はじめての前線、はじめての沈黙
「今週末、うちの部が参加する校外交流問題セッションに、1年生からも出てもらいまーす!」
水曜日の部活。遠野がにやにやと告げると、部員たちがざわめいた。
「え? 外の学校と合同で、即興問題を解いて発表するやつ……ですよね?」
日下が淡々と確認すると、遠野はうんうんと頷く。
「で、1年からは──真城、お前な」
紅葉の名前が呼ばれた瞬間、部室の空気が一瞬止まる。
紅葉自身も、ペンを握る手を止めた。
「……わたし、ですか?」
「うん。最近の解法、どれも正確だったし、出しても恥ずかしくない。
問題は、発表だけど……まあ、日下がフォローするから」
「勝手に決めないで」
日下がボソッと反論するが、それ以上は何も言わない。
ただ、紅葉の方を一瞥した。
(……“外”の人と話すの、得意じゃない)
そう思ったが、「出ません」とは言えなかった。
迎えた当日。
都内の私立進学校の一室。
数校の数学部員が集まり、ホワイトボードを前に問題が提示される。
【即興課題】
「数列 aₙ を以下のように定義する。
a₁ = 1, a₂ = 1, aₙ = aₙ₋₁ + aₙ₋₂(n ≧ 3)
この数列の性質を2つ以上見つけ、それぞれ簡潔に証明せよ」
──有名なフィボナッチ数列。だが、即興で性質を見つけ、説明するのは難しい。
(……数列の漸化式と、黄金比との関係? いや、mod計算でも面白いけど……)
紅葉はいつものように頭の中で構造を展開していく。
しかし、目の前には「知らない人たち」がいた。
他校の生徒、大学生OB、先生。
その視線を感じた瞬間──
(声が、出ない)
手は動く。式も書ける。でも、口が開かない。
代わりに口を開いたのは、隣にいた日下だった。
「彼女のアプローチは、aₙ を mod 10 で分類し、周期性を証明しようとしています。
以下、その解の流れ──」
スラスラと説明する日下。
紅葉のノートを見ながら、代弁するように言葉を繋いでいく。
(私の言葉じゃないのに、私の考えが“届いている”……)
発表後、他校の生徒がぽつりと言う。
「真城さん、あの式……面白いですね。
mod の周期見たの、初めてでした。参考になります」
紅葉は、やっと小さく頷いた。
帰り道、日下が口を開く。
「……言葉、出なかったね」
「……はい」
「でも、ちゃんと伝わってたよ」
紅葉は足を止める。
「……ありがとう。
代弁してくれて、助かりました。
……悔しかったけど。自分で、言いたかった」
日下は、少し笑った。
「そう思ったなら、次はやれる。
次は、黙ってないで喋んなよ」
その声は、どこかあたたかかった。
その夜、紅葉のノートには、mod数列の性質の隣にこう書かれていた。
「言葉にならなくても、伝えられることがある。
でも、“言葉にできたら”きっともっと、遠くまで届くはずだ」