4ー1 茶番の後の真実
偽物。
すっかり陽も落ちて夜。
焚き火を用意してそこにいるのはジーンと馬のアパとシャオだけ。他の全員は既に荷台の中で休んでいる。まだこのロウストン峠から離れていなかったので、また『君待つ旋風』が来ないか警戒する必要があった。だからジーンが見張り番をしている。
まあ、もう絶対に襲ってこないのだが。
夜も大分更けて日付を跨いだ頃。足音が後ろからしたのでジーンは振り返ると、エレスとラフィアがいた。ラフィアは鎧も着て完全武装状態だ。
「なんだ。見張りの交代か?」
「ええ。仮眠をいただきました。ダグラスさんほど消耗もしていなかったので、私が代わります」
「エレスはどうした?もう随分と遅いぞ」
「メイルさんの治療にひと段落が付いたから。腕にはちょっと痕が残っちゃうけど、明日には万全だと思う」
「そうか。ありがとう、エレス」
ジーンはその報告を受けて、エレスの頭を撫でる。いつもなら嬉しそうにするが、今はそんなことはないようだ。
エレスもラフィアも、大きな石の上に腰をかける。ラフィアはともかく、エレスも寝るつもりはないようでジーンはため息をつく。
「ジーン。傷はどうですか?」
「回復薬を飲んだからな。動かすのに問題はない。傷が残るなんて、魔導士からすれば当たり前のことだ」
ジーンの両腕も、焼け焦げて爛れたような状態だった。回復薬を飲んでかけたおかげで火傷は治まってきているが、今も包帯が痛々しい。
明らかにエレスティでできた傷だった。
「……あなたも、外法が使えたんですね。ジーン。思い返してみればあなたはラーストン村から出る時、シーラスさんと手が触れていた」
「今更か。その単語はエレスに聞いたんじゃなければファードルだな」
「……お兄ちゃん。皆に教えちゃって良かったの?」
「あれ以上メイルを傷付けるわけにはいかなかったからな。仕方がなかった」
緊急事態だった、とジーンはあくまで伝える。
実際怒りの形相を見ていた二人はそうだろうと思っていたが、アスナーシャはそれでは誤魔化されない。そして『君待つ旋風』の不気味な静けさも相まって疑いたくなかったがアスナーシャはジーンを疑っていた。
シルフィの娘の関係者が、プルートの器だったジーンをこうも放置していることに納得ができなかったからだ。
「……導師殿に教えたのは不味かったのでは?デルファウスでの一件もあります」
「何だ?お前が心配するとか気持ち悪いな。ラフィア」
「あなたは今回も、私にとっては護衛対象です。そしてアスナーシャ教会の力は強く、魔導研究会の力は弱い。国がそうしたんです。あなたが排除されるかもしれないと考えて、忠告をするのはおかしなことですか?」
「おかしいだろ。お前、魔導士が嫌いなのに」
「アース・ゼロを起こした人物と、私の家を崩壊させた者だけです。……もう、そこまで狭量ではありません」
(いや、アース・ゼロ引き起こした魔導士って俺なんだが)
ラフィアのしおらしさに、恨まれる理由があるジーンとしてはおかしさしか感じなかった。ジーンがアース・ゼロについて詳細を語っていないのでラフィアが真実を知らないからこそ認識の齟齬が出ているが、ジーンはあまり気にしないことにした。
断片的な情報を開示しても、決定的な事実はまだ話すつもりがなかった。
「外法の存在も知らないルフドに知られて、何が不味い?」
「エレスが外法を使えることを導師殿は知っています。ますます彼女を導師にしようと躍起になるでしょう」
「それは確かに困るな。で?俺とあいつが対立したらお前は俺側に立ってくれんの?」
「ええ。私があなたもエレスも、メイルさんも守ります。あの二人は勝手についてきただけ。正当性はあなたたちにある」
こうもはっきり宣言されたことに、ジーンは驚いてしまう。ラフィアは騎士で、近衛隊だ。上司に魔導士がいるからといって、世界最大派閥を敵に回すと言うとは思っていなかった。
ジーンが本当は恨まれていると思っているから余計に。
「……そりゃあ、心強い」
「心にもないことを平然と言うあなたは嫌いです」
「はっきり言うようになった。で?それが聞きたいことじゃないんだろ?」
