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前編

第1話 マコトのユメは本当の夢


「メイセキム?」

 後ろの席に座るタカシの説明を繰り返してオレが言う。オレが夢の相談をしてるんだから『ム』っていうのは『夢』なんだろう。

 じゃあ、『メイセキ』って何だ? とか思ってるのが顔に出たのかタカシが追加説明してくれた。

「『頭脳明晰』の『明晰』だよ。はっきりした夢っていうことかな。これは夢なんだって自分でわかっていて、自分の意思で内容が選べたりする夢のこと。ラノベや同人マンガでよく出てきたりするネタ。マコトのその夢は明晰夢だよ」

「ふ~ん」

 名前が分かったからって解決するものじゃない。しかし、名前があるってことは、昔から他の人にも起きていたってことで、研究とかもされているんだろうなぁ、と、ちょっと安心できるってもんだ。

 相談してみるもんだな。持つべきものは、物知りの友人だ。

「ヒーローでモテモテなんだろ。いい夢じゃないか。そりゃあ、眠りが浅いとか、不健康な原因ならよくないかもしれないけど、夢の内容自体は問題ないんじゃないのかな?」

 タカシにそう言って貰うと、なんだか悩むことじゃないような気がしてくる。

 弁当を食べ終わって、外で運動するでもなく、図書室へ行くでもなく、後ろの席のタカシとダベっているオレ、高校二年生の鵜筒真ウツツマコトには、昼休みにイチャイチャする彼女もいない。

 持て余してる時間をすこしでも有意義にってことで、最近毎朝見るモテモテの夢になにか意味があるのかな、とタカシに相談してみたわけだ。

「見たい夢が選べるから、同じ夢が七日連続なわけか・・・・・・。なるほどねぇ。ああいう夢が見たいってのは、かなり欲求不満なのかね、オレって」

 タカシに相談したのは、ここんとこ連日明け方に見ている夢の内容についてだ。上半身ハダカの戦士みたいな格好したオレが、水着のような衣装の美女たちにチヤホヤされる夢。

「・・・・・・だけど、案外アレかもな」

 タカシが意味深に真顔で言う。

「アレ?」

「ほら、今話題じゃん。ナントカって財団が英雄の夢を探してるって話」

 流行ってる話らしいのは知ってるが、オレは興味を持ってなかったので内容には疎い。

 テレビに財団の代表とかいう外国人が出てきて「勇者様~!」って呼びかけしたり、「われわれは勇者様をサポートする団体です」と、なにを宣伝してるのかわからないようなCMを繰り返し流したりしてる。なにかの商品やサービスの宣伝じゃなさそうなのに、CMがヘビロテで、ネットでも話題になってるとかなんとか。

「人類を救うとかいう宝探しの話じゃなかったっけ? ボランティア募集中、だっけか?」

 オレの言葉は的外れだったらしく、タカシの真顔ががっかり顔に変わった。

 どうやらオレが内容を把握していることが前提の前フリだったらしい。オチがつけられなくなったのが残念なのかね。そんなにがっかりしなくてもいいだろ。

「おまえなあ、柔道バカもたいがいしとけよ。あれだけの露出なのに疎すぎだよ。ボランティアじゃなくて夢の勇者様募集だよ」

と、タカシ。

「夢の勇者様? そりゃまた強そうだな」

 ただの勇者様でも強そうなのに『夢の』ように理想的なほど強いってことなのかと思ったのだが、これもオレの勘違いだったらしい。タカシが訂正する。

「『夢の』っていっても、寝て見るほうの夢さ。六千年前の英雄が現代によみがえっていて、世界を救う宝剣の場所を示す夢を見て、その英雄にしか抜けない宝剣を抜くって伝説。その英雄をサポートするために生まれた財団が、今話題のやつ」

 もう、ここまで来ると、知ったふりもできないし、お手上げだ。ああ、そうだよ、オレはなーんも知らなかったってことだよな。開き直って相槌を打つ。

「ほーほー」

 オレが疎いせいで、長い前ブリになっちまったな。

「お前が勇者様で、お前が見てるのはその夢かもしれないぞ、ってボケだったの」

「『んなわけあるか!』ってか?」

 剣なんて出てこないし、まあ、六千年前っぽいかもしれないが、チヤホヤされてるだけで敵が出てくるわけでもない。勇者っていうのは敵を倒したからそう呼ばれるもんなんじゃないのか? お宝も出てこないしな。

 出てくるのは、美女たちだ。

 場所はいつも、テラスつきの広い部屋。自動車ほどのサイズの大きな石を隙間無く組み合わせた建物の中で、一方向の壁がなくてテニスコートがすっぽり収まりそうな広いテラスになっているんだ。その向こうには、石造りの都市と、それを囲むジャングルが遠くまでつづいているのが見下ろせる。石はかなり濃い灰色をしていて、どの建物も同じ色をしている。それがジャングルの緑ととてもマッチしている。その絶景を背景に、大きなソファーがあり、見たこともないような果実がテーブルにならんでいて、ソファーには美女が四人寝そべっている。

 この美女っていうのが、タカシの言う明晰夢ってことなのか、オレの好みの美女四人ってことになってる。同じクラスの須藤エリ、うちの高校のマドンナで三年生の風見先輩、グラビアアイドル島崎レナ、そして女優の羽田ミドリ。

 ソファーの座の部分に二人寝そべって、背もたれの上がベッドのように広くなっているとこにも二人が寝そべっている。

 オレがソファーに向かって歩いていくのを待っていて、四人の真ん中にオレが座ると、肩や胸にもたれかかってきて、テーブルの果実やお酒らしい飲み物を勧めてくる。

 んで、四人といちゃいちゃやってると、決まってもう一人現れるんだ。この場に似つかわしくないお堅い表情の女だ。

 黒いショートボブで丸顔。瞳も髪も黒だけど、顔立ちが日本人じゃない。欧米人らしい。

 服装は四人の美女たちと同じでビキニみたいなのにスケスケの長い腰巻姿で、ほとんど肌を隠せない小さなベストを羽織ってる。う~ん、出るべきところのボリュームだけで言うと、この夢の中で彼女が一番だな。

 しかし、夢で見るまでまったく見覚えがなかった顔だ。タレントにも思い当たるような顔はないし。ひょっとして、街中ですれ違うかなにかした相手なんだろうか。顔は別にしても、あの扇情的な体つきなら記憶に残りそうなものだが。

 その女がヅカヅカと歩いてきて、オレになにか冷ややかな言葉を浴びせるところで、いつも夢が覚めるんだ。


「おいおい、今度は白昼夢か?」

 おっと、タカシの声だ。

「あ、いや。夢のことを思い出してて」

 そのとき、制服のスカートの裾の折り目が、サワサワとオレの肘に連続して当たった。

 裾から伸びる白い生足をチラっと見てから、視線を上にやると、まず腕組みしてる腕に乗っかった白いブラウスに包まれた形のいい胸があり、そのさらに上から、須藤エリがオレを見下ろしていた。

「鵜筒クン、つぎの化学の準備当番よ。そろそろ行きましょ」

 まったく、なんて長い足してるんだ、こいつ。

 しかもスカート短すぎだろ。

 タカシの机の上に乗っけてたオレの肘にスカートの裾が当たるって、どんだけだよ。とかいう動揺を隠しつつ、

「ああ」

と平静を装った返事をして立ち上がる。

 さっき、夢の話のときに彼女の名前を出したので、タカシが面白がって後ろから見ているだろうってことは想像できる。

 名前は出さなきゃよかったな。

 別に彼女に気があるって話じゃないんだ。外見とかがいいなって思うってだけで。

 特に脚かな。

 うん、脚だ。


 化学準備室は戸棚の間の通路が狭くて、大勢がビーカーやら試験管やらを一度に取りに入るとぶつかって危なっかしい。ってことで、実験の準備作業は当番制になってる。

 今日の当番はエリとオレで、準備物のプリントを見ながら薬品や器具を化学室にふたりで運ぶわけだ。

 オレが両手いっぱいにビーカーを抱えて持ち上げようとしていたとき、薬品棚から薬品を取り出していたエリが声を掛けてきた。

「鵜筒クンってさあ、最近へんな夢とか見る?」

 あわてたオレは、ビーカーを落としかけて、あごや肩を総動員してビーカーを取り押さえ、ひとまず台に降ろすことになんとか成功した。

「な、な、なんだよ、いきなり」

 ビーカーを置いて振りかえると、塩酸のビンをふたつ持ったエリがこっちを向いていた。まるで新婚の嫁さんが「ソースとお醤油どっちにする?」と問いかけてるときのようなポーズ。

 塩酸のビンにこんなかわいい持ち方があったとは知らなかったな。

「ほらさあ、ネットやテレビでやってるホーリーエンパイア財団の夢の話」

「あ、ああ。夢の勇者の話?」

 今さっきタカシに聞いたばかりの話が役に立って、なんとか話を合わせることに成功した。ありがとうよ、タカシ。

「六千年前の謎の帝国で勇者にかかわった人間たちは、現代に転生していて、約束の時を前に連なった夢を見るようになっている、っていうの・・・・・・信じる?」

 信じるもなにも、今はじめて聞いた話だ。

 答えに困っていると、エリが近寄ってきた。

 え? かなり近いぞ。

 息がかかりそうな距離になった。

「わたし、先週から同じ夢を見るの。あなたが出てくるのよね」

 まさか、あの夢か?!

「これって、前世でわたしとあなたが知り合いだったってことなのかしらね」

 あの夢の中では、きまってオレの右側でソファーに寝そべって、オレのわき腹あたりに絡み付いてくる彼女だが、今は夢じゃない。変な気を起こすなよ、オレ。

「しかも、ただの知り合いって感じじゃないみたいなのよね。ねぇ、これってどう思う?」

 どう、思うかって言っても、どんな夢なんだよ。

 あれ? なんか、夢のときとおんなじ香りがするぞ。

 あま~い香りだ。

 エリの髪? それとも、ここは化学準備室だからな。なんかの薬品なのかな?

 遠くで鐘が鳴っている。

 ああ、あれは午後の授業前の、昼休み終了の予鈴だ。

 午後の、に・・・・・・じ・・・・・・。


 ふっ、と気が遠くなった。


 はっ、として閉じかけた目を開けると、そこは化学準備室じゃなかった。

 大きな石で組まれた建物の中だ。

 薬品棚もビーカーも無い。

 自分の身体を見回してみると、いつもの夢と同じ格好をしている。古代ギリシャ? ローマ? いいや、違うなあ。なんなんだこれは。

 これって、勇者様の格好なのか?

 学校の廊下よりも広くて天井が高い通路にオレは立っていて、前方の左手に明るい部屋への入り口が見える。扉らしいものはない。壁も天井も床も、三メートル以上ありそうな巨石が組まれてできている。

 いつも、あの入り口から、テラスつきの部屋へ入って行くんだよな。とりあえず行ってみるか。

 だだっ広い部屋、派手な色の布で装飾された石造りの部屋に、やっぱりあのソファーがある。四人の女性が微笑みかけてくる。

「おい、須藤。おまえ、須藤だろ。お前も今この夢を見てるのか?」

 いつもの夢だと、オレ自身もかってに動いていて、自由にしゃべったりできないのに、今回は違うようだ。ソファーで寝そべる須藤エリに呼びかけてみるとちゃんと声が出せた。

 いつもの夢は自分もコントロールできないで、主観的ムービーみたいなワンパターンの話が展開してたんだが、今回は、コントロールできるってところが違うらしい。

 だが、彼女の反応はいつもと同じだった。

 まるでRPGのNPCみたいだ。

「おい、須藤。聞こえないのか? っていうか、おれ、今、夢見てるんだよな? 化学準備室で眠っちまってんのか? 須藤! おまえも寝ちゃってるんじゃないのか?」

 いつものようにソファーに座るのではなく、須藤エリのところへ行って彼女の肩をゆすってみるが、彼女はうっとり顔で微笑みかけてくるだけだ。そのうちほかの三人がゆっくり移動してきて、オレの腰や肩にまとわりついてくる。

 なんか、ホラー映画のゾンビに襲われてるような図式だが、プニョプニョとやわらかいモノが背中やら腰やらに押し付けられていて、例の甘い香りが立ち込めているようだ。

 これ、この女たちの香水の香りかなにかなんだ。

 やばい。なんか、気が遠くなりそうだ。え? これ夢の中だよな。夢で気を失ったらどうなるんだ?

「こら! いつまで侍女をはべらせてんの! もう時間でしょ!」

 うしろで大きな声がした。おかげで、頭の上三十センチくらいまで離脱しかけていた意識が頭の中に戻ってきた。同時にあの香りも消え去ってしまった。

 振り返ると、あの女だ。ショートボブのグラマー女。いつもオレになにかわめいているやつ。こういうセリフだったんだな。

「っていうか、あなた、いつもとポーズが違ってない?」

 グラマー女は腰に手を当てて小首をかしげながらそう続けた。

 こいつも意識があるんだ! だから、いつもソファーに座っているオレと今のオレの違いに気づいて・・・・・・。

「おい! おまえも意識あるのか? この・・・・・・ええと、明晰夢!」

 彼女は目をまん丸にしてオレを見ていた。セリフが返ってこないのは、やっぱりNPCだからか? それとも驚いて言葉を失ってるのか。

「・・・・・・明晰夢って・・・・・・じゃあ、あなたもこれが夢だってわかってて見てるっていうの?」

 しゃべった。

 しかも会話が成り立ってる!

「ああ、そうだ。オレは化学準備室で気が遠くなって、多分寝ちまったか気を失ったかで、いつものこの夢に来ちまった」

 まとわりついてくる三人の美女を引きずるように、グラマー女の前に歩いて行きながら言った。

 グラマー女はオレと会話できることにかなり驚いているようだった。こっちだって驚いてる。おたがいに驚いて顔を見合わせていたんだが、彼女が急に吹き出した。

「プッ! フフフフ・・・・・・な、なによ、それ、締まんないわね。彼女たちとは話せないの?」

 オレにまとわりついている美女たちのことらしい。そんなにおかしいか?

「ああ、彼女たちはいっしょに夢見てるわけじゃないらしいんだ」

「夢をいっしょに、ってありえないわよ」

「なんとか財団が言ってる繋がった夢なんじゃないか?」

 再度受け売りのネタを使ってみた。財団が言ってることは聞いたことがないんだけどね。

「あら、じゃああなたは勇者様かしら? どうみても青年実業家みたいだけど?」

 青年実業家ぁ?

 この格好のどこが実業家なんだ? ファンタジー映画に出てきそうな戦士の格好じゃないか。上半身裸でビジネスするか?

「なに言ってるんだ。おまえ、オレの格好が見えてないのか?」

 彼女は眉をしかめてオレを見上げた。そうかそうか、オレより三十センチくらい背が低いんだな。んでもってグラマーって、トランジスタグラマーとかって言うんだっけ? オヤジがTV見ながらスケベ顔で言ってたことがあったなぁ。

「あなたの格好? 見えてるわよ。かっこいいじゃない。黒のタキシードに蝶ネクタイ。エミー賞の司会をやってるんじゃなきゃ、実業家よ。化学準備室って、あなたどこで寝てるの? 学生?」

 どうやら、オレが見てるのと彼女の夢は衣装が違うらしい。だけど会話は成り立ってるってとこは、さすが夢だな。

「オレたち別の場面を見てるようだな。なのに会話できるんだ。・・・・・・おまえには今、どんな夢が見えてるんだ?」

「今もなにも、ここんとこいつも同じ夢よ。高層ビルの最上階あたりの重役室かなにか。窓の外の景色からするとマンハッタンかしらね。あなたはいつもタキシードを着てソファーに腰掛けてる。ドレス姿の女を四人もはべらせてね。むかつくのは、その四人が、よりにもよってわたしの嫌いなクラスメイトたちだってことよ。趣味悪いわよね」

 場面も登場人物も違ってる。

「んで、おまえは? ドレス着て部屋に入ってくる役か?」

「いいえ」

 彼女は両手を広げて自分の姿を見回した。

 オレには、極小布のビキニに肩をちょっと隠すだけのベストとスケスケの腰巻しか見えないわけで、そんなふうにオープンなポーズをされると、グラマーな身体が丸見えなんだが。胸のふくらみなんか、小さなビキニじゃ収まりきれず、下やら横やらにおもいっきりはみ出してるぞ。

「秘書かなにかなんじゃない? 黒のスーツよ。ちょっとスカート短いかしらね。胸元も開きすぎかな。あなたの趣味なんじゃないの?」

 オレの視線は彼女の身体のあちこちをさまよい、どこを見たらいいかわからずに泳ぎ回ってる。

「なに見てんのよ。あなたにはどう見えるわけ?」

「あ、ああ。オレにはここは大きな石で組まれた部屋の中に見える。現代じゃないみたいだ。部屋のあっち側は壁がなくて、ジャングルが地平線までつづいてるのが見渡せる。古代文明っぽいかな。オレの格好は上半身はなにも着てなくて、腰巻と幅広のベルトだな。この、彼女たちは、おまえのクラスメイトじゃなくて、オレのクラスメイトや学校の先輩、それと日本の芸能人がふたり」

「日本?!」

 食いつくのはそこかよ。

「あなた日本人なの!?」

「ああ。そう見えないか?」

「たしかに日系に見えるけど、マンハッタンの実業家ふうだもの。アメリカ人だと思ったわ。じゃあ、あなた日本語でしゃべってるの?」

「もちろん。っていうかほかにしゃべれる言語はないぜ」

「なら、なんでわたしの英語がわかってるのよ!」

 怒られてもなあ。

「日本語に聞こえるからさ」

「じゃあこれは?」

「これってどれだよ」

「いましゃべってるのが日本語よ」

「かわんないぜ。っていうか日本語もしゃべれんの?」

「あったりまえでしょ! 日本人だもの」

 いや、そうは見えないし、ってツッコもうとしたら先に彼女がまくし立てる。

「ええ、ええ! どうせ見えないでしょ。親はふたりともハーフなのよ! フランス人と日本人のハーフの父にイギリス人と日本人のハーフの母よ! 割合からしたら、わたしも半分は日本人なのに、外見はぜんぜん日本っぽくない。たぶん父のフランス人の部分と母のイギリス人の部分でできちゃってるんだわ! この外見のせいで初対面の人に何度英語で話しかけられたことか! こっちは日本語以外ろくにしゃべれないっつーのに! で、頭にきたから、見た目とのギャップを無くそうと思って、今はカナダに語学留学中よ!」

