雨。
暗雲が月光を遮り、星の瞬きさえも呑み込んだ。
横殴りの雨が降っている。
冷たく物言わぬ骸のようなアスファルトへ容赦なく叩きつけている。
暴風雨はまるで生き物そのもののように荒れ狂い、漆黒の夜空を切り裂くかのごとく雷鳴が轟いた。
眩い閃光は研ぎ清まされた刃の一太刀のように、躊躇なく一本の巨木へ降り下ろされた。
落雷したその巨木は、この土地一帯の御神木として古より神社の境内に祀られていた。
樹齢千年といわれるそのナラの樹は、雷により縦に真っ二つに避け蒼色の焔に包まれた。
真夜中に浮かび上がる蒼い焔は、神がこの地上へ降臨したかのような神々しささえ感じさせる。
蒼い焔は暫くの間、その存在を誇示していたのだが、暴風雨により自然鎮火した。
その光景を一人の少年は自室の窓から一部始終眺めていたのだった。
少年の人生の中で、これほどの暴風雨と雷鳴を体験したことはない。
ましてや目の前で落雷を目撃し、巨大な焔を上げている光景は一生の内に何度も見れるものではないのである。
その自然の猛威に対して、人間は如何に無力であるかということを思い知った。
少年はその抗えない力に対し、神の御業のような自然の力に畏敬の念を抱いていたのだった。
翌朝、昨夜の落雷があった場所が何処なのかということを知りたい中学生の男子は、自転車でその場所を必死に探していた。
少年は不安を抱いていた。
それが現実のものになっていないことを昨夜から祈っていたのだ。
少年にとっては大切な物であり、心の拠所でもある場所に落雷していないことを確かめなければならない。
「蒼色の焔が上がった場所は、この神社の境内にあるあの御神木じゃなければいいんだけど……」
その神社は小高い丘の上にあり、長い坂道を自転車で登って行った。
自動車で登るにしても傾斜がきつい。
この長い登り坂を自転車で登りきったのは、中学生という若さが成せる技であろう。
少年は長い登り坂を見事に登りきると勢いよく自転車を乗り捨てた。
そして、息も上がったまま神社の境内へと駆け出した。
境内の中に巨大な樹木の変わり果てた姿が視界に入った。
突然、全身の力が抜けてしまったか、歩いている足に力が入らない。
よろめきながら巨大なナラの木の元へ歩み寄った。
少年は震えながら手を伸ばして、縦に真っ二つ裂けた炭と化している黒く焼け爛れたナラの木にそっと触れた。
「やっぱり……」
予期していた通りの結果に落胆の表情を隠しきれずにいると、背後から近づいてくる気配を感じた。
「昨夜の落雷で御神木は燃えてしまった。きっと本殿に落雷しないように身代わりになって護ってくれたんだろう」
声をかけてきたのは、この神社の神主である人物であった。
「君は毎日、この神社に御参りしてる子だね?」
神主は優しく微笑みながらそう言った。
その微笑が傷ついている少年の心の痛みを幾分か和らげてくれた。
「はい。僕は瀬戸流星といいます。流れ星と書いて流星です」
「流星君はいつもこの御神木に抱きついていたけど、何か声でも聞こえるのかい?」
神主はこの少年が毎朝この御神木に両手を広げて抱きついているのを愉快そうに眺めていたのだ。
「御神木から”力”を授かろうとしていたんです」
流星は少しはにかみながらそう言った。
言った後に少し後悔した。
こんなことを真に受けて信じてくれるのかどうかさえ分からないのだ。
「はて……”力”とは!?」
目の前の少年が真っ直ぐな瞳で言った言葉の意味は神主には理解できたが、いったい何の力を授かろうとしているのかが分からなかったのだ。
健康や学業など色々な人たちと同じような願い事をするのは分かるが、”力”を授かろうとする人は初めてだった。
「この御神木からはその”力”を授かったことはあるのかい?」
神主は興味からそう尋ねずにはいられなかった。
「空手の試合で勝てるように、そのための力をもらったりしてました。でも、それももうできませんね……」
流星の言葉には哀しみと絶望が入り混じっていた。
「そうとも限らんよ」
「えっ!?」
神主は枯れ枝のような細い指先を御神木の根元へとそっと指し示した。
そこには若葉と共に新しい芽が生えており、御神木の生命力の強さを流星へ見せつけていたのだ。
「ありがとうございます。俺、また毎日ここへ来ます!」
少年の明るい笑顔を見て、老人はその場からゆっくりと去って社務所の方へと歩き出した。
流星も立ち去ろうとしたその時である。
「流星」
どこからか自分の名前を呼ばれたような気がして、流星は落ち着かない様子で辺りをと見渡した。
だが、誰も居なかった。
暫くの間、耳を澄ましていたのだが、木の葉が風でざわめく音しか聞こえない。
自分の気のせいだと思い、鳥居の側に乗り捨てたままの自転車がある場所へ向かって駆け出したのだった。
風が優しく流星の黒髪を撫でた。
木漏れ日の陽光に黒髪の中に幾つもの輝きが鏤められていた。
その輝きの一つひとつが流れ星のように消えていったのだった。