「……あなたがエレスと同等に大事にするメイルさんは何者ですか?昔からの知り合いだとは聞きました。ですが妹にするようなエレスと同等というのはどういうことですか?あなたたちを守るためにも、その辺りをはっきりと聞いておきたい。……恋人でいらっしゃる?」
面白い勘違いをされているとジーンは理解した。ラフィアからすれば、ジーンがよほどのことをして助けた少女がエレスだ。その溺愛っぷりも短い旅の中で幾度も目撃してきた。
だが、そのジーンが攫われたとはいえエレスよりも優先した。その関係性を、これから守る人物について把握しておきたいといったところ。
ジーンがメイルを守るのであれば、ラフィアがエレスを守ろうとする。そういう取り決めをしようとか、そういった確認。
「メイルは──」
「妹です。本物の」
「え?エレス?」
ジーンの言葉に被せてきたエレスは、両目に涙を浮かべて立ち上がり、林の方へ駆けていってしまった。ジーンが咄嗟に伸ばした腕も届かない。
ラフィアは呆然としながらも、ジーンの腕を掴んで引っ張り上げた。
「あの子を妹にすると言ったのはあなたでしょう!追いかけなさい!」
「あ、ああ……」
「……事実、なんですね?」
「どっちも、大事な妹だよ」
それだけ言ってジーンは追いかける。ラフィアはジーンが走っていったことを確認して、ジーンの代わりに夜番を務めるために石に腰を掛けた。
ジーンはエレスが走っていった方向を目指して走るが、エレスの前にいた人物に、足を止めてしまう。
ジーンのように両腕に包帯を巻いた、メイルだ。
「メイル……。もう起きて大丈夫なのか?」
「元々そんな大きな怪我じゃないんです。見た目以上に軽いので。それに兄さんとも話したかったので起きたらエレスが伝えちゃうなんて。……わたしが、話してきます。兄さんじゃ拗らせるだけですよ」
「……そうか?」
「事の一端は、事情を知っている全員にあります。あの子だけには話さなかった。アース・ゼロの真実を話せば兄さんが潰れてしまうからと、エレスを後回しにしたんです。エレスには何も知らないまま、ただの子として生きて欲しいと、自分勝手な願いを全員で押し付けたんです。わたしたちには無理だから。……アスナーシャの器という時点で、そんな事不可能なのに」
ジーンもメイルもアスナーシャも、わかっていた。その出自、アスナーシャを身体に宿している事実。『パンドラ』という世界を敵に回した組織の台頭。変わる世界。
アース・ゼロが起きた時点で平穏な暮らしなど望めるはずがなかった。
ジーンとメイルという支えるべき人間に、短い寿命という爆弾もある。アスナーシャだって何だって手を出せるわけではない。
隠し事なんて、土台無理な話だった。
「……俺たちの、わがままだったか。この十年、一番辛い目に遭わせたエレスには幸せになって欲しくて、なのに真実も話さないままこうして巻き込んでいる。……酷い兄だな」
「一番辛かったのは本当にエレスだったかもわかりませんよ。兄さんも大概酷いですから。そもそも、あの時死んでしまった皆は幸せも知らずに、土の下です。兄さんは兄さんの出来る限りのことをしてくれています。わたしたちのことを考えてくれています。……それに、エレスが妹ということも、わたしが妹というのであれば事実ですから」
エレスに教えていない事実があっても、ジーンたちはエレスに嘘は言っていない。
ジーンにとってエレスは妹だ。それは変わらない。
そして今回の一件ではアスナーシャに教えたくないことがあったから除け者にしてしまっただけで、もう話すことを決めた後なのでアスナーシャに聞かせても大丈夫な話しかしない。
それに今回のことで不安に思っていることは、一つの真実を伝えれば解消される。
ジーンが伝えずに、メイルが伝えれば万事解決する。
「兄さんは戻って、ラフィアさんにわたしの説明をしてください。アース・ゼロで生き別れた妹とでもしておけば大丈夫です」
「任せる。俺だとまた泣かせる羽目になりそうだ」
ジーンはメイルに任せて撤退。ラフィアにカバーストーリーを聞かせるために歩き出す。