 かなり不愉快な思いをしてきたらしい。しばらく彼女の怒りはおさまらなかった。ビキニのブラに締め付けられてあらゆる方向にはみ出している大きな胸が、荒い息で上下している。

 あ、彼女がこっちを睨んだ。しまった、胸を激見しているのに気が付いたらしい。

「まってよ。あなた、古代文明っぽいとか言ったわね。じゃ、わたしや彼女たちも現代のドレスやスーツじゃないのね」

「あ、ああ」

 認めるしかない。

「じゃあ、どんな格好なのよ?」

 睨んでる。

 ここは、ウソを言ってもバレないとこだろうか。

 ううむ。しかしあとでボロが出るのもまずいな。

「五人とも同じような格好で・・・・・・」

「『で』!!?」

 でかい胸を突き出すようににじり寄ってくる。

「ベリーダンスの踊り子みたいなかんじ・・・・・・かな」

 彼女の顔が瞬間湯沸かし器のように一瞬で真っ赤に沸騰した。

「ば! ばっかじゃないの?!」

 まず怒って、それから自分の開けっぴろげなポーズに気が付いて後ずさり、両手で胸を抱くように隠して、前かがみに縮こまった。

「あ、あっち向きなさいよ!!」

 言われてソファーの方に向き直ると、ソファーでは須藤エリが長い足を投げ出して寝そべって、こっちに手招きしていた。

「あきれた! あなたの願望なんじゃないの? その夢!」

 彼女に『あっちを向け』と言われて向いた『あっち』なんだが、こっちもまずかったらしい。

「いや、知らないよ。ここがどこだかも。あ、そういえばおまえ、入ってきたとき『もう時間だ』とか言ってなかったか? 何の時間なんだ?」

 なんとか話をそらさないと。

「え? ああ、あれね。あのセリフまでは、自分の意思じゃないのよ。毎晩、夢であなたになにか声を掛けるところで目が覚めていたけど、あのセリフだったわけね。何の時間なのか、わかんないわ。ねぇ、それよりあんたの夢のほうじゃ、そのへんに布はないの?」

「何の布さ?」

「わたしの身体をあなたの野蛮な視線から隠す布よ!」

 ああ、そうか。隠せばいいんだ。

「テーブルクロスでいいか?」

「なんだっていいわよ!」

 三人の美女にまとわりつかれたまま、三歩テーブルに歩み寄って、テーブルクロスに両手を掛けた。上にはグラスやら果物やら載ってるし、布は絹みたいななめらかな材質じゃなくてゴワゴワしてる。すっと抜くわけにはいかないだろうけど、夢だからいいか。

 上のものが落ちるのもかまわずに乱暴に布を引き抜く。一辺二メートルくらいの正方形の布だ。ななめ後ろに差し出すと、彼女が手に取った。

 数秒後。

「いいわよ」

 向き直ると、バスタオルのように脇から下に布を巻いて、左胸の上で留めてるところだった。裾の長さをくるぶしあたりに合わせるように、上を折っているらしい。肩を出したロングスドレスのできあがりだ。

「ちゃんと、透けて見えたりしない布なんでしょうね?」

「ああ、そっちには何に見えてるんだ?」

「白いレースのテーブルクロスよ。スケスケだわ。それをビジネススーツの上に巻きつけて。わたしバカみたい」

「こっちではマシな格好に見えてるぜ」

 彼女は自分の姿を不満げに見回していたが、こっちにどう見えてるかの方を優先することにしたようだ。ちょっとほっぺをふくらましながらだが、

「あっそ、ありがと」

と、礼を言った。

 自分の服に納得いったからか、こんどはこっちの格好にケチをつける気になったようだ。腰に手を当てて、オレのまわりの三人を見回した。

「そっちも、それをなんとかしなさいよ」

「言われなくても・・・・・・」

 右足にまとわりついてる麗しの風見先輩を泣く泣く引き剥がし、腕を絡ませて右肩にあごを乗せて息を吹きかけてるグラビアアイドル島崎レナの身体に触らないように腕を振り解いて押しのけ、左わき腹にタックルのように抱きついてる学園ドラマのヒロインで人気急上昇中の羽田ミドリを、身体をひねってやんわりと振り払う。

 彼女たちは、床に座り込んでもしなを作ってこっちに手を伸ばしてくる。

 動きは散漫なようで、場所を変えれば追ってこないように見えた。

「おい、こっち」

 グラマー女に手招きして、早足にテラスの方へ移動する。

「あ、ちょっと待ってよ! そこ、ガラス! 何階だと思ってんのよ! 日本じゃありえない高さよ! 落ちちゃうじゃない!」

 そうか、彼女にはマンハッタンの高層ビル最上階だったっけ。こっちは、部屋から出たらテニスができそうなくらい広いテラスがあるんだが。

 彼女の手を取って、ひっぱっていくと、

「きゃっ!」

と、彼女が目を閉じた。どうやら、ガラスを越えて、空中へ出る地点らしい。あくまでも彼女の夢では、だが。

 こっちの夢では石でできた頑丈なテラスの上だ。四人の美女も追ってこない。

「目を開けろよ。落ちないぜ」

 彼女が震えているのがわかった。真冬に寒中水泳やった後みたいだ。よく、やったっけな、寒中水泳。子供のときから柔道の道場通いで、師範代が精神鍛錬が好きでね。水の中で慣れると、中にいるうちはまあいいんだけど、上に上がって風に当たると歯の根が合わなくなるんだよな、あれ。

「空中じゃないのね?」

「ああ、石の上。広いテラスだ。ジャングルが見渡せる」

 彼女が恐る恐る目を開いた。最初に自分の足元を見たようだ。急に震えがとまった。

「石だわ!」

 こっちを見上げた彼女の目にこっちが驚いた。

「え!?」

 吸い込まれそうな青い瞳だ。それに、ショートボブだったはずの黒髪は、胸まで垂らしたブロンドのウェーブに変わっている。

 でも、たしかに彼女だ。

「わ! あんたほんとにハダカじゃん! え? なに、ここ、ジャングル!?」

 どうやら、彼女がオレの夢に来たらしい。もう、マンハッタンじゃないわけだ。

「おまえ、その髪と目」

「なあに?」

 オレと手をつないだまま、テラスの向こうのジャングルを眺めていた彼女が振り返ると、ブロンドが弾力を持ってゆれながら風になびき、大きな宝石のような青い目がこっちを見つめる。

「さっきまでのとどっちが本当だ? 黒髪のボブ? ブロンド? 目は黒か青か?」

 彼女は肩をすぼめた。

「どう見えてたわけ?」

「ショートボブの黒髪に黒い目」

「それも、いいわねぇ。カラコンいれてウィッグ被ってみようかしら」

「じゃあ、ブロンドに青い目が本物か」

「どうやら、夢が統一されたみたいね。しかもあなたの夢がほんものだったわけね」

 彼女もオレと同じ結論らしいが・・・・・・『ほんものの夢』ってなんだ?

 オレはよっぽど不思議そうな顔をしたらしい。質問もしてないのに彼女が答えてくれた。

「財団が言ってた勇者の夢よ! ここまできたら、あの話ってほんとうなんだわ。あなたって勇者様なのよ」


第2話 起きたり寝たり


 オレが勇者って、夢の勇者様か? 宝の剣を抜くとかいう。

「す、すまない。実はオレ、財団の話って、いまさっきダチに聞いたばかりで、ほんとうは良く知らないんだ。どういうこと?」

「あんなにネットやテレビでやってるのに? 信じられないわねぇ」

「ここんとこ大会近くて柔道バカやってるからな」

 彼女はオレを上から下へと見回した。

「へぇ。それで細マッチョなんだ」

 こらこら、人の身体をズケズケと見るな。しかも、感心したっていうより、バカにしたような言い方だな。男の筋肉に恨みでもあるのか?

「こんどの大会は体重別だから、ダイエット中だ」

「ふ~ん。それにしても、夢だっていうのに暑いわね! ちょっと、この布、やっぱり脱ぐわ。ここじゃ、当たり前の格好みたいだしね。わたしだって海水浴に行ったらビキニで泳ぐもの。あ、でもやらしい目でジロジロ見ないでよ。約束!」

 オレの柔道や筋肉は、もう、どうでもいいらしい。

 身体に巻いた布を取ろうとした彼女の手をつかんだままだったので、離そうとすると、彼女のほうからつかんできた。

「ちょ! ちょっと待ってよ! 離さないでよ!」

「え?」

 彼女の目はマジだった。

「だって、あなたに手をつかまれてこのテラスへ来たときから、あなたの夢に入ったのよ。ひょっとして手を離したら、元の自分の夢に戻っちゃうかもしれないじゃない! そしたらここは高層ビルの窓の外よ! いくら夢だって落ちたくはないわ!」

 なるほど。可能性はある話なのかな。

 彼女はオレと手をつないだまま、片手で器用に布を取った。脱ぎ終わると、身体をねじったりしながら自分の衣装を値踏みするように見回す。

「ベリーダンスって、まあ、言えなくもないけど、ちょっと違うわね。どこの衣装なのかしら。この建物も、巨石で組んでいるけど、デザインはむしろ未来風かしらね」

 それはオレも感じていた。材質こそ石なんだけど、まるでSF映画に出てくる宇宙船か宇宙ステーションの中みたいなイメージだ。オレたちの格好が妙に浮いてる。

 そう思ったが、彼女にこの感想を言うのはまずそうだな。もう、格好の話には触れないようにしたほうがよさそうだ。そういえば、なんかの話題で話していたところだったけ。話をもどそう。

「で、さっきの話は? 財団の夢の話」

「あ、そうね。つまりね、六千年前の英雄がこの世の悪を退治したんだけど、再び世界に悪があふれ出す現代によみがえるんですって。その英雄と同じ時代を生きていた人々も同時によみがえっていて、繫がった夢を見るようになってきているっていうのが財団の主張。財団の人たちは、すでに夢で繫がっている人同士で、これからも約束の時を迎えて、どんどん夢で繫がる人が増えていくって言ってるわ。ただし、人によって、夢の完成度が違っていて、今の自分の生活によって脚色されている度合いの強弱があるって。でも、勇者様は、完全な夢を見るそうよ」

「完全な夢?」

 夢に、完全だの不完全だのあるんだろうか。そもそもどれも、不完全なんじゃないのか。

「そう。六千年前の戦いの夢と、現代の戦いのために剣の在りかを示す夢」

「戦いねぇ」

 オレはジャングルを見渡した。武器らしいものも城壁のような外敵から守るような設備も、見張りの兵士も見当たらない。つまり、戦争とかをやってるふうじゃないし、外敵がここを脅かしてる様子もない。

「平和そうだけど?」

「これはまだ、プロローグよ、多分。ほら、わたしが部屋に入ってすぐ言ったセリフ、『もう時間でしょ』って。これから始まるのよ。そして、わたしは彼女たちのことを『侍女』って呼んでたでしょ? 秘書の格好なのに。マンハッタンの重役室にはふさわしくないセリフだわ。この、あなたの夢のほうが本物って証拠よ」

 マンハッタンのビルが不完全な夢で、見たことも無いジャングルの都市と半裸のオレたちが完全な夢ってことか?

「で? どう始まるんだ?」

 その答えは、すぐにわかった。

 部屋から男がテラスに現れて呼びかけてきたからだ。

「陛下、お時間です。ご出立を。神の啓示が示されました。あさっての日が終わらぬうちに、到達せねばなりませんぞ」

 その男は、四十代くらいの痩せ型で、頭はつるつるで赤や緑でペイントしている。日本人じゃなさそうだ。もっともユメの例があるがな。

 オレを陛下って呼んだから、オレが王なら、こいつは宰相か神官ってとこかな。

「おい、あんた。あんたもこれが夢だってわかるか? 明晰夢見てるとこか? オレと話せる?」

 呼びかけてみた。

 返事はない。NPCかな?

 でも、ちょっと視線がオレと彼女の間を行き来したような気がしたが。

 今は、眼球は動いていない。オレが歩み寄っても、オレが元いた場所を見ている。

「この人・・・・・・財団の代表者よ」

 オレと手をつないだまま、男をジロジロ舐めるように見定めたグラマー女が言った。

 ええい、いつまでもグラマー女って、呼びづらいな。

「おい・・・・・・っていうか、おまえのことなんて呼べばいいかな?」

「わたしはユメ。夢子っていうのが本名だけど、いまどき『子』ってのも、ってね」

 古風な名前には似つかわしくない洋風の顔をこっちに向けて、彼女――ユメ――が笑って言った。

「オレはマコトだ」

「へぇ。ユメとマコトね」

 おまえが先かよ。まあ、マコトとユメじゃ締まんないな。

「どうやら、今、夢が繫がってるのは、ユメとオレだけみたいだな」

 四人の侍女たちや、この神官だか財団代表だかは、たぶん繋がっていないんだろう。

「そうね。マコトは、日本でしょ? 昼? 化学準備室だっけ?」

「ああ、予鈴が鳴ってたときだったから、午後二時だ。『あさっての日が終わらぬうち』っていうのがオレの時間でっていうなら、二日半切ってるよな。どこへ行けばいいんだ?」

 もういちどジャングルを見回す。

「日本じゃないだろ、ここ」

 ユメが言っていた完全な夢っていうのは、六千年前の戦いの夢と、現代の戦いのために剣の在りかを示す夢だっていうことだ。夢は二つなのか? だったらこれはどっちの夢なんだろう。それとも、夢はひとつで、両方の性質を持ってるってことなのか? 過去の夢が剣の在りかも示すっていうことだろうか。

「この夢が六千年前の出来事の夢なら、これからそこへ行くんじゃないかしら。ここがスタート地点ね。なにか現代でも目印になるような山とか見えればいいんだけど」

 ユメが緑の地平線あたりを見回す。その彼女の真剣な横顔を見て、オレも同じように地平線に目をやる。

 そのとき、空とジャングルがフラッシュのように一瞬違う景色になった。

 違う景色と言っても、空とジャングルっていう組み合わせは同じだ。空の青さや雲の様子が異なり、ジャングルの木々が違うものの、地平線まで続くジャングルの景色には違いない。そして、そのジャングルに点々と、遺跡のような古い石の建造物が見えた。

「い、いまの見たか?!」

「ええ! 景色がかわったわ」

 見回していると、また、パパッと一瞬かわった。

 今度は心構えができていたので、遺跡の様子をよく見ることに成功した。

「いまのピラミッドみたいなの、世界遺産かなんかで見たことあるぞ」

「ええ。多分、マヤ遺跡のどれかだわ。メキシコかグアテマラあたりよ! ここ!」

 エジプトのピラミッドと違い、急勾配で大きな段々があり、面の真ん中に階段がついている。てっぺんはとがってなくて、家のようなものが載ってるピラミッドだ。

 そういえば、てっぺんの様子は今オレたちが居る建造物に似ている。ピラミッドはこの建物の模倣したものって感じだ。

「この場所の、この夢から六千年後の、――現代の景色か」

 オレたちが場所のヒントを欲しがったから、何かがオレたちに見せてくれた景色なんだろう。

「マコト、学校に居るんでしょ。目を覚まして、図書館かネットで世界遺産とかを調べなさいよ」

「って、なんでオレだよ。ユメは?」

「わたしは寝たばかりなのヨ! 時差があるの! サマータイムのオタワは今真夜中の一時よ」

と、言ってからユメは、

「あ!」

と小さく叫んだ。

「そうよ! 時差!」

 生まれてこのかた国外に出たことがないオレにはピンとこない話だ。

「ここがメキシコあたりなら、ここは零時なんじゃないかしら。だから丸々三日、七十二時間後が期限なのよ!」

「六千年前の夢にしちゃあ、時差まで考慮してくれてるっていうのは、気が利いてるな。それにこの景色は夜じゃなくて朝か昼だぜ」

 オレの言葉は、ちょっと懐疑的に聞こえたかもしれない。ユメはすこしムッとしたようだ。

「この時代にとっての一日のはじまりは日の出なんだわ。だから期限はあさっての日の出までってことかも。でもわたしたちの時代じゃ日のくぎりは零時でしょ。先週からのくりかえしの夢が予告編で、この夢がスタートなら、ちょうど三日ってなってるに違いないわよ」

 そうかな。う~ん、もっともらしいかもしれないな。オレが化学準備室で寝たときに、ちょうど二時のチャイムが鳴ってたっていうのは、なんだかそれっぽいなぁ。

「とにかく、あなた一回起きちゃいなさいよ! 起きて、あの景色がどこか、そしてあなたがちゃんと期限までに来られるかどうか調べるのよ!」

「んなこと言ったって、どうやりゃ起きるんだよ」

「ウダウダ言ってる間に努力してごらんなさい! しっかりしなさいよ! 人類を救う勇者様なんでしょ?」

 そんなこと言われてもなあ。でも、何かしないと、ユメは許してくれなさそうだなあ。しかたないなあ。

 目を閉じて、集中してみる。

 起きろ、起きろ、起きろ、オキロ!

