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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

空明

作者: 位月 傘

また学校系(要素は皆無)の百合。拙いですが読んでくださったら嬉しいです。


 「先輩は卒業したら、お母様の会社を継ぐのですか?」

 ふと気になって帰りの電車で聞いてみた。他の子たちは車で迎えが来たりしているけれど、先輩はいつも電車を使っているようなのでわたしもそれに習ってみている。迎えがいらないと言った時の父の慌て様ったら少し申し訳なくなるほどだった。

 先輩はあぁ、と同級生達よりも幾分か低い音を響かせる。一見不機嫌そうにも見えるきりっとした表情とか、意外と不器用なところとか、とっても素敵だと思うのに、友人達にとっては運動が出来る人とか、誰にでも優しい先輩が理想的な『かっこいい人』らしいから、わたしとは趣味が合わないのかもしれない。

 先輩は複雑な家庭らしいけれど、わたしが知っているのは先輩は早くにお母様を亡くされていらっしゃる事と、お父様の再婚相手の方が会社の経営者でいらっしゃる事くらいだ。もっと知りたいと思うのに見えない線が引かれている気がして、ただの学生のわたしには踏み出す勇気が足りていない。

 「母が、ある種の潔癖症というか。他人には会社を継がせられないとかなんとか」

 転校していらした先輩は俗にいうお嬢様学校、とかいうものに対して馴れないものがあるようだ。学校というか、この雰囲気に対してと言った方が正しいかもしれない。清廉潔白で、閉鎖的で進化のない場所だ。以前、女性というものを尊重しているようで売り物にしているところが好きではないとおっしゃっていたのを思い出した。

 女性なら、女性として、なんて言葉を昔から聞いていたわたしにとっては目から鱗だった。その言葉も、話し方も、進路だって真新しいものばかりで、初めは好奇心からだったのかもしれない。でも今は胸を張って好きだからだと言えるのだから、やっぱり素敵な方なのだ。

 「先輩は、そのことに賛成していらっしゃるのですか?」

 なんだか私は質問ばかりしてしまう。好奇心は猫をも殺すというが私もうっかり藪をつつかないようにしなければならない。少しだけ、蛇の姿を見てみたいとも思うが。

 「まぁ、そうだな。養ってもらっている身だし、それで恩が返せるのなら。何より、私はきっと、いいように人に売られることは耐えられなかっただろう」

 「まぁ、あまりそういうことは他の方に伝え無いように気を付けてくださいね」

 「わかっている。流石にこれから嫁に行くような奴にそんなデリカシーのないことは言わない」

 そんなことを返してくるものだからこの人はいったいわたしが高校を卒業したらどうするか知らないのだろうか、と考える。

 だけど、それは、わたしだけにしか教えてくれなかったことだろうと思う。そうしたらなんだか全てがどうでもよくなってしまったみたいに心がふわふわするのだから、どうせわたしが買われるのなら、彼女が良いと思った。

 きっと彼女にとってこういう日は特別でもなんでもなくて、日常の中に組み込まれている一部なのだろうけど、わたしにとっては先輩と話して、声を聴いて、一緒に居るだけで世界のどんな出来事よりも大切な事だって思っている。

 でもどんなに大切な出来事が積み重なっていても時は過ぎる訳で、わたしの大切な先輩は卒業して大学に行って、当のわたしはよく知らない男の人と結婚する。それがわかっているから、こういう大切な日々の最中でもわたしは溜め息をこぼすのだ。

 「おい、どうした」

 えっ、と驚いていつの間にか俯いていた顔を上げる。そこで先輩の顔を見てまた唖然としてしまう。

 いつもと変わらない表情なのに、瞳だけが揺れている。いつも、みんながよく先輩に対して氷みたいな方だと言うけれど、今だけ、わたしの前でだけその氷が溶けて湖面が揺れている。あぁ、だとしたらそれはどれだけ幸せなのだろうと思った。無機質で、透明で、どんなことを言っても結局血もつながっていない母親の為に人生を潰そうとしている、わたしなんかよりもずっと綺麗で清廉なこの人が、わたしに、わたしが溶かしたのだ。申し訳なさを上回る独占欲と征服欲は思わず胃の中のものを全部出してしまいそうになるほど嫌悪しているのに、確かに幸福を感じている自分がいるのが腹立たしい。

 「いえ、ただ、先輩と話していると婚約というものの意味を考えてしまって」

 思わず自分の汚いものを押し込めるように取り繕った笑みを浮かべてそういうと、先輩はわかりやすく慌てて言葉を紡ぐ。

 「い、いや、さっきのは別に私の意見であってだな……」

 「わかっています。ただ、これはきっと先輩が言わなくても考えていた事でしょうから」

 嘘だ。誰かに何かを言われなければのうのうと日々を喰い潰して、何も考えず親に決められた言う事だけを無知な子供のまま従っていただろう。

 ただ、そういうと少しだけ落ち着いたような顔をするのだから可愛らしく思う。初めて会った時よりも随分表情豊かになったように感じる。これもわたしのせいだったらどんなにいいだろうと思ってまた淡い幻想を打ち消した。きっとわたしが気づくようになっただけだ。それはそれで、嬉しい事だけれど。

 わたしはもうその話は終わったつもりでいたけれど、先輩はそうではなかったようででも、と続ける。

 「そういうことは自分で見つけなければ意味はないんだろう。どのくらいの間かはわからないが、思考しろ。そしてそれで納得できないと思ったなら抗え。多少の力は貸そう」

 なんだか、本当に純粋な人なのだと思った。それでいてとても頭の良い人だ。外側ばかり綺麗にしている子供の私とは大違いだ。この人は、自分を自由に見せていかにも頼れる人間に見せるのが上手だ。いや、素はそうなのかもしれないけれど、今の彼女は家に縛られている。

