数学だけの3日間、君とわたしと距離のこと
秋の強化合宿──1日目 午前・到着
目的地は、県内のセミナーハウス。
自然に囲まれた山のふもとに立つ、年季の入った建物。
参加メンバーは8人。上級生2人、2年生3人、1年生3人。
紅葉、葵、そして日下も参加していた。
「ここが“数学部の聖地”ってやつか……」
紅葉が思わず漏らすと、
「3日間、逃げ場はないぞ」と日下が肩をすくめた。
午前のセッション──「論理の構築演習」
1人1題を持ち寄り、他人の証明を批評・補強する練習。
紅葉は2年の先輩・北原の書いた証明を担当した。
(あえて細部を省略した証明……。
わたしなら、ここも、ここも、絶対に書く)
でも、紅葉は気づく。
(この“あえて抜いた”空白は、
読者の読み取り力を試す“しかけ”なのかもしれない)
紅葉は、感情ではなく構造で「違いを理解しよう」と努めた。
昼食後・自由討議──数学テーマ「証明とは何か」
日下「結局、“証明”なんて“相手が納得すりゃいい”んだよ。
読んだやつが理解して、正しいと思えばそれで成立」
紅葉「……でも、“書いた本人がどう考えたか”も、等しく大事だと思います。
伝えるためだけじゃなく、自分が“なぜその手順を選んだか”も含めて」
日下「またそれかよ、“自分の哲学シリーズ”」
葵「でも、それが紅葉のスタイルでしょ?
いいじゃん、人それぞれってことで」
日下は肩をすくめて笑った。
「……わかったよ。“自分語り型証明”も認めてやるよ、今回だけな」
夜──宿泊棟・談話室にて
他の部員が寝静まったあとも、
紅葉、葵、日下の3人だけが残っていた。
「眠くないの?」
葵が紅葉に聞く。
「うん、今はまだ“考えてたい”気分。
今日の討論、すごく頭の中が動いた」
日下も加わった。
「ま、少なくともお前は“言葉にする”のが得意だな。
思ってる以上に、俺たちが気づかない視点をくれる」
紅葉は、少しだけ驚いて目を見開いた。
「それ、ほめてます?」
「珍しく、ほめてるんだよ」
紅葉は小さく笑った。
深夜、女子部屋・寝る前の会話
「紅葉って、変わったよね」
「どこが?」
「ちゃんと“人に伝える”ってこと、考えるようになった」
「……たぶん、葵と日下先輩が、
わたしの数学に“つっかかって”くれるから、だと思う」
葵は少し黙ってから、ぽつりと。
「なんかちょっと、うらやましいかも」
「え?」
「紅葉がいま、そうやって“ぶつかれる相手”がいるってこと」
紅葉は寝返りをうち、天井を見つめた。
「……でも、わたしにとってのいちばん最初は、
葵と一緒にやった“あの夏の発表”だから」
葵は、小さく微笑んだ。
「じゃあ、また一緒に、なにか作ろっか」