 目を開けてみる、と、テラスとジャングルをバックに、青い瞳のユメがこっちを見ていた。

「ダメ?」

 う~ん。

「そういえば、オレが起きちゃったら、ここから消えるんじゃないかな? おまえ、摩天楼からまっさかさまじゃないの?」

 ユメの顔色が目に見えて変わった。

「そ、そうだったわ! こっち来なさいよ!」

 ユメがオレの手を引いて部屋へ戻る。途中で、テラスに立ったままの神官っぽい財団代表者の横を通るとき、ユメがその顔を観察していた。男は微動だにせず、オレに話しかけたときのまま、ジャングルのほうを見ている。

「マコトは、財団の言ってること信じられる?」

 テラスから部屋に戻ったところで、ユメが言った。あの男がNPCかどうか疑っているのか、男に聞こえないように声をひそめている。

「いや、オレはほとんど知らないから。おまえは信じてないのか?」

 つられて、オレの声も自然と小さめになった。

「ええ、なんか胡散臭いの。もちろん、荒唐無稽な話だからっていうのもあったけど、こうして夢が繫がってたりすることが本当だってわかっても、財団の目的とかが、怪しげに見えちゃうのよね。勇者を探してサポートするって言って、情報提供者に賞金出すっていうとこは、まだいいとして、なんで勇者本人にも莫大な賞金を出すなんていうのか」

「え? 賞金出るのか?」

 オレがもらえるってこと?

 軽口を言ったオレをユメがにらんだ。部屋に戻って、摩天楼落下は免れると思ったからか、振りほどくようにオレとつないでいた手を離す。

「まさか賞金がほしいって言うんじゃないでしょうねぇ」

「いや、だから、知らないって」

「ここが、マヤかなにかの関係ってことなら、勇者とか英雄とか崇め奉られたあげくに、生贄にされちゃうのかもしれないんだからね!」

 言うことを言ってから、ユメはあたりを見回し、自分の身体を見下ろした。

「だいじょうぶみたいね。マンハッタンじゃないわ」

 もう、手をつなぐ必要はないらしい。ちょっと残念かもな。

「さ! ほら、起きて起きて」

 困ったなあ、そう言われても・・・・・・。

 部屋の中を見回すと、四人の美女はソファーの定位置に戻っている。

 いつもはあの真ん中に座っているとこにユメが現れて目が覚めるんだよな。

 ソファーの方へ行こうとすると、ユメがふくれっつらになった。

「こらこら、なに色気付いてんのよ!」

「ちがうって! いつもならあそこに座ったあとで、おまえがやってきたとこで目が覚めるんだよ」

「その場面はもう終わったでしょ」

 まあ、そのとおりなんだが。起き方がわからないんだから、なんでも試すしかないだろう。

 という理由付けをすることにして、四人の真ん中に座る。ユメが両手の甲を腰に当ててナナメに見下ろしている。

「ふ~ん。ほんと、うちのクラスメイトたちじゃなくて日本人だわね」

 だまって集中させてくれるつもりはないらしい。ユメがしゃべり続ける。

「この四人のうち二人は芸能人で、あとはあなたの学校の先輩とクラスメイトですって? あなたの先輩やクラスメイトって、どんだけレベル高いのよ。四人ともモデルみたいじゃないの。いったい、どの二人が一般人だっていうの?」

 なにが気に食わないのか、ネチネチと機嫌悪そうにオレを睨んで言う。

 その、ちくちく突き刺さるような視線は無視して、四人を見回す。

 須藤エリは、やっぱりNPCのようだ。色っぽい顔つきで、こっちにゆっくりとすり寄ってくる。顔を近づけてきて、いまにも唇が触れそうなとこで微笑んでいる。

 よく、こういう場面で鼻の下を伸ばすって言うが、本当に伸びるもんなんだな。自分じゃそうしてるつもりがないのに、勝手に鼻の下の筋肉が伸びてしまう。

 傍から見るとみっともない顔になってるだろうな。気を落ち着けたらなおるんだろうか。

 息を深く吸い込むと、あの香りがした。化学準備室で眠気を誘った香りだ。

 肺の中に香りを含んだ空気が充満するのを感じて、リラックスしてから目を開けると、須藤エリの顔が間近に迫っていた。

 夢じゃなくて現実の彼女のほうだ。



「ねぇ、どうなの?」

 鐘がまだ鳴っている。午後の授業の予鈴だ。ここは化学準備室。

 つまり、オレが寝てから長くても数秒。須藤エリの様子からすると、一秒も経ってないってことなんじゃないだろうか。

 そういえば、ほんの短時間に長い夢を見るって聞いたことがある。夢を見てるときのほうが頭の回転が早いって理由だったかな。

「いや、オレは同じ夢は見てないと思う」

 須藤エリがどういう夢を見ているのかは興味ある。

 ユメはマンハッタンのビジネスマンのオレを見てたっていうが、須藤エリはどんなオレを見てたんだろう? 訊きたいのはヤマヤマだが、そうすればこっちも夢のことを話さなきゃいけなくなるしな。

 にじりよってくるエリを避けるために、体勢がどんどん海老反りになってくるんだが、そこに覆いかぶさるようにエリがさらに迫ってくる。

 オレが困ってるだけのように見えたからか、こっちの表情を覗き込んでいたエリは、ふいに興味を失ったように、オレから離れた。

「なら、いいわ」

 あ、そういえば、あの香りはもうしていないようだ。

 なんだったんだろう?

 とにかく、今は化学の準備を済ませて、化学が終わって休み時間になったら図書館で世界遺産を調べなきゃ。カナダにいるというユメに、もう一度夢の中で会って報告するために。

 実在・・・・・・するんだよな? 彼女。


 化学の授業が終わった午後三時前、とにかく情報が検索できそうな図書室へ行った。

 休憩時間は十分しかない。

 パソコンで検索しなきゃいけないかもしれないので、そういうことに強いタカシを連れて行った。

 タカシには詳しいことは説明してないのだが、めったに図書室に行ったりしないオレが図書室へ行こうと言い出したことのほうに興味を持ったらしく積極的についてきた。

「ジャングルの真ん中のマヤかなにかの遺跡ねぇ」

 学校の図書館には、ほとんど使われていない情報検索用のパソコンが二台ある。ガチガチにガードがかかっていて、遊びごとには使えない端末なので生徒には人気が無い。

 まじめなことを調べるためだけのパソコンなんて、あってもなあ。

 ただし、今回の場合は、ちょうど良い機能のパソコンかな。

「こんなのか?」

 検索を始めて一分もしないうちに、もう、なにか見つけたらしい。

 ムダにでかい23インチワイドのディスプレイには、地平線までつづくジャングルの写真が映っていた。ところどころ石の建造物が頭を覗かせている。

 たしかに似ている。

「これはティカル遺跡。グアテマラにあるってさ」

 ちょっと違う気がするなあ。

 どこが、ってことはないんだが。

 振り返ってオレの様子を見て察したのか、タカシはさらに検索する。

「こいつも、ジャングルの中だぞ。チチェン・イツァだってさ」

 建築物の形は、もう、夢の中で見たのとそっくりだ。

 しかし、『ここじゃない』とオレの中のなにかが言ってる。

 タカシがさらに検索する。

「これはカラクムル遺跡だってさ。あんまり観光地化していないジャングルの奥地だって」

 さっきまでの遺跡と、ぱっと見は変わりない。だが、さっきまでのが『違う』と思ったのと同じように、オレの中の何かが『ここだ』と言っていた。

「どこだ、それ」

「え? ああ、国は、メキシコだな。ユカタン半島の真ん中へん」

 すまん、メキシコがアメリカの南というのは漠然とわかるが、ユカタン半島というのがメキシコのどのへんだか皆目わからん。

 この写真は似てる。

 あの、景色が変わったときの、現代の様子らしい景色に、写真そのものが似てる。

 で、ここかどうかの決め手は、というと・・・・・・そうだ! 時間。時差だ、時差。

 さっきユメと夢で会ってた時間はこっちの午後二時。その時間が現地の真夜中の零時じゃなきゃおかしいんじゃないかな。

「そこって、時差は何時間だ?」

「日本とのか? ええっと、待て待て」

 かちゃかちゃキーボードをたたき始めた。

「カンペチェ州だな。時差は十五時間」

 十五? それじゃ合わない。

「十四時間じゃないのか?」

「ああ。日本は協定世界時でプラス九時間だ。十四時間差ならマイナス五時間の場所だろ。メキシコはマイナス六から八。ユカタン半島のほかの国はグアテマラはマイナス六で、ベリーズが・・・・・・やっぱりマイナス六だな。つまりカラクムル遺跡があるあたりはマイナス六。十五時間差だよ」

 日本の午後二時は昨日の二十三時。そこから『あさっての日が終わるまで』じゃあ、四十九時間しかない。

 ほとんどサギじゃないか。

 一時間ずれてりゃなぁ。

 まてよ、一時間ずれっていうの、なんか、ひっかかる。ユメが何か言ってたことだ。それが、ひっかかっているんだ。なんだっけ。

 そうだ! サマータイム!

「サマータイムってのはどうなんだ?」

「あ、ああ、そうか。ええと、待て待て。メキシコは、サマータイムあるぞ。カンペチェ州は今の時期、マイナス五になるから、時差は十四時間だ。おまえ、よくわかったな」

 やっぱり、ぴったりなんだ。じゃあ、ここか? カラクムル遺跡?

「その遺跡に、あさってまでに行けるかな?」

「はあ?!」

 図書室でタカシが大きな声を上げた。まわりのあまり好意的でない視線がオレたちに集中した。

 図書室には、今の時期、短縮時間割になってる三年生が結構いる。オレたち二年は六時間目が残っているが、受験生の三年生は五時間目で終わって、図書室で受験勉強やってる人もいるわけだ。

「土日に海外旅行か? 何? 遺跡探訪にめざめたの?」

 タカシは怒ったりあきれたりしてるんじゃなくて、オレがどうしてそんなことを言い出したのか興味があるようだった。

「あ、いや、ちょっと、知り合いと会うんだ」

「はあ? ますますわかんない話だな。オヤジさんの関係かい?」

 オレのオヤジは海外特派員をやっている。今はアメリカ住まいだ。かあさんはついていっちまって、オレは高校に通うために家に残って自炊生活している。オヤジには、おまえも来い、とか言われたが、英語が赤点ぎりぎりの身としては、アメリカの高校で勉強したいとはとても思えない。

 幸い、そこそこモノになって打ち込んでいる柔道をこっちの道場で続けるっていう理由があったので、かあさんを説得して、ひとりで日本に残ることになった。

 ひとりで生活っていう自由さにもあこがれてたんだが、まあ、痛感しているのは自由さじゃなくて不便さの方だ。

「ま、そんな感じかもな」

 話をぼかしたが、タカシはパソコンに向かって、検索を続けてくれた。

「カンクンっていうとこにでかい空港があって、まあまあ遺跡の近くだが・・・・・・日本からの直行便は空席がないな。アメリカ経由ならいくらでもありそうだ。日本の航空会社じゃないが」

「げ、高いな」

 画面表示に出ている航空券の金額は、生活費をけちって溜め込んだ貯金をぜんぶ放出しろと言ってる値段だ。

「これ、片道だぞ。それに、クレジットカードとか持っておかないと面倒そうなこと書いてる。ビザは、観光なら不要。あ、まてまて。アメリカで乗り換えの場合、電子渡航認証システムの認証を取得しなきゃならないってさ」

 タカシが言ってる言葉は、オレにとっちゃまるで宇宙語だ。

「つまり? どういうことだ?」

「本当に行くつもりなら、旅行会社の窓口へ行って、さらにオヤジさんに相談することをおすすめするよ」

 そういうことか。なんとなく納得。

 しかし、ただの夢で、ユメだって実在してないかもしれないのに、本当に行かなきゃいけない話かは疑問だ。

 六時限目の数学の授業の予鈴が鳴った。

「やべ。おい、マコト、教室に戻ろう」

 タカシはパソコンの画面を元に戻して立ち上がった。

 オレはまだ考えていた。世界を救う、とかいう使命感じゃないが、ずっと見てる夢のことが気になってしかたない、っていうのはある。決して、あのブロンドのグラマー女にイカれちまったわけじゃないぞ。

「オレ、フケるわ。気分悪くなって帰ったってことで、頼む」

 タカシは何かを察してくれたようで止めたりはしなかった。だが、心配してくれているらしい。

「・・・・・・う~ん、まあ、いいけど。旅行会社より、病院へ行ったほうがいいぞ。夢に取り憑かれてるんなら。あの、財団に相談しに行くってのでもいいかもな」

 ユメの勘に乗っかるなら、財団っていう選択肢はパスだ。賞金よサヨウナラ。



 カバンは教室だったが、戻ると抜けにくくなるから、図書室から直接校門へ向かった。駅前に旅行会社があったな。

 柔道の試合以外では、授業をサボって早退っていう体験ははじめてで、ちょっと罪悪感もあって、後ろが気になった。そのせいか、後ろに人の気配があることが敏感に感じとれたんだ。図書室を出たところから、玄関の下駄箱と、そして校門までの校庭へと、ずっと後ろから誰かついてくる気配があった。

 校門を出て駅方面へ曲がるときに、ななめ上のカーブミラーで後方をちらっと見る。長い黒髪の女子高生がついてきてる。

 風見先輩だ!

 先輩って言っても、おれにとっては同じ学校って以外になにも接点があるわけじゃなく、彼女にあこがれている一、二年の男子生徒が彼女を呼ぶときにつけてる呼び名のようなものを、オレも使ってるってだけだ。

 去年と今年の学園祭でミスコンに優勝した彼女は、学園のマドンナと呼ばれてアイドル扱い。高校生にして、大人の魅力をあふれさせつつ、どことなく幼さも残した長い黒髪の和風美女だ。

 三年生だから、彼女はもう授業は終わって、多分、図書室で調べ物でもしたあとに帰るところなんだろうな、ということに、普通ならなる。

 しかし、今は普通じゃない。あの夢に出てきてる風見先輩が、タイミングよくオレのあとをついて学校を出てくるていうのは、偶然にしちゃあ、できすぎていないか?

 ちょっとドキドキしつつ駅前へ向かい、人ごみを抜けて駅前のデパートに入る。

 地階に旅行店の窓口がある。

 窓口のきれいなおねえさんは、学生服のオレにメキシコに急いで行く場合のことを聞かれても、ひやかしとは思わなかったのか、ちゃんと応対してくれた。

 おおむね、タカシが調べてくれたとおりだった。

 カラクムル遺跡ってとこがあるメキシコのカンペチェ州へ行くのに、メキシコへの直行便には、もう空きがない。したがって、アメリカ経由で、メキシコシティかカンクンの国際空港に行くことになる。パスポートがあれば、メキシコに観光に行くのにビザは不要だが、アメリカ経由だから電子渡航認証システムの認証っていうのが必要で、手続きに二日ほど余裕を見なきゃいけないかもってことだ。

 で、手続き代行を進めるなら、保護者の方の同意を取ってください、ときた。

 ううむ、行けるかどうかってとこまでは確かめないとな、夢でユメに状況を話すにしても。

 『親に連絡してみるから』と言って、窓口を一度離れて、店内のツアー情報を閲覧するシャレたテーブル席に座り、携帯を取り出す。店はデパートの売り場へ向いた側が全面ガラス張りで、JR駅と地下鉄を行き来する人が歩いているのが見える。向こうからも丸見えだ。

 正面の壁には、テレビ画面がたくさん埋め込んであって、今放送されている番組が映っていた。そのテレビの声は聞こえないが、旅行会社の店内にもテレビがどこかにあるらしく、放送の声はそっちから聞こえてくる。

 あの、財団の代表が、外国のテレビ番組のキャスターと向き合って座って、真剣な顔でなにか言っている。画面の右上には『LIVE』の文字が。生中継ってことだ。

 聞こえてくるのは、英語じゃない外国語だ。スペイン語かポルトガル語か、いずれにせよオレの知らない言葉。

 やがて、日本語の同時通訳の声が聞こえてきた。

『わたしたちが・・・・・・この、緊急の・・・・・・・この重要な緊急の声明を全世界に配信しているのは、時が来たからです。人類にとって、深刻な・・・・・・重大な危機が迫っています。救えるのは彼だけです。われわれ財団は、彼をサポートしたい。でも、まだ、彼がどこの誰なのかわかっていません』

 携帯の画面とテレビ画面を見ながら、オヤジの番号を呼び出してコールする。携帯を耳に当てると、視線はテレビ画面に集中することになる。

 あの神官だ。まちがいない。オレの夢に出ていた男。

『われわれ財団のメンバーは、彼のように完全な夢を見られませんが、多くのメンバーの夢の情報を総合すると、真実が見えてきます。たくさんのメンバーの夢の、共通する部分だけを取り出して・・・・・・正しい情報を得る方法です。それによると、彼はすでに神からの啓示を受け取っています。そうして、運命の旅に出なければならない時計が・・・・・・その時計が動き始めています。残された時間は、そう多くありません。彼にも、われわれ財団にも、そして、人類にとっても』

 大きな話だな。マジかよ。

 携帯から聞こえてくる呼び出し音は十回目くらいになった。やっとオヤジが出た。

『おお、マコト。なんだ? こんな時間に』

 眠そうな声だ。あ、そうか、時差があるんだっけ。向こうは真夜中か。

「あ、すまん、オヤジ。寝てた?」

『う~ん、まあ似たようなもんだな。晩酌中だ。で、どうした、おまえから電話なんて初めてだな』

 そのことはすまないと思うよ、オヤジ。親に逐一日常生活を報告するような几帳面な息子でなくて悪かったな。と、心では反省する。

「ちょっと確認したいんだ」

『なんだ、困ったことでもあるのか?』

「オレが、今からメキシコに行きたいっていったら、すぐに行けるかどうかの確認中なんだよ」

『どうした? 柔道の国際試合にでも出るのか?』

 いや、今のオレはそこまでは強くない。今度の大会で優勝でもすれば別だが。

「いや・・・・・・なんていうか。夢の話なんだ。へんな夢見てて、マヤの遺跡に、すぐに行かなきゃいけないような」

 なんて説明したらいいんだ? 色っぽい格好の女の子がいっぱい出てくる夢でブロンド娘に言われて調べてるって?

