式と気持ちの距離感
昼休み。
図書室の隅、奥まった席に二人。
紅葉と遠野。
机の上には、前日出題された関数の最大最小問題の途中式が並んでいた。
「……ここで微分して、その後、定義域に戻るんですけど……そのとき、増減表を立てると……」
紅葉が、指先でグラフの山の頂点を示す。
遠野は黙って見ていた。
そのあと、にやりと笑って言った。
「なんかさ、真城の式って“冷たい”んだよね」
「……えっ?」
「ちゃんと合ってる。無駄もない。正確で、流れも綺麗。
でも……なんか、感情が入ってないっていうか」
紅葉は、その言葉をすぐに飲み込めなかった。
数式に“感情”? そんなもの、いるのだろうか。
「ほら、俺ってさ、めっちゃ書き散らかすじゃん。
間違えてもいいから、いろいろ書いてると、だんだん“自分のリズム”が出てくるんだよね。
それってちょっと、音楽に似てない?」
「……数学って、音楽ですか?」
「気づいたら鼻歌歌ってるタイプの数学。
真城はたぶん、“譜面は完璧”だけど、“音”が聞こえてこない感じ」
紅葉は少しだけ唇を噛んだ。
それは、褒められたのか、否定されたのか。
わからない。けど──
「……“音”があった方が、いいんですか?」
「知らん。けど、俺はそっちのが好きだな」
遠野はそれだけ言って、立ち上がる。
「また、問題出しとくわ。明日の昼休み、またここね」
紅葉はうなずいた。
でも心の中で、何かがざわついていた。
放課後。
いつもより早く教室に戻った紅葉に、同じクラスの**葵**が声をかけてくる。
「ねえ、今日さ、図書室にいたよね。遠野先輩と」
「……うん。少し、数学の話を」
「へえ。そっか。紅葉って、“人と”勉強するの、嫌いじゃないんだね」
何気ない声。
でも、ほんの少し“とがって”いた。
「……ごめん。話したかった?」
「ううん、別に。紅葉が楽しそうだったから、なんかちょっと意外だっただけ」
葵はそう言って微笑んだ。
でも紅葉には、なぜかその笑顔が“少しだけ寂しそう”に見えた。
夜。
紅葉はノートの余白に、こんな言葉を書き残す。
「数式に気持ちは要るのか。
音のない音楽は、数学なのかもしれない。
でも、“一緒に考える”と、たしかに何かが、伝わる」