メイルは反対方向へ、困った妹に事実を伝えるために歩き出す。
エレスを見付けるのは簡単で、ジーンと話していた場所から少し離れた場所の樹に手と頭をつけて嗚咽していた。夜の敵地でそこまで遠くへ行こうとしなかったのは本能か、アスナーシャが止めたからか。
何にせよ、怪我人のメイルからすれば助かることだった。
「エレス」
「ッ⁉︎……何で、メイルさんが……?」
「兄さんじゃなくてごめんなさい。あなたに伝えたいことがあって」
メイルはエレスの顔を正面に向けて、取り出したハンカチで涙を拭う。
本当に手間のかかる妹だと、思った。
「あなた、何をそんなに悲しがっているの?あなただって、兄さんの妹じゃない」
「本物じゃないから!本物のあなただからそんなことが言えるんです!偽物のわたしの気持ちなんて、わかりっこない……!本当に大事にしてるのはあなたなんだって、見てればわかるもん……‼︎」
「……うーん、勘違い甚だしい。あなたにとって世界が狭すぎるんです。視野が狭いのはしょうがないことだとしても、こんな簡単なことにも気付かないなんて」
エレスの啖呵も、メイルからすればそよ風に等しい。こうやって喚く子供なんて教会と孤児院でいくらでも見てきた。
親と離れ離れになってしまった子と何も変わらない。希望が奪われたことで泣いていることがわかれば、対処も簡単だ。
そんな思い込みを破壊すればいい。
「エレス。あなた鏡を見たことがありますか?水辺で自分の顔を覗き込んだことは?」
「……ありません。だって、バケモノの顔をしているんでしょう?」
「それは兄さんが否定したと聞いてます。自分の顔も好きになれなくて、どうやって兄さんに好かれるつもりですか?」
「……お兄ちゃんに好かれているから、そんなことを抜け抜けと!」
「わたし、結構自分のこと嫌いですよ?顔だってお母さんそっくりだから兄さんを悲しませてしまいますし、体型だってそう。自分のものじゃないみたいなんです。ただお母さんとそっくりな形をした紛い物。それがわたし。のくせに、神術の実力だけはかなり劣っている。出来損ないなんです。もしわたしがもっと神術を使えていれば、あなたを悲しませなかった」
メイルの告白に、エレスは訳がわからなくて顔を逸らしたくなる。だが、メイルの真剣な瞳がそれを許さない。
ジーンに好かれている、エレスがなりたい立場の女性。その女性が自分のことを嫌いだと言う。なりたくてたまらない女性がそんなことを言うのは、気に喰わなかった。
そのメイルの瞳に映る、メイルそっくりな少女は、一体誰なのか。
今にも泣きそうで、少しだけ幼くした少女は。
瞳の色も髪の色もそっくりで、少しだけ肉付きが悪くて細いだけの少女は。
メイルにとって、何なのか。
「アスナーシャも兄さんも、あなたに伝えなかった。ラフィアさんがいたことも、あなたが離れ離れになっていたこともあるから、言えなかった。アース・ゼロも関わっていたから。当時の記憶がほぼなくて、きっと無意識のうちに兄さんをジンと呼んでしまうあなたに、辛い記憶を思い出してほしくなかったから」
「……何、を……?」
「わたしも、偽物なの。兄さんの本当の妹じゃない。わたしには兄なんていなくて、姉と妹しかいなかった」
メイルはエレスの右肩に触れる。
アスナーシャがいながらも、治らない傷痕。小さいものだが、しっかりと残っているもの。
石で引っ掻かれたような、何かが貫通したような。そんな傷。その正体をメイルはジーンから聞いただけで存在すら知らなかった、最悪の引き金。
「エレス。あなたは、わたしの妹です」
「……あ、ぁ……」
月光と星空に照らされる、二つのそっくりな顔。
瓜二つで、ちょっとだけ年齢の離れた少女たち。神術の実力だって世界から見ればかなりの上澄み同士。
ジーンが昔、家族のように暮らしていた少女たち。
一緒に、エレスティという男の子を、兄さんと慕っていた姉妹。
それが、エレスとメイルの過去。
次も日曜日に投稿予定です。
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