『・・・・・・おまえ、ひょっとして夢の勇者様か?』

 さすがにジャーナリストのオヤジは情報通だな。

「わかんない。かもしれないってとこかもな」

『マヤだったか・・・・・・。神棚の下の引き出しにおまえのパスポートとクレジットカードの家族カードがある。本当に勇者様なら、独占取材を条件にスポンサーになってやるぞ。だから、財団はやめとけ。あそこには連絡するな。ヤバそうな話がかなりにじみ出てる。力が強いらしく表にはまだ出ないがな』

 オヤジもユメと同じようなことを言ってる。しかもジャーナリストとしての情報らしい。こりゃあ、メキシコへ行くために財団に駆け込むっていうのはナシだな。

「金もなんだけど、手続きがいるらしいんだ。間に合うかどうかわかんないんだけど。メキシコへの直通便はもう空いてなくて、アメリカ経由になるんで、電子渡航なんちゃらっていう手続きがいるらしい。で、親の同意がいるとか。今、旅行会社の窓口で」

『ああ、ESTAか。いらんいらん。お前は不要だぞ』

「え?」

 意外な話だった。

『さっきの引き出しにビザもある。おまえは報道関係者の家族ってことでアメリカのIビザを取ってあるんだ。こっちにいっしょに来たいって言ったら来られるようにな。アメリカのビザがあるからメキシコは入国オッケーだ。メキシコへ行くならとっとと航空券予約をしな』

 なんて都合のいい話なんだ。つまり、ナニか? オレは行けと言われてから思い立っても、ちゃんとカラクムル遺跡に行ける条件の日本人だったってことか? 

「じゃ、行こうと思えば行けるんだな?」

『ああ、行け行け。行って人類を救ってこい。ほんでもって、独占取材だ。メキシコ土産はいらんぞ』

「ムスコの心配はしないのかよ。危険だからやめとけ~とか」

『心配? おまえのか? ははは』

 笑うとこか? クソオヤジめ。

『それにしてもマヤとはな。剣っていうキーワードからはかけ離れた場所だな』

 オヤジにとって、勇者の舞台がマヤっていうのはよっぽど意外だったらしい。

「どういうことだ?」

『マヤをはじめとするメゾアメリカ文明は鉄器を持たない。石の文明だ。財団が言ってる伝説がウソなのか、それとも財団が誰かに欺かれているのか。おもしろい話じゃないか。あ、そうそう、おまえスペイン語は話せまい?』

 息子の学歴ぐらいわかってるだろう。そんな教育は受けてないよ。

「英語がしゃべれる連れは居るかもしれない」

 ユメが実在する女の子で、いっしょに行くなら、そういうことになる。

『英語か。おい、まさかガールフレンドじゃないだろうな。・・・・・・まあいい。パスポートといっしょに入ってる端末を持っていけ。翻訳機だ。言語を選択して日本語をしゃべれば、その言語で繰り返す。逆に相手にゆっくりしゃべってもらえば、日本語に訳してくりかえしてくれる。時間は倍かかるが、日常会話はオッケーだ』

 なにからなにまで準備オッケーっていう状況は、もう、運命的だな。

「わかった。じゃあ、あとで報告する。かあさんにヨロシク」

『それは普段から電話するやつが言うセリフだ。何かないと連絡してこないやつから連絡があった、じゃあ、かえってかあさんが何かあったんだと心配するだろうが』

 そうだな。


 さて、とりあえず調べはついた。カナダで寝ているユメに夢の中で報告だ。

 どこかで寝ないとな。

 オヤジと電話で話している間、ずっと視線は外のテレビ画面に向けていたんだが、画面の横に立ってる制服姿の女子高生がこっちを見ているのに気がついた。

 風見先輩だ。

 あきらかにオレを見ている。いつからあそこに立ってたんだろう。

 オレと視線を合わせたまま、風見先輩がこっちに歩いてくる。

 どういうことだ? 先輩とは知り合いでもなんでもないぞ。こっちが一方的に知ってる校内の有名人だっていうだけで。

 やっぱり須藤エリみたいに、夢でオレを見てるっていうんだろうか。

 店の入り口から、彼女が入ってきた。カウンターじゃなくて、オレの方へ向かってくる。

 こんなに近くで風見先輩を見たのは初めてじゃないかな。あ、ここんとこ夢ではくっついてるか。

 ほんものは、初めてってことだ。

「鵜筒・・・・・・マコトくんよね」

 まっすぐな黒髪が、小首をかしげると肩からサラサラと胸にこぼれた。

 黒い瞳がこっちを見つめている。オレの身体を見回したりとかはしない。目を見て話すっていうのが彼女のスタイルってことらしい。

 美人がこうだと、男のほうは腰が引けるよな。

 とりまきは多いけど彼氏はいないっていううわさも頷ける。

 オレが風見先輩のことを『いいな』って思ってるのは、この凛としたとこだ。黒髪の和風美人なんだけど、男に媚びたとこを感じさせない内に秘めた強さみたいなのが、にじみ出る感じ。

 夢の中では、そういう強い女性ぶりはどっかへいっちまったように色っぽい表情で迫ってくるけど、今はそういう色気は発散させていない。ただし、迫ってくる迫力みたいなのはある。

「あなたも、夢を見るの? わたしが出てくる?」

 やっぱりその話か。

 でも、先輩の言葉には『毎回あんたなんかが夢に出てきて迷惑』みたいなストーカーに対する軽蔑のようなニュアンスは感じられなかった。ちょっと頬がピンクに染まっているようでもある。

 困ってはいるみたいだが、あんまり悪い意味ではないようだ。

 店の中にはほかにも人がいる。オレはまわりの反応を見回した。幸い、彼女の『夢』とかいう言葉を聞いていた人はいないようだ。テレビに注目している人も何人かはいた。財団の声明を聞いているようだ。

 風見先輩もおれの様子から、まわりをすこしは気にしたようだ。

 テレビの音声が聞こえる。

『勇者本人、または、それと思われる人物の関係者でもかまいません。すぐに財団までご連絡ください。繫がった夢をご覧になっている方はたくさんいらっしゃるはずです。世界が、危機にさらされています。救えるのは勇者だけです。われわれ財団は、全力で勇者を支援します』

 風見先輩とオレはテレビの画面を見ていた。

 先輩が見ている夢はどんな夢なんだろうか。ユメが見ていたのはマンハッタンのビジネスマンと秘書って夢だったな。先輩の反応からすると、あんまり悪い夢ってことでもなさそうだ。ひょっとしたら、夢の中ではいちゃいちゃしてる間柄なのかもしれない。

 気になって聞いてみた。

「先輩の夢に出てくるオレって、どんなのですか?」

 この訊き方で通じたらしい。

「カリブの海賊・・・・・・」

 カリブってとこが、メキシコの遺跡にすこしは近いってことになるのかな。

「先輩は?」

「あなた、夢ではわたしを名前で呼ぶわ。わたしは港の女で、あなたはいつものように宝を求めてわたしを残して海へ出て行く場面なの」

 なんとなく、オレの夢の場面を暗示させる内容ではある。そうすると須藤エリのも、聞かなかったけどそういう類の夢なんだろうか。

「あなたは、あの財団の言ってること信じる? あなた、勇者様なんじゃないの?」

 先輩が一歩近づいた。手を伸ばせば触れられる距離だ。

「夢の中のオレ様ぶりはどこへいったの? 本物はそんなものなの?」

 いや、そんな。夢の責任は取れないし。

 先輩がまた一歩近づいた。興奮してるのか、胸が上下してる。息がかかりそうな距離になった。

「ねぇ。夢の中みたいに、言わないの?」

 なんて言ってるか知らないんですけど~。

「『おまえはオレの言うこと聞いて待ってればいいんだ』って」

 言ってない言ってない。そもそもオレの夢じゃ、先輩と会話してないし。

 先輩って、実は、男からそういうふうに所有物みたいに扱われるのを望んでいるタイプだったんだろうか。

 先輩が眉を八の字にしながら、さらににじり寄ってきた。もう、先輩の胸が触れそうなほど近い。それで、オレを見上げるものだから、こっちは見下ろすことになって、見上げてくる先輩の顔のアップと、そして、あの香りが。

 どういうことだ? この香りって本当に現実のものなのかな? なにかの象徴のような刺激で、架空のモノなんじゃないだろうか・・・・・・。

 気が遠く・・・・・・な・・・・・・。


第3話 夢中の行程


 目が覚めると――いや、覚めたんじゃないな。夢のなかで気がつくと、だ――ロバみたいな動物に乗っていた。くらはあるもののあぶみがなくて、ブラブラさせてる足のせいで不安定だ。あぶなくバランスを崩して落ちかけた。

 バランスを崩したときに、ぐっ、と胸が締め付けられた。胸に巻きついた腕に力が込められたんだ。

 背中の上のほうには頭が押し付けられているらしくて、そうすると、腰の上あたりにぷにょぷにょと押し付けられているのは、胸か?

 あたりはジャングルのようだ。昼間らしいのだが、陽の光は木々の大きな葉っぱが幾重にも重なっていてほとんどさえぎられていて、薄暗い。

 背の低い植物も地面にぎっしりと生えていて、辛うじて土が見える、獣か人が植物を掻き分けた道のようなすじがあり、そこを進んでいるらしい。後ろに乗ってるのは、この胸のボリュームからして、ユメか。

 肩越しに背中のほうを見下ろしてみると、ブロンドの巻き毛が見えた。オレの背中にあごを突き刺すようにして彼女が上を向く。青い目がこっちを睨んでいた。

「マコト?! 戻ったの?」

 どういう意味だ? ずっと待ってたんだろうってのはわかる。でも、オレがいなかったのなら帰ってきたのは一目瞭然のはずだから『戻ったの?』なんて訊かないだろうから、そうじゃないんだろう。

「あ、ああ」

 多分、肯定しておいて間違いなさそうな状況に思えた。

「遅いわよ。もう旅立って半日よ!」

 夢の方が先に進んでる。時間の流れが異なってるってことなのか。

「こっちは九十分くらいしか経ってないぞ。なにかあったのか? どういうことなんだ?」

「あなたが急に応答しなくなって、勝手にセリフをしゃべりはじめたの。それで、二人で旅立ったのよ。会話が成り立たない相手と、夢の中とはいえ、旅をするなんて苦痛よ、苦痛」

 かなり怒ってるようだ。

 なるほど、オレが起きてる間はこの時代の勇者様だか陛下様だかがかわりに話を進めてくれるわけだ。

 半日もの間、話しかけても返事もせずに勝手なセリフをしゃべりつづけるNPCとふたりっきりで旅をするというのは、想像できないくらい苦痛だったろうな。

「すまない」

 とりあえず謝っておこう。

 どうやら謝ったのは正解だったらしく、ユメは怒りを爆発させるかわりに興奮ぎみの笑顔で新しい話題に話を移した。

「ねぇ! 新事実よ! この夢の中で、あなたとわたし、どういう関係だと思う?」

 関係って。

 昨日までの夢に繰り返し出てきた場面で、黒髪の彼女は、四人の美女といちゃいちゃしてるとこにやってきても、嫉妬してるふうじゃなかったし。呆れてるって感じで。普通の恋人では、それはありえないんじゃないかな。恋人っていうのがどんなのだかよく知らないが、たぶん。

 ビジネスライクな関係かな。ユメの夢では秘書だったんだし。

「ボスと秘書?」

「それはわたしの夢でしょ。ここではね、なんと兄妹よ、兄妹」

 オレがはずしたのを喜んでいるのか、妙に楽しそうに答えを明かす。

「おまえがいもうと?」

「そうよ」

 彼女はにっこり笑い、笑って言ったことに自分でおどろいたように急にムッとした顔を作って、

「だからって、わたし、あなたのこと『おにいさま』なんて呼んだり思ったりしないし、あくまでこの夢の中では、ってことなんですからね!」

と、つづけた。今度は何を怒ってるんだ?

「ああ、オレも妹なんて、どういうもんだかわからないしな。おまえは兄弟がいるのか?」

「一人っ子よ。それより、あなたの調べごとはどうなったの? ここはどこ? あなた、日本から行けそう?」

 自分から話をそっちに振っておいて『それより』ってなんだよ。という言葉は飲み込んでおいたほうがいいな、怒ってる相手には。

「多分、カラクムル遺跡だ。メキシコ。サマータイムの時差で、ちょうどあのときが零時だし。で、オヤジのおかげでなんとかオレも行けそうだ。今、旅行会社」

 この手際のよさは(まあ、タカシのおかげなんだが)誇ってもいいだろう。だが、ほめてくれるようなユメじゃない。

「旅行会社で寝てるの?」

 そこにつっこむのかよ。寝ないと夢で会えないじゃないか。望んであんなとこで寝たわけじゃないし。でも、どうして寝たかを説明するとなると風見先輩の話をしなきゃならない。

「ああ。そうそう、財団が生中継で声明発表、みたいなのやってたぜ」

 話をそらしてしまった。わざわざ風見先輩のことを話すことはあるまい、と思った。なぜかな?

「ふーん」

 ユメは興味なさそうに目をそらしてオレの背中におでこを押し付けてきた。いっしょに胸も押し付けられる。ソフトテニスボールみたいなぷにょぷにょしたふくらみがふたつ、ビキニみたいな衣装の薄っぺらい布切れ一枚越しで、オレの素っ裸の背中に押し付けられるっていうのは、あんまり落ち着いていられる状況じゃないな。サイズはテニスボールじゃなくてハンドボールがふたつ、ってくらいだし。

「わたしもかならずいっしょに行くから」

 急にシリアスな口調でユメが言った。

「え?」

 意外な言葉だったので、思わず訊き返していた。

「メキシコでしょ? 空港で会いましょう。どこへつくの?」

 今度はテンション高めの、これまでのユメだ。それにしてもコロコロ変わるなあ。

 さっきの旅行会社で見た空き席を思い出す。ビザの問題がなければ、一番早いのは明日の出発だった。この夢から覚めたら、それに乗るように手続きができるはずだ。

「ヒューストンに明日の午後二時前について、カンクンへの便が四時前に出てカンクンに五時ごろつくっていう乗り換えだった」

 と、思う。記憶どおりならな。

「わかった。ヒューストンで、明日の午後二時ね」

 ジャングルの中を、馬だかなんだかわからない生き物にタンデムで跨ってする会話じゃないな。時代も場所もふさわしくない内容だ。まあ、夢の中だからなんでもありか。

 これで、この夢が本当に夢で、ユメなんか実在しなくて、勇者様も無関係だったら、オレはただのバカだな。もっともらしい夢を見て、それを信じて学校をフケてメキシコまで行こうとしているんだから。その場合でも、オヤジはへんな夢を見る男の話ってことで独占取材で勘弁してくれるかな。

「それにしても、誰か説明してくれないかなあ。今、わたしたち、どこへ向かっていて、具体的に何しようとしてるのか。普通、こういうのって、ベラベラしゃべる説明役、みたいなのが出てこない? 道化みたいなのとか、しゃべるほかに特に能がない妖精だとか」

 ユメにとっては、かなり精神的に苦痛な旅だったらしい。オレまでNPC状態だったっていうんだからな。確かに、誰かに詳しく説明してもらいたい状況ではあるな。

「何か居るんなら、とっくに出てきてるだろう。出てこないってことは、つまり、何もいないんだろ」

 背中のユメからは返事が無い。

 しかし不機嫌なオーラが漂ってくる。

 しかたないな。ここは形式だけでもつきあってやるか。

「お~い。誰か居ないか~? 居たら今すぐ出てきて説明しろ~」

 オレも、そしておそらくユメも期待していなかったのだろうが、オレのこのセリフに対して反応があった。

 オレの背中に押し付けられたユメの胸の谷間あたりから、なにかがボワン! と飛び出してきて、オレの目の前あたりの空中ではじけて、ピンクの煙があがった。

 ハンドボール大の頭の二頭身で丸顔な緑色の――竜、としか言いようがないようなものが小さな羽根をパタパタしながら浮かんでこっちを見ていた。

「参上いたしました、陛下。ポポロムめでございます」

 しゃべりやがった、こいつ。

「あんたねぇ! いまごろのこのこ出てきて、どういうつもりよ! そもそもあんたみたいなのは、呼ばれもしないのに最初ハナっからついてきて、訊かれようが訊かれまいがべらべらどうでもいいことをしゃべり続けるものなんじゃなくて?!」

 おどろいて言葉が出ないオレのかわりに、オレの右肩の下あたりから身を乗り出したユメが毒づく。

「さあ。そういうモノかどうかは存じませぬが、わたくしめが自重しておりましたのは、陛下のおおせに従いましたまででございまして。陛下から再び呼ばれるまで出てくるな、とのおおせをいただいていた次第でございます、はい」

 その二頭身の竜は、ユメの剣幕にはまったくひるまない。早口でまくしたてるように答え、最後にゆっくり「はい」と付け足して、さも、自分はゆっくりとわかりやすくしゃべっているかのような態度を取った。

 小さな羽根をパタパタと羽ばたき続けて、ふわふわと浮かびながら、こっちの進行速度にあわせて後退している。器用なやつだ。

「控えてた、って、あんた今どこから出てきたのよ」

「それはもう、妹姫様の胸の留め具に輝いております竜の涙からに決まっております」

 つまり、ユメの胸をしめつけてる極小ビキニのフロントホック的位置に留め具があって、その装飾についてるビー球大の宝石から出てきたらしい。

 夢だからなんでもアリか? これって六千年前の話だと思ってたんだが、現実じゃないのかな、やっぱり。こういう生き物って、いないだろ、普通。 

「で? おまえ、自分がナニだって主張するつもりなんだ?」

 いや、存在を面と向かって否定するつもりはないんだが、なんか攻撃的な口調になってしまった。

「それはもう、陛下のペットのドラゴンでございますです」

 それでもこいつはひるまない。軽く受け流して当然のように答える。

「ちょっとまってよ。あんた、なんで会話が成り立ってんの? この夢の中のキャラなら会話は成り立たないはずだわ」

 ユメの言うとおりだ。オレが起きている間も、夢の中のオレはNPCだったっていうんだから。

「それは、わたくしめも夢を見ているからでございます。陛下の時代ですやすやと眠っておりまして」

 あ、そうか。寝てるならいいのか。夢がつながっているってわけだな、オレとユメみたいに。

 いや、待て! よくないぞ!

