“わたし”と“あなた”の差分
六月半ば。
教室に張り詰めた空気。
机の上には問題用紙とシャーペンだけ。
──学年内数学模試。
公式や定理だけでは解けない、「思考力重視型」問題で構成された校内実力テスト。
その結果は、全校にランキングで貼り出されるという“伝統行事”でもある。
「やばい、また紅葉に負けそう〜!」
問題を見てそう嘆くのは、葵だった。
隣で紅葉は、無言のままペンを走らせていた。
(問題⑤、これは……座標変換か。回転行列で、回してからベクトルの合成)
その精密な思考に、紅葉は安心していた。
「解ける」──その感覚だけが、自分の居場所の証だった。
放課後、廊下の掲示板に人だかりができる。
「うわ、今年の1年生レベル高すぎない?」
「この“真城紅葉”って誰?」
「え、2位の“姫野葵”って、あの葵? 紅葉といつも一緒にいる子?」
ざわつきの中心には、
1位:真城紅葉(100点)
2位:姫野葵(98点)
という並び。
「すごいじゃん、葵! 1位と2点差なんて!」
周りの声が、刺さる。
葵は笑顔を作ったが、その目は笑っていなかった。
帰り道。
紅葉と葵、並んで歩いていたはずの距離が、少し空いていた。
「……やっぱり、勝てないなあ」
葵が呟く。
「そんなことない。ほとんど差、なかったし……」
「うん、でもね。
紅葉って、“どうしてそれを思いつけたの?”って聞いても、
『そういうものだから』って顔するでしょ」
「……」
「わたし、紅葉と違って、がんばって届こうとしてる。
でも、紅葉はもう“その先”にいる。
……ずるいよ」
足が止まる。
雨上がりの夕方、沈黙だけがふたりを包んだ。
「ごめん」
それしか言えなかった。
たぶん、間違った言葉だった。
夜。
葵の部屋では、模試の問題用紙が何度もめくられていた。
紅葉の部屋では、ノートに“葵との会話”がメモされていた。
「私の中には、“悪気”がなかった。
でも、誰かと比べるとき、それは“無意識の暴力”になることがあるんだ」