前には、飛び道具なんてなかったのにな。

 チュン! と足元で一発弾が跳ねた。ハデに撃ってきているので、いつ当たるかと気が気じゃない。

 橋を渡りきると、とにかく、石の柱の陰に向かった。

 柱に隠れて、息を整える。

 やつらはまだ撃ってきている。

 しかし、橋の消失に間に合わなかったようだ!

 これでやつらは渡ってこれない。

 あとは扉だ。撃たれないように開けさえすれば、

「ユメ! 隠れてろ!」

 身体を平べったくしたまま、両手を扉について、扉の中央の自動ドアを開ける手のひらの図形のところへ横歩きしていく。

 ユメの方を見てみると、隠れてろと言ったのに、石の柱からあっちを覗こうとしている。

 まぐれでも当たったらどうする気だ。

 ユメが何かを見つけてオレの方を向いた。

 銃声が止む。

 オレも『試練の谷』の方を見てみると、暗闇だった谷が明るい。サーチライトがふたつ動いてあたりを照らしている。そして、なにか大きな音が近づいてきてる。

 ヘリだ!

 そうか、谷は上がジャングルに抜けてる! 追ってきた兵士が持ってるGPSかなにかで、この神殿の場所を知れば、神像の入り口をくぐれなくても、現代の道具でここまで来られるんだ。

 ヘリが洞窟の先に姿を現した。

 軍用のヘリで、右側をこっちに向けてホバリングしてる。左右のドアは全開状態で、その真ん中で男が片ひざ立ててこっちを見てる。

 代表野郎だ!

 なんか叫んでるようだが、スペイン語かなにかで、オレにはわからないし、そもそもヘリの音で聞えやしない。しかし、やつが右肩に構えたロケットランチャーを見て、言ってることは理解できた。「小僧、消し飛べ!」とか言ってるに違いない。

 こんな狭い空間にあんなもの撃ち込まれたら、助からない。

 急いで両手を扉の模様に合わせる。

 開いてくれ!

 扉が六千年ぶりに動き始める。なんだか、夢の中よりも遅い!

 ユメがオレとヤツの間に飛び出してきて、両手を広げて立ちふさがった。

 だめだって、ユメ! あの武器は、そういう武器じゃないんだ!

 ええい! いっそ谷に駆け込んで橋をもう一度実体化させてやろうか! ヘリに橋が重なって落としてくれるかもしれない。いや、そこまで行くまでに撃ち殺されるか。

 扉、早く開いてくれ!

 ヤツが引き金を引いた!

 ロケットが発射される瞬間の発火の火花を見た!

 

 と思った瞬間、谷の左手、ヘリの後方から、火山の噴火のようなものすごい勢いの炎が噴出してきて、ロケット弾ごとヘリを一瞬で炎上させた。

 その炎を追って黒煙を払うように飛んできたのは、巨大な竜だ!

 洞窟の入り口の穴からは到底全身を見ることができないようなサイズの竜が飛んできた。しっぽの先までの体長は五十メートル近いんじゃないだろうか。

 竜は首をこっちに向けて対岸のやつらとオレたちの間に割り込んでホバリングした。

 竜の向こう側では銃器の音がしている。竜を撃ってるようだが、竜はまったく感じていないようだ。竜がオレを見て、ペコリと頭を下げたように見えた。

「遅くなりました、陛下。お召しに従いポポロムめが参上いたしましてございます」

 六千年で成長したポポロムなんだ! 昔の面影はまったくない。声も地の底から響くようなバリトンだ。

 古代語じゃなくて、ちゃんと分かるぞ。あ、そうか。そもそもポポロムは口を動かしてしゃべってないじゃないか。テレパシーかなにかだったんだ。

「オレが呼んだって?」

 この谷でお前を呼んだりしてないぞ。

「お寝坊さんね! マコトがあなたを呼んだのって、都市の入り口に降りたときよ」

「とにかく、ありがとよ、ポポロム。六千年前も今も、おまえは頼りになるやつだよ」

 ポポロムの向こう側の銃声は、自動小銃から単発の拳銃に変わり、それも、もう止んでしまった。あきらめたんだろう。それとも弾切れか。

 石の扉がゆっくり開いて、見覚えのある部屋があった。扉の対面の木切れのあたりに骨と装具品のかけらが転がっていた。六千年間外界と遮断されていたこの部屋だけ、風化がゆっくりだったのだろう。