「ドラゴンが!? 寝てるっていうのか?」

 ありえないだろ!

「はぁい。ドラゴンと申しますものは、眠るのが仕事のようなものでございまして、四六時中眠っているものでございますから」

 あ、いや。そういう意味の質問ではなかったんだが。

 現実世界の現代のどこかで、ドラゴンが実在してて寝てるのか? っていう・・・・・・ま、いいのか? いても。寝てるんなら、害も無いわけだし。

 とりあえず、こいつの存在は肯定しておこう。たしか、疑問に答えてくれる、ってことで出てきたんだよな。じゃあ、さっそく訊いてみようじゃないか。

「これは夢なのか? それともタイムスリップか何かなのか?」

 夢にしては、ウマもどきに乗ってる感覚もあるし、ジャングルの暑さも感じてる。ユメの胸の触感もまるで本物みたいな感触だ。だが、現実っぽくないっていうのも確かだ。

「あなたがたにとっては夢、そして過去でございます」

 質問に答えてくれるらしい。夢で、過去か。

「なんで過去で勝手に動けてるんだよ。歴史が変わっちまうじゃないか」

「未来の夢とこの出来事はつながっているのでございます。あなたがたが成すことが、そのまま過去の事実に影響を与えるものなのでございます」

 ポポロムと名乗った竜は、自慢げに目を細めた。別にこいつが威張る場面ではないと思うんだが。

「で? オレたちはどこへ向かってて、何をするんだ?」

 これが本題だ。ユメもさっき知りたがってたのはこれだしな。

「地底都市の神殿にある、悪意の『栓』の間へ向かっておいでです。この世に溜まった悪意を魔界へ『抜く』ために」

「『栓』? 剣じゃないのか?」

 微妙に話が違ってるな。

 しかしポポロムはこの時代に生きていて、現代で寝てるっていうんだから、この時代の生き証人なわけだ。言ってることに間違いはないだろう。

 財団が間違っているんだ。

「あなたって、この旅を経験済みなのよね? 夢見てる現代のポポロムさん?」

 ユメが、いやに丁寧な言葉でポポロムに話しかけた。オレの肩の横から顔をのぞかせてポポロムを見るために、かなり背中に身体を押し付けてくるので、ユメの胸のふたつのでかいハンドボール大ソフトテニスボールはオレの脇のあたりまではみ出して素肌同士が当たっている。

 顔が熱くなるじゃないか。ええと、ユメの質問の内容は・・・・・・そうか、つまりポポロムはこの時代にこの旅に同行したわけで、その記憶を持ったまんまオレたちの時代にも生きていて夢を見て、ここでオレたちと話している。だから、旅がどうなるかすでに知っているってことか。

「さようでございますね、妹姫様。しかし、さきほど申しましたとおり、夢が過去に影響を与えますので、わたしの知っているとおりに事が運びますかどうか。そもそもわたくし、最後まで旅を見届けておりませんので」

 どこかで別れたかはぐれたかってことかな。

「役に立たないわねぇ!」

 さっきの丁寧言葉は、役に立ちそうだと思ったかららしいな。役に立たないと判断したら、高飛車な言い様に戻っている。

「せめて、このあと知ってるとこまで教えなさいよ。この乗り物に乗ってどこまで行くのよ。歩いたほうがマシなんじゃないの?」

「それはご心配には及びません」

 ポポロムは妙に自信たっぷりに言った。

「どうしてよ?」

「そのウマは間もなくつぶれて動けなくなります」

「え?」

 ユメが訊き返す。

「うわぁぁぁ!」

 ポポロムの言葉が終わるやいなや、乗っていた動物がひざを折って前かがみになった。首をしならせるように大きく振って右側に倒れて、オレたちは草地に投げ出された。

「いててててて」

「んもう! こういうことを前もって教えてほしくてたずねてるのに! 役に立たない竜ねぇ!」

 その馬っぽい動物(ポポロムはウマと呼んだな)は泡を吹いて白目を剥いていた。腰の水筒の水を口に注いでやり、様子を見ていると、すこし息が整ってきたようだ。

「二人乗り用じゃなかったみたいだな」

「・・・・・・ごめんなさい」

 へたりこんでいるユメが半泣きでウマを見ていた。

「わたしが無理に乗せてもらったの・・・・・・あなたがひとりで出発しようとしたからよ! それに、その後のあなたのセリフからすると、過去の妹姫も、無理に同行して乗せてもらったらしいのよ!」

 後半は自己弁護の言葉に聞こえなくもないが、ユメはしきりに反省している様子で、単にオレが知らない情報を付け加えただけのようだ。

「ええ。そのとおりでございます。そうして二人乗りなさって、このあたりでウマがつぶれてしまいました。で、陛下は『しょうがないからこいつはここに残していこう。ここからは歩きだ』とおっしゃって」

 と、ポポロムが続けた。

「歩くの~!?」

 ユメはパタパタ浮かんでいるポポロムに非難の目を向けたが、へばっているウマの様子を見て、仕方なさそうに了解のため息をついた。

 過去の流れがそういうことなら、歩いていくか。夢で歩いて疲れるものなのかどうかは知らないが。

 先に立ち上がって歩き出そうとするオレに座り込んだままのユメが手を差し出した。引っ張り起こしてほしいらしい。手を握って起こそうとすると、頭の上あたりでパタパタしていたポポロムが声を上げる。

「おお! それそれ! このときでございます!」

 またなにか起こるのか? とポポロムの方を振り返ろうとしたとき、ユメが自分でも立ち上がろうとしたのか、急に手が軽くなって、力いっぱい引き起こそうとしたオレはユメの手を過剰に引っ張ってしまった。

 あわててユメの方を向き返ると、ユメは勢い余ってオレにぶつかってきた。顔が接近する。引っ張った勢いでオレの重心も反対側に移っていたので、彼女の勢いを受け止めきれず、しかも履き慣れないサンダルがすべって・・・・・・ユメを上にふたりで重なって倒れてしまった。

 倒れるときにユメはオレにしがみつこうとして、オレはユメを庇おうとしたので、まるで抱き合うようなポーズになってしまった。例によって、特大ハンドボール大ソフトテニスボールは、二人に挟まれてオレの胸の上いっぱいにつぶれて拡がっている。

「そう! そこで陛下のプロポーズ!」

 え? ポポロムは何を言ってるんだ? この時代のユメとは兄妹だろ?

 ユメと目が合って、ユメが真っ赤になるのと同時にオレの顔も真っ赤になっているんだろうな、という自覚があった。

「なななななな! 何言ってるのよポポロム! ばっかじゃないの、あんた!」

 ユメが素早く立ち上がって、ポポロムに怒鳴った。

「兄妹で、なんでプププ、プロポーズなのよ!」

 怒りのあまりなのか、呂律がまわっていない。

「そうは申しましても、実際、陛下はここでころんだときにプロポーズなさったのでございますよ。そもそも兄妹だとどうしておかしいのでございますか?」

 どうやら現代日本とは恋愛の習慣が違うらしい。ポポロムへの抗議はユメにまかせて、オレはゆっくり起き上がって草や土を払い落とした。

「この時代じゃ、そういうのもアリかもしれないでしょうけどねぇ、わたしたちの時代ではナシなの! っていうか、一部の人たちにはアリなのかもしれないけど、邪道扱いなのよ!」

 ユメが言う一部の人っていうのは、シスコンやブラコンのことだろうか。でも、プロポーズっていうのはないだろう。

「よくわからない時代でございますねぇ。でも、妹姫様? もともと、あなた様が陛下に言い寄っておられて、このときにやっと陛下がお応えになってくださったのですよ。妹姫様は、それはもうお喜びになられて、陛下に抱きついて接吻をくりかえし――」

 ポポロムは落ち着いた口調で、ユメの興奮の火に油を注ぎ続けている。空気読めないにもほどがあるなあ。

「ばばば、ばっかじゃないの!」

「で、そのとき、敵に囲まれてしまったのでございます」

 ちょっとまて!

 それは先に言え!

 周囲のジャングルを見回すと、たしかに怪しげな葉の動きがある!

 何者かに囲まれたようだ。

 見えない敵に向かって、とりあえず構えを取った。どう戦えばいいかわからないので、身についている柔道の構えだ。

 ユメも身構えた。ま、彼女のは戦うポーズじゃなくて、逃げ腰でオレの後ろに隠れようというポーズだ。

 まてよ。

「おい、ポポロム。この時代の陛下さんは、ここで敵にやられちゃったわけじゃないんだよな? ってことはオレが目覚めちゃって、陛下にここを任せれば大丈夫ってことか?」

 他力本願はよくないかもしれないが、ユメの身に危険が及んだらたいへんだから、最善の策を講じるべきだろう。

「この夢は過去の再現ではございません。歴史のやり直しみたいなものでございまして、あなた様のなされることが、過去の事実に影響を及ぼすのでございます。もっと、時間というものを柔軟に捉えていただきませんと・・・・・・」

 ポポロムの言ってることはよくわからないな。やり直しって、過去の結果が変わったら、現代はいったいどうなってしまうんだ?

「ちょっと待ってよ、ここでひとりだけ起きないでよ。この場を切り抜けたら陛下とラブシーンが待ってるんじゃないの? わたしそんなの御免よ!」

 ユメの抗議はもっともだが、いまはそんなことより、この危機を乗り越えることだろうよ。

 ごちゃごちゃやってるうちに、敵が姿を現した。オレと似たような格好の男が八人だ。

 手に持って構えてるのは、ありゃあ、剣って言わないのか? オヤジのやつオレにガセつかませたのかよ。マヤに剣はないんじゃなかったのか? あ、いや。オヤジが無いと言ったのは鉄器だっけ。

 まてよ、剣にしちゃ色や形がヘンだな。よく見ると先は石らしい。両手で剣のように構えちゃいるが、石製槍の一種らしい。刺されたら、かなり痛そうだな。

 柔道でなんとかなりそうな相手じゃないぞ。そもそも柔道で棒を持った相手と戦ったりしたことないし。

「ポポロム! 逃げ道とかないのか?」

 なるだけ振り向かないように、まわりの男たちに視線を配りながら、肩の上あたりを飛んでるポポロムに問いかける。ポポロムは緊張感のないしゃべり方で返事をする。

「ええ、陛下はあの折も、こんなとこで戦っている場合じゃないとかおっしゃって。まあ、こんなふうに囲まれて襲われたら、妹姫様が足手まといで、守りきれない状況だっていうことはわたくしめにもひと目でわかりましたが、そういうふうにはっきりとおっしゃらないのが陛下の優しさというものでございまして……」

「ポ・ポ・ロ・ム!!」

 殺気を込めて名を呼ぶと、さすがにしゃべりすぎと気がついたらしい。

「あ、失礼いたしました。わたくしめの視線からは、左手の木の向こうに、地底都市への入り口を示す神像が見えましたので、あのときはそう申しましたのでございまして。おお。今もちょうど見えております」

「それを早く・・・・・・!」

 前にいたやつの一人が、オレに向かって突進してきた。そいつを避けて、ユメの手を取り、ポポロムが言った方向へ駆け出す。

 そっちにも一人男がいる。

 ユメの手首を左手でつかんでいたので、右手でなにか武器になるものでも持とうと思ったが、手にはさっきウマに水をやった水筒が握られている。どうせ捨てるならと、男に向かって投げつけたら、これが効果的だった。男の顔あたりに飛んで、男が腕でかばうと、腕に当たった水筒から水が飛び出して男の顔にぶっかかった。

 男がひるんだ隙をついて横をすり抜けると、身長の二倍くらいの高さの、三頭身の神像がすぐ前にあった。

「入り口はどこだ!」

 ツタに巻かれた石の神像は人が入れる穴らしいものはない。まわりにも建物もなければ地下への入り口らしい穴や扉はない。

「ふつうは鍵となる言葉を唱えて儀式を行わなければ開かないのでございますが、陛下は正当な都市の支配者を兼ねていらしゃいますので・・・・・・」

 ポポロムの説明が終わるより早く、像の前の地面に直径1メートルばかりの黒い丸が急に現れ、オレとユメはそこに踏み込んでしまっていた。

「きゃあ!」

「うわっ!」

 黒い丸は穴だった。地面にいきなり穴が開いたのだ。まるで、地面が薄っぺらい板かなにかで、そこに穴が開いたように、穴の中は真っ黒で穴の壁の部分がない。そんな穴が地面にあるなんて、ありえないだろう。夢だからなのか?

 襲撃者たちを振り切って神像の前に駆け込んだ勢いはとまらず、ふたりで穴に落ちてしまった。


第4話 ボーイミーツガール・・・・・・ズ

 そこは、真っ暗な急勾配の滑り台だった。ユメと絡みながら、頭が下になったり上になったりしつつ、どんどんすべり落ちていく。真っ黒で壁も斜面も見えないんだが、どうやら直径1メートル半くらいの筒らしい。プールのスライダーみたいな感じなんだろう。

「このように、像の前に立たれただけで、その意図を読んだ像が地底都市への通路を開くしくみでございまして、入り方を気になさる必要はないのでございます」

 ポポロムは、オレたちのやや後ろを飛んでついて来ているらしい。やつは、この暗闇でも壁が見えていてぶつからないように飛んでいられるんだろうか。

 ポポロムに向かって、肝心なことを先に言え、と、怒鳴りたいが、しゃべると舌を噛みそうだ。

 両手両足を突っ張って、なんとか転がるのを止めないと。

 パイプ状の滑り台には、つかまる手すりなどはないようだが、突っ張った手足と壁の面とのまさつで姿勢を調整し、なんとか身体を安定させた。

 でも、頭が下になってる。しかも、顔の前あたりにユメのお尻が乗っかっていて、ユメはまだ安定できずに動き回るので、そのお尻が何度も顔に押し付けられる。

「こ……こらっ、プ! ポポロム! この下はどうなって……! 最後は、安全な終わり方なんだろうな」

 このスロープが永遠に続くわけはない。どこかで終わるはずだ。今、この瞬間に終わるかもしれない。でも、オレには終点は見えないからポポロムに訊くしかない。

「きゃあっ! こら! マコト! お尻触るなっ!」

 突っ張っているオレの右手に、転がり続けているユメのお尻が当たったらしい。

「さわってねぇ! ……ップ!」

 答えようとすると、今度は顔に当たった。

「おや、陛下。やはり足を下にしてお滑りになられるのが懸命かと。そのままでは頭を床にぶつけて止まることになりますよ」

 どうやら終点にクッションがあるわけじゃなさそうだ。いつ終わるかもわからないから、身構えることもできない。まだ、もうちょっと続いてくれよ。右手と右足だけ突っ張るのをやめて、身体を回転させようと試みる。ユメの身体が大きく跳ね上がって、その拍子にうまくオレの身体が回った。

 滑りながら跳ね上がったユメが落ちてきて、オレの腹あたりに跨る体勢になった。ユメの大きな胸が顔を挟み込んでポポロムが出てきた装飾具が額あたりに押し付けられる。

 やわらかい胸が顔を包み込んで、鼻も口もふさがって息ができない。

「まもなく終点でございます、陛下」

 ポポロムがめずらしく、的確なタイミングでアドバイスを出した。

 今、足の先の方を見たら、ひょっとしたら出口が見えたのかもしれないが、ユメの胸のぷにゃぷにゃでオレの視界は完全にふさがれている。

 唐突に斜面の角度が変わった。なだらかになり、ほぼ水平に近くなった感じだ。

 世間一般の公園にある滑り台と同じなら、この先で途切れているはずだ。

 途切れた瞬間に反応して足を下ろせば立てるはず。あ! だがそうしたらオレに乗っかってるユメは踏ん張ることもできずに前方にそのまま背中から飛んでいってしまうじゃないか!

 とっさにユメの身体をぎゅっと抱きしめた。むき出しの背中を両手の手のひらで押さえたとき、滑り台の終点がきた。身体が宙に浮く。飛んでいるように感じたのは、実はほんの一瞬で、すぐに平らな面に足がつく。

 勢いがついていて足がすべる。身体が前に向かって慣性で進もうとして、足より前にいってしまう。

 ユメが飛んでいきそうになるのを必死に抱きとめて、両足の指で前のめりにならないように踏ん張る。

 なんとか止まった。

 今度の心配は、ユメの怒りだ。

 抱きしめて、彼女の胸を顔に押し付けさせてたんだからな。

「っぷ。ユメが飛んでいっちまうと危ないから、抱きとめてたんだぞ! 決してへんなこと考えてたんじゃなくて、とっさに……」

 ユメの胸から顔を離し、とりあえず言い訳をする。ユメの腰あたりを支えて、ゆっくり地面に降ろしてやる。地下深くだが明かりがあるらしく、ユメの顔が見える。

 あれ?! ユメがいつの間にか黒髪ショートボブで黒い瞳に戻ってる!

 どういうことだ?

 しかも、なにより面食らうのは……笑顔だ?

 にっこり笑って、オレの首にしがみついてきた。

 げげ! キスしようとしてる!

 いくらカナダへの留学生っていったって、日本人なら日本の風習くらい覚えてろよ! 日本人は恋人でもなきゃキスなんてそうそうするもんじゃないぞ。

 顔を左右にそらして、なんとか避けるが、ユメのやわらかい唇が、ほっぺとか口の端とかに当たる。

 オレがユメを守ろうとしたことをわかってくれて、感謝の印なんだろうか?

