問い納めの夜、わたしが選んだ“なぜ”
冬休み直前・数学部の恒例行事
12月下旬、終業式の前日。
部活動としての“締め”を飾る行事──
『問い納めの会』
=部員それぞれが「今年最後に考えたい数学の問い」を1つずつ発表し、
自由に語り合う。
会場は、暖房のきいた静かな部室。
チョコレートとマシュマロ入りのホットココアが用意され、
ホワイトボードの上には「問い納め2025」と書かれていた。
順番に発表される“問い”
2年の先輩・日下の問いは、
「“無限”は本当にあるのか?」
という、哲学的な命題。
1年・葵の問いは、
「なぜフィボナッチ数列は、花の構造に現れるの?」
という、美と自然に関するもの。
そして──
紅葉の番。彼女の問いは静かだった。
「わたしの問いは、
“なぜ、数学に惹かれるのか?” です」
一瞬の沈黙。
でも、日下も葵も、すぐに静かにうなずいた。
紅葉はホワイトボードに、丸く優しい文字で書いた。
「数学はなぜ、人を魅了するのか?」
プレゼンではなく、語るように
紅葉:「私、たぶん“問いを愛してる”んだと思います。
解ける問題より、“わからない問題”に心が引かれる。
……不安定で、終わりがないのに、それでもずっと考えていたいって思う」
日下:「……それ、“答えがない”ことを恐れてないってことか」
紅葉:「むしろ、“答えが出た瞬間”にちょっと寂しくなることもあって。
この問いを考えてる間は、世界がずっと続いていくような気がするんです」
葵:「だから、紅葉のノートっていつも余白が多いんだね。
“考えるスペース”を残してるんだと思う」
紅葉:「……うん。考えるって、“対話”なんだと思います。
問いと、数学と、自分と」
会の終わり──紅葉の記録
紅葉は、ノートに静かに書きつけた。
■2025年・問い納め
「数学はなぜ、人を魅了するのか?」
答えは、出ない。
出さないまま、生きていくのかもしれない。
でもその“考え続ける過程”こそが、
わたしにとっての、数学の“解”なんだと思う。