 わたしから見たら、男性に売られずとも、先輩が家に飼われているようにしか見えなくて思わず歯噛みする。それを助けるのはお門違いだ。この人は自分で考えて、気づいて抜け出せる人だ。なんだか少し空しくなって呻くように漏れた言葉も無意識に取り繕っていた。

 「――それはありがとうございます」

 嫌味でもなんでもなく、顔に笑みを張り付けてそういうとまた少し無表情に戻ったのがなんだか悔しくて、今度こそ子供のように声を漏らす。

 「もし、わたしにできる事であれば、何でも言ってくださいね」

 言ってから少し後悔する。私にできる事なんてたかが知れている。何故ならわたしも家で甘やかされて飼われているだけなのだから。それに彼女は助けなんていらないだろう。わたしより高い位置にある顔を見上げると、予想していた無表情や呆れ顔では無く、驚いたように少し目を揺らすと私みたいに取り繕って笑ってありがとう、なんていうものだからなんだか無性に悲しくなって、少し困らせてしまおうなんて考える。平穏な日常だけは、私にとって守らなければならないもので、こんな憂鬱な話をしていては壊れてしまうから。私の逃げ場を守る為におどけてみせた。

 「先輩、わたし今、地球が滅んじゃえばいいのにな、なんて思うんです」

 取り繕った顔を捨てて今度こそ呆れたような顔をしているのに満足して続ける。全部見せて欲しいなんてやっぱりわたしはエゴの塊なんだろう。挙句にわたしは隠したまますべてが欲しいと願うのだ。

 「だって今、一番幸せなんです。学校も楽しいし、大好きな先輩と一緒に帰って、話をしている今が一番」

 でも、ほんのちょっとだけ、わたしを見せたなら彼女も中身を見せてくれるんじゃないかと期待して、冗談みたいにほんとを混ぜてみる。

 先輩は、呆れたようにちょっと笑って、わたしの頭を軽くはたいた。

 どんなに綺麗な未来を願っても現実は歩みを止めてはくれない。お父様に頼んで大学卒業まで結婚を先延ばしにしてもらっていたけれど、これも今日で最後だ。

 先輩は大学に行きつつ会社の手伝いをしていて忙しいだろうに、時々会っては話を聞いたりしてくれた。そんな先輩に、他人の為に着飾った姿を見せるのはとても嫌だった。あの人にはあの人の為に綺麗になったわたしだけをずっと見ていてほしかった、なんてまた子供じみた考えが溜め息となって漏れる。

 扉が開いた音がして、思わず立ち上がる。彼が見に来たのだろうか。重たい体では立ち上がる気も起きずに首だけで振り返るとわたしが世界で一番好きな人がいるものだから、驚いているはずなのに身体は無意識に取り繕った笑みを浮かべて見せる。

 「先輩、ここ関係者以外立ち入り禁止ですよ」

 「知っている。だがお前の父親と話をして入れてもらった」

 「先輩、今日来ている人の誰より偉いですものね」

 それは断れないはずだ、と嫌味を込めた言葉なんて届いていないかのよう遠慮もなくこちらに来るものだから驚いて椅子から立ち上がろうとするのを咎めるかのように肩を軽く押されて、そのまま少し浮いた腰を下ろす。いったいどうしたのだと、尋ねようとした声は溶けた湖面に吸い込まれる。

 「答えを、聞きに来た。お前にとっての婚約とはなんだ」

 びっくりし過ぎてとっさの声も、取り繕った笑みも全部棄ててしまう。諦めていたわたしは、そんなこと考えてなんて無い。でもこれはきっとそういう事ではないのだ。学生時代からの後輩の結婚を祝いに来たわけでも、答えを聞きに来たわけでも。

 「わからない、わからないです。でも、これは違うと、思ってしまったんです」

 あなたのせいだ。少しは愛されていると思っていた父にあっさり大学卒業までなんて期限を無視されるなんて思っていなかったし、結婚なんてみんなするものだからそこまで気にすることなんてないと思っていたのに、こんな苦しいだなんて、わたし一人なら知らないままだった。

 落とした仮面は失くしてしまったみたいで、道化師にすらなれやしない。ボロボロと落ちる涙は決して綺麗な物じゃない。やっぱりこれは子供の我儘にすぎないのだ。

 「私は、自分の幸せの為に誰かを犠牲にするのを厭わない。だから、あの頃助けてくれると言ったことが、まだ有効なら、私と一緒に来てくれ」

 先輩も言ってることがなんだかちぐはぐで少し笑ってしまう。この人も緊張しているのかもしれない。あるいは綺麗なこの人をわたしが汚して

おかしくしてしまったのかもしれない。もう、それでもいいと思えた。何があったとしても、今この瞬間、この人はわたしを必要としてくれて、此処から助けてくれると言ったのだ。ならばもう、迷う必要はなかった。 

 頬を伝う涙をぬぐうこともせずに、その手を取る。そこでふと、あぁこの人は心の内を見せてくれたんだなぁと分かって胸がぎゅうっとなる。

 「わたし、死んでもいいんです」

 どうしようもない本音だった。あの頃から変わらないものだった。そしてあの頃は受け取ってもらえなかったものだ。

 先輩はまた少しあきれたように微笑んだ。その湖面は凪いでいたけれど、確かに真実だった。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

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