「おにいさま。わたしと結婚する気になってくださってうれしいわ。ウフフッ」

 え? あ、『おにいさま』ってことは、これはユメじゃない。ユメは起きちまったんだ。これはNPCの妹姫だ。

 な~んだ。

 あ、いや。残念とかじゃなく、納得っていう意味だぞ。

 黒髪黒目のショートボブは妹姫なんだ。生まれ変わりのユメは夢の中でも金髪碧眼で巻き毛なわけだ。

 石のテラスつきの部屋で手をつないで夢がつながったときから見えていたのはユメの姿で、ユメが目を覚ましたから、今見えてるのは妹姫の姿ってわけか。

 妹姫は、身体をぴったりくっつけてきて、隙あらば、キスの雨を降らせようという構えだ。

 なんとかかわそうと、あたりの様子を見るように首を回す。

 そこは洞窟の行き止まりで、むき出しの岩の壁と天井だったが、足元だけ四畳半ほどの広さの四角い平らな面があった。オレたちが降りてきた滑り台の終点らしい黒い楕円形が、異次元に開いた穴のように、その上に浮かんで見えていた。ポポロムはその横でパタパタ飛んでいる。

 光源が何かわからないが、あたりはたいまつで照らされてるくらいの明るさはあった。いや、たいまつの明かりがどれくらいかなんて知らないが、RPGでよくある洞窟の明るさだってことだ。

 右手に洞窟がつづいている。あちらに行くしかないようだ。

 とりあえず迷わなくて済むってことだな。

「ポポロム、この入り口、塞いでおかないとやつらが追ってくるんじゃないのか?」

「それはご安心を。やつらは鍵の言葉を知っていても、正式な儀式を行わなければ入ってこれません。まあ、35分は先でございましょう」

 ポポロムの声は日本語に聞こえるが、多分ユメのときと同じで、しゃべってるのは別の言語なんだろう。アバウトな話のくせに35分っていう半端な数字なのは、言語が違うからだろうな。7分くらいが一単位の時間が5つ分とかなんだろう。欧米の人が『1マイル』とアバウトな距離を言ったのを直訳したら『1.6キロ』と細かい距離を言ったように聞こえるのと同じようなもんなんだろう。

「もっともそのまま陛下がそこに立っておられると、入り口は開いたまんまでございます。まず、その場所をお離れください」

 また、大事な話を後にしやがったな。さっさと四畳半ほどの平らなところを離れると、上に浮かんでいた黒い楕円形の穴が消えた。オレの存在が入り口を開くカギになってるということなのか。ポポロムの話のとおりなら、やつらがこの入り口を開くには儀式の時間が必要だってことか。

「おそらく、入り口の神像の前で待ち伏せていたのでございましょう。数ある神像のうち、陛下があの神像にたどり着いたのは、ウマの体力を心配なされた陛下が、手近なところで地下へ入ろうとなさったからで、たまたまということでございましょうから、ほかの神像でも待ち伏せがあったのでございましょう。とすれば、やつらは、あの人数で追ってくるのではなく、この入り口から陛下がお入りなったことを、ほかの地上のものたちに知らせて、この先地下で襲ってくるつもりでございましょうな」

 くわしい解説ありがとうよ。っていうか、おまえ、それを経験して知ってるんだろ? このあとやつらが呼んできた仲間たちに襲われるわけだ。

 それにしても、ユメはまだカナダでの朝じゃないだろうに、一人だけ起きられると残ったほうはたまらないな。旅の出発のときは、逆の立場で、ユメが残されたわけか。ユメの不満ももっともだなあと、自分がその立場になってよく理解できた。オレの場合は、まだポポロムが話し相手にいるからマシなわけだし。

 あ、起きるっていえば、オレだって、旅行会社でいつまでも寝てられないぞ。

「おい、ポポロム。これ、どうやったら目が覚めるんだ?」

「さあ。 わたくしめは眠りっぱなしでございますので、まったく起き方は想像もつきません」

 こいつ、六千年も眠りっぱなしなのか?

 いや、そんなこたぁ今はいいや。目を覚ますことに関してはポポロムは当てにならないようだから、自分で考えよう。

 ええと、学校で目覚めたときは、たしか、侍女たちのとこで須藤エリが迫ってきて、例の香りを感じたときに目が覚めたんだ。

 妹姫でも香りがするのかな?

 これは、別に邪な動機じゃないぞ!

 目を覚ますためだ。うん、それだけだからな。

 妹姫は、まだラブラブモードのようだ。こっちから避けないかぎり、勝手に擦り寄ってくる。

 顔が近付いてくる。

 ユメとそっくりなので、変な感じだが、この娘は別人だぞ。起きるためなんだ。

 目を閉じて、精神を落ちつけて……目を閉じたら無防備だからキスされるのかな? 想像しただけで、頬が焼けるように熱くなった。

 あわてて目を開けようとしたとき……あの香りに包まれた。


 はっ、と気づくと体勢が変わっていた。

 旅行会社の休憩席で半分立ち上がった体勢でのけぞってるオレに、覆いかぶさるように迫ってきているのは、妹姫じゃなくて学園のマドンナ、風見先輩だ。サラサラの長い黒髪が触手のようにオレにまとわりついてくる。まとわりつく、というと不快な感じがする表現だが、この黒髪は、触ると愛撫されているようなゾワゾワ感が・・・・・っていうのも不快な感じの言い回しだなあ。とにかく、誘惑されてるようなヤバイ感じがするのは確かで、思わず腰が引けてしまう。

 今度もこっちでは、一秒も経っちゃいないらしい。

「か、風見先輩。オ、オレ、カリブの海賊じゃ、ないっス」

 なんとか発したその言葉が、まるで彼女にかかった催眠術を解くキーワードだったかのように、風見先輩は正気に戻った。科学準備室の須藤エリのときと同じだ。

「夢でも?」

 さっきまでのような甘い口調ではなくなっていた。

「は、はい……夢でも」

「……そう。そうなの……ゴメンなさいね」

 風見先輩はあっさりとオレから離れて、クルリと向きを変えると、なにもなかったように旅行会社の出口の自動ドアをくぐって出て行った。

 危機からの脱出か、それとも、役得を逃したのか。簡単に普通に戻るんだったら、もうちょっと後でもよかったかもしれない、と思うのは男子として当然なんじゃないかなあ。

 微妙なところだが、まあいいや。

 とにかく望みどおり目を覚ますことができたんだから、メキシコ行きの手配のために、さっきの窓口の人に事情を話して、家へ一度戻らなくちゃな。神棚の下の引き出しだっけか。



 不思議なことに、一度家に戻って再訪問し手続きを済ませて旅行会社から帰った晩も、成田からヒューストン空港への飛行機の中でも、眠ったんだが夢は見なかった。

 いや、普通の夢は見たような気がするが、よく覚えていないっていう、普通の眠りだったんだ。

 あの夢が病気かなにかなんだったら、治ったってことになるんだろうな。

 目が覚めるたびに不安になってくる。あの夢は、夢だったんじゃないだろうかって。

 あ、夢は夢か。つまり、ただのよくできた夢なんじゃないかってことだ。

 何事も無く、飛行機はヒューストンに到着した。

 航空券はカンクンまで買っちまってるし、ヒューストンまで来ちまったんだぞ。いまさら、ただの夢でしたで済むかよ。

 勇者様って話もなけりゃ、ユメも実在しないとしたら、何しにこんなとこまで来てるんだ、オレ。

 ユメとは、ちゃんと待ち合わせしたわけじゃない。ヒューストンで午後二時に会おうって約束だけだ。

 だだっ広いヒューストン空港のどこで会うっていうんだ。

 こっちの乗り換えの便を伝えているが、むこうがどの便でカナダから来るのかは聞いていない。

 たとえ聞いていても、異国の空港でユメが降りてくるところを待ち構えるなんていう芸当はできなかっただろうけどさ。

 会えるかどうかは、ユメまかせだな。

 英語の案内図によると、この空港、ターミナルがAからEまで五つもあるらしい。そもそも名前はヒューストン空港じゃなくて昔の大統領の名前みたいだが、あの旅行会社の窓口さん大丈夫なのか?

 こんなに広くて人が多い場所じゃあ、オレが午後二時前の成田発ヒューストン着って便から降りるところか、午後四時前にヒューストン発カンクン行きの便に乗るところでユメが待っていてくれないと、会える道理がないぞ。

 ターミナルの高い天井を見上げ、ぐるりとあたりを見回す。

 今、見えてる人間だけで、千人は居るんじゃないかなぁ。

 この中からユメをみつけられるのか? あっちがこっちをみつけてくれる可能性のほうが高いか? 日系人らしいのや日本の観光客っぽいのも居て、あんまり目立たないと思うぞ、オレ。

 ユメが夢の中で見たオレはタキシード着た実業家姿か、半裸の勇者様なわけで、ジーパン姿の今のオレじゃない。彼女が顔を覚えてくれてりゃあいいが、ユメの夢に出てきたオレの顔が本物どおりなら、だな。ユメと妹姫は髪型や髪の色だけじゃなくて顔つきもちょっとだけちがうような気がする。オレはユメから、どう見えていたんだろう。今のオレを見て、夢で会ったマコトだってわかってくれるのかな。

 それもこれも、彼女が実在してるとしての話だ。いや、ここまできたら、そこんところは信じるしかないんだが。

 とりあえず、ユメは日本語が話せるんだから、ここで日本語で大声で呼びかけたら、彼女が聞きとってくれるかもしれないな。

 なんて言おうか。

 名前を呼ぶか? ユメ~って? 『You may!』って叫んでると勘違いされそうじゃないか? ええと、どういう意味になっちまうんだっけ。わかんないが、この叫び方はあまりよくないようだな。じゃ、こっちの名前を叫ぶかな? マコトだ、ここにいるぞ~って。

 そうだな。それが無難か。

 息を大きく吸い込んで、自分の名前を叫ぼうとした瞬間、後ろからドスンと人がぶつかってきて、思わずよろけて、ためこんでた息をぜんぶ噴き出してしまった。

「プハッ!」

 なにがあったのかとふりかえってみると、だれもいない。

 いや、いた! 下だ。

 オレより頭一つ低いところに、黒いショートボブの頭があった。

 大きなサングラスで顔を隠し、コートの襟で顔を隠してるワリには目立つ真っ赤な唇。黒のショートコートを着ていて、コート越しにも大きな胸が、その存在を主張している。

 ユメだ!

 本物だ! ほんとに居たんだ!

「ユメか?! おまえ、なんで黒髪なんだよ!」

「シャラップ!」

 黒いレース地の手袋をした小さな手で、口元を隠すような気取ったポーズをとりつつ、オレの方はわざと見ないでユメが言った。

 黙れって?

「こっちを見ないの! 他人のフリをしなさい!」

 今度は日本語だ。

 語気は強いが、周りに聞こえないようなヒソヒソ話用の声だ。

 いったい、なんなんだよ。

 腰を曲げて、ユメの顔の前に顔を持っていってサングラス越しに覗き込もうとすると、ユメはさらに顔をそらす。

「見ないで、って言ってるでしょう!」

 うわ! なんて裾が短いワンピースを着てるんだ。真っ赤でドレスみたいなやつ。黒いコートもミニなのに、それよりも短い。で、そのミニから伸びてる足は、黒い網柄のタイツに包まれてる。ふくらはぎからふとももにかけて、なにやら花のような模様がタトゥーのようにあって、やけに色っぽいタイツだ。

 とどめは黒光りするハイヒールなんだけど、それを履いててもオレより頭一つ以上低いんだな。

 こういうファッションが流行りなのか? 色気が売りのアイドルのステージ衣装みたいじゃないか? オタワだっけか? そういう流行なのか?

 彼女が見るなと言ってるのに、じろじろ見続けてると、はじめて彼女がこっちを向いた。

 というか、怖い顔で睨んでいた。

 はいはい。他人のフリだったっけか。

 彼女の言うとおり、彼女に背を向けて、天井を見回しながら口笛を吹く。

「そこまでわざとらしくするもんじゃないわよ・・・・・・」

 背中合わせに立ったまま、ユメがグチるように言った。

「どういうことだ、ユメ。なんでブロンドじゃないんだよ」

 振り返らないようにひそひそしゃべるっていうのも難しいな。

 だだっ広いフロアの真ん中で、行きかう旅行客の中で、背中合わせに立ってるっていうのは、他人のフリっていうより旅先で喧嘩したカップルみたいなんじゃないかな? 立ち止まってスマホや旅券を確認している人や、立ち話している人たちはほかにもいるが、オレたちみたいに背中合わせにヒソヒソ話しているのはいないよな、当然。

「あなたを驚かそうと思って用意してたウィッグなんだけど、この空港についたら、カナダからのブロンド娘を張っている黒服がいるじゃないの。あわてて変装したわけよ」

 黒服?

 言われて見回すと、あ、いた。メン・イン・ブラックかどっかのSPみたいな、黒の上下にサングラスの二人組が、きょろきょろあたりを見回しながらターミナルの中を走り回ってる。ブロンドの若い女性の前に回りこんでは顔を確かめてるようだ。

「何やってるんだ? あれ」

 人探し? 知ってる顔のブロンド女性を探しているってことになるのか?

「あの二人に見覚えない?」

 見覚えと言われても、あいつらサングラスかけてるし――あ! また、あのフラッシュバックだ。ジャングルの遺跡を見てたときのように、今見ているふたりの姿と、夢の中でのやつらの姿が、パパッと切り替わって見えた。

「地下への入り口で待ち伏せてたやつらの中にいたやつか・・・・・・」

 神像の近くで待ち伏せしていたやつらだ。

「あなたも見えた? 便利よね。でも、やつらもわたしたちを見たら、ああいうふうに夢の中の姿がダブって見えるんじゃないかって、思わない?」

 それはそうだな。

 しかも、六千年前は妨害する側だったやつらなんだから、現代でもあまり味方だと期待しないほうがよさそうだ。

「やつら、どうしてここで待ち伏せてるんだ?」

「あなたがベラベラだれかれかまわずしゃべったんでなければ――」

 そんなことしてないって。

「あのときの神官よ。財団の代表者。あのテラスで、あいつ、実は寝てたんだわ」

 寝てたから聞かれた、っていうのもへんな話だが、つまり、あの夢の中でNPCとしてじゃなく、現代の財団の代表者が意識を持っていたってことだ。NPCのフリをしてふたりの会話を盗み聞きしたんだ。

 こりゃあ、完全に財団は敵だな。あの時代でも、あの神官は敵ってことか?

「あいつの前で何を話したか覚えてる?」

 と、ユメが言った。夢の中のことだが現実みたいにちゃんと覚えてる、と言いたいところなんだが、どの場面でどんな会話をしたかまで、現実でもちゃんと覚えていられるもんじゃないぞ。

「って言われても、夢だしなあ」

と、夢のせいにすることにした。

「ん! もう! だめね! あのときわたしたち遺跡を見て、マヤだって言ってたでしょう? そして、ユメとマコトだって名前を教え合った。時差の話をして、あなたが日本の学生でわたしがオタワだって言ったんだわ」

 そう言われると、そうだったような気がする。

「よく覚えてるなあ」

 ユメのほうがあのユメで長くすごしたはずだが、そのユメの冒頭部分をよくそこまで細かく覚えているもんだ。

「そのあとは部屋に戻って神官とは離れた場所で話したし、ヒューストンでこの時間に待ち合わせるって話はジャングルの中で話したから聞かれてないはず。だからやつら、多分、カナダと日本から、メキシコかグアテマラへ向かう便を手分けして見張ってるのよ」

 ジャングルの待ち伏せのときのように、可能性がある場所と時間に片っ端から待ち伏せてるってことか。あのふたりを見ただけで、そこまで考えられるなんて、記憶力もいいし、頭も切れるんだな、ユメは。なんか、オレひとりバカみたいじゃないか?

「で、これからどうする?」

 背中合わせのまま立ち話してるのも不自然だから、やつらから目をつけられない場所に移動しなきゃ。

「やつらにみつからないように、メキシコ行きに乗るのよ! 離れた席に座るようにしましょ」

 ちょっと残念な話だな。せっかく逢えたのに。オレが何と答えたらいいか考えてモタモタしていると、ユメは続けて言う。

「わかった? ここからわざと別々に行きましょう」

 そして、言い終わるよりも早く、彼女は大きな旅行カバンを片手で引き、カツカツと秘書っぽい足音を立てながら歩き出していた。

 スーツ姿なら、それも似合うかもしれないが、真っ赤なミニドレス着てるときの歩き方じゃないんじゃないか? ほらほら、なんか周りの視線を集めてるし。

 って、やばい! 例のメン・イン・ブラックのふたりも彼女の方を見たぞ!

 ひとりが彼女を指差した! やはりやつらもフラッシュバックが見えたのかもしれない。

 黒服のふたりは、旅行客たちの間を縫って、彼女に向かって走っている。かなり確信持って彼女を追っているようだ。どうやら、もう、ブロンドかどうかなんかじゃなく、フラッシュバックで彼女が妹姫だってわかってしまったんだ。

 あれこれ考える前に、オレもユメを追って走り出していた。

 走り出してから考える。

 どうするんだ、オレ。

 ユメをつれて走って逃げるか?

 でもここはまだメキシコじゃない。この空港で、飛行機に乗らなきゃいけないし、搭乗手続きも待ってる。手続きの列に並ばなきゃいけないんだから、この場を逃げ切っても、また追いつかれるのは確実だ。

 ええい! とにかく、ここで彼女が捕まっちゃだめじゃないか! あのふたりが、夢の中では、あの神官の手先で勇者を妨害する敵だとして、現代でも同じように、あの神官が代表者やってる財団の一味で、財団がオヤジが言ってたとおりワルなら、つかまったらユメは無事じゃすまないぞ。

 やつらの方が、先にユメのところにたどり着いた。

 ユメの前後をはさむように立ちふさがる。ユメは、前をふさがれたのに気付いて振り返って逃げようとして、後ろのやつを見つけ、立ちすくんでいる。

 ユメが意を決したように、眉を逆八の字にして、カバンの取っ手を握りしめ、ふたたび前を向こうとしたときにオレがユメの側にたどり着いた。

 両手を広げて、とりあえずユメと前方の黒服の間に入ってユメを庇うポーズを取る。

 ユメはオレが来なかったら、何をするつもりだったんだろう。ひょっとして、旅行カバンで殴りかかるつもりだったんじゃないだろうか。

 黒服は、オレの登場に驚いていた。サングラスで表情はわからないが、身構えて少しひるんだようだった。

 多分、フラッシュバックで勇者のオレがダブって見えたんだ。

 勇者を前にした一般兵士の感覚に戻ってひるんだんだろうが、それは一瞬だった。

 なにしろ、あの夢ではオレと同じぐらいだったふたりの体格は、現代ではあきらかに重量級で、柔道の大会を控えて軽量級から軽軽量級にダイエット中のオレよりは、ふたまわりほど大きかった。

「バカじゃないの?! あなたまで来ちゃって、どうするのよ!」

 ユメは頭っからオレのことを非難した。

「ふたり揃って行かなきゃ意味ないだろ!」

 いっしょに行くって言い出したのはユメじゃないか。

「なに言ってんのよ。あなたさえ行ければいいのよ!」

 そりゃ、そうかもしれないが、ほっとけないだろ。

 肩越しに言い合っていると、前のやつが口の端で笑いながら迫ってきた。後ろのやつも迫ってくる気配がある。

 体格差に油断しているところがチャンスだ。ひとりなら、なんとか!