「実は密かに心配だったんだけど、これで帰りは苦労せずに帰れそうね」

 オレに続いて部屋に入ってきたユメは、ポポロムに送ってもらって帰るつもりらしい。おいおい、どこまでだ? カラクムルまでだよな。カンクンやヒューストンやオタワなんて言い出すなよな。パニックになるぞ。

「おまえも黒いもやを吸い出してもらえるんじゃないのか?」

「なによ、それ」




 六千年ぶりに、世に充満していた悪意は吸い出されたはずだが、世界が平和になったかどうかはオレにはわからない。ホーリーエンパイア財団は姿を消したらしい。

 終末予言の予言された日が何事もなく過ぎ去ったときのように、夢の勇者の話はメディアが取り上げなくなったとたんに急速にフェイドアウトした。

 オヤジはオレの旅を記事に書いたが、ピューリッツァ賞の報道部門じゃなくて、どこかのSF小説の賞にノミネートされるらしい。まあ、金にはなったらしいので、リゾートホテルに泊まった件はお咎めなかったな。

「マコトくん、なにたそがれてんの?」

 教室の窓からぼんやり校庭を見下ろして、あの不思議な旅を思い出していたら、須藤エリの声で現実に引き戻された。

 クラスメイトの須藤エリとは、『あれ』以来なんか微妙な感じになってる。

 いつの間にか、呼び方も『鵜筒クン』じゃなくて『マコトくん』に定着しちまったし。

「風見先輩もついに卒業だもんね。フフフ」

 須藤エリは今日の卒業式がうれしいのか、露骨に楽しそうだ。オレの隣に来て空を見上げつつにっこりする。が、なにかいやなことでも思い出したのか、急に唇をとがらせた。

「それにしても、昨日のアレ、ふざけてるわよね」

「何が?」

「テレビよ。見てないんだ? 『ぶっちゃけ女子会トーク』よ。島崎レナと羽田ミドリがゲストで出てて。今朝の芸能トップニュースになっちゃってるじゃない。マコトくんあいかわらずそういうのに疎いのね」

 オレが疎いのが楽しそうだな。

「ふたりが、なんかしゃべったのか?」

 あの二人が、ガールズトークの番組で、あの夢のことをベラベラしゃべったとも思えないが。

「『最近プライベートで仲がいいそうですね~』って振られて、『一般人の同じ男性を好きなのが縁の友人よね~』とか声合わせちゃって。アイドルの立場わかってないわよね。過去形ですらないのよ」

 いつまで六千年前を引きずってるんだよ。おまえもだぞ、須藤。

 なにやら教室の入り口の方がさわがしくなってきた。ふたりで振り返ると、とりまきの男子生徒を二、三十人引き連れて、卒業生の風間先輩がうちのクラスの教室に入ってきた。クラスの男子どもがあわてて道をあける中をまっすぐオレのところまで歩いてくる。

 先輩は、ちらりと須藤を見た。

 須藤は余裕の笑顔だ。

 風間先輩は、その笑みは無視してオレの方を向くと、オレの胸に右手を伸ばした。これが柔道の試合中なら、襟を取られないように反射的に払っちまうとこだが、なにをするつもりかとあっけに取られてるうちに、風間先輩はオレの上着の第二ボタンをつかむと、ブチっともぎ取った。

「おおおおお!!!」

 事の成り行きを見守っていた周囲の男子生徒どもから驚きの声が上がった。

「今日は、わたしたち卒業生が主役だものね。これくらいの役得は当然よね」

 風間先輩と須藤エリは、表面的には穏やかに笑顔を交わしてる。まわりの男子どもから殺気のこもった視線がオレに集中してるのはおかまいなしのようだ。

「こらこら、何集まってるんだ。よそのクラスの者は外に出ろ」

 ホームルーム担任が入ってきて、この場は収集がつきそうだと思った。

「きょうは卒業式だが、転校生だ」

 風間先輩や、その取り巻きの卒業生とか他クラスの男どもが教室を出ようとする混雑の中で担任がひとりの生徒を教室に呼び込む。こんな三学期末になって転入なんてめずらしい、と入ってくる生徒に注目が集まる。

 輝く金髪に遠目にもわかる真っ青な瞳、制服の胸のボタンを今にも引きちぎりそうなボリュームの胸。

 どう見ても日本人じゃありません、と見えるその女子高生は、教室を見回してオレをみつけると、被っていたネコを脱ぎ捨てた。

「あっ! みつけた! マコト! あなた連絡先も教えてくれてなくて、会えないからわたし、来ちゃったよ!」

 それは、もちろん、カナダからの留学帰りの女の子だった。



               完

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