 前のヤツがオレにつかみかかろうとするタイミングを計って、懐に飛び込んで体をねじる。

 払い腰!

 ワザは身体が勝手に選んでいた。ユメに当てないように横方向に向けて投げる。黒服のでかい図体が宙を舞ってぐるりとさかさまになり、両足が上を向いて伸びたまま、背中から硬い床に落ちる。

 硬いもの同士がぶつかる音がした。

 こいつ、受身取れなかったんじゃねぇか? こんな床のとこで受身も取れずじゃ、大怪我するぞ。

 敵の身を案じてる場合じゃない。もうひとりを睨むと、驚いているようだが、すぐに身構えた。

 もう油断は期待できない。

「ユメ! 走れ!」

 ユメの手を引いて、前方へ走ろうとする。後のことは後で考えるとして、今はとにかく逃げるんだ。

 しかし、二歩も進まないうちにユメとオレの腕が伸びきって、足が止まってしまった。ユメが反対の手で持っているカバンを、後ろの黒服が両手で押さえて睨んでる。

「ユメ! カバンを放せ!」

「だめよ! パスポートはこの中なの!」

 そんなものいいから、と言えるものじゃないな、パスポートは。仕方ない、後ろのやつもなんとか投げ飛ばすしかないな。現代で柔道やってるやつじゃなきゃいいが。体格差ありすぎだぞ。

 カバンを押さえているやつの横で、さっき投げ飛ばしたやつが、上体を起こして首を振ってるのが見えた。大怪我じゃなかったらしい。丈夫そうな体格のおかげだな。さあ、形勢はどんどん不利になりつつある。

 そのとき、大声コンテストで優勝しそうなほどの声量で、黄色い悲鳴が上がった。 

「きゃ~~~~~~~~っ!!」

 ユメじゃない。離れた横の方からの声だ。

「おまわりさ~ん! 暴漢よ! あのひとたち旅行者を襲ってる!」

 若い女の甲高い声。日本語で叫んでる。

 そしておそらくそれを英語に同時通訳している大人の男の声がする。

 声の方向を見ると、若い女性がこっちを指差していて、そのとなりのオッサンが通訳して大声出しているんだ。

 その声に呼ばれてか、制服の警官らしいのがふたり走ってくる。

 黒服たちはそれを見て、ふたりで顔を見合わせ、この場を逃げ出すことにしたようだ。

 やつらはユメのカバンから手を離して、警官と逆の方向に駆け出した。

 警官は、オレたちの横を駆け抜けて、ふたりを追っていく。

 オレたちを救ってくれた声の主の方をふたたび振り返ると、こっちに歩いてきてるところだった。

 ほとんど脚が付け根までむき出しのホットパンツに、薄手のゆるゆるTシャツ。むき出しの両肩を日差しから守ってくれそうなほど大きなピンクの麦わら帽子。

 その女性は薄い色のサングラスをかけてる。近くに来ると、レンズが透けて顔が見える。その笑顔には見覚えが・・・・・・。

 なんと、グラビアアイドルの島崎レナじゃないか! 夢の中の侍女のひとりだ。

「あら! やっぱりあなたマコトさんじゃない! ほんとにいたのね!」

 彼女はオレの首に抱きついてきた。

 上半身をオレに、ぎゅっと押し付けてから、オレの首の後ろで手を組んだまま身体を離し、オレを見つめながら微笑んでいる。

「なんて偶然? 運命かしら? それともわたしに会いにここまで来てくれたの?」

 どうやら彼女も、夢でオレを知ってるらしい。

「ちょっと、ちょっと。女性連れの男に、なになれなれしくしてるのよ。たすけてくれたことはありがたいけど」

 ユメが怒ってるようだ。首だけ回してユメの方を見ると、黒髪のかつらを取って、ブロンドの髪を振って整えながら、自分のほうがグラマーだってことを誇示するように胸を張って、島崎レナを睨んでる。

「あら、日本語ペラペラなんだ」

 島崎レナが、オレの首にまわした腕をほどきもせず、ユメを見下ろしながら言った言葉は、おそらく、最悪の応えだった。


第5話 そういうことは先に言え


 親がふたりともハーフで、遺伝子的には日本人が半分のはずのユメは、容姿が完全に外国人だってことにコンプレックスを持っていて、日本語しかしゃべれなかったのに英語で話しかけられるもんだから、いっそのことギャップを埋めるためにっていうことで語学留学している。日本語がペラペラっていうか、日本語しかできなかったんだからあたりまえなんだが、そのことを感心されるのは、たぶん今でもかなりいやなことなんだろう。黒服から救ってくれた相手なのに島崎レナの顔を見ようともせず、完全にそっぽを向いてしまっている。

 黒服のふたりは、逃げていってしまって、追っていった警官も帰ってこない。黒服が空港の警官に捕まって取調べを受けているのか、それともまだ逃げ回っているのか、どっちかわからないが、とにかく、もう現れないんじゃないかな。

 島崎レナは、夢の中のようにオレの腕にからみついてきて、にこにこしてる。助けてもらった礼を、ちゃんと言いたいんだが、そのスキさえ与えてくれない。いっしょにいたオッサン――彼女のマネージャーさんらしい――は、周囲をきょろきょろ見回しながら、額に汗を浮かべている。

「レナちゃん、まずいって。ここは目が多いから。旅行客には日本人も多いようだし、キミはアメリカでも認知度上がってきてるんだから、写真撮ってネットにアップするようなのが、いるかもしれないんだよ!」

 盗撮されてアップされるのを警戒してるらしい。昔ほどではないんだろうが、アイドルはやっぱり恋愛タブーってとこがあるからな。

「だってタムラさん、彼なのよ。ほら、言ったでしょ。ずっと夢に出てきてるわたしの彼氏。やっぱり実在してたんだわ」

 彼女は夢の話を田村さんとかいうマネージャーさんにしているようだ。

「か、彼氏だなんて、大きな声で、困るよ。キミは今が一番大事なときなんだからね。もっと同性からの支持が高くなってきたら、恋の話もプラスになる場合があるけど、今はだめだよ、ダメ」

 へぇ~、そういうもんなのか。と、オレが感心してる場合ではないな。

「あ、あの、助けてくれてありがとな。だけど、ゆっくり話していられないんだ。オレたちこれからメキシコ行きに乗り換えで、さっきのやつらとか、その仲間とかが戻ってくるとヤバいんだよ」

 オレの腕にしがみつくようにして、こっちを見上げる彼女の顔との距離は、10センチもありゃしない。グラビアで見慣れた顔が目の前でにこにここっちを見てるとドギマギしてしまうじゃないか。

「あら、わたしたちもこれからメキシコよ。カンクンのリゾートでカレンダー撮影なの。一年中、水着姿のカレンダーって、どう思う?」

 ど、どう思うかと訊かれても、カレンダーの論評なんてしたことないし。どうやら彼女自身は水着ばかりなのが不満らしいが。

「レナちゃん、そのことはちゃんと話したじゃないか。去年発売の今年のカレンダーはグラビアアイドルでベスト3に入ったんだから、今年も去年の路線でトップをねらうっていう方針に決定したんだってば。今度のドラマとか、二本目の映画とかで女優業が軌道に乗ったら、一年後のカレンダー撮影は、季節に合わせた衣装になるよ。着物とかワンピースとか。ま、夏はビキニだろうけどね」

 田村さんは、彼女の機嫌をなだめようとしゃべりっぱなしだ。その間島崎レナはオレにくっついたままだ。これって、ユメは怒ってるんじゃないのかな。デレデレするな、とかって。

 ユメのほうに目をやると、彼女はサングラスをちょっと下げて、青い瞳でオレをギン! とにらみつけると、軽蔑したような顔をして、プイっとそっぽを向き、カートカバンを引いてひとりでズンズン行ってしまった。

 やっぱり、なんか怒ってるようだな。

 島崎レナに日本語の件を言われたからだろうか?

 あれで、島崎レナに対して反感を抱いちゃったか。

 で、オレが島崎レナのデレデレを放置しているのが気に食わないようだ。しかし、危ないところを助けてもらった恩人なんだから無碍にもできまい?

 ユメはひとりで先に搭乗手続きを済ませてしまったらしい。

 オレと島崎レナたちは、便が同じだとわかっていっしょに手続きをした。

 そういうわけで、飛行機の中の座席は、三人掛けの座席の左端窓際にマネージャーの田村さん、真ん中に島崎レナで、通路側がオレになった。着席してみると、ユメはオレの四列前の席に座っていた。

 飛行機がゆっくりと動き出して滑走路へ向かい始めると、飛行機に乗り込むまで、自分のことをしゃべりっぱなしだった島崎レナが、質問に転じた。

「ねぇ、ねぇ、わたしのことばっかじゃなくてマコトさんのことも教えて? だって、わたしのことは雑誌とかにも載ってるんだし、知ってくれてるんでしょ? わたしは夢の中のマコトさんしか知らないんだもの。マコトさんの夢にもわたしが出てくるのよね?」

 手すりとベルトがなけりゃ、べったり覆いかぶさってくるんじゃないかというほど、島崎レナはオレにくっついてきていた。通路側に身体をそらして避けるんだが、限界がある。

 ええと、質問はなんだっけ? オレの夢に島崎レナが出てくるかって? ああ、夢にレナは、出てくるぞ。

「うん、ああ・・・・・・」

「うわぁ! やっぱりそうなんだ! 同じ夢を見てるんだ!」

 いつもグラビアとかでしか見てない女の子が、目の前に、というかべったりくっついてきてるっていうのは、不思議な感じだ。感触はあるから現実なんだろうけど、妙に実感がない。常識的に考えたら、ありえない状況だものな。

「あ、いや。多分、微妙に違ったりするんじゃないかな」

「あ、そうよね。ほんとの夢っていうのがあって、すこしずつ違って見てるって話よね」

 オレの視界のほとんどを島崎レナが占めている状態なので、どうしても彼女の姿が目に入る。う~ん、本物だよなあ。本物の島崎レナが『マコトさん』って呼びかけてきてるんだなあ。

 本物って、グラビアのとおりのプロポーションでそのまんまの笑顔だ。写真に修正なんてかかってないんだな。夢でもそうだったけど、本物もそうなんだ。

 ぞくっ!!

 首筋あたりに異様な気配! 殺気?!

 座席の前方に視線をやると、四列前の座席の背もたれからブロンドの頭がこっちを向いてはみ出してる。

 ユメが恨めしそうに睨んでるんだ。

 鼻から上をシートの背もたれの横から通路に出して、こっちを睨んでる。オレの上体は、迫ってくる島崎レナを避けて通路に反り出している状態だから、ユメの顔は正面に見える。

 オレと目が合うと、ユメの頭は、つつつーーーと、シートの背もたれの縁を沿って上にあがっていく。ろくろ首のような動きだ。しかも睨んでるし。

 背もたれの角までくると、進行方向を九十度変えて、上の辺に沿って横に動いていく。そしてシートの中央まで来たところで止まって、さらに強くこっちを睨んだかと思ったら、すっ! と頭を引っ込めてしまった。

 ユメは身長が低いから、おそらく、上から頭を出していたときは、床に立ってるか、シートにひざをついていたんだろう。ベルトはどうしてたんだか。もう着用サインが出てるんだぞ。

 頭を引っ込めた今は、ちゃんと前向いてベルトして座ってるのかな?

 んなこと考えてると、島崎レナが、オレのあごを指先でひっぱって自分の方を向かせた。

「ねぇ、彼女のことが気になるの? 彼女、なあに? つきあってるふうには見えないけど、幼馴染み? いとこかなにか?」

 そんなふうに見えるのか。

 実は、現実では今日空港で会ったばかりなんだよな。まだ一時間も経ってない。

 その前に夢で会ってるっていったって、その時間だって全部あわせて一時間くらいだ。

 でも、なんだか、ずっと組んでたパートナーみたいな感じが、たしかにある。六千年前の兄妹だった記憶が、どっかにあるんだろうか。

「あ、いや。会ったばかりで」

「な~んだ、そうなんだ。彼女が『連れ』だなんていうから、心配しちゃったわ」

 なにをどう心配したのか、島崎レナともまだ会ったばかりなんだし、夢で話したわけでもないんだが、オレに気があるってことか?

 あ、そうか。風見先輩と同じなのなら、島崎レナの夢の中では、オレと彼女は親しく話もしてるんだ。彼女の夢とはつながってないから、オレが内容を知らないだけで。

「あなたって、夢のとおりね」

 いや、だから、その夢知らないって。

「わたしのこと好きなくせに、ベタベタするとイヤがるのよね」

 たしかに、グラビアとかで見て、笑顔がいいなあと思ってたわけだが、好きとかファンとかまではいかないぞ。うん、そうだ、そうだよな。

「根っからの冒険者で、ヒコーキ野郎で」

 どういう夢だよ、それ。

出資者パトロン貴族の娘であるわたしのことは、眼中にないぞ~って、あれ、ポーズなんでしょ?」

 グラビア界のトップアイドルとかって、みんなこういう自己中で自信家なのかね。カメラマンとかにちやほやされてそうなっちゃうのか、元々そういう娘がなるものなのか。

 まあ、今彼女がしてるのは夢の中の話だから、仕方ないのか?

 オレはパイロットで冒険者っていう夢なのか。冒険のために貴族であるレナの父親から出資してもらってるという(だけの)関係で、彼女の片思いなんじゃないのかな、それって。『彼氏』だっていうのは、貴族のお嬢様の勝手な思い込みなんじゃないかと思うぞ。

 う~ん。本当の夢との共通部分は、オレが冒険に出かけて、彼女がそれを見送るっていう立場だってとこなのか? 風見先輩にとってはオレはオレ様キャラのカリブの海賊だったけど、レナにとってはクールで女に興味がなさそうな冒険野郎ってことか。過去の同じ勇者様のことなのに、女の子側から見るとそれぞれ印象がちがうものなのかな。それともこっちがプレーボーイで、女の子によって対応を変えてるとかってことか?

「レナちゃん、くっつきすぎだよ」

 マネージャーの田村さんが、あたりを気にしながら言う。

「だいじょうぶよ。日本じゃないんだし。カメラ小僧さんも居ないわよ」

 レナはこっちを向いて笑いながら、マネージャーさんに返事する。

 へぇ、案外性格もいいんだな。盗撮するカメラ小僧とかを侮辱するようなニュアンスは微塵も感じない。ファンの一種として大事にしてる、って雰囲気だ。

 飛行機が離陸のための加速を始める。

 ベルトしたまま上半身をオレのほうにのり出しているレナが、わざとらしく身体を押し付ける。

「きゃっ」

 シートとレナに挟まれて・・・・・・、

 ぎくり!!

 また、悪寒が!

 前方の座席の背もたれをつかんで、横から顔を出しながら、ユメが睨んでいる!

 さっきとちがって、今度はユメもベルトをしているようだ。首だけで振り返っているらしく角度が窮屈っぽい。

 それだけに、さっきより目が横目になって、迫力が増している。

 おまえがさっさと搭乗手続きをひとりですませちまうから、こういう席の配置になったんだろ。

 だいたい、島崎レナが言ってたとおり、ユメは現代では妹でも婚約者でもないし、彼女でもなんでもないんだから怒る意味がわかんないぜ。

 と、オレが言いたげなことが表情で伝わったのか、ユメは口を尖らせてプイっと前を向いて首をひっこめてしまった。

 まずかったかな。

 いや、飛行機を降りた後のユメのご機嫌の心配よりも、今は島崎レナの猛烈アタックのほうが問題で、飛行機が加速すると、ますますレナが身体を押し付けてきて、レナの髪が鼻のあたりをくすぐる。

 飛行機が離陸して、機首を上げて上昇しはじめると、レナの髪から例の香りがふわっと湧き上がる。

 それを吸い込むと、また、す~っと気が遠くなって・・・・・・。



 ととっ!

 座ってたはずが、いきなり歩いていて躓いてよろけてしまった。

 夢の中だ。

 場所は、どうやら街中の石畳の道。

 右腕に妹姫がしがみついている。ユメ同様、背がちっこくて、胸は大ボリュームだ。黒髪なのは違うがな。

 街には人影がない。

 建物に生活臭もない。布が見当たらないんだ。カーテンや幌や洗濯物や、もろもろの街中にありそうな布ってものがない。無人で、石造りのつるつるした建物だ。

 薄暗いな。何時だ? っていうか、街の上は空じゃなくて岩盤じゃないか!

 高さは五十メートルぐらいだろうか。ゴツゴツした岩が上をふさいでる。

 つまりここは地底都市?

 誰か説明してくれよ。あ、そうだ、ポポロム。ポポロムはどうした?

 見回しても、ポポロムは飛んでいない。

 光源がどこかわからないが、夕暮れどきくらいの明るさの街は、し~んと静まり返っていてオレたちふたりの足音だけが響いている。

「ここ、どこよ?」

と、オレの二の腕あたりに頭をおしつけつつ歩いている妹姫が言った。

「地底都市だな。どれくらい来たのかよくわかんないけど」

 って、え? なんで彼女がそんなこと訊くんだよ? 彼女はずっと歩いてきてたんだからわかってるはずだろ。

 ――金髪だ。

 さっき夢に入ったばかりに見たときは黒髪だったのに、あちこち見回してる隙に、いつのまにか妹姫が金髪になってる。

 ここに居るのはユメだ。

 つまり、ユメも飛行機の中で寝ちまったんだな。

 オレがこの明晰夢に入るときは、これまでの二回は寝てる時間が現実世界の一秒ほどだった。今回もそうなら、同時に寝てるユメは、さっきの離陸のとき、オレとほぼ同時に寝たってことだな。

 口尖らせて前向いたとたんに寝たってことか?

 まあ、オレも、あの香りで寝ちまうときは、時と場所を選んじゃいないんだが。でも、これまでのユメは、普通に夜寝てて夢を見てたんじゃないのか? オレと合流したからオレの夢の見方と同じになったんだろうか。

 などと思いながら彼女の金髪頭を見下ろして歩いていると、ユメが上を見上げてきた。

 真っ青な瞳と至近距離で目が合う。

 目が合って数秒は、無表情な『あどけない』って表現できそうな顔だったのが、たちまち拗ね顔に変わって、しがみついていた腕をほどいてオレから離れて歩き出しす。

 オレも寝てるってことに気がついて、怒っていたのを思い出したらしい。

「・・・・・・なによ! 飛行機の中で侍女とデレデレして鼻の下延ばしちゃって」

「おまえがさっさとひとりで搭乗手続きを済ませちゃうから離れ離れになっちまったんだろうが」

 まずいな。火に油を注ぎ続けてるようなもんだぞ。だが、口がとまりそうにない。オレに落ち度があるわけじゃないのに、勝手に怒って拗ねてるユメに対して、オレは結構不満だったらしい。

「それに彼女はあっちじゃ侍女じゃないぞ。日本のグラビアアイドルだ。オレたちを助けてくれた恩人なんだし」

 ・・・・・・。

 身構えたが、怒鳴り返してはこないようだ。

「・・・・・・別に。勝手にすればいいわよ。ワタシは妬いてるわけじゃないし。・・・・・・勘違いしないでよね・・・・・・」

 なんだか威勢が悪い。ユメらしくないな。

 いや、オレはまだ彼女のことをよく知ってるってわけじゃないんだったな。これが彼女らしい反応なのかもしれない。

 気まずいな。きつく言い過ぎたかな。

 ええと、話題は・・・・・・そうだ、ここがどこかって話。

「ポポロム! 居たら出て来い! どこに――」

「はあい! 陛下! ポポロムめ、参上いたしましてございます!」

 オレが言い終わらないうちに、ポポロムが、ユメの胸のフロントホックあたりの宝石から飛び出して目の前に舞った。

「なんだ、お前。なんでまた宝石の中にもどってたんだ?」

「それはその・・・・・・」

 おや? 歯切れが悪い。ポポロムらしくないぞ。

 あ、そうか。

「さては、過去のオレに怒られて宝石に入っていろって言われたんだな?」

「それはその、物事の捉え方によりますれば、そのように言えなくもないことではございますが、わたくしといたしましては、陛下と妹姫さまのお邪魔をせぬようにと、進んで竜の涙に戻っておりました、とも捉えられるような事態でございまして」

 図星らしい。過去では勇者が妹姫にプロポーズしてラブラブ、っていう場面のはずだから、そんなことお構いなしにしゃべり続けたであろうポポロムは、邪魔者扱いされたってところだろうな。

「まあ、いいから。オレは宝石に入ってろなんて言わないよ。で、ここがどういう場所だか解説してくれないか?」

「陛下! 陛下! おお、なんとお優しいお言葉! ポポロムめは幸せ者にございまする~!」

 よほど酷く叱られたらしいな、これは。

「泣くなよ、それより説明を、だなあ――」

「六千年後に生まれ変わった陛下は、まるで別人のようにお優しい。あ! いえ! 決して、この時代の陛下が冷たいお方だと不平を申しておるのではありませんで! その~、優しさの表現にもいろいろとございまして、この時代の陛下は、きびしさをまとった優しさでございまして、時として、それがそのときには辛く感じられることがあるというだけでございます。それはわたくしめに問題があるのでございまして――」

 放っておくと、このことで一日中しゃべっていそうだな。

「ポポロム! 説明が先だ!」

 やっといったん黙った。

「はい、陛下。ご質問は『ここがどういう場所か』でございましたね。ご説明いたします」

 どうやら、説明が始まるらしい。

 とりあえず歩いていた方向に歩き続けながら聞くことにした。

「ここは陛下のご先祖がお住みになっていた地底都市でございます」

「オレの、っつーか陛下の祖先は地底人かい」

「この先にございます神殿の神を崇め、神殿を守ってきた民、というわけでございまして、神殿が地底にありましたので、それにしたがって住まいも地底だったのでございます。外の世界では、陛下のご先祖様たちを慕って近くに住み着く者が町を造るようになりまして、やがてご先祖様たちは地上でその者たちと暮らすようになり、この都市から引っ越しておしまいになったのです」

 あたりの建物を見回す。二階建てか三階建てが多いが、ずっと街が続いているようだ。人口数十万の都市だったんじゃないだろうか。六千年前よりも、さらに昔にここに住んでいたわけか。石壁らしいけど、見た目つるつるのすべすべの壁で、隙間もなくぴっちりと組まれてる。

 現代建築でも難しいんじゃないかな。超古代文明? それとも宇宙人か何かかもな。

「だだっぴろい都市なんだなあ。神殿まで、あと二日も歩くのか?」

 夢の中じゃ、出発してまだ一日目の夕方あたりのはずだ。

「そんなにかかったら間に合わないではありませんか」

「なんでだ? 期限は三日間だろ?」

「なにをおっしゃいます! 今宵の日没まででございまして、もうさほど時間はございません」

 なに? 話があってないぞ。

「だって、神官ははっきり言ったわ『あさっての日が終わらないうちに』って」

 ユメが怒ってるのをやめて会話に参加してきた。まあ、そうだよな、死活問題だ。旅が無駄になるかどうかの瀬戸際。

「ああ! テラスでの大神官の言葉でございますね。あれは過去のものとは異なっておりましたので、おそらくお二人同様未来の時代で夢を見ていたのでございましょう」

 ポポロムも宝石の中で聞いてたんだな。って話じゃなく、やばいんじゃないか?!

「じゃ、あいつがワルなら嘘をついたってのかもしれないってことか?」

「いえ、ほかの部分は過去と同じ言い回しでございましたので、あの折の神官は言葉どおり神の啓示を伝えておりましたのでしょう。過去においては『今日の日が沈まないうちに』でございましたが」

 やはりポポロムも竜の涙の中で聞いてたわけだな、あのとき。

「そういえばわたしも、最初のセリフは自分でもよくわかってないけど自然に口から出てたわ。彼もそういうことだったのね」

「過去では一日で現代では三日が期限なわけか。アバウトな神様だな」

 もっとも、現代でも一日って言われていたら、到底間に合わなかったわけだが。過去はスタートが近くの都市だったが、現代は地球の反対側なんだから。

「バチが当たるわよ。それにこの時代は日が沈むまでだから、まる一日じゃなくて十二時間くらいってことよ」

「じゃあ、もうすぐタイムリミットだろ。歩いて行ったので大丈夫なのかよ?」

「はい、間もなく都市部と神殿がある聖地の境となる『感謝の壁』と『試練の谷』でございます」

 言われて前方の建物の向こうに眼を凝らすと、二、三百メートル先に垂直の岩壁がうっすらと見える。この大空洞の端らしい。あれが『感謝の壁』かな?

「そういうわけで、時間的には歩いても間に合うのでございますが――」

 ん? なんか引っかかる言い回しだ。例によって緊急性がある重要な話を後回しにしてたんじゃないだろうな。

「歩いていて良いのかという点に関しましては、もうそろそろ走られたほうがよろしいかと存じます」

「なぜだ?!」

 訊き返しながら、ユメの手をつかんでともかく走り出す。

 もう手遅れかもしれないが――。

「追っ手がそろそろ迫っておりまして、まもなく襲ってまいります頃合いでございますれば――」

「何度も言うが『先に言え!』」

 無人の都市の大通りらしい石畳の道を走っていると、なまあたたかい風が吹いた気がした。

 それを合図に、前方の左右の建物から、なにか黒い『もや』のようなものがたちあがる。それは、一軒一軒の建物の上で、逆さまになったしずくのようなかたちにまとまり、やがてそのしずくから手と頭のようなものが生えて人のような形に変わっていく。

 あくまで根っこの部分は各家にくっついたまま、人型の黒いもやのしずくは、空を飛ぶ幽霊かなにかのように、こっちに向かって身体を伸ばしてくる。数は十匹くらいだろうか。

「やだ! なによ! あれ! おばけ?!」

 ユメが叫ぶ。たしかに、なんかのアンデッド系モンスターだろう。

「はい。あれは、かつてこの家々に住んでいた者たちの悪意が家にしみついたものでございまして、術者の呪文で、ああして呼び出すことが可能なのでございます。術者の命令をきくようにできておりまして、触る者の生気を吸い取ってしまうのでございます」

 時速二十キロくらいで、その化け物が迫ってくる。のんびりしたポポロムの解説が終わったころには、最初の一匹が頭の上をかすめていってまた襲ってこようと旋回するところだった。

 つづいて三匹が同時に迫ってくる。

 どうやら幽霊っぽい動きで、急旋回や急激な方向転換などはなさそうだ。そう信じるのはヤバイが、動きをよく見てユメの手を引いて避け続ける。

 『感謝の壁』の方向から襲ってきた『悪意』たちは、オレたちが避けると、左右に別れて大きく旋回し、再び同じ方向から襲ってくる。

 オレたちに触って生気を吸い取るのが目的じゃなく、先へ進むのを妨害するのが目的らしい。

 オレたちが進んできた方向から、数十人の集団が早足で迫ってきているのが見えた。横に広がっていて、中央あたりにいるのがスキンヘッドの神官だ。まわりのザコどもは例の武器を持ってる。

 追ってきてるわりにはなんで走ってないのかと思ったら、やつらの最後尾では、女性が四人二の腕を掴まれて追い立てるように進まされている。その速度にあわせてるんだ。

 ヒラヒラのヴェールのようなものをなびかせているその女性たちは、例の四人の侍女たちだ。

「……人質か?」

 襲ってくる『悪意』たちを避けながら、オレが言うと、ポポロムもひょいひょい『悪意』を避けながら解説してくれた。

「彼女たちは地底都市や神殿で陛下に準ずる権限を持っておりますから、鍵がわりにつれてこられたのでしょう。神官たちは地底都市の民の末裔ではございませんから、地下では権限なしでございますから」

 もういちど、ひょいと『悪意』を避けて、

「もちろん、人質にするつもりでもございましょう。陛下が彼女たちを見捨てておしまいにならないことは明白でございますから」

と付け足した。

 NPCなのかもしれない。しかし、彼女たちが現代の彼女たちで、今眠っているところだとしたらさすがに助けないとな。っていっても、こんな多勢に無勢じゃ、どうするんだ? 陛下にゃ味方の軍隊は居ないのかよ。

 神官が三十メートルほど先で立ち止まり、両手をあげた。右手に持った杖から、なにやらおどろおどろしいオーラが放たれる。

 オレたちに向かって襲ってきていた『悪意』たちは、『感謝の壁』への道をふさぐように整列し、浮かんだままゆっくりこっちに迫ってくる。

「神官が持っておりますのは『邪心の杖』でございます。あれで『悪意』たちを思うがままに操っているのでございます」

「ああ、見りゃあだいたいわかる」

 とりあえず上空から襲われることはなくなったので、神官たちの方に向き直る。そうするとうしろから『悪意』たちが迫ってくる構図になるわけで、距離を保つためにゆっくり神官たちの方へ歩いていくことになる。

 左右の建物は隙間なく立ち並んでいて、逃げ込む路地は神官がいる地点までいかない限りない。途中の建物の石の扉は、鍵がかかってるだろうか? 建物に入って裏口がなければ袋のねずみだしな。

 ユメはオレのうしろにぴったりくっついてきている。

 頭の上ではパタパタとポポロムが羽ばたいてる羽音がする。

「なんか手はないのか? 勇者様なのに武器らしい武器も持ってないじゃないか。 あっちが使ってる『なんとかの杖』みたいな能力がある『なんたらの腕輪』とかつけてないのか?」

「陛下は生身で十分あの者たちよりも強うございますから。ほら、今まさに、射程距離にあの者たちが全員納まるところではございませんか?」

 なんの射程距離だよ! と聞き返す前に神官のセリフがあった。

「陛下、お命をいただくとまでは申しません。『栓』をお抜きになるのはやめていただけませんか?」

「それでお前に何の得があるんだよ!」

 とりあえずあたりさわりのない言葉を返す。

 神官がNPCなら、オレが何を言ったとしても、六千年前の陛下のセリフに置き換わって伝わっていて、話はかみ合わないはずだ。だから神官に返事なんて不要なんだろうがな。

 小声の早口でポポロムに訊く。

「おい、ポポロム。何の射程だ? オレにわかるように言ってくれ」

「もうちょっとでございますれば、今一歩前へ進まれませんと」

 だから、説明を先にしてくれよ!

「なにをコソコソ話しておられるのです? 陛下。 陛下が栓をお抜きになれば、この世界に充満している悪意が抜けていってしまいます。戦乱は収まり、争いは消え、千年の至福が訪れてしまいます。苦しみがなければ、神にすがる者は減り、神殿に参る者も減ってしまいます。『わたしの』信者が減ってしまうのです」

 なに? んじゃあ、この神官は、自分の宗教の信者が減るのがいやで戦乱や争いが続くようにしたいっていうのか?

 ん? 会話が成立してるんじゃないか? ホーリーエンパイア財団の代表は寝てるのか? 言ってることは六千年前の神官なのに。

 むむう。こいつ、起きてるのか寝てるのかわかんないなあ。NPCか、それとも財団の代表の意識があるのか。

「もう、悪意に取り付かれて正気ではないようでございますね」

 ポポロムが神妙そうに言った。

 なるほど、神官の身体からは、あの『悪意』たちが家から出てきたときのような黒いもやが立ち上っている。

 会話がかみ合ったのはたまたまか? それとも『悪意』に操られているせいなのか?

 いや、そんなことより今は――、

「おい、ポポロム。ちゃんと戦い方を説明しろ。何の射程なんだ?」

 神官の横には、抵抗するように身をよじる侍女たちが、それぞれ男に腕を掴まれて並ばされている。そして、神官や侍女たちとオレたちの間には兵士たちがフリーキックからゴールを守るサッカー選手のように壁を作って並んでいた。

 兵士たちの身体からも、黒いもやが立ち上っているようだ。

 神官が杖を振って兵士たちに命じる。

「行け! 陛下は生かして捕らえよ。姫は抵抗すれば殺せ!」

 兵たちが武器を構えてじりじりラインを上げてくる。オレの背中からは『悪意』が迫る気配がある。

 姫は殺せだって? いくら夢の中でもユメを殺されてたまるものか!

「もうすこしでございますよ~陛下。ささ、構えて。お構えになってください」

 どんな構えか知らないんだよ!

「陛下! 今です! 『勇者の光波』でございます!」

 だから、名前言われてもわかんないんだってば!

「なんでもいいからやりかたを細かく教えろ!」

「はい、陛下! まず、右の腰のあたりに両手を持っていって手首を合わせます」

 こうなったら、ポポロムが頼りだ。言われたとおりにする。

「手のひらを、はばたくコンドルの羽のように広げて敵に向け、腰を落とした体勢から手首を合わせたまま、手のひらを勢いよく前方に押し出すのでございます!」

 ちょっとまて~! それって、格闘ゲームの飛び道具の『波○拳』とか、某有名アニメの『かめ○め波』とかいうポーズじゃないのか?

「どうなさいました?! 陛下、早くなさいませんと!」

 ああ、わかった、わかった! 恥ずかしいとか言ってられないんだったな!

 腰を落として、それっぽく『気』をためるようなつもりになる。

 あ、向かってくる相手がひるんだ! こいつら、陛下の必殺技を知ってるんだ!

「臆するな! 全員で一度にかかれ!」

 と後方で杖を振るう神官は、ひとりだけ横へ進んで路地へ逃れようという腹らしい。卑怯者め!

「ハ~ッ!!」

 なにが起こるかわからないが、両手を前方に向けて押し出した。狙いとかはどうやってつけるかわからないが、これだけ敵が密集してりゃ誰かに当たるだろ!

 手が雷の塊みたいな電撃に押し返された。それは発射の反動で、雷は前方へ飛び出していたんだ。しかも、その軌道ときたら極悪非道だ。狙いもしないのに、前方の男たちに向かって五筋に枝分かれして、胸や顔に当たり、さらに突き抜けて蛇のようにそれぞれがコースを変えて次の獲物を貫いてさらにほかのやつを貫く。

 二秒ほど続いた電撃が止んだとき、オレたちに向かってきてたやつらは、バタバタとその場に倒れた。プスプス焦げたようなにおいが漂う。

 四人の侍女を掴まえてたやつらも崩れ落ちるように倒れたが、侍女たちは無事らしい。

 神官は、ぎりぎりのところで、横道に逃げ込んだな。倒れてる中にはいない。

 神官が逃げたからか、操られていた建物の『悪意』たちも消え去って、もとの街の姿に戻っていた。

「おみごと!」

 ポポロムはいい気なもんだ。

「こんな必殺技があるんなら早く教えておけよ」

「一日一回かぎりでございますから」

 おいおい。つまりこの旅では、これでおしまいってことか?

「・・・・・・それも先に言えよ・・・